イスラエルの日常、ときどき非日常(最終回) 集合的トラウマの中で|山森みか

この連載の趣旨は、私が30年以上住んでいるイスラエルに関する様々な事象について紹介し、それについて私が考えたことを綴ることである。2023年10月7日のイスラエルとハマスの間の戦争勃発以降、つまりこの連載の前回と前々回では、大きな主語を用いることをなるべく避けて、私の周辺で起きている出来事、私が自分で知り得た事柄のみにかぎって書いてきた。その背景には、紛争や戦闘をめぐることについては、信頼に足るとされてきたマスメディアによる報道や国際機関の公的発表でさえ何らかの政治的意図のもとでコントロールされているという懸念と、その状況下で私が何をどう言っても、それもまた政治的に利用されるだろうという認識があった。
今回の原稿執筆中(2025年2月末)の状況は以下のとおりである。イスラエルとハマス間の戦争は、地域紛争の域を超えて、中東全体の枠組みを変えつつある。イスラエル軍によるヒズボラ弱体化は結果的にシリアのアサド政権崩壊につながり、また2022年10月以降空席となっていたレバノン共和国新大統領が選出された。レバノン政府は、これまで自国内におけるヒズボラの勢力拡大への対処に苦慮していたわけだが、これを機会に政府及びレバノン国軍の体制強化に踏み出したと言えよう。イスラエルとレバノン政府(戦闘相手であったヒズボラではない)との停戦合意は、ヒズボラではなくレバノン国軍がレバノン南部を制御することを条件に成立し、イスラエル軍は5か所の拠点を残してレバノンから撤退した。
ハマスとは、2025年1月に、不透明なところが多いとはいえ停戦合意に達して、段階的なプロセスが始まった。だが、今後どうなるかは楽観できない。人質交換プロセスにおけるパレスチナ人収監者の釈放を受け、パレスチナ西岸地区では武装集団がパレスチナ自治政府及びイスラエル軍と衝突している。この武装集団とは、戦後のガザ統治の主体の座をめぐってパレスチナ自治政府がその存在を示そうとしているのと対立する勢力であり、釈放された活動家たちはそれに属している。ハマスやヒズボラに資金を提供していると言われるイランの今後の方針も予測できない。トランプ米大統領には、中東を安定させようとする強い意志があるようで、彼の就任を機に事態が大きく動き始めたのは事実である。だが彼の用いる荒唐無稽なレトリックが、結局どのような現実的解決に着地するのかは、不明である。イスラエルの報道を見ると、イスラエルはトランプ大統領の政策を諸手を挙げて歓迎しているわけではない。全てを取引の観点から見るトランプ率いる米国から利益を得るためにはこちらも相応の代償を払わなければならないこと、米国とたまたま利害が一致している時はいいけれど相反した時の対策も考えておくべきだということが、繰り返し指摘されている。
この稿ではまず、私が大きな政治的イシューについて自分の見解を明確に言うことができない理由について触れようと思う。その後、現在進展中の停戦プロセスとその背景について述べてみたい。もちろん「できない」といっても、忖度すべき何らかの政治的圧力が私にかかっているという意味ではない。要は私の能力不足ということに尽きるのだろうが、それには過去の経験の積み重ねがある。
思い返せば40年ほど前の私は、自分の政治的、思想的見解にかなり自信を持っていた。いわゆるパレスチナ問題についても、当時出版されていた書籍を何冊も読んで自分なりに知識を蓄えていたつもりだった。だがこの地での生活が長くなるにつれ、私が考える「かくあるべき理念」がいざ現実の政策として実現した時に、必ずしも良い結果がもたらされない、それどころかさらに悪くなるという経験が続いた。そして、その自信は徐々に失われることになった。
オスロ合意の頓挫がその例として挙げられる。オスロ合意とは、1993年にノルウェーの仲介でイスラエルとPLO(パレスチナ解放機構)が双方の存在を承認した歴史的合意である。両者はこの合意により将来の共存に向けて交渉を開始するはずだった。オスロ合意がなぜ、どのようにして頓挫したかについては、立場によって見方が異なる。なのでここで私が述べるのは歴史的事実を確定するための議論ではなく、当時その場にいた人間が、何を感じ、どう受け止めたかという話である。
周囲の多くの人たちがそうであったように、私もオスロ合意とその後のいわゆる二国家共存への道筋に希望を抱いていた。オスロ合意を象徴する出来事として、パレスチナ自治政府警察に、イスラエル治安当局が権限委譲とともに銃器を渡したセレモニーは今でも覚えている。これで自治政府が自領での警察権を名実共に行使できることになったと、私も喜んだものである。だが第二次インティファーダ(パレスチナによる抵抗運動)勃発後、自治政府警官が、イスラエルが渡したあの銃器を用いて、イスラエル領内のレストランなどで無差別乱射を行う事件があいついだ。あの時イスラエルがパレスチナ警察に渡した武器が、自分たちに向けられることになったのだ。当時の複雑な気持ちは、私だけでなく周囲の多くの人たちに共有されたし、それは今でも残っている。
他にもいろいろあるのだが、このような苦い経験が重なることで、私はそう簡単には「こうすべきだ」とは言えなくなった。イスラエルとパレスチナが共存をめざす中で、パレスチナ国家設立の準備が整っていない状況で正論に見えることを実行に移した結果がどのようなものになるのか、その予測と判断に全く自信が持てなくなってしまったからである。
政治的主張を控えるようになったもう一つの理由としては、「外部からそう見えるかもしれないが、内部からはそう見えないこと」が少なくないからだ。自分が属している集団の立場によって議論の前提があまりにも異なっている。だから、解釈が異なる事態について議論することへの躊躇いが私の中にある。これに関する例の一つとして、2024年2月28日に辻外務副大臣(当時)がイスラエルを訪問してカッツ外相(当時)と会談した際、日本の外務省が発表した報告と写真[★1]に端を発する、日本語のネット空間(主としてX)での「炎上」が挙げられる。
問題とされたのは、会談時にイスラエル側から供されたフルーツ盛り合わせの皿にあったスイカである。スイカはその色の組み合わせがパレスチナの旗(赤、白、緑、黒)に似ているところから、パレスチナの象徴として用いられるようになった。SNS上の人々の意見では、そのような意味を持つスイカを日本からの客に出す行為の背後には、パレスチナ領土を切り分けて日本と山分けしようというイスラエル側の意図がある。それにもかかわらず、イスラエル側の意図とプロパガンダに踊らされてスイカを食べたり記念写真を撮ったりした日本外務省の見識が疑われる、というのである。
日本の外務省があの時期にイスラエルを表敬訪問するという政治的判断を下したことに対する批判であれば、私も十分理解できる。それは日本政府の判断についての議論であり、日本人にとって重要な事項だろう。だが、会談の席でイスラエル側が旬でもない2月にスイカをわざわざ供した意図は、日本を手玉に取りパレスチナの土地や利権を山分けしようともちかけることだったという推測については、私にはただ「あり得ない」という感想しか浮かんでこなかった。
概してイスラエル人というのは、回りくどいメッセージの伝え方はせず、単刀直入な言動をする。というか、そうした婉曲表現をきわめて苦手としている。そんなことは日々暮らしていると肌感覚で分かる。市場やスーパーで売られているリアルな果物であるスイカを買ったり切ったり食べたりする際に、これはパレスチナの象徴だからどうこうという発想などない。私と同じように感じたらしいイスラエル在住邦人や日本語を解するイスラエル人たちからは、「皿にはスイカ以外の果物もある」「2月でもスイカは店で売っている(写真付き)」といった投稿がSNSにされた。会談の現場にいた人に後日話を聞く機会もあったが、彼らにとってもこの解釈は思いもつかないものだったようだ。
このスイカの意味をめぐる議論は、「そう見える」「そう解釈できる」という、ある人々の主観に基づいて生まれている。同様にそれに対する反論も、「そんなことはあり得ない」という、いわば現場の肌感覚から述べるしかない。よしんば同時期あるいは開戦前にイスラエル外務省を表敬訪問した各国の代表団に供された茶菓のデータを集められたとしても、それは日本との会談で供された皿に込められた意味に関する直接的証拠にはなり得ない。いったい、SNS上の日本語話者の間で、それもかなり激しい言葉遣いで為された議論にはどんな意味があるのだろうか。そう考えた時、私はそこに映し出されているのは、イスラエルの現状ではなく、日本社会のありようだということに気づいた。
スイカの例はいささか極端だが、イスラエルとパレスチナの問題をめぐる議論には、多かれ少なかれそのような要素があると私は思う。日本からイスラエルを訪れた人々の経験を綴った著作を読むと、私も確かにその時同席していたのに、そこで起きた出来事に対する捉え方がかなり異なっているのに驚くことがしばしばあるからである。
これはどういうことなのだろうか。何らかの出来事に対するある人の解釈が映し出すのは、対象とされている出来事そのものであり得るのか。むしろ、その解釈者にとって何が重要なのか、ひいてはその議論が為されている場、学問領域、宗教や政治的見解、その人が属する共同体のありようなのではないか。つまり、私が今直面している事態をめぐって繰り広げられる、外部からの様々な真摯な議論、考察、解釈は、私が見ているものとはほぼ無関係な地平で行われているのではないか。前提を共有しないまま積み重ねられる、別の次元の言葉なのではないか。このずれが示しているのは、何が正しくて何が間違っているという問題ではなく、それぞれが立っている地平の相違としか言いようがないのだろう。そう考えた時、私は日本語で語る際に、誰に向けてどのような論理で言葉を紡げばいいのか、よく分からなくなってしまった。
私の個人的背景はこのようなものだ。いまの私は、確信を持って自分の政治的見解を述べる人を見ると、批判的あるいは冷笑的態度を取りたいというのではなく、ただ眩しく感じてしまうようになった。それを踏まえた上で、停戦プロセスで人質交換が行われた際のイスラエル人の感覚について以下で触れ、その後で私の関心の方向がどこにあるのかを記しておきたい。
今回のハマスとの停戦合意に基づく人質交換は、二段階プロセスで構成されている。第一段階では「人道的解放」という名の下で、まず女性(民間人と兵士)、50歳以上の男性、医療支援が必要な男性のカテゴリーに分類される33人が、生死を問わず、だがまずは生存者から解放されることになっている。その間にイスラエル軍はガザから段階的に撤収し、また人道支援物資の搬入、そしてイスラエルの刑務所に収監されているパレスチナ人約2000人の釈放が行われる。2月3日からは、残りすべてのイスラエル人人質解放交渉、戦後のガザの復興と統治形態についての交渉が始まる取り決めだった。
2月末の時点では、第一段階の人質は生存者も遺体も全て返還された。しかし第二段階の交渉開始は大幅に遅れている。交渉が開始されないということは、高齢でもなく医療支援も必要としないと定義された成人男性の解放の見通しが立たないことを意味する。この段階的解放という合意内容については、政治家や国民、人質家族の中でも意見が割れた。政権内の強硬派は、状況によっては第二段階が始まる前に戦争を再開するオプションを残しておきたいと主張した。だがそれは、第一段階で解放されなかった人々は最早戻ってこないことを意味する。生死を分けるリストを自らの手で作ることは、ユダヤ人にとって、ホロコースト時代に作成された様々なリストの存在を想起させる行為であった。
その一方で、民間人であれ兵士であれ、女性が男性に優先されることに異論はなかった。なぜなのか、その背景について少し述べておこう。
まずここで対象となる女性兵士は国境監視の任務に就いていた。戦闘員ではないので武器は携帯していない。彼女たちは2023年10月7日のハマスの攻撃前に、ガザの様子がおかしい、何かが起きる危険があるという報告を繰り返し上層部に上げていた。だが軍の担当者はその報告を無視したどころか、これ以上うるさく言うなら処罰するとまで言っていたのである[★2]。そして彼女たちの言葉通りにハマスの攻撃が起き、彼女たちは応戦する術もなく、最後まで最前線で事態を報告し続けた。何人もが戦死し、数人はパジャマのまま拉致された。ハマスは血まみれの彼女たちが拉致される状況を撮影していた[★3]。
この女性兵士たちの事前警告を無視したイスラエル軍も国も、彼女たちの運命に責を負っていることは、誰の目にも明らかだ。また女性兵士にかぎった話ではないが、攻撃時には、性被害を受けたイスラエル人たちがいる。そのような人々の多くは生存していない。これらの性被害については、イスラエル側が訴えても、それを認めるハマス戦闘員の供述があるにもかかわらず、普段は女性の権利を守ると言っている国連も女性団体も当初は「証拠不十分」として取り合わなかった[★4]。こうした複数の要因から、イスラエルの世論が女性を優先的に取り戻さなければならないという流れになるのは当然だった。
イスラエルは国連だけでなく、人質になったり被害を受けたりした子どもたちについてユニセフに協力を仰いだが、対応は冷たかった[★5]。また国際赤十字に、持病がある人質に届くよう薬を託して、ガザを訪問して健康状態を確かめてほしいと求めても、それが実現されることはなかった[★6]。中立を謳う国際機関が取ったそのような態度は、イスラエル国内で、ナチスの強制収容所に対する情報を得ていたにもかかわらず、適切な対応を取らなかったホロコースト時代の国際赤十字を想起させるに十分だった。

前述したようにこの原稿を書いている2月末現在、第一段階で解放される予定の33人は全員戻ってきた。生存者の解放は、まず民間人女性、次に女性兵士、高齢男性、リストには載っていなかったタイ人労働者5人、そして医療支援が必要と分類された男性という順番であった。捕虜交換とは無関係なタイ人をハマスがどういう意図で長期間拘束していたのかは不明であり、タイ人は生存していない人を含めてまだ全員は解放されていない。
一定期間同じ場所で拘束されていた女性兵士たちは、解放される時はとにかく笑顔で背筋を伸ばして歩こうと決めていたと言う。最初に若い女性たちが解放された時、国民はあたかも自分たちの娘が戻って来たかのように喜びを共有した。ニュース番組のキャスターたちも泣いていた。そこには、これから彼女たちが家庭を築き、子孫を残すことが勝利を意味するのだという、ユダヤ人の間に醸成され、広く共有されている感覚があった。既に責任を取って辞意を表明している参謀総長は、女性兵士たちと面会し、謝罪したと報道された。
だが男性たちの解放が始まった時、国民の間には衝撃が走った。彼らの外見は、ナチスの強制収容所から出て来た人たちを強烈に想起させたからである。民間人であってもハマス側からは「兵士」と見なされる年齢の男性人質が置かれている状況は、女性たちより遥かに過酷なものだとは、すでに報道されていた。それでも2月8日に解放された3人の男性の映像を見た時、イスラエルの多くのユダヤ人国民は、自分たちは今、集合的にホロコーストを追体験しているのだという感覚を持った。
その後、男女を問わず解放された人々が受けた肉体的、精神的拷問についての証言が少しずつ報道されるにつれ、それらのディテールもまたホロコースト時代のエピソードと結びついていった。そして本当に酷い体験は言葉として出てくるまでに時間がかかるだろうこと、戻ってきた人々が一見元気そうに見えても、周囲はそれをそのまま受け取って安心しないように、という専門家の見解が報道された。またたとえ本人がいずれかの段階で医療やセキュリティ関係者に語ったとしても、プライバシーを守るために決して詳細は報道されないだろうことも、人々には語らずとも感得、共有されていった。実際、報道では何度も「私たちの集合的トラウマ」という語が用いられた。安易にナチスとの同一視はすべきではないという理性的な見解はイスラエル国内でも散見されるとはいえ、この強烈な感覚に囚われた人々には、どのような言葉もうまく伝わらないだろうと私は思った。
イスラエルの人々は未だホロコーストの影の下で生きている。残念ながら、今回の戦争でその影は確実に濃くなってしまった。何かにつけホロコーストを想起するイスラエル人に対して、「ホロコーストを特権化するな」「歪んだ被害者意識」という批判があるのは承知している。私自身、ホロコーストは不可侵な聖域であると言っているわけではない。そもそも、何にせよあるカテゴリーを特権化、聖域化すると、人はそれに囚われて動けなくなってしまう。また「イスラエルの被害者意識は決して歪んでなどいない」と主張しているわけでもない。実際、歪んでいるのかもしれないし、バランスを欠いてもいるのだろう。しかし、彼らがそうした被害者意識を持っていることは事実である。ここで私が呈したいのは、そのような背景と認識を持っている人々に対し、「あなたたちの認知は歪んでいる」と指摘し続けることにいったいどんな説得力があるのかという疑義である。それがどんな生産的な結果をもたらし得るだろうか。
停戦合意に至って人質解放が始まったことで、イスラエルでは2023年10月7日以後止まっていた時計が徐々に動き始めたと感じられる。既に亡くなった人が遺体で戻ってくる場合もあるが、それでもやはり家族の気持ちの整理がつく。とはいえまだ政治的には何ひとつ具体的な解決策が明示されていない。第二段階の停戦プロセス、その後のガザ再建プランがどうなるかも分からない。停戦プロセスが進むにつれ、ハマスによる人質や遺体への侮辱的態度が明らかになって[★7]、「ハマスとの共存はできない」という感覚がさらに強まってきたことを鑑みると、決して楽観できない。実際に共存が可能か否かという問題はさておき、「どうしてもできない」と思ってしまった人たちが相当数いるという事実は、受け止めなければならない。
政治家でも研究者でもアクティビストでもない一市民としての私個人は、高度な交渉技術の涵養や、破綻のない理論構築、広くムーブメントを起こす手法等を模索しているわけではない。ただ今後状況をよりよい方向にもっていくためには、比較的穏健な、私の周囲にいる人々に届くような論理の筋道と言葉を探し続けるしかないと思っている。そしてその人々の多くは、未だこの「集合的トラウマ」の中にいる。
どのような立場の人であれ、人にはそれぞれ苦しみがある。主張がどれほど正しくても、自分とは立場が違うからといって、諸個人の苦しみを顧みないような言説とは、これからも距離を取っていきたい。これにはもちろん、パレスチナ側の苦しみを切り捨てるようなイスラエル側の言説も、イスラエルの苦しみを自業自得だと当然視するような言説も、含まれている。
山森みか氏の連載は今回で休止となる。イスラエルは特殊な建国の経緯をもつ国であり、行動に理解し難いところがある。そんな国の「日常」を長期滞在者の視点から紹介してもらうことには大きな意味があると考え、13回にわたって連載を続けてもらってきた。編集長であるぼく、東浩紀は、イスラエルによるガザ侵攻は虐殺であり、パレスチナ人の生存権を踏みにじるものだと考えている。山森氏と意見を異にするかもしれないが、貴重な視点を提示し続けてくれたことに深く感謝したい。(東浩紀)
★1 URL=https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/pressit_000001_00412.html
★2 英語で読めるものとしては、このような報道がある。Cuddy, Alice “They were Israel’s ‘eyes on the border’ -but their Hamas warnings went unheard”, BBC, 15. 1. 2024. URL=https://www.bbc.com/news/world-middle-east-67958260
★3 Williams, Dan “Israel releases film of women soldiers being taken by Hamas on Oct. 7”, Reuters, 23. 5. 2024. URL=https://www.reuters.com/world/middle-east/israel-releases-film-female-conscripts-held-by-hamas-2024-05-22/
★4 海外メディアのBBCが報じた後、ようやくこの問題が取り上げられるようになった。Williamson, Lucy “Israel Gaza: Hamas raped and mutilated women on 7 October, BBC hears”, BBC, 6. 12. 2023. URL= https://www.bbc.com/news/world-middle-east - 67629181
だが国連は、最終的に「証拠不十分」という立場を崩さなかった。
Lazaroff, Tovah “UN fails to black list Hamas for rape, Israel condemns decision while US is silent”, The Jerusalem Post, 24. 4. 2024. URL=https://www.jpost.com/israel-hamas-war/article-798385
★5 Maariv Online,
「世界中の学校がユニセフに対して厳しい書簡:『なぜ介入しないのか?』」19. 11. 2023. URL=https://www.maariv.co.il/news/world/article-1053355
★6 国際赤十字は、イスラエル人の人質解放の際に毎回ハマスが行う侮辱的なプロパガンダ「儀式」への対応でも、批判を浴びている。
Jerusalem Post Staff, “Red Cross: We ‘assisted in critical op.’ allowing hostage families to lay loved ones to rest”, The Jerusalem Post, 20. 2. 2025. URL = https://www.jpost.com/israel-news/article-843075
★7 遺体への侮辱については、例えば Farge, Emma, “Parading of bodies in Gaza abhorrent, UN rights chief says”, Reuters, 21. 2. 2025. URL=https://www.reuters.com/world/middle-east/urgent-un-rights-chief-parading-bodies-gaza-abhorrent-2025-02-20/
人質への侮辱については、Jerusalem Post Staff, “Hamas forced Evyatar David, Guy Gilboa-Dalal to watch as fellow hostages get released”, The Jerusalem Post, 22. 2. 2025. URL= https: //www.jpost.com/breaking-news/article-843279、Ohama, Lior “More Hamas cruelty: Keith Siegel forced to write ‘thank you’ letter to his captors”, ynet news .com, 2. 3. 2025. URL=https://www.ynetnews.com/article/h12orwtdjl


山森みか
1 コメント
- watamama2025/08/18 14:00
山森みかさんのイスラエルからのレポート、高次元で考察し、そして苦しい胸うちを冷静に教えてくれてとてもありがたい。「加害側」の立場でレポートすることがいかに厳しいか、想像を絶する。これまでのレポートに心から感謝しています。



