編集後記
この夏、中国四川省の峨眉山に行った。標高3077メートルの金頂には、大きな石造りの広場がある。複数の寺があって、たくさんの観光客が自撮りをしている。手ぶらやスカート姿も少なくない。似たような標高の北アルプス槍ヶ岳とはまったく異なる光景だった。なにより驚いたのは、広場の真ん中に建つ普賢菩薩像だ。映像や画像ではやや世俗的に見えていた金色の像は、山上で実際に見るととても神秘的で美しかった。3000メートル級の山では空の色が違う。青空にも曇天にも金が映えて、調和と落ち着きがある。映像は空気を映さない。ロシア軍主聖堂の独特の雰囲気もそうだが、その場所に行ってこそわかることは多い。観光客が気軽に足を運べることの大切さを噛み締めている。(U)
編集の醍醐味は、思いがけないものに出会えること。届いた原稿に予想外が満ちている。たとえば日本論が、中国大陸、さらに中央アジアへと広がってゆく。現代アートの最先端を追っていたら、1950─60年代に福岡で活動した「九州派」なる前衛美術集団にたどりつく。たまたま興味を持っていた建築家・浅田孝が横浜の駅にレリーフを残していることを知る。そうやって、思いがけず世界が広がっていく。それが雑誌編集の魅力なんだ──とまとめたいのだが、本当はちょっとちがう。50年代の高知に「土佐派」を名乗る前衛集団がいた。おなじころ愛媛出身の浅田孝が、香川など各地で都市計画に携わるようになる。空海は香川県民だ。そう、日本のすべては四国に行き着くのである!(う)
毎年神輿を担いでいる。今年は、2年に1回、14機も集まる大きな連合神輿が台風で中止になってしまったが、子ども神輿と婦人神輿は出せることになった。しかし、予定が変更されたためひとが集まらず、抜けられないし、いつもよりも重い。私ほどの身長でも婦人のなかでは背が高いほうで余計に重い。大げさに言えば、出る杭はひとより多く負担するか、かがまなければならない。神輿は、身体とジェンダーの同質性を前提とした伝統である。しかも道ゆくひとはバシャバシャ写真を撮ってきて担ぎ手は肖像権フリーになる。それでも、ふだんは出会わないひとたちと同じものを担ぐ。それは「縦の旅行」でもあり、私たちが同じ空間をともにしていることを身体で実感する貴重な機会なのだ。(や)
2026年10月24日刊行『ゲンロン19』





