連載飛び魚と毒薬第9回

ネオテニーの青春 飛び魚と毒薬(9)|石田英敬

2024年10月3日
webゲンロン 2024年10月3日 配信

 ベルナールの話がだいぶ先に進んだので、今回はぼくの物語を語ろう。

 1968年5月は、神戸の東灘区の中学3年生だった。14歳の少年が、世界の出来事なんかろくに知らないと思ったら間違いだ。

 人間はネオテニー的存在、早く生まれすぎる動物だ。ウーパールーパーみたいな生き物で頭でっかちで少年少女期を過ごす。生活能力はなくても、いろんなことを知っているのさ。中学生くらいの年齢になれば、世界で起こっていることについてはたいていの知識はもっている。大人たちが勝手に、子供は無知なはずと高を括っているだけなのだ。

 ベルナールをめぐってこの間語ってきた、パリの学生たちの街頭デモの様子も、サルトルがソルボンヌの大講堂にやってきたことも、6月にドゴール派の巻き返しで左翼が総選挙で大敗北したことも、ぼくは、NHKテレビニュースで見て知っていた。ベルナールも随所で語っていたように、テレビが世界をシンクロさせていたのだ。

 そしてベトナム戦争はなんと言っても大きなテーマで、この戦争が人びとの心にのしかかっていた。大人たちはみんな自分たち自身の戦争の記憶を持っていた。アメリカによって国が占領され、やっと独立を果たし、朝鮮戦争特需で経済復興の足がかりを得、高度成長期に突入、でも、沖縄はまだ占領されたままだった。そして、基地からB52が北爆(北ベトナムへの絨毯爆撃)に日々飛び立っていた。

 

 いまの時代とは大変に異なった状況なのだ。

 

★1 アレクサンドル・ドプチェクはプラハの春を指導した当時のチェコスロヴァキア社会主義共和国の指導者。二千語宣言は「1968年6月17日に知識人や芸術家によって署名された「労働者、農民、科学者、芸術家、および全ての人々のための二千語宣言」。詳細は、次のウィキペディア項目を参照。URL= https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%8D%83%E8%AA%9E%E5%AE%A3%E8%A8%80
★2 第6回★31参照。『ゲンロン16』、2024年、227頁。
★3 その後、そういうフィクション創作が続かなくなったのは、ヌーヴォーロマンとかテル・ケルのせいだ。小説はヌーヴォーロマンでなければならない。小説には筋があってはいけない。とか、考え始めると、小説は書けなくなる。ぼくの場合はそうだった。
★4 同じようなタイプの中高一貫校である麻布学園は、1970年代初めに大きな学園紛争を経験している。そのきっかけは、理事会による恣意的で専制的な学園支配だとされている。そのときに、学園紛争のアクターだった高校生は、その後、日本の大学を中退してパリに留学する。1975年に私がパリに第一回目の留学をしたときに親しく交流した同年齢の友人だ。
★5 この先生はwikipediaにも項目がある。URL= https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E4%BA%95%E6%82%8C%E4%B8%89%E9%83%8E
★6 あの立体地図はどうなったのだろうか、と2、3年前に、当時の部員仲間でいま大阪の方の公立病院の医局長をしている友人から突然問われた。ボルヘスの地図のように砂漠をさまよっているのかもしれないね、と答えたのだった。

 

石田英敬

1953年生まれ。東京大学名誉教授。東京大学大学院人文科学研究科博士課程退学、パリ第10大学大学院博士課程修了。専門は記号学、メディア論。著書に『現代思想の教科書』(ちくま学芸文庫)、『大人のためのメディア論講義』(ちくま新書)、『新記号論』(ゲンロン、東浩紀との共著)、『記号論講義』(ちくま学芸文庫)、編著書に『フーコー・コレクション』全6巻(ちくま学芸文庫)ほか多数。
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