転んだところがプラネタリウム

アヒェ・エンジニアリング・シアターの視覚的俳句の旅

2026年10月7日
webゲンロン 2026年10月7日配信
舞台芸術祭「秋の隕石2026東京」は、2025年に始まった、豊島区池袋の東京芸術劇場を中心に展開される国際的なフェスティバルです。2年目の今年、ロシア・サンクトペテルブルクで生まれた伝説的パフォーマンス集団・アヒェ・エンジニアリング・シアターが来日します。
近年日本でも注目され始めた「オブジェクトシアター」ですが、アヒェはソ連後期のアンダーグラウンド文化の文脈のなかで、芸術表現の別のかたちを模索して、いまのスタイルに辿り着きました。シンプルなものを駆動しながら観客の想像力にいかに働きかけるか。『白い部屋』は、アヒェのメンバーと俳優が協働する想像力の実験室です。
メンバーのマクシム・イサエフ、パヴェル・セムチェンコ、ヴァディム・ゴロロボフ各氏に、「秋の隕石2026東京」オブジェクトシアター キュレーターで、今回のアヒェの招聘に尽力した山口遥子氏と、アヒェの作品をいくつも見てきたロシア文学者の上田洋子がインタビューを行いました。(編集部)

舞台芸術祭「秋の隕石2026東京」
URL=https://autumnmeteorite.jp/ja

アヒェ・エンジニアリング・シアター
英語HP=https://akhe.org
ロシア語HP=https://akhe.ru/ru/

——アヒェが「秋の隕石」に参加することをうれしく思います。オブジェクトシアターなど多様な作品を紹介する舞台芸術祭が東京に誕生したときから、いつか参加してほしいと願っていました。 2006年、富山県の利賀芸術公園で『Mr.カルメン』を上演して以来、2度目の来日ですね。

 

マクシム・イサエフ あのときはカルチャーショックだった。いまも鮮明に記憶しているよ。日本のことはよくみんなに話してるんだ。ぼくたちの活動のなかでも大事件だったから。

パヴェル・セムチェンコ 日本はこれまで公演してきたほかのどの国ともちがっていたね。

 

やれることはすべて本気でやる

 

——今回東京で上演する『白い部屋』にはどのようにして生まれたのでしょうか。

 

パヴェル もともとはパフォーマンスだった。30年前に作った当初は『シネマ vs ビデオ』というタイトルで、片側から16ミリフィルムをアナログで上映し、反対側からはビデオを投影した。ビデオはたしか日本製だったな。 スクリーンが部屋のような構造になっていた。窓のある、3つの階層のある空間だ。そのなかで俳優たちが演技をした。映画とビデオを背景に、生身の身体が動く。

ヴァディム・ゴロロボフ この映像が、のちにいまの『白い部屋』の後半部分のベースとなった。俳優の関係性が示される前半部分のほうがあとに作られたんだ。映画やビデオが登場する前に、まず世界があって、人間関係が生じていくというパートだよ。 いまのかたちになったのは2000年前後かな、劇場で上演することになったので、それに合わせて作り替えた。

 

——作品としては2000年ごろから変わっていない?

 

マクシム ぼくたちが変わっていくのと同時に作品も変わっていく。ずっとおもしろいと思っていたことが子どもっぽく感じられるようになったりもするしね。 いろいろな理由から外さざるをえなかったシーンもあるよ。だから、そこで見せていたのと同じ感情を引き起こすことができる別の案を見つけた。

 

——消えてしまったシーンには、どんなものがありますか。

 

マクシム 女優を舞台前方に座らせ、ぼくが舞台奥から猛スピードで走り出して、彼女を椅子から客席に突き落とそうとする、けれどもロープで壁に繋がれているので、彼女にあと数センチのところで届かないという場面があった。攻撃性が爆発的に表出する瞬間を見せる場面だった。

ヴァディム 前に飛び出そうとするマクシムが、ロープに後ろから引っ張られて、どすんと転ぶ。そういうシーンだったんだけど、結局マクシムの背骨がもたなくなって、折れてしまった。

マクシム このシーンは見通しが甘かった典型的な例だね(笑)。他方、ぼくたちの創作方法をよく表してもいる。ぼくたちはリアルにやれることはすべて本気でやる。疲れるのも痛いのも、舞台の上でほんとうに経験していることで、嘘じゃない。

『白い部屋』(c) internationales figuren.theater.festival Photo: Erich Malter

——『白い部屋』という、現在のタイトルはどこからきたのでしょうか。

 

ヴァディム 最初の『シネマ vs ビデオ』から変わったのは、作品がパフォーマンスから芝居に変化したからかな。演劇性が加わって、技術的なタイトルからより射程の広い名前になった。

マクシム 「白い部屋」は、「赤い角」(ロシアの家で伝統的に聖像画を置く場所)とか「ブラックボックス」とかと同じようなものだよ。メタフィジカルな空間なんだ。

パヴェル さらに詩的に言えば、この部屋は、舞台上で繰り広げられる出来事を旅するための客室なのかもしれない。車や船に乗り込んで、なにが起こっているのかを見にいく。すると、窓からさまざまな風景や、いろんな人々が会っているのを見る……。これはいまこの場で思いついたことだけど(笑)

 

ものがないと始まらない

 

——『白い部屋』には、赤ワインのコルクで首吊りをしようとしたり、ガムをひたすら伸ばしたりする印象的なジョークがたくさんあります。どのように思いつくのですか。

 

マクシム いつも必ず先にイメージがあって、そのイメージをどう強め、深めて、印象的に表現するか、試行錯誤する。こうして、いわば「焦点」を探っていく。

パヴェル ガムを伸ばしてできる弦のようなものは光線を表しているんだ。視覚的現象だよ。 ただ、観客が見て取るものと一致するかはわからない。観客にも、演者のぼくたちと同じように、作者としての権利がある。観客も共同製作者として、作品を見ながら思考や空想を育むことができる。このことをぼくたちは大切にしている。 たとえば音楽を聴いていると、その音楽について、それぞれ自分の考えが浮かんでくるよね。ぼくたちの舞台は、いわば視覚詩みたいなものだ。

 

『白い部屋』(c) internationales figuren.theater.festival Photo: Erich Malter

 

——そもそもクリエイションはどのように行われるのですか。
 

マクシム 決まったアルゴリズムのようなものはとくにない。作品ごとに生まれるプロセスもそれぞれだ。一晩で思いついて、すぐ舞台で創作を始めることもあれば、考え抜いたうえで着手したのにぜんぜんうまくいかないこともある。 いずれにせよ、つねになんらかのアイデアやコンセプトがベースとしてある。ぼくたちがなにを語りたいのか、どんな手段や方法で伝えたいのかという、ね。すべてはそこから展開される。

 

——ものは最初からある?

 

マクシム ものはとても大事だよ。ぼくたちにとって絶対不可欠なのは、舞台の仕込みができていること。小道具や舞台装置を全部揃えてから、即興を開始する。こうした即興から演劇作品が生まれる。 ぼくたちは視覚の演劇をやっているから、「ここに窓があるとしよう」とか、「ここで水が流れていることにしておこう」といった、目に見えない条件を想定して演じるドラマ演劇はできない。クリエイションに集中するには、舞台セットが整っていることが大前提だ。

 

——アヒェについても教えてください。劇団はどんなふうに生まれたのでしょうか。

 

パヴェル ぼくたちは「DaNet(ダーニエト/はいいいえ)」という劇団を主宰していたボリス・ポニゾフスキー(1930-95)のところで知り合った[★1]。彼は理論家で、演劇の神話学を論じていた。
彼の演劇では、俳優の代わりに、ものと人形が混ざり合うんだ。ぼくはこの不思議な組み合わせに興味を持って、彼のところに通うようになった。そこにマクシムがいたというわけ。
最初は美術の活動をしていた。インスタレーションを制作したり、ストリート・アートのパフォーマンスを行ったりしながら、視覚言語みたいなものを磨いていった。
しばらくして、フェスティバルに招かれるようになった。そして、演劇の道具立てを取り入れるようになった。照明とか音響とかチケットとか……。

 

——アヒェのメンバーはいま、それぞれ別の国に暮らしているとのこと。今後、新しい作品を一緒に作る予定はありますか。

 

マクシム 新たに作っているものはないけど、すでにクリエイションを開始したプロジェクトはある。たとえば、『神の末期の苦しみ』[★2]。2025年9月にドイツの人形劇・オブジェクトシアターのフェスティバル「ヴァイトブリック」で初演を行い、その後フランス、そして再びドイツで上演したよ。

ヴァディム 市街劇の『イカルス』[★3]もそうだね。
いまはぼくがロシア、パヴェルはフィンランド、マクシムはフランスにいるからなかなか難しい。オンラインで公演を作り上げることは当然できない。さっきマクシムも言ったけど、舞台装置や共有空間があってこそ、クリエイションができるから。でも、そういったチャンスもある。

 

——日本ではまた共同作業の機会が訪れたわけですね。 

 

マクシム 再結成だ!

 

——東京で新しいことが始まるかも! 

 

マクシム いまから楽しみでならないよ。

ヴァディム 今回、ワークショップができるのはうれしい。メンタリティも習慣も異なる人々と作品を作ることで、予想外のものが生まれるかもしれない。
 

ものを豊かにする

 

——先ほど、クリエイションにもものが重要とうかがいました。オブジェクト・シアターにおけるものと人間の身体の役割をどのように考えますか?
 

マクシム 結局それはどの劇団のどの作品で、どんなひとが関わっているかといった、個別具体的な条件による。
   最近は、人間がいっさい登場せず、出てくるのはなんらかのオブジェやものや仕掛けだけ、という演劇作品も多い。けれど、たんに俳優を舞台上の出来事から切り離しただけなんじゃないかと思われる公演もある。
   個人的には、登場人物や俳優が、ものを豊かにしてくれているという感覚がある。ものとひとの相互作用はいつも生じるわけじゃないし、それがどこまですごいかというのも、座組次第だ。

ヴァディム ぼくはやっぱり人間を見るほうがおもしろくて、動かないものを見ていられるのは10分が限界だな。

マクシム 動くものだったら?

ヴァディム 15分かな(笑)

パヴェル 絵画には「静物画」というジャンルがあるよね。フランス語で静物画はnature morte、つまり「死んだ自然」という意味だ。英語だとstill lifeで、「静止した生命」という意味になる。生きた人間や、舞台上で起こる生の出来事と、死んだものや動かないもの。この境界でこそ、おもしろいことが起こるんじゃないか。
 

——『白い部屋』を、視覚的表現を用いずに言葉で描写するとしたらどうなりますか?
 

マクシム 劇団のサイトに書いてあるんじゃない?(笑)

パヴェル 考えてみたよ。これって「展覧会の絵」って呼べるんじゃない?あたかもギャラリーを訪れて、音、光、映像、3人の俳優で作られた絵画作品を見るかのように。絵は連続して並んでいて、それぞれ3人のうちのだれか、あるいは全員の人生の断片が描かれている。そこにはあきらかに、いわゆる「三角関係」がある。2人の少年と1人の少女、もう若くはないけど……。

マクシム 年老いた少年たちと、年老いた少女(笑)。

パヴェル 彼らはいろんな感情が生ずるような状況に巻き込まれていく。陽気だったり、コミカルだったり、悲劇的だったり。それぞれの場面がドミノのように、次の状況や展開を引き起こしていくんだ。
まあ、ひとことですごくバカっぽく言えば、愛と死についての芝居だね。

(間)

全員 (爆笑)

 

——わたしは愛と死というより、政治的な作品だと思いました。現代の政治や社会への怒りや馬鹿馬鹿しさに対して、ものを通して鋭い皮肉で描いていると。

 

ヴァディム ひとそれぞれに自分なりの見方がある。

マクシム コンテクストから切り離されたテキストなんて存在しない。自分がどんなコンテクストにいるかによって、受容の仕方も変わってくる。

『白い部屋』(c) internationales figuren.theater.festival Photo: Erich Malter

——つまり、この芝居は愛と死についてでもあり、政治や社会問題についてでもある……。

 

マクシム レニングラードの児童文学者オレグ・グリゴリエフは知ってる? 彼に短い詩があるんだ。「いちどにぜんぶを伝えるために、こぶしでたらいを打ちつける」って[★4]。

パヴェル 「転んだところがプラネタリウム」という表現もあるよ。つまり、観客としてどんな立場をとるか、なんらかのものをどの場所から見るかによって、自分なりの星空や宇宙が見えるってこと[★5]。

 

驚異と想像

 

——やはり、作品の見方は観客に委ねられるのですね。
最後に、ワークショップ参加者や観客のみなさんにひとことお願いします。
 

パヴェル ワークショップ参加者には、度胸。とにかく怖がらないこと。変だと思われたり笑われたりするのを恐れず、いろんな馬鹿げたことや不条理なことをやってみましょう。

ヴァディム 観客に対しては、想像力を働かせて、自分の見ているものを広く捉えてほしいです。 結局なにについての芝居だったんだ、と聞かれることもあります。そうすると、愛と死とか、政治とか、キッチンとか、目玉焼きの作り方とか答えることになってしまう。そういうことじゃないんです。

マクシム 実際、自分がなにに心を動かされたのかを問いかけてみてほしい。それこそがこの芝居が扱っているテーマだ。

パヴェル 五感のすべてを使ってほしい。目だけじゃなくて、口とか耳とか。

マクシム それにしても、ぼくたちの芝居をどういうふうに言葉にできるのか、まだ考えているんだ。なんだろうね。

パヴェル 視覚的俳句の小さな本、とか。どの場面も俳句みたいなもんだ。
たとえば、「観客が入ってくる。ゆっくりと明かりが消える。舞台に煙が上がる」。もう俳句になりそう。
でも、ネタバレはやめとこう。みんな興味なくなっちゃうかもしれないからね。

ヴァディム その場で起こるサプライズに備えてください!

2026年9月2日
  Zoomにて収録
聞き手=上田洋子+山口遥子
構成・注=編集部
 

 

舞台芸術祭「秋の隕石」とは 

舞台芸術祭「秋の隕石」は、豊島区池袋の東京芸術劇場を中心に展開されるフェスティバルです。「新たな芸術の創造」「海外発信」「人材育成」をミッションに、国内外の多様な舞台芸術作品の上演とともに、世界で活躍できる舞台芸術人材の育成と国境を越えたネットワーキング構築プログラム等を実施し、芸術文化における国際交流を活性化させることを目指します。またアクセシビリティ向上の取組も積極的に行います。
この芸術祭は、演劇作家・小説家であり、2026年度より東京芸術劇場舞台芸術部門芸術監督に就任した岡田利規が、アーティスティック・ディレクターを務めます。岡田は、その独特なテキストと身体の関係性による独自の方法論を確立し、現代社会への鋭い眼差しと併せて国内外で高く評価されています。「秋の隕石」も、先進性や独自性、創造性そして国際性を備えたものへと発展し、より広く深く世界とつながってまいります。

舞台芸術祭「秋の隕石2026東京」
会期:2026年10月9日(金)〜11月3日(火・祝)
会場:東京芸術劇場、GLOBAL RING THEATRE〈池袋西口公園野外劇場〉

アヒェ・エンジニアリング・シアター 『白い部屋』
オブジェクトシアターのレジェンドによる30年来の代表作
今もなお輝く、詩的でアヴァンギャルドな寓話の宝石箱

現在活躍するオブジェクトシアターのアーティストの多くが影響を受けたと語る、ロシアで1989年に設立されたパフォーマンス集団アヒェ。オブジェクトシアター界の〈巨匠〉による30年来の代表作が登場する。水や火、紙や布といったシンプルなオブジェクトを用い、強烈なイメージの羅列と、舞台効果によるポエティックで寓話的かつユニークな演出で観客の感覚と想像力を刺激する。
ヨーロッパへ拠点を移し、今なお精力的に活動を続けているアヒェ。既存の演劇形式に囚われることなく、「彫刻的かつ詩的」な演劇言語を駆使して秩序への挑戦を続けている。社会に対し芸術ができることを身を賭して体現している彼らの生き様を東京で目撃してほしい。
1996年初演以来、アヒェのメンバーと共に月日を重ねながら世界各地で上演されてきた本作は、『白い部屋』に紡ぎ出される鮮やかな情景の連鎖と、その軽妙洒脱でユーモアある時空間を、2026年の東京にもなお変わることなくもたらすだろう。

日時:
10月31日(土)18:00
11月1日(日)18:00
11月2日(月)16:00 ◎

◎=見えない・見えにくい方のための「音声ガイド」を実施いたします。(要予約)

会場: 東京芸術劇場 シアターウエスト

チケット料金:
一般:5,000円
U29:3,000円
U18:1,000円
※全席自由(入場整理番号付・税込)

詳細はこちら:https://autumnmeteorite.jp/ja/2026/program/white_cabin
 

<公開レクチャー>
「秋の隕石」で上演される代表作『白い部屋』の制作背景や、現在の活動について話を伺います。

■日時
10月21日(水)11:00–12:00(無料・予約不要・入退場自由)
■登壇
アヒェ
■聞き手
山口遥子(舞台芸術祭「秋の隕石2026東京」オブジェクトシアター キュレーター)
■通訳・聞き手
上田洋子(ロシア文学者、ゲンロン代表)

<成果発表会>
オブジェクトシアターのレジェンド的劇団「アヒェ」による、詩的で実験的な5日間のワークショップ。その集大成として、ワークショップの参加者たちが創作の成果を披露します。
どなたでもご観覧いただけます。オブジェクトのポエジーの世界へ、飛び込んでみませんか?


■日時
10月25日(日)18:00–20:00(無料・事前予約制)
■観覧申込
こちら

★1 ボリス・ポニゾフスキー Борис Понизовский は演出家、思想家。ソ連時代のレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)のアンダーグラウンド演劇のカリスマ的存在だった。「ダーニエト」はレニングラードで最初の施設劇場。YouTubeで作品の記録映像を見ることができる。 URL=https://www.youtube.com/@TheatreDaNet
★2 2025年初演。URL=https://akhe.ru/ru/perf/divine-agony/
★3 2023年初演。URL=https://akhe.ru/ru/perf/icarus/
★4 原作の詩を訳すと以下のようになる。「あいつはなんでもおれの真似して/いらいらするったらありゃしない/勇気を奮ってつけた青痣/おれは勲章のように見せびらかす/いちどにぜんぶを伝えるために/こぶしでたらいを打ちつける」
★5  Где упал, там и планетарий. 酩酊や疲労で倒れこむことを見方を変えてポジティヴに捉えるネットミーム。
 

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