大澤聡+佐々木敦+さやわか+東浩紀「ゼロ年代以降に批評はあったのか」イベントレポート|田村正資

初出:2016年10月07日刊行『ゲンロンβ7』
聴衆の目の前で、大胆なフィクションが立ち上がっていく。観客へと送り届けられたフィクションは、乾いた喉から絞り出される、手探りの質問となって登壇者へと跳ね返る。するとまた、どこかはぐらかされたような、それでいて誠実さの滲んだ回答が返ってくる。イベント終盤の盛り上がりは、全編を通じて示された「批評とは、ある種のフィクションを立ち上げる営みである」「批評のアイデンティティは、実在性を持った読者=観客によって規定される」という主張を、登壇者と聴衆が実演してみせているかのように筆者の目には映った。「親鸞」と「日蓮」という二極のグラデーションで現代の思想を整理してみせようとする批評的な試みが持つスリリングな面白さと、登壇者と聴衆とのあいだの(ときにちぐはぐな)コミュニケーションの在り方は、少なからず批評とその読者の「未来」に関わっている。イベントの終盤に実現した「フィクションの創造」と、「書き手」と「読み手」のコミュニケーション。このふたつが批評の「未来」にどのように関わっているのか、それを考えるためには、イベントを通じて語られた批評の「現在」について振り返る必要があるだろう。
本レポートでは、去る2016年8月14日、ゲンロンカフェにて行われ、上記のような熱気と予感に包まれて幕を下ろしたトークイベント「ゼロ年代以降に批評はあったのか――『現代日本の批評』2001-2016を収録直後の討議メンバーが語る批評の15年」を紹介する。このイベントは、『ゲンロン4』(2016年11月刊行)に掲載予定の共同討議「平成批評の諸問題 2001-2016」の参加メンバーを招いて開催された。批評誌『ゲンロン』でシリーズ化されている一連の特集「現代日本の批評」の核であるこの共同討議[★1]は、1975年から2016年現在までの日本の批評を、3つの時期に区切って全3回の討議で辿り直し、批評史年表を作成する試みである。そして、シリーズの最終回となる第3回の討議メンバーが、収録の翌日に、語り残したことをゲンロンカフェで語り尽くす、というのが本イベントの趣旨である。なお、イベントは23時ごろまで続き、語られた話題も多岐にわたっているので、割愛させて頂いた部分も数多くあることをご了承願いたい。
当日の登壇者は、『批評メディア論』の大澤聡氏、『ニッポンの思想』の佐々木敦氏、『キャラの思考法』のさやわか氏、『動物化するポストモダン』の東浩紀氏と、いずれも現代の批評の現場で仕事をしている方々であり、批評の「書き手」であると同時に「読み手」でもある[★2](以下、敬称略)。その両義的な立場を各登壇者がしっかりと引き受けて臨んでいたことが、イベントの色彩を鮮やかなものにしていた。ちなみに、このレポートを書いている筆者自身は、これまで日本の批評的な磁場からはかなり離れたところで生活していたため、当日なされた多くの議論が新鮮なものとして映った(おそらく、最近になって東の仕事をフォローし始めた人のなかには、筆者と同じような感想を抱かれた方も多いだろう)。現代の日本において、「批評」を書くことが決して自明な営みではないということ、ゼロ年代以降という時代が「批評」そのものに対する問題意識を要請しているということ。「批評」についての歴史的なスコープを持たない筆者にとって、日本の批評の現在地を示すそれらの議論は驚くべきものであった。そのような意味でも、時代に即した意味での「ライブ感」を持ったイベントになっていた。お前の感想ばかりじゃ分からんよ、と言われてしまいそうなので、以下では4つのトピックに焦点を当てて、イベントのレポートを進めていくことにする。4つのトピックとは、「オタク批評の問題」、「エビデンス主義の問題」、「ロマン主義の問題」、そして「当事者性の問題」である。「オタク批評の問題」は批評が拡散し、批評のシーンがぼやけていったことの一例として提示されている。「エビデンス主義の問題」は、批評の「書き手」と「読み手」を囲い込む環境の変化として提示されている。そして、「ロマン主義の問題」と「当事者性の問題」は、批評的な視座を欠いた現代の政治的状況のなかで、大きな「見果てぬ夢」に、あるいは小さな自分の「アイデンティティ」に過剰に固執してしまう人たちの問題として提示されている。
本レポートでは、去る2016年8月14日、ゲンロンカフェにて行われ、上記のような熱気と予感に包まれて幕を下ろしたトークイベント「ゼロ年代以降に批評はあったのか――『現代日本の批評』2001-2016を収録直後の討議メンバーが語る批評の15年」を紹介する。このイベントは、『ゲンロン4』(2016年11月刊行)に掲載予定の共同討議「平成批評の諸問題 2001-2016」の参加メンバーを招いて開催された。批評誌『ゲンロン』でシリーズ化されている一連の特集「現代日本の批評」の核であるこの共同討議[★1]は、1975年から2016年現在までの日本の批評を、3つの時期に区切って全3回の討議で辿り直し、批評史年表を作成する試みである。そして、シリーズの最終回となる第3回の討議メンバーが、収録の翌日に、語り残したことをゲンロンカフェで語り尽くす、というのが本イベントの趣旨である。なお、イベントは23時ごろまで続き、語られた話題も多岐にわたっているので、割愛させて頂いた部分も数多くあることをご了承願いたい。
当日の登壇者は、『批評メディア論』の大澤聡氏、『ニッポンの思想』の佐々木敦氏、『キャラの思考法』のさやわか氏、『動物化するポストモダン』の東浩紀氏と、いずれも現代の批評の現場で仕事をしている方々であり、批評の「書き手」であると同時に「読み手」でもある[★2](以下、敬称略)。その両義的な立場を各登壇者がしっかりと引き受けて臨んでいたことが、イベントの色彩を鮮やかなものにしていた。ちなみに、このレポートを書いている筆者自身は、これまで日本の批評的な磁場からはかなり離れたところで生活していたため、当日なされた多くの議論が新鮮なものとして映った(おそらく、最近になって東の仕事をフォローし始めた人のなかには、筆者と同じような感想を抱かれた方も多いだろう)。現代の日本において、「批評」を書くことが決して自明な営みではないということ、ゼロ年代以降という時代が「批評」そのものに対する問題意識を要請しているということ。「批評」についての歴史的なスコープを持たない筆者にとって、日本の批評の現在地を示すそれらの議論は驚くべきものであった。そのような意味でも、時代に即した意味での「ライブ感」を持ったイベントになっていた。お前の感想ばかりじゃ分からんよ、と言われてしまいそうなので、以下では4つのトピックに焦点を当てて、イベントのレポートを進めていくことにする。4つのトピックとは、「オタク批評の問題」、「エビデンス主義の問題」、「ロマン主義の問題」、そして「当事者性の問題」である。「オタク批評の問題」は批評が拡散し、批評のシーンがぼやけていったことの一例として提示されている。「エビデンス主義の問題」は、批評の「書き手」と「読み手」を囲い込む環境の変化として提示されている。そして、「ロマン主義の問題」と「当事者性の問題」は、批評的な視座を欠いた現代の政治的状況のなかで、大きな「見果てぬ夢」に、あるいは小さな自分の「アイデンティティ」に過剰に固執してしまう人たちの問題として提示されている。
オタク批評の問題――ぼやけていく批評のシーン
トークイベントは、前日の収録後の飲み会で、大澤が東の膝の上に抱きかかえられていた、という衝撃の暴露で幕を開ける。第1回の共同討議から参加している大澤と東の師弟関係が、イベントを通じて深まっていくところもひとつの見どころであった。そんななか、最初の話題として取り上げられたのは、前日の収録ではほとんど議論されなかったという「オタク批評」の問題である。ゼロ年代以降、美少女ゲームやアニメを題材としたものを皮切りに、「オタク」と呼ばれる人たちが消費するコンテンツ、そしてオタクのコミュニティそのものを題材とした「オタク批評」の本が数多く出版された。批評というものに関心を抱くようになってまだ数年くらいの筆者からすれば、「批評」と言えば「オタク批評」だ、というイメージがあったので、当日はこの話題が出るのを楽しみにしていた。自分たちと同じ話題を共有してくれる人たちを勝手に味方陣営に引き入れて「オレたち/ワタシたち」感を出そうとするのはオタクコミュニティにしばしば見られる傾向だが、まずはそういったオタクの内側(ないしは外側)から割り当てられた東浩紀の評価が見直される。
さやわかによれば、ゼロ年代初頭に登場し、以後の批評に大きな影響を与えた東の『動物化するポストモダン』は、オタク批評を立ち上げよう、オタクを擁護しようという意図で書かれたものではない。この本は、それまで「批評」という営みのなかで行われてきた形式的で知的な操作を、オタク文化という異なる文脈のなかであえて実践してみせることで、批評評という営みそのものの相貌を描こうとする試みであった。しかし、批評的な技法が、批評される対象とは無関係であることを示した『動ポモ』への反動として、宇野常寛を代表とするサブカル批評論壇は、新しい批評的な磁場のもとで、新たな「批評に値する対象」を次々と発掘しようとする。オタクをサンプルとして取り上げることで、批評が持つ知的な操作の魅力を露わにしようとした『動ポモ』への注目は、その知的な操作そのものよりも、むしろそこで扱われている具体的な対象にばかり向けられてしまった。その結果、「私はアニメを論じる」「自分はアニメじゃなくてドラマを論じる」といった風に、特定の対象を論じることを目的としたサブジャンルとしての批評ばかりが突出する状況が出現した、と大澤は件の状況をまとめている。「何が批評か」よりも、「何を論じているのか」ということばかりが重視されることになれば、「批評とは何か」という問いに対する「書き手」と「読み手」の感受性は衰え、批評のシーンは形成されにくくなっていく。こうした問題意識が、「オタク批評」をひとつの例として語られていた。そう、「オタク批評」はごくごく形式的な戯れのひとつに過ぎず、それによってオタクコンテンツの素晴らしさが実証されるというものではない。筆者自身、初めて『動ポモ』を読んだときには、「時代はオタクだな!」みたいなことを素朴に考えていたりしたので、何か黒歴史を掘り返されるような気分で一連の議論を聴いていた。
「批評がシーンを作れない」という状況については、大澤が、雑誌の凋落と新書の勃興という論点を補足している。ゼロ年代以降、社会的・政治的な状況を踏まえて「特集」を組むことのできる雑誌が次々と姿を消し、そのような雑誌特集の代わりを新書が担うようになった。時系列的な連続性を持った雑誌に対して、単発で出版される新書は、時代の流れを捉えるというよりも、いま現在の社会問題に対して即時的な対応をするワントピックの解説本として消費されていく。さやわかは、そうした個別の話題に閉じた本が増えていくことで、時代の流れ、そしてその背景にある思想の流れを把握することが難しくなったと述べる。『動ポモ』以降、新書が批評の受け皿としても機能し、学術的な知と、社会問題の解説と、批評的な評論が一緒くたに扱われるようになった状況について、議論が続けられた。
このような議論は、実感としてもよく分かる。筆者は92年生まれだが、同世代で論壇誌を継続的に読んでいる人は周りにもほとんどいないし、何か知りたいことがあればとりあえず新書の棚を覗いてみる、というのはある程度共有される感覚だろう。また、時代の背景が見えてこないことの原因はそういった出版事情に限らないように思われる。テレビからインターネットへとスムーズな移行を果たした世代としては、まだ幼い頃にテレビを見ていたときには実感できた「大衆」や「世論」といった言葉が、インターネットを用いるようになって以降、ほとんど実感を伴わなくなってしまった。「時代の流れ」と言われても、そもそも僕たちは、「時代」のような大きなものが動くことへの感受性がまったく陶冶されていない。「ぼやけてしまう」という以前に、何か大きな枠組みを感知する力が自分(たち)には不足しているのではないか。上の世代の人の議論を聞いていてしばしば思うことである。

エビデンス主義の問題――「読み手」と「書き手」をめぐる状況の変化
その後、話題は出版をめぐる状況へ。出版市場のなかで批評というジャンルが衰退していることの原因には、新書フォーマットのなかで新人を次々とデビューさせておきながら、それぞれの才能を出版メディアのなかに留めておくことができず、異なるメディアに流出させてしまうという問題がある。その理由は、出版社から著者に支払われる印税や原稿料が少ないからというよりも、著者とコミュニケーションをとる編集者の質が低下しているからだ、というのが東の指摘である。本を出版する側から優れた批評の「読み手」でもあるような編集者たちがいなくなっている、ということである。その結果、「書き手」の才能に敏感な編集者たちが時間をかけて「書き手」を養成するという、かつて見られた光景が失われてしまった。「書き手」を育成する土壌そのものが縮小しているのだ。「書き手」であると同時に「読み手」であり、さらに「編集者」でもある東ならではの指摘である。
こうした「書き手」と「読み手」の断絶をクリアするひとつの解決策として東がしばしば挙げるのが「飲み会」であり、彼はそれを身を以て実践している人間である。単にコネクションが重要だという話ではない。大学でも、教員と学生の飲み会は非常に重要な位置を占めている。それは、教員と学生が仲良くなるために行われているのではない。お互いの文章(レポート、論文、著書……)に対する率直な評価や目配りの仕方を共有できるのは、実は査読コメントやゼミよりも、飲み会なのである。とりわけ、「俺のこの論文をいったい何人が読むのか……」となりがちな大学の「書き手」にとって、「読み手」をはっきりと意識し、モチベーションにつなげていくことができるのはそういう場なのである。
東が「読み手」の問題に言及したのに続けて、さやわかは「読み手」だけではなく「書き手」の質の変化にも問題があると指摘する。すなわち、大学で専門的な訓練を受けた「書き手」が批評市場に入ってくるとき、彼らは批評を生業とするのではなくて、自分の研究の成果を批評のパッケージで出しているに過ぎない。だから、そうした成果のなかに学術的な規範に基づいた「エビデンス」を求める。すると、批評に固有のダイナミズムが失われてしまうことになる。『ゲンロン1』掲載の第1回共同討議でも、アカデミズムとジャーナリズムの境界が曖昧になることで、批評に対しても学術的な規範を適用するような態度が醸成されてくる、ということが議論されていた。
佐々木は、そうした状況が「読み手」である編集者の質の低下とも連動していると考えている。編集者自身がクオリティを制御する素養を持たないがために、「書き手」に「○○専門家」という看板をつけることで内容に説得力を持たせようとする。実のところ、巷で「エビデンス」としてまかり通っていることが、このようなレッテルの付け替えによるものでしかないこともしばしばある。厳密な意味での専門知にそぐわない、反エビデンス的な「エビデンス主義」が蔓延っている。
また、エビデンス主義は別の側面においてもコンテンツ批評を貧困化させている、と東は指摘する。コンテンツとして与えられた文章や映像作品を、その表現だけに依拠して論じる批評的な読解は、作品を、それ自体に固有の法則を持ったひとつの世界とみなすことで成立している。それに対してエビデンス主義は、作品の世界からすればその外側に過ぎないような、制作者のプライベートな事情や制作過程でのトラブル、経済的事情といった要素によって、作品の内容を説明しようとする。例えば、あるアニメのキャラクターがストーリーの中盤からほとんど喋らなくなったりすれば、そのことが作品世界における何か隠された出来事を示唆していると解釈できるかもしれない。しかし、エビデンス主義の立場からすれば、実際はそのキャラクターを演じる声優が体調不良で休んでいただけだ、と言われてそれで説明は終了する。だが、批評的な読解においては、その表現がどういう経緯で成立したのかということと、それが作品のなかでどのような機能を果たしているのかは区別して考えるべきだと思われる。
このように、出版事情やコンテンツ批評といった様々な話題を経て「エビデンス主義」の議論は続けられるのだが、筆者が注意すべきだと思うのは、必ずしも「エビデンス」という言葉が一貫した意味で用いられていない、ということである。これは登壇者が内容をごちゃごちゃにしているというよりも、そもそも、何を以てエビデンスとするのか、蔓延するエビデンス主義に欠けているのはそのような反省であると筆者には思われる。例えば、学術的な議論は何らかの形で事実(「事実」とは何か、そういう疑問は今は措く)に基づかねばならないとか、批評であれば、何らかの表現に基づかねばならないとか。そういうある種の「縄張り意識」を持たなければ、「エビデンスがない」という批判はまったく的外れで白けたものになり、「これがエビデンスだ」という主張が(本当の)専門家からすれば噴飯ものでしかない、ということになる。逆に言えば、いま自分がどんな「縄張り」で議論をしているのか(文芸批評なのか、学術論文なのか、報道なのか……)、そういう目配りと配慮の限界が、むしろ個別の領域をまったく無視して「エビデンスがない」「これがエビデンスだ」と言い張るような反転したエビデンス主義を招き寄せてしまったのかもしれない。
そのような芯の通らないエビデンス主義に対して、佐々木は、コンテンツ批評は決して無責任に好きなことが書かれて良いものではないにしても、根本的なところでエビデンスと対立した「フィクション」の創造、テクストに対する創造的な解釈の生産である、と自身の見解を述べている。
コンテンツ批評の文脈から引き離しても、エビデンスは何か過去の出来事を検証したり、数字に落とし込むことができるものにしか使えない。批評の在り方が未来形の語法で語られるときに、エビデンスは役に立たない。新しい「書き手」を発掘するときにエビデンスは何も証言しないのだから、それでは「批評の未来は作れない」。東はこのように、エビデンス主義と批評の未来のあいだにはっきりとした線を引いてみせている。
ロマン主義の問題――『批評空間』以前と以後
次に、現代の著名な批評家たちへの率直なコメントが繰り広げられるなか(この部分は、東による某批評家の文章の朗読などもあり、めちゃくちゃ盛り上がったところでもあるので、再放送やアーカイブ動画で是非動画で確認して頂きたい)、佐々木中、大澤信亮などの「ロマン主義」的な態度が議題となる。彼らの「フランスの古典を読みながら実存について語る」「批評が神に近づいていく」といった仕草は、大澤聡によれば戦前の浪漫派に近いものがあるという。彼らの態度は、現代的な批評に対するある種の反動なのだが、構造主義、ポスト構造主義、ニューアカ等々の流れをすべてすっ飛ばして60年代まで遡っている。こうしたロマン主義に共通するメンタリティとして、「不可能なものへの飽くなき挑戦」ということが挙げられるだろう。
佐々木敦は、共同討議の裏テーマとして、ゼロ年代以降、どうしてこのような反動的書物が増えてきたのか、それをずっと考えてきたと述べ、その原因として、浅田彰、柄谷行人らの『批評空間』が築いてきた系譜が引き継がれなかったことを挙げている。
大澤が指摘するように、ここで繰り広げられる「ロマン主義批判」は、「現代日本の批評」の先駆け的存在である「近代日本の批評」[★3]でもテーマとなっていた(この共同討議には、後に『批評空間』の屋台骨となる浅田彰、柄谷行人らが参加している)。そこで批判されていたのは、保田與重郎をはじめとする日本浪曼派であった。「近代日本の批評」が行われた90年前後には批判されていたはずの「ロマン主義」が現代において再び問題となることは、『批評空間』的なロマン主義批判がゼロ年代において失効したことを意味している。ニューアカ的な知の雰囲気が潰えてしまったことで、それ以前の知がファッショナブルなものとして回帰してしまった。
とはいえ、佐々木は、ここで批判されている現代のロマン主義を、80年代から90年代にかけて批判されていたものと同一視することはできないと考えている。「近代日本の批評」などで展開されていたロマン主義批判は、日本浪曼派の議論のなかに、いい意味で倒錯したアイロニカルな回路を見出すことで、その悪い部分を中和していた。しかし、ゼロ年代に回帰してきたロマン主義的な運動には一切アイロニーがなく、直近の現実的な問題とすぐに結びついてしまう点で、旧来のロマン主義とは異なっていると佐々木は述べる。
では、日本浪曼派に連なるロマン主義と、現代の素朴なロマン主義とのあいだには、より具体的にどのような差異があるのだろうか。あるいは、このふたつのあいだには何か歴史的なつながりがあるのだろうか。こうした「日本のロマン主義」の文脈をおさえるためには、まだまだ多くの議論が必要である。そのため、「見果てぬ夢」へと邁進する現代のロマン主義の文脈をきちんと整理し、まとめて批判する作業が必要だ、と大澤は今後の展望を示している。
しかし筆者としては、一般に「ロマン主義」という言葉で名指されるものは日本的な文脈を越えてあまりにも多く、ロマン主義という言葉がひとつのマジックワードになりがちな印象を否めない。なんだかよく分からないが「大きなもの」に身を投げ打っていくという構造が単に「ロマン主義」と呼ばれているのだろうか。おそらくそうではないだろう。「大きな枠組み」がぼやけてしまった、そもそも見えなくなってしまった現代だからこそ、ぼやけてはいてもとりあえず大きなものとして「ロマン」を語る人々が増えているのかもしれないが、そうした「素朴さ」のいったい何が問題なのか。歴史的な視点から見て、アイロニーがないことがどうして問題なのか。この問いに適切な解答を示すことは、「ロマン主義」を批判するうえで必要になる作業だと思う。しかし、イベントのなかでなされた短い議論のなかでは、まだそこまで到達することはできていないように思われる。「ロマン主義」だから批判するというのではなく、「ロマン主義」がこういう問題を孕んでいるから問題だ、と明晰に語ることができなければならない。そのためにも、現代のロマン主義文脈を整理する仕事は、筆者としても大いに待ち望むものである。
当事者性の問題――当事者と批評家の対立
東の認識のもとでは、ゼロ年代以降という時代においては、以上のようなロマン主義が蔓延る一方で、「当事者性」が大きく注目されるようになってきた。「当事者」という言葉は、中西正司と上野千鶴子の『当事者主権』によって一般に広まったものであり、「当事者性」とは、ある社会的な問題や政治的な問題の渦中にある人々が、自らの前に立ちふさがる問題にどう対応するのか自ら決断することを尊重するために呼び出される概念である。例えば障害者福祉の問題なら、障害者の人々が自分の生活スタイルを自分で決定できるように、彼らの自己決定権を尊重した制度設計をしよう、という判断が、「当事者性」を尊重した立場ということになる。「当事者性」を考えることは、これまで「専門家」の判断ばかりが尊重されて、自分の声で権利を主張することができなかった人々を掬い上げることにつながる。しかし、政治的な問題によっては、「当事者」の言葉を特権視することによってかえって問題の解決が遠のいてしまうことがある。例えば、原発や沖縄に関する問題などでは、現地の住人たちの言葉ばかりが特権視されるような状況があり、それが問題をいたずらに複雑化させると同時に、外部から批評的な言説が介入することを難しくしてもいる。
当事者性の重視によって、当事者の生の声であるというだけで強い力を持ってしまう状況が批評を困難にしている、と東は語る。こうした困難は、ときに論客と当事者の対立として表面化する。そこでは、同じ政治的問題の解決に向けて手を取り合うべき人たち(一方に、主張を正当化するためのロジックを組み立てる論客。もう一方に、実際の問題によって不利益を被っているために、声を上げる当事者たち)のあいだで、不毛な対立が生じてしまうことがある。
筆者はこのような議論を聞きながら、以前に参加した別のイベントのことを思い出していた。このイベントに先駆けて8月9日に行われた高橋哲哉、初沢亜利、東浩紀の3名によるトークイベントでは、沖縄の基地返還問題が盛んに議論された。高橋が「米軍の基地を日本の国土全体で均等に受け入れることは可能か」というかたちで沖縄の当事者性を脱色した議論を展開し、議論に参与する人口(=広い意味での当事者)を増やしていくことで基地返還への機運を高めようとするのに対して、初沢や当日質問をした沖縄出身の聴衆から寄せられた反応は、あたかも「基地返還」という目的よりも、「沖縄県」という当事者性を守ることを優先しているかのような印象を与えた。大雑把に整理すれば、基地返還問題は「沖縄県だけの問題ではない」と政治的な争点をロジカルに拡張し、議論を活発にしようとした高橋に対して、「これはあくまで沖縄の問題なのだから、外様のロジックでは戦わないぞ」という当事者側からの拒絶が見受けられた。もちろん、非当事者が問題の当事者を勝手に騙ることは避けねばならない。しかし、当事者というアイデンティティがそれだけで政治的な効力を持つべきなのかどうか、慎重になるべきポイントであろう。
このような「当事者性」を巡る議論は、さきほどの「ロマン主義」の議論とも結びつく。佐々木や大澤は、当事者の声を過剰に大切にする人たちは、自分たちが当事者ではないにもかかわらず、純粋な当事者の声を自分たちが代弁できるのだ、という「ロマン主義的な投企」を行ってしまっている、と当事者性のポリティクスの問題をロマン主義の文脈と関連づけている。
このように、当事者性の問題というのは、このイベントに限らずゲンロンのアウトプットのなかで絶えず問題となるひとつのモチーフである。カフェという場所で、東という「批評家」が様々な「当事者」たちとの対話を試みる。出版物においても被災地の問題が取り上げられ、それがツーリズムと結びつく。「当事者性」と「批評的な眼差し」の和解が、ゲンロンの活動のひとつの主題となっているのかもしれない。
一連の議論は、SEALDsをめぐる具体的な問題を軸にして展開された。東はロマン主義の文脈も引き受けたうえで、現代日本において、批評と政治の結節点にロマン主義が登場し、素朴なロマン主義者である佐々木中が、革命の当事者、政治運動の当事者である若者たちに理念を注入し、そこからSEALDsが生まれるというのは非常に興味深い、とまとめている。
随分と長くなってしまったが、ようやく批評の「現在」について交わされた議論を辿り終え、レポートの冒頭に戻ってくることができた。イベントはここから、批評を取り囲む状況の解説というよりも、批評の実践という様相を呈し、そのライブ感もあって一番の盛り上がりを見せた。
きっかけは、内田樹だった。近年の内田樹がロマン主義的な語りに堕してしまっている、という話題を振られた東は、内田樹の『日本辺境論』に登場する親鸞の議論を取り上げる。親鸞は、救済の保証が与えられていない辺境の人間が、自分が救済されていることを確信するためのロジックを編み出した、というのが東の整理である。東はこのロジックこそが、「救済の中心から排除された田舎者がマックにいると、突然美少女が降ってきて救済される」ような、「セカイ系」のロジックであると言う。なんと、セカイ系とは、親鸞だったのだ。親鸞が日本にもたらしたのはすなわち、「南無阿弥陀仏と唱えるだけで救われる」と信じることで、世界の中心(近現代では、ヨーロッパやアメリカということになろうか)から疎外された境遇を乗り越えようとするワンフレーズ・ポリティクスの伝統であった。「民主主義」という理念ですら、ヨーロッパから見て辺境である日本の人間にとっては、実質がよくつかめない「南無阿弥陀仏」の呪文に過ぎなかった。したがって、とりあえず「民主主義!」と唱えて即物的な政治運動を繰り返す、日本的な「反知性主義」は、すべて親鸞の系譜に属するものだったのだ(!)。
この洞察から、現代日本の批評史を日本の仏教的伝統を下絵にして整理しようとする大胆不敵な試みが行われる。親鸞の対立軸となるのは、モンゴルという外敵の到来が予感されるなか、国家の状況を極めて真面目に分析し、権力者に直訴し続けた日蓮である。この、「どうにかなるっしょ」の精神で必殺のフレーズを唱え続ける親鸞と、「いやいやもっと国家のことを真面目に考えろよ」と言って地味な研究の蓄積を続けていく日蓮という「親鸞―日蓮」図式のもとで、それぞれの思想の立ち位置が測られることになる。当日の登壇者たちによる分類に従えば、例えばSEALDsは圧倒的な親鸞派。それに対して、荻上チキや西田亮介といったゼロ年代の論客は日蓮派とされる。このまま「親鸞―日蓮」図式の日本思想マップが作れるのではないか……。どこまでも膨らんでいく可能性を秘めた、ひとつの批評的なフィクションが起動する瞬間を筆者は目撃することとなった。そして、このような「親鸞―日蓮」という二極のグラデーションによる整理から明らかになるのは、ゼロ年代という時代が決して特異なものではなく、鎌倉時代から続いてきた日本固有の対立図式の(もう何回目になるのかも分からない)反復であった、という衝撃的な事実である。そろそろ、ちょっと何を言っているのか分からない、という方もいらっしゃるかもしれない。そういう方は、動画本編のほうで、フィクションが起動していく瞬間を是非見届けて欲しい。
こうして、新たなフィクションの誕生によって盛況のなか幕を閉じた議論であったが、その後の聴衆からの質問にも熱量のこもった返答が続いた。イベント本編の議論は、振り返ってみるとつねに批評とその「読み手」の関係の変奏であったことが分かる。「オタク批評の問題」は、「読み手」が批評特有の知的な操作よりも、論じられる対象に肩入れするようになったというところにある。「エビデンス主義の問題」は「書き手」と「読み手」をめぐる環境の変化と結びついている。そして、「ロマン主義」と「当事者性」の問題は、それらが政治的な運動と結びついたときに、「書き手」が一旦そこから距離を取って、いかに批評的に介入して「読み手」を創出するのか、という問題につながっていく。このまま「批評」の「読み手」が減っていけば、批評そのものの在り方が揺らぎ、「書き手」の居場所もなくなってしまうのではないか。そのような問題意識がイベント全体の通奏低音を成していたように筆者は思う。
イベントの終わりには、筆者と同じような問題意識を受け取ったのだろうと思われる聴衆から、次のような質問が出た。「『弱いつながり』で東が展開した観光客論は、実は批評という空間の成立に不可欠な「読者」論なのではないか」。東は次のように答えていた[★4]。
「批評とは何か」の答えなんかないし、批評を書いている人間たちは答えを持っていない。批評を読んでいる人間たちがその答えを持っている。
批評のアイデンティティは、「書き手」によってではなく、その「観客」であるところの「読み手」によって規定されている。「書き手」が気にかけ、「書き手」に対して目配せをしてくる「読み手」の存在が、批評のクオリティに影響を与え、潜在的な読者のコミュニティを形成する。批評書の価値として挙げられるべきは、それが現実に何冊売れたか、現実に起きている諸問題にどれだけ早く対応したか、ということではなく、そのテクストがどれだけの「未来」を持っているか、ということである。批評のシーンを形成するための努力と、潜在的な読者のコミュニティを形成するための努力を切り離すことはできない。批評は、いま目の前にいる読者に向けて、そして未来の読者に向けて書かれることによって、批評たりうるのだろう。
★1 第1回共同討議「昭和批評の諸問題 1975-1989」、第2回共同討議「平成批評の諸問題 1989-2001」は、それぞれ『ゲンロン1』『ゲンロン2』に掲載されている。
★2 イベントには参加していないが、『ゲンロン4』掲載の第3回共同討議にはもうひとり、市川真人氏が参加している。
★3 浅田彰、柄谷行人、蓮實重彦、三浦雅士の4人が明治からはじまる近代日本の批評を論じた座談会。最初に取り行われた「昭和篇」の模様は、1989年から1990年にかけて雑誌『季刊思潮』に掲載された。
★4 実は、東の観光客論がある種の読者論としても読めるというのは、彼自身が自覚的に展開している議論でもある。今後発刊が予定されている『ゲンロン0 観(光)客の哲学(仮)』の序章として書かれた文章が2015年8月14日配信の『ゲンロン観光通信 #3 』に掲載されており、そこでは東が『弱いつながり』で展開した考えが「登壇者」と「観客」、「作家」と「読者」といったより広い文脈のなかに位置づけられている。
昭和から平成の言論史を徹底総括、批評を未来に開く
『ゲンロン4』
2016年11月15日発行 A5判
本体370頁 ISBN:978-4-907188-19-1
ゲンロンショップ:物理書籍版 / 電子書籍(ePub)版
Amazon:物理書籍版 / 電子書籍(Kindle)版

田村正資
1992年、東京都生まれ。東京大学特任研究員。専門は現象学、知覚の哲学。とりわけ、メルロ゠ポンティの思想。


