つながりβ(5) ユルい鉛筆|松山洋平

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初出:2018年8月17日刊行『ゲンロンβ28』
 或る事物には、その事物の性質を形容するのに適したことばと、あまり適していないことばがある。言いかえれば、おのおのの事物には、その事物と親和性の高いことばと、親和性の低いことばがある。

「鉛筆」ということばについて考えてみよう。

 たとえば、「濃い」「薄い」という形容詞は、「鉛筆」ということばとひじょうに親和性が高い。つまり、「濃い鉛筆」「薄い鉛筆」という表現はきわめて自然なものである。鉛筆というものはおよそ中心部に芯を持っており、多くの場合、その芯の硬度は「濃い」「薄い」ということばで言い表されるからだ。おなじように、「長い」や「短い」、「書きやすい」などのことばも「鉛筆」と親和性が高い。

 一方、「熱い」「冷たい」や「深い」「浅い」、「ずうずうしい」とか「うやうやしい」といったことばは、「鉛筆」との親和性がひじょうに低いと言える。

 なんらかの比喩として用いる以外は、語の直接の意味で「この鉛筆はずうずうしい」と述べることは難しい。「ずうずうしい」は、人間を中心とした生き物について、或る特定の態度を形容するために用いられることばであり、鉛筆のような無生物の性質を指示することばではないからである。「この鉛筆はずうずうしい」という文章は、なにを意味してそう述べたのかが──言外にであれ──さらに説明されなければ、その意味が伝達されることはない。
 さて、読者の中に、「『濃い鉛筆』などとは言わない」、あるいは「『ずうずうしい鉛筆』という表現はよく使う」というひとはいるだろうか。おそらくいないだろう。わたしたちは、「鉛筆」ということばがどういったことばと親和性が高く、どういったことばと親和性が低いのかについて、ある程度共通した感覚を持っている。それは、鉛筆というものがどのようなものであり、いつどのように使われるのかの理解が、わたしたちのあいだでおよそ共通しているからである。

 しかし、「鉛筆」のようにうまくはいかない事物もある。つまり、或る種の事物について語るとき、どのことばがその事物と親和性が高く、どのことばがそうではないのかについての感覚が、ひとによって大きく異なる場合がある。

 わたし個人が他のひととの感覚の違いをつよく意識することばに、たとえば「宗教」がある。特に自分の専門である「イスラム教」をめぐってひとびとが使用する単語に違和感を覚えることが多い。

 たとえば、「イスラム教は厳しい宗教だ」という言い方をするひとがいる。「厳しい寒さ」とか「部活動の指導が厳しい」といった表現なら理解できるが、「宗教が厳しい」という表現がなにを意味するのか、個人的にはうまく理解することができない。

「イスラム教は厳格な宗教だ」という言い方にもおなじ当惑を感じる。それは、わたしが「イスラム教は厳格な宗教ではない」と思っているからではない。そうではなく、宗教を「厳格」(あるいは「厳格ではない」)ということばで形容することに、鉛筆を「ずうずうしい」と形容することとおなじような違和感を覚えるのである。
 最近では「イスラム教は厳格な宗教だと思われがちだが、じつはそんなことはなくて、意外とユルい宗教なのだ」と説明するひとも増えている。この「ユルい」という形容詞は、どうも「厳しい」や「厳格」などのことばとおよそ反対の意味で使用されており、好意的な意味でイスラム教にあてがわれることが多いようだ。しかし、「ユルい宗教」という表現は、「厳格な宗教」という表現以上に、わたしには理解が難しく感じられる。

 イスラム教というものをどのようなカテゴリーに分類して理解するべきなのかというこの問題は、宗教というものをどう定義するのかという、宗教学におけるごく基礎的な問いと関連している。昨年上梓した『イスラーム思想を読みとく』(ちくま新書)では、「豚肉を食べるとイスラム教徒ではなくなるのか?」「イスラム教と仏教の両方の宗教に帰属することは可能か?」などのささやかな疑問点をフックに、日本におけるイスラム教理解の根本的な問題点を掘り下げてみたので、興味のある読者は是非手にとってみていただきたい。

 ところで、「ユルい宗教」という表現をときおり見るにつけて、世の中には「ユルい」ということばの使用範囲についてすごくユルいひとがいて、「ユルい鉛筆」という表現を使うひともどこかにいるかもしれない、とも思えてくる。

 ユルい鉛筆。

 どことなくかわいいが、すこし書きにくそうである。
 

松山洋平

1984年静岡県生まれ。名古屋外国語大学世界教養学部准教授。専門はイスラーム教思想史、イスラーム教神学。東京外国語大学外国語学部(アラビア語専攻)卒業、同大学大学院総合国際学研究科博士後期課程修了。博士(学術)。著書に『イスラーム神学』(作品社)、『イスラーム思想を読みとく』(ちくま新書)など、編著に『クルアーン入門』(作品社)がある。
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