うたたねのように光って思い出は指先だけが覚えてる熱|大庭繭

1
アフターの誘いをどうにか断って、わたしはドレス姿のままタクシーに飛び乗った。きらびやかな光で溢れる街を背にして車は闇を切り拓くように進む。繁華街を抜けると、あたりはすっかり明かりが落ちて、時が止まったみたいに静かになる。人の姿が消えた街の中をタクシーやトラックたちがびゅんびゅん走り抜けてゆく。今夜の満月は特別にきれい。濃紺の空にまんまるの月が、濡れた水蜜桃のように光っている。姉さんはきっと月と同じくらい、まんまるに膨らんで、いっそう冷えびえとつめたく張りつめているに違いない。飲みすぎたせいか頬が火照って、頭がひどく痛んだ。どうも最近は身体がやけに怠い。お酒にも酔いやすくなってしまって、指名客が入れてくれたシャンパンもヘルプの子たちに協力してもらってなんとか空けられた。前はもっと強かったはずなのに。体調が悪いせいか、いつも以上に些細なことで気分が落ち込む。でも、姉さんのことを考えている時だけは幸せな気持ちになれる。隅田川に沿ってゆるくカーブする首都高からは、照明の落とされたスカイツリーの根元が見えた。ライトアップされていないそれは、存在感がなく、剥き出しの骨が集まっているみたい。たよりない輪郭が闇の中に淡く溶けている。一刻も早く姉さんに触れたくて、わたしは自分の身体を強く抱きしめた。
玄関の引き戸を乱暴に開けて、むしり取るようにヒールを脱ぎ捨てると、そのまま階段を駆け上がって寝室に飛び込む。両親の遺してくれた古い一軒家は夜でも乾いた日向の匂いがする。寝室は、窓から差し込む月の光で満たされて、薄瑠璃色に染まっている。窓を開けると、湿ったぬるい風が部屋に流れ込んできた。この時間の空気は重く静か。ねっとりと濃密で、海の底みたいだなって思う。クイーンベッドの上に横たわる姉さんが、仄白い光を放つ。透明な水風船のように、はちはちに膨らんだ姉さん。わたしは、脱皮するみたいに、ドレスやストッキングや下着をするすると身体から引き剥がし、素裸になって姉さんの上に倒れ込んだ。
薄くつるつるとした膜がわたしの皮膚に触れる。この世界のなによりも優しくやわらかな感触。あまりの心地よさに、小さく息を漏らす。膜の中に満ちる透明な液体はひんやりとつめたく、わたしの体重をやわらかく受け止めた。熱い素肌が姉さんにとろとろと溶かされてゆく。わたしと姉さんの温度が混ざり合う前の、このひとときがいちばん気持ちいい。やわらかな膜の中をつめたい液体で満たされた姉さんは、声を発することすらできない。ただ、心地よい感触でわたしの身体をそっと包み込んでくれる。わたしは、目を閉じて姉さんの膜越しに聞こえる遠いさざ波のような音に耳を澄ませた。
「ママ」
ふいにそばで声がした。びっくりして飛び起きたけれど、あたりに人影はない。開けっ放しの窓からかすかに風が入ってくる。小さく揺れるカーテンをじっと見つめていると、急にぐらりと視界が揺れた。
「ママ」
目の前に女が立っていた。もとからそこにいたかのようにナイトテーブルの横にじっと佇み、わたしをまっすぐに見つめていた。はっと息を呑む。わたしは咄嗟に横になって、姉さんと壁の隙間に隠れた。姉さんを通してぐにゃりと輪郭の歪んだ女を見つめる。たぶん、若い女だ。さっき目が合った一瞬のことを思い出す。同い年くらいかもしれない。女は全身が淡く透けていて、薄闇の中に滲むように立っていた。ただ輪郭だけが月の光をあつめてほのかに光って──きっと、というか絶対、幽霊とかそういう類のやつだ。あ、そういやこの家ファブリーズないな。たしかこんな時はファブリーズが効くって誰かが言っていたような気がする。いや、でも、そんなことじゃなくて、てか、いまママって呼ばれた? なんで?──思考はただ上滑りしていくだけで何の役にも立たない。
仕方なく足元に丸まったタオルケットを手繰り寄せながらゆっくり起き上がると、女と目が合った。
「驚かせてごめん」
女はわたしの狼狽に気づいたのか、そう言って淡く微笑んだ。どこか見覚えのある笑顔のような気がして、ふっと気が緩む。
「あなただれ?」
わたしの問いかけに、女は言葉を詰まらせて俯く。一瞬、たじろいだようにさえ見えた。幽霊ってこんな感じなのだろうか。なんだか思っていたのと違う気がする。急に生身の人間を前にしているような気持ちになって、どうしたらいいのかわからなくなってしまった。わたしは何かを言いあぐねている様子の女をぼんやりと見つめる。顎のあたりで短く切りそろえられた髪やぽってりとした唇、細く頼りなさげな首筋に視線をすべらせる。女は健康診断のときに病院で着せられるガウンのようなものを身に着けていた。不思議に思って、よく見ようと少し身を乗り出すと、ふいに女が顔を上げた。
「あたしはあなたの娘、未来から来たの」
「え?」
わたしは女の目をただ見つめることしかできなかった。
女もわたしをじっと見つめ返す。女の目には、みるみるうちに涙がたまっていった。
「ママ」
女は姉さんをよけて、わたしを抱きしめようとした。逃げたいのに身体が動かない。けれど、女の淡く透けた腕はただわたしの身体をすり抜けただけだった。それを見て、女はひどく寂しげな顔をした。これはきっと質の悪い夢に違いない。とっとと眠りに戻ろうと、再び横になって目を閉じる。夢の中で眠るなんておかしなことだけれど、酔いが急激な眠気へと変わってゆく。段々とぼやけていく思考の中で、さっき、女が姉さんをよけるような動きをしたのがやけに気になった。姉さんのことが見えるのだろうか。わたしはほんの少しだけ名残惜しいような気持ちのまま意識を手放した。
*
ママはベッドに横になると、そのまますやすやと眠ってしまった。元気なママの姿を見るのは本当に久しぶりで、嬉しくて胸がいっぱい。けれど、初めて会った二十五歳の、あたしと同い年のママは、写真や動画に残っている姿よりずっと綺麗で、まるで知らない人みたいだと思った。さっきの、「あなただれ?」という言葉を思い出して、胸がちくりと痛んだ。この時代のママはあたしの存在すら知らないと頭でわかっていても、事実を突きつけられるとついうろたえてしまう。
ママは五十歳の誕生日の朝、脳梗塞で倒れた。この時代からちょうど二十五年後に。あたしが病院にかけつけたときにはもう、無機質な病室のなかでたくさんの管を身体からぶら下げて、ただじっと目を閉じているだけの姿になっていた。あたしが自分の妊娠に気づいたのは、そのすぐあとで、ママにちゃんと伝えたかったし、聞きたいこともたくさんあった。
妊娠がわかってすぐの頃から、病院にお見舞いに行ったあとにママの家に寄るのがルーティンになっていた。ママの家は、いつも乾いた日向の匂いがした。古ぼけた小さな一軒家。細い路地が家々を繫ぐ住宅街の端っこにあって、庭先に金柑の木が植えられている。ママが生まれた日におじいちゃんが植えたらしい。ママはその話をいつも昨日のことのように語ってくれた。
磨りガラスのはめられた重い引き戸に手をかけると、がたごと音を立てながらゆっくりと開く。玄関を入ると広い土間があり、かつておじいちゃんはここで文房具屋を営んでいたらしい。今ではその面影はなく、ただ、ガラス製の大きなショーケースが一つだけ土間の隅に残されている。ガラスは砂とほこりで白く曇っていた。その隣にママの黄色い自転車が置いてある。タイヤはすっかり空気が抜けてぺたんこ。磨りガラスを通り抜けた柔いベールのような光に照らされて、空中のほこりがいつもきらきらと光って見える。土間に面した八畳の赤い絨毯が敷かれた部屋の奥には階段があり、二階にはママが生まれてからずっと使っていた部屋がそのまま残っている。廊下の右手には和室が二部屋、左手には台所と、その先に浴室がある。
この家は、ママの両親、あたしのおじいちゃんとおばあちゃんが建てた家で、ママが二十歳の時に二人が亡くなったあとも、ママは結婚するまでずっとこの家に住み続けていた。ママとパパが離婚してからは、ママと二人であたしもこの家に住んでいた。だから、あたしの実家でもあるのだけれど、でも、この家を呼ぶときは絶対に「ママの家」だ。
浴室のドアは、真っ白なペンキで塗りこめられていて、コの字型の銀色の細い取っ手が取り付けられている。ドアは建付けが悪く、力いっぱい押してようやく、ばむっと音を立てて開く。水色のタイル張りの浴室は奥行きがあり、やけに広々としている。湯舟と洗い場、その奥には洗濯機が置いてある。大きな磨りガラスの窓から光が燦々と降り注いでいる。ママは家の中で一番浴室を気に入っていて、よく空っぽの湯舟の中に寝そべってうたたねをしていた。わざわざお気に入りのタオルケットを敷き、小さく胎児のように丸まって。
あたしも、ママの真似をして湯舟の中に身体を押し込める。冷たくなめらかな湯舟の底に頬が触れて気持ちいい。あたしは、深く息を吐いて目を閉じる。
「ママに会いに行こうと思うの」
食卓には豚の生姜焼きと麻婆豆腐、春菊のサラダ、玉ねぎのお味噌汁。樹の好物ばかりを並べた。あたしの言葉に、樹は一瞬きょとんとして、それから「今日行ってきたんじゃないの?」とサラダを頬張りながら笑った。
「そうじゃなくて、昔のママに」
あたしは、今日病院で聞いた「うたたね」の説明をした。うたたねは、主にターミナルケアの一環として用いられる、寝たきりの患者の記憶にアクセスする技術。もう一度追体験したい相手との記憶、例えば、学生時代の思い出や家族旅行など、お互いに共有している記憶にアクセスし、相手が記憶している自分の身体と意識を結び付けて、もう一度その時間を味わうのだという。利用は患者とその家族に限定され、アクセスできる期間や回数も患者の容態によって制限されている。けれど、家族はたとえ限られた時間であっても患者との楽しい思い出を追体験することで、より穏やかに看取ることができるという。その話を聞いた瞬間、あたしはこれだと思った。リスクについても十分説明されたけれど、もうあたしの耳には届かなかった。
「いつどうなるかわからないって」
今日あたしが医者に言われた言葉をそのまま樹に向かって投げつけた。
「だから会っておきたいの」
昔のママに、と小さく付け足す。
「なんのために?」
樹は、まったく理解できないという表情であたしを見つめた。
「このまま産んだら、何かを失うんじゃないかって怖いの」
あたしは視線をお腹に落とした。妊娠がわかったとき、喜びと共に、何か大きなものを失うんじゃないかという不安が芽生えた。仕事とかお金とか時間とか、そういうものじゃなくて、もっと根源的な何かを。そしたら急に、ママに会いたくなった。
「どういう意味?」
樹の表情はこわばっていた。彼が箸を置いた音がやけに高く響いた。
「わかんない。うまく言えないんだけど、でも、きっと大切なものを失う気がして、だから、ママがあたしを産んだとき失ったものがあるのか、もしそうなら、あたしがママから奪ってしまったものが何なのかを知りたいって思った」
たぶん無理だ、と思う。樹にはどんなに言葉を尽くしてもきっとわからない。あたしだって、自分がどうしてこんなことを思うのかまだはっきりとはわかっていない。
「怖い」
あたしがふいに零した言葉に、樹がようやくほっとしたような顔をした。
「ツバサが不安な気持ちもわかるよ」
樹がそう言って、目を細める。樹は、あたしになんでも寄り添えると思っている。あたしは、違う、わかるわけないって思う。そんなこと言ってほしいんじゃない。この痛みも苦しみも、あたしだけのもの。樹には、わからないということをわかってほしいだけなのに。
「でも、あんまり身体の負担になるようなことはやめておいたほうがいいよ」
樹はやさしい声で言う。あたしの言葉も、気持ちも無理矢理柔らかいもので包み込もうとするみたいに。その瞬間、あたしと樹は違う生き物なんだってわかった。男と女とかじゃなくて、あたしのお腹は膨らむけれど樹のお腹は膨らまなくて、あたしの身体はどんどんつくり変えられていくけれど樹の身体は変化しない、みたいな、もうまったく違う理の中で生きてるってことが。
「でも、あなたのおなかは膨らまないしからっぽじゃない」
もうこれ以上、話したくないという意思表示のために、わざと幼稚な言い方をした。樹は諦めたように小さく「ごめんね」と言って目を伏せる。今のあたしの気持ちを理解してもらうのはやっぱり無理だと思った。あたしは仕方なく、「出産が近くなったら、もう今までのように会いに行けなくなるだろうから、何かあったときのために、どうしても最後のお別れをしておきたい」と樹に伝わる言葉で言い直して説得した。
「うたたね」の中のママの家は、あたしがよく知るママの家とずいぶん印象が違った。薄闇の中で、ママの部屋を見渡す。二階は六畳間の和室が隣り合っていて、手前の部屋にはベッドが置かれ、奥の部屋には大きな押入れと衣装箪笥、洋服のたくさん掛かったラックが二つ、隅に古い鏡台がある。二人で住んでいた時は、部屋の境目を襖で仕切って、手前がママの部屋で奥があたしの部屋だった。あたしがクレヨンで落書きをしてカラフルになるはずの襖はまだまっさらで、開けっぱなしになっていた。あたしのベッドや机なんかはもちろんなくて、なんだか知らない人の家みたい。
ママだけでなく、あたしはここにある他の何にもさわれなかった。触れようと手を伸ばしても、あたしの指はそれらをすり抜けてしまう。確かに立っているのに、畳の感触すらわからないし、あの日向の匂いも感じない。本当に幽霊になってしまったような気がして心許なかった。
ママはすやすやと気持ちよさそうに眠っていて、その隣には、ママの背丈と同じくらいの大きさの楕円形をした水風船のような塊が横たわっていた。これはなんだろう? あたしが覚えているかぎり、こんなものはママの隣にも、この家にもいたことはない。そっと手を伸ばすと、指先に薄い膜が触れた。──さわれるんだ、と少しびっくりした。ママにはさわれなかったのに。塊はおどろくほど柔くて冷たくて、やさしい感触だった。指先から、じんわりと身体がほころんでいくような心地よさで、なんだかこの世界でいちばん大切なものに触れてる気がした。あたしは、淡く透ける自分の指先をじっと見つめた。
「前例がないわけではないんですけれど……かなり難しいと思います」と、医者は言葉を詰まらせながら目を伏せた。すこし憐れみの滲んだ声色だった。あたしは、うたたねのカウンセリングで、ママがあたしを妊娠してすぐ、ママ自身もまだ妊娠に気づいていない頃の記憶にアクセスしたいと伝えた。
本来は相手の記憶の中にある自分の身体に意識を結びつけるものだと言われたけれど、でも、あたしはどうしてもママの一部だった頃、身体を共有していた頃の胎児のあたしとつながりたかった。そうすれば、ママの世界に触れて、失ったものを知ることができるんじゃないかって思った。あたしに与えられた時間は三日間で、ママの記憶三日分。だけど、失敗なのかもしれない。あたしはママの身体の外に放り出されている。あたしの意識は半透明の、幽霊みたいな姿でこの世界を漂っているだけ。ママを抱きしめることすらできずに。
さみしくて、ついママの手のひらに触れようとした。すると、さっきはすり抜けるだけだったあたしの指が確かにママに触れ、じんわりと熱くなった。ママとあたしの境界線が滲んでいく感覚。驚いて指を放そうとしたときにはもう遅く、あたしはするするとママの身体に吸いこまれていった。
ママの中は、まるで着ぐるみの中にいるみたいだった。身体の可動域や動かし方がうまくつかめない。シーツが素肌に擦れる感触もなんだか遠い。けれど、体勢や視界から、たしかにあたしがママの身体の中にいることだけはわかった。どうして? さっきは触れることもできなかったのに。そう思っているうちに、徐々にあたしの感覚がママの身体の中に液体のように溶けて、隅々までゆっくりと満たしていくのを感じた。あたしは、深呼吸する。いつもの日向の匂い。ただそれだけのことがたまらなくうれしかった。
そっと指先でシーツをなぞる。指はなめらかにシーツの上をすべった。あたしはゆるゆると身体を起こす。床に落ちていた下着を穿いて、同じく床に丸まっていたTシャツとショートパンツを身に着けてから、洗面所に向かった。顔の上で溶けたファンデーションやぱさついたマスカラが気持ち悪くて、はやくメイクを落としたかった。廊下の硬く冷たい床を踏みしめる。よく知っている感触のはずなのに、どこかよそよそしい感じがした。ママは爪先まで綺麗で、足の爪には一本一本、月の光を集めたみたいな淡い銀色のペディキュアが塗られていた。
洗面所の鏡に向き合うと、ママと目が合った。当たり前だけれど、すごく不思議。卵型の整った輪郭にすっと通った鼻筋、長い睫毛に縁取られた瞳は黒々と澄んでいて、静かな湖面を思わせる。胸のあたりまで伸びた黒髪は波打つようにゆるく巻かれて毛先までつややかだ。改めて実物を前にすると、やっぱりママって美人だったんだなって思い知らされる。それも、素材がいいってだけのタイプじゃなくて、さらにひとつひとつを丹念に磨き上げてできているタイプの美人。こういう美しさが一番強い。ひとしきり眺めてから、あたしの顔にもママに似たところがひとつでもあったらな、とため息をついた。
髪をかるく束ねて、鏡の横の棚にあったクレンジングオイルを顔全体に馴染ませる。ママの肌は剥きたての卵みたいにつるつるで気持ちいい。マスカラのたっぷり塗られた睫毛を念入りになでてから、蛇口を捻った。お化粧を落とすと、少しだけ幼くなったママの顔が鏡に映った。
ベッドに戻って、また透明な塊の隣に寝転んでみる。身体はもうすっかり違和感なく動かせた。天井に向かって手を伸ばすと、さざ波みたいな風が指の隙間を流れていった。陶器のようになめらかな白い手の甲をぼんやりと眺める。これはあたしの知らない手だ、としみじみ思う。昨日、病室で握ったかたく乾いた手を思い出す。実際に過去のママのもとに来て、あたしは、ママが失ったものを知りたいっていうのも本当だけれど、なによりも、もっと話したかったんだって気づいた。物心ついたときから、ママがあたしに「いいことでも、悪いことでも、なんでも話してね」と言ってくれていたように、あたしもママのことをなんでも知りたかった。あたしのママになるまえにどんな生活をしていたのか、あたしのママになってよかったのか、とか、とにかくなんでも。そのために、ママがあたしのママになる前、ちょうど今のあたしと同い年の二十五歳のママに会いに来たんだと思う。
うたたねによってもたらされた記憶は、患者側の脳には残らないらしい。あたしはそれが一番さみしいと思った。ママの身体や記憶に、あたしの感覚が残ればいいのに。
寝そべっていると、このまま眠ってしまいそうだった。もしかして、と思う。ママが眠っている時にだけ、あたしはママの中にある自分の身体に入れるのかもしれない。明日、確かめてみよう。そう思うと、気持ちが明るくなってきた。
ふと、床に脱ぎ捨てられた服が目についた。ママはずっと整理整頓が上手なんだと思ってた。ママの部屋が昔はこんなに散らかってたなんてあたしはちっとも知らなかった。部屋がほのかに明るい。もう空が白みはじめていた。「床にものを散らばさないの!」と今まで何度も聞いてきたママの声を思い出しながら、あたしは床に落ちてる服を拾い始めた。
2
目を覚ますと、隣にあの子がいた。わたしのことを心配そうに見つめている。まだ、彼女がここにいたことに少しだけ安堵に似た気持ちを感じた。もうちっとも怖くない。昨日はあまりよく見えなかった顔のこまかな造りが、今はよく見える。丸い頬とくりくりとした大きな瞳がかわいらしい。ゆうべは同い年くらいかと思ったけれど、もう少し幼いような気もした。彼女の身体は淡く透けていて、その向こうでカーテンが揺れているのが見えた。彼女の身体の向こう側の風景は、どれも磨りガラスを通したように輪郭が優しく滲む。それが少し姉さんに似ている気がして、いいなと思った。触れようと手を伸ばしたけれど、わたしの右手は彼女の身体を突き抜けて、ただ空を切っただけだった。
「夢じゃなかったんだ」
思わず零れた言葉に、彼女はほっとしたように笑った。
「身体が痛んだり、何かおかしなところはない? あ、まって、自分のことわかる? 名前は? 言ってみて?」
わたしの目を見るなり、彼女は矢継ぎ早に質問した。その過剰さが、母親みたいだなって思った。
「で、あなただれよ?」
酔いが醒めて、いくらか冷静になった頭でもう一度聞いてみる。
「ツバサだよ、ママ」
彼女はただそれだけを絞り出すように言った。また、ママと呼ばれてしまった。ふと、違和感を覚えて身体を起こすと、わたしはちゃんと服を着ていた。数日前に床に脱ぎ捨てた服だけれど。それでも、いつも酔っぱらったまま寝ると下着しか身に着けていなかったり、それすらも脱ぎ捨てたりしているわたしからしたら、服を着て起きることなんて奇跡に近い。しかも、メイクもちゃんと落としてあって、スキンケアまで入念にしていることが、いつになく潤った自分の肌からわかった。こんなことは初めてで、感動よりも混乱のほうが大きい。
「もしかして、あなたが?」
わたしがおそるおそる聞くと、ツバサは勢いよく「ごめんなさい」と頭を下げた。
いつまでもベッドの上にいてもしょうがないので、わたしたちは下の和室で話すことにした。下の部屋は、ひとつが仏間で、その隣の部屋をリビング代わりに使っている。階段を下りると、ふわりと香ばしい匂いがした。四畳半の部屋を通りぬけて、廊下を進む。和室の襖を開けると、部屋の真ん中にあるローテーブルの上に朝食が用意されているのが見えた。あたりに散らばっていた服や本やリモコンまできちんと整理されている。テーブルの前に座布団が一つしかなかったので、わたしは押入れから座布団を出してツバサの前に敷いてあげた。
「食べていいの?」
目の前に用意された朝食を指さすと、ツバサは頷いた。朝食は、目玉焼きにウインナーとブロッコリー、トーストというシンプルなものだったけれど、目玉焼きはちゃんと両面焼いてあるし、ウインナーはボイルされ、ブロッコリーにはオーロラソースが添えてあった。驚いたのはメープルシロップで、わたしはトーストには絶対にメープルシロップ派なのだ。好みドンピシャの朝食を前にして、少し気味が悪い気がしながらも、でも、わたしの娘っていうのはあながち嘘ではないのかもしれないなと薄々思い始めた。
「信じなくてもいいからあたしの話を聞いてくれる?」
食べながらで大丈夫だから、とツバサがおそるおそるわたしの顔を見つめた。娘と言っていたけれど、あまりわたしと顔は似ていないような気がする。ツバサは、目も鼻も輪郭も全体的に丸くてかわいらしい。真顔が怖いと言われるわたしとは、正反対の雰囲気だ。急に黙り込んだわたしに、ツバサの瞳が不安げに揺れた。わたしは慌てて「いいよ、話してみて」と頷いた。
ツバサの話によると、ツバサは未来から来たわたしの娘らしい。で、この世界は未来のわたしの脳に残った記憶をもとに構築されていて、ツバサは未来からわたしの脳を使ってわたしに会いに来た、とのことだった。今は半透明な意識体だけれど、わたしが寝ている時には、中に入って、代わりにわたしの身体を自由に動かせるのかもしれないと。部屋の片付けも、朝ごはん作りも、全部わたしの身体でやったという。たしかに、そんなことをした記憶はちっともない。にわかには信じがたい話だけれど、ツバサがあまりにも真剣な顔をして話すものだから、いちいちつっこむこともできなくて、わたしはただツバサの言葉に耳を傾けた。
「家の中のこと、よくわかったね。なんでも古いから使い勝手悪かったでしょ」
今どきのマンションと違って、この古い家は、キッチンは万年ご機嫌斜めのガスコンロだし、電気のスイッチも見た目はみんな同じだし、目印もなく入り組んでいるからわかりにくい。もし本当に、ツバサが未来人なんだとしたら、さぞかし大変だったんじゃないかという気がした。
「ううん。あたしもずっとここに住んでたから」
ツバサはにっこり笑った。ツバサの言葉に、妙に納得するのと同時に、急にこの家が自分の知らない空間になってしまったようにも思えた。足元がぐにゃりと歪んでぐらつく感覚。
「信じられないよね。変なこと言ってごめん」
ツバサがしゅんとした顔をした。わたしの一瞬の動揺を汲み取ったみたいだった。
「うん」
わたしはただ頷いた。改めて考えてみると、目の前に半透明な人間がいて、その人と会話しているっていう状況がそもそもおかしい。だんだん、何もかもがおかしく思えて、何を信じればいいのかわからなくなる。
「あたしの話、信じなくていいからさ、幽霊だと思ってていいから、あたしをママのそばにいさせて」
ツバサがわたしの目をまっすぐに見つめた。必死なまなざしに思わずたじろいでしまう。
「明後日にはちゃんと消えるから。ここにいられるのは三日間だけって決まってるの」
ツバサがあまりにも悲しそうな顔をするので、わたしは思わず頷いてしまった。
「わかった」
何もわかってないけれど、そう言った。幽霊だろうとなんだろうと、わざわざ苦労してわたしに会いに来たっていうのだから、追い返すことなんてできない。ツバサがわたしの言葉にぱっと嬉しそうな顔をした。幽霊ってこんなに表情豊かなものだろうか。面倒事は苦手なのに、わたしはなぜかツバサを突き放すことができなかった。それどころか、ツバサに惹かれはじめていた。透ける身体で、少し姉さんに似ているからだろうか? とにかく、もっとツバサのことを知りたいと思った。
「年はいくつ?」
「二十五歳」
「じゃあ同い年ね、ツバサって呼んでいい?」
わたしの言葉に、ツバサが勢いよく頷いた。
「わたしのことも、ミユって呼んで。ママじゃなくて」
ツバサがわたしの娘っていうのは正直まだ信じ切れないし、同い年の女の子に「ママ」って呼ばれるのはなんだか変な感じがした。「ママって呼ばれるのはちょっといやかもしれない」と言うと、ツバサは一瞬、ひび割れみたいな笑みを浮かべて、「わかった」とこたえた。
「ツバサがここで何をしたいのかまだよくわからないけれど、わたしの身体を使いたいなら、貸してあげてもいいよ」
わたしの言葉にツバサが目を見開いた。身体を貸すのはもっと怖いことかと思ったけれど、きっとツバサなら悪いようには使わないだろう。あんまりうじうじ考え込むのは得意じゃない。やってみて、だめだったらまた考えればいい。
わたしたちは二階の寝室に戻って実験することにした。わたしは、十五分後に目覚ましをセットして、姉さんの隣に寝そべる。自分でもなんでこんなに積極的なのかわからない。なんだか、ちょっぴりわくわくもしていた。寝つきだけは異様にいいので、ベッドに横たわるとすぐに眠れた。
──ピピピ、というアラームの無機質な音が聞こえて目を開けると、わたしを見下ろすツバサと目が合った。ツバサはなぜかわたしの真上にふわふわと浮いている。
「できた?」
「できた」
ツバサ自身もまだ慣れないのか、表情に驚きが滲んでいる。
「そうしてると本物の幽霊みたいだね」
わたしが笑うと、ツバサも楽しそうに笑った。
「夜の七時までには返してくれる?」
仕事に行くから、と言うとツバサは大きく頷いた。わたしにとって、仕事は絶対に譲れないものだった。それさえ守ってくれるなら何も文句はない。わたしは安心して目を閉じた。
「ありがとう」
まどろみの中で、ツバサの声が聞こえた。
*
ママはまたすぐに寝てしまった。起こしてしまうかもと怖くて、しばらく待ってからママの指先に触れた。ママの白い肌とあたしの半透明なそれの境界線がゆっくりと溶け合ってゆく。あたしは自分の意識が水飴のようにとろとろとママの中に流れ込むのを感じた。
ママの身体に入ってすぐ、あたしはシャワーを浴びることにした。外に出てみたかった。さっき伝えるかどうか迷ったけれど、ママの病気のことはもちろん、いま妊娠していることも言えなかった。ここで何をしたってもう未来は変わらないとわかっていても、怖かった。言わなくて良かったんだと自分に言い聞かせながら、あたしは急いで服を脱いだ。
ママの身体に触れると、懐かしい気持ちになる。うんと昔、二人でお風呂に入っているときに急に停電したことがあった。あたしはたぶん六歳とか七歳とかそのくらい。小学校に通い始めてそう経ってない頃だったと思う。古い家だから、停電にもなれっこだったし、何より、あたしたちはちょうどお互いの背中を洗い合っている途中で全身泡まみれだった。そんな姿で外に出て懐中電灯を探したり、ブレーカーを確かめたりするのは無理だったから、そのままお風呂に入りつづけた。ママはあたしの背中をスポンジでゴシゴシこすった。暗闇の中で、ママとあたしの身体の間に境界線はなかった。ママの肌とあたしの肌は地続きで、あたしの身体はママの一部だった。お互いの身体が触れるたびに、かつてひとつだったことをありありと思い出せた。
ママの白くて柔い肌にスポンジをすべらせると、遠い記憶の感触がよみがえった。
浴室から出て髪を乾かす。鏡に映るママの顔をぼんやり見ていると、さっき「ママと呼ばれるのはいやだ」と言われたのを思い出した。すこし傷ついたけれど、よく考えてみれば、同い年くらいの人間──しかも娘を名乗る半透明の存在──に「ママ」って呼ばれるのはたしかに気味が悪いと思う。ママって呼ぶのは自分の中だけにとどめて、せめて声に出すときは「ミユ」って言えるようにちゃんと練習しようと思った。
「ミユ」
鏡の中のママに向かって、名前を呼んでみる。違和感が溶け残った飴玉みたいに口の中にまとわりついて、いつまでも消えなかった。
ママは、検診衣のままのあたしを見て気を遣ったのか、服も化粧品も好きに使っていいし、家にあるものが気に入らなかったら買ってもいいからねとお財布ごとくれた。やっぱりママはあたしのことを若くして病死した女の子の幽霊か何かだと思ってるんだろうか。あたしはとりあえず日焼け止めだけ塗ると、箪笥の奥から一番シンプルなTシャツとジーンズを引っ張り出した。ママはおそろしいほど華奢であたしには小さすぎるように見える服もママの身体ならするすると入ってしまうのが面白かった。
まず近くを散歩してみることにした。ママはホステスをやってるわりには生活は地味で、都心からやや離れた、郊外というより下町という風情の小さな街にある実家に住み続けている。あたりは一軒家やこぢんまりしたアパートが多い。街の雰囲気は月日が経ってもあまり変わっていないように見えるけれど、でも、やっぱりあたしの知っている街並みとは少し違う。三軒隣の黄色い壁のかわいい家はまだコインパーキングだし、出窓でいつも猫が昼寝しているお気に入りのカフェにまだ猫の姿はない。あちこちゆっくり立ち止まって観察したり、知ってるお店を見つけると小走りで駆け寄ったり、あたしはママの身体の感覚にもうすっかり馴染んでいた。
外にいるだけで、首筋にじんわりと嫌な汗が伝う。容赦なく照り付ける太陽は眩しく、吸いこむ空気すら熱されていて息苦しい。でも、あたしたちの時代より、いくらかましな気もする。外を歩いているのはお年寄りばかりで、ときどき配達業者やスーツ姿の男性、子ども連れの若い母親などもいたけれど、すれ違った人たちはみんな必ずあたしに視線を向けた。一瞬、あたしが中に入っているせいで何かおかしく見えるのかと不安になった。歩き方とか、身体の動かし方とか。接骨院の前を通り過ぎようとしたとき、窓ガラスに映ったママの顔を見て、そうじゃないってわかった。みんな、ママが綺麗だから見てるんだ。どんなところにいても、やっぱりママの容姿は特別なんだと思う。こんなこと、生まれて初めての体験だ。最初はドキドキしたけれど次第に疲れてきて、あたしはできるかぎり人通りの少なそうな道を選んで歩いた。
誰もいない道をしばらく進んでいると、急に、住宅街の真ん中で大音量の「ロマンスの神様」が聞こえてきた。かなり古い歌だけれど、あたしがうんと小さい頃、パパがよく口ずさんでいたからすぐにわかった。まだ、パパとママが離婚する前、家族みんなで一緒に住んでいたときのことだ。パパは歌詞を全然覚えられなくて、メロディに適当な詞をつけて歌うからいつもママに笑われていた。こんな些細な思い出も、今はこの世界であたししか知らないんだって思うと、すこし胸がきゅっとなった。その曲は、一軒家の住居兼店舗といった佇まいのちいさな中華料理屋から流れてきていた。お店の入り口のすぐ隣に厨房の勝手口があった。勝手口は開けっ放しになっていて、白い長靴を履いた小太りのおじさんが中華鍋を一生懸命振っているのがよく見えた。おんぼろなスピーカーが勝手口のドアのストッパーとして無造作に置かれていて、音楽はそこから流れているようだった。
思わず料理人のおじさんにじっと見入ってしまう。厨房に立っているのはおじさんひとりで、三つの中華鍋を同時に火にかけている。それぞれに違う調味料を少しずつ入れたり、大きなお玉で中身をかき混ぜたりと目まぐるしい。厨房から漏れる空気は油の濃い匂いがした。その匂いに引きよせられるようにあたしは入り口のドアを開けた。
お店の中は、冷房がよく効いていた。入って右手に厨房が見えるカウンター席があり、中央にはテーブル席が三つ、その奥には小上がりの座敷もあって、思いのほか店内は広々していた。テーブル席には淡い緑色の作業着姿のおじさんが二人、小上がりの座敷には小さい子どもとその母親らしき女性が座っていた。カウンターの一番奥に座っているおばあさんは、このお店の人だろうか。団扇を持ってぼんやりと店内を眺めている。あたしは、カウンターの一番入り口に近い席に腰かけた。丸いスツールはちょうど太もものあたる部分だけ赤い合皮が裂けて、ふわふわとした生成色のスポンジが露出していた。奥に座っていたおばあさんと目が合う。おばあさんは立ち上がると、緩慢な動作でコップに水を注ぎ、ゆっくりあたしの前に置いた。枯れ木のように細く浅黒い腕が白いブラウスから伸びている。
「ご注文は?」
腰の曲がったおばあさんの目線は、座っているあたしよりも低くて、やや見上げるような姿勢であたしを見つめた。何も決めてなかったので、あたしが戸惑っていると、目の前に一枚のシートを差し出された。油染みの目立つそれはメニュー表らしい。作業着のおじさんがふたりともチャーハンを食べているのを見て、反射的にチャーハンを注文した。おばあさんは、はいはいと何度か頷きながら、手に持った紙切れに鉛筆で「チャーハン」としたためると、ゆっくり厨房の中へ入っていった。おばあさんの出してくれた水はよく冷えていて、ママの身体の中を、背骨に沿ってするすると落ちてゆく。外で聞こえた音楽は、調理の音に紛れて、店内にはあまり聞こえてこない。カウンターからは鍋を振るおじさんの背中がよく見えた。肌着のように薄い白いTシャツが汗で張りついて、おじさんの背中の丸みをより一層強調している。
ふいにママの部屋にあった水風船のような塊を思い出した。あれは一体何なんだろう。きっと大切なものには違いないのだろうけれど。あの塊について、やっぱりちゃんとママに聞いてみたいと思った。
しばらくして、おばあさんがチャーハンを運んできてくれた。チャーハンのてっぺんには、ぷりぷりとした大きめの海老が乗っている。まず海老をよけて、レンゲで真ん中から山を崩すと、目の前に香ばしい湯気が立ち上った。チャーハンは味が濃くて、ネギ油の濃厚な香りと共に塩味が口いっぱいに広がる。時々、小さな塩の塊が口の中でじゃりっと音を立てるけど、それも含めて妙にクセになる味だ。あたしは夢中になって頬張った。けれど、三分の二くらいまで食べ進めたところですっかりお腹いっぱいになってしまって、ママが小食なんだってわかった。
お店を出たあと、まだ時間があったので近所を散策しようと思ったけれど、もうすっかり疲れてしまった。あたしはゆっくりと歩いてママの家へ帰ることにした。人の身体を借りるというのは思ってたよりもずいぶんくたびれる。心なしか自分の身体より神経を張りつめている気がする。チャーハンを気合で完食したせいか、お腹も苦しい。ママの身体に負担をかけてしまったかもと後悔した。
玄関を入ると、家の中はひんやりと心地よかった。古い家の空気はいつもすこしだけ冷気を孕んでいる。汗でべたべたになったTシャツとジーンズを脱ぎ捨てて、下着姿で台所の床に横たわる。床に耳を当てると、どこからかブーンという低くくぐもった音が聞こえた。これは、小さいときにママとよくやった遊び。台所の床は家中のどこよりも冷たいというのは、あたしとママの大発見のひとつ。下着姿のまま冷蔵庫に足の裏をくっつけると最高に気持ちいい。夏のお出かけのあとは、二人で競うように服を脱ぎ捨てて寝そべっていたことを思い出す。
あのときのママの隣にも、水風船のような塊はいたんだろうか。なぜか、いつまでもあの塊のことが頭から消えない。気がつくと塊のことを考えてしまう。あたしは身体が隅々まですっかり冷えたことを確かめると、のろのろと身体を起こした。シャワーを浴びて、念入りに歯を磨いて、丁寧に髪を乾かしてから、ママがそうしてた通りにベッドに身体を横たえた。
*
ピピピという電子音が聞こえる。ゆっくりと水面に浮上していくみたいな感覚。遠くで誰かがわたしの名前を呼ぶ声がする。目を開けると、ツバサがわたしの顔を覗き込んでいた。ツバサは目覚めたばかりのわたしに「気分はどう?」「何か変わったところはある?」と質問を浴びせた。やっぱり、ツバサのほうがわたしの母親みたいだ。
返してもらった身体はなんともなかったけれど、おなかがだいぶ膨れていた。胃下垂だから、食べた分だけ一時的にお腹が出てしまう。
「何か食べてきたの?」
わたしの問いかけに、ツバサは「チャーハン」とちょっと恥ずかしそうに答えた。
「大音量で音楽流しているところ?」
あそこはここから一番近い中華屋だ。ツバサが小さく頷いた。
「塩の塊がじゃりじゃりしたでしょ?」
「した! けど、なんかそれがクセになっちゃって」
ツバサが瞳を輝かせた。よっぽど好きだったらしい。
「わかる! やみつきになるよね」
わたしも嬉しくて自然と声が大きくなった。味の好みが似ているのかもしれない。明日、近所のお気に入りのお店を教えてあげるよ、と言うとツバサはすごく嬉しそうに笑った。娘と言われてもピンとこないけれど、友達としてだったら仲良くなれるのかもしれない。
わたしが鏡台の前に座ると、ツバサもついてきた。ツバサは、わたしがメイクをしている間もずっとそばにいた。好きにくつろいでなよ、と言っても、わたしを見ているほうが楽しいようで、机に広げた化粧品たちをしげしげと見つめたり、一緒に鏡を覗き込んだりしていた。ツバサはわたしのことを知りたいと言っていたけれど、一体なにを知りたいのだろう。娘っていう言葉が本当だったとしても、ツバサの真意はわからない。
「ねえ、お仕事ついていっちゃだめかな?」
ツバサが鏡越しにわたしを見つめる。ただ見てるだけだから、とツバサは顔の前で手を合わせて拝むようなポーズをした。
「だめだよ、幽霊が出たって大騒ぎになるじゃん」
「大丈夫、あたしはマ……ミユにしか見えないから」
ツバサはママと言いかけて、慌ててミユと言い直した。
「そうなの?」
「うん」
「ホステスなんて見てても面白くないよ?」
そう言って突っぱねてみたけれど、ツバサは、それでもいいからと食い下がった。諦めてくれそうにないツバサの目を見て、わたしは渋々、見るだけならと頷いた。
せっかくなので、ツバサに服を選んでもらった。ツバサがあまりにも悩むので、黒のサマーニットワンピースとベージュのレースワンピ─スの二択に絞ってみた。それでもしばらく考え込んでいた。あまりにも真剣なので、わたしが思わずからかうと、ツバサはわざとらしく怒ったフリをしながら、黒のワンピースを指さした。「わたしもこっちの方が好き」と言ったら、ツバサはすごくうれしそうに笑った。
もう夜がすぐそこまで迫ってきているのに、まだあたりはうっすら明るい。有名なブランドの路面店がずらりと並ぶ目抜き通りは、外国人観光客でごった返していた。その中を、わたしたちは水族館の魚のようにすいすいとすり抜けてゆく。わたしにとっては当たり前の光景も、ツバサにとってはそうではないらしく目を輝かせている。
ツバサは、初めは律儀に人々を避けながらわたしの隣を歩いていたけれど、次第に堂々と人の身体を通り抜けながら進むようになり、それすらも嫌になったのか、今はもうわたしの周りをふわふわと浮きながら移動している。誰かに見られたらどうしようとひやひやしたけれど、ツバサの言う通り、これだけ人がいるのに、誰一人としてツバサに視線を向ける人はいない。その光景を目の当たりにして、どうして、ツバサはわざわざそんな姿になってまでわたしに会いに来たのだろうかとますます不思議に思えた。
出勤前のホステスで溢れる美容室は、妙な緊張感があった。整髪料といろんな香水が混ざり合って、いつもピンと張りつめた匂いがする。ツバサはやっぱり物珍しそうにあたりを見回していた。受付でお店の名前と源氏名を告げると、すぐに席に案内される。いつもの美容師さんに、巻きおろしで、と伝えて鏡の前にメイクポーチを広げた。わたしもメイクの仕上げにかかる。髪をセットしてもらう十五分の間にアイメイクとリップを完成させるのがわたしのルーティン。
ツバサは人に見えないのをいいことに、美容室の中を悠々と歩き回った。あんなふうにどんなところも、どんな人も観察できたら楽しいだろうな、とちょっとうらやましかった。セットが終わって店を出ると、ツバサが少し照れくさそうに「綺麗だね」と言ってくれた。
お店のあるビルにつくと、エレベーターの前にサホさんがいた。サホさんはわたしが初めてこのお店に入ったときにいろいろ教えてくれたお姉さんで、姉御肌でかっこよくて大好きな先輩。わたしが挨拶すると、おはよ、と言ってにっこり笑ってくれた。お店に入ると、わたしたちはすぐに更衣室に向かう。
更衣室の中は、女の子特有の甘ったるい匂いがする。わたしはサテン風のロングドレスをラックからとって、ワンピースを脱いだ。
「ママにね」
サホさんの声にびくりと肩が跳ねた。違う、わたしじゃなくて、さゆりママのことだ。
「お腹そろそろバレるんじゃないって言われちゃってさ」
サホさんは黒いハンドバッグをロッカーに押し込んだ。さゆりママはお店の女の子に厳しいけれど、いちばんの古株のサホさんのことはよく気にかけている。
「どっちのほうがお腹目立たなかった?」
サホさんは、白いレースのドレスとピンクのチュールドレスをわたしの前に掲げた。
「白のほうですかね」
たしか、一昨日着ていた白いドレスのほうが切り替え位置が高くて、ラインも綺麗で上手く目くらましになっていた気がする。
「じゃあこっちにしよ」
サホさんは「ありがと」と言いながら白いドレスをハンガーから外した。サホさんが半袖のワンピースを脱ぐと、丸いお腹が露わになった。もう妊娠五カ月目になるらしい。このことは、お客さんはもちろん、他の女の子たちも知らない。ママとわたしとサホさんだけの秘密。
「だいぶ大きくなっちゃった」
サホさんはドレスを着て、お腹をそっとなでた。わたしが順調ですねと言うと、目だけをほころばせて微笑んだ。その表情があまりにも幸せそうで、いいなと思う。ふと、わたしもツバサを授かったときにこんな顔をしたのだろうか?と考えてみたけれど、上手く想像ができなかった。
*
ママの仕事について行きたいと言ったのは、あたしがママから直接仕事の話を聞いたことが一度もないからだった。確かにママはいつでもとびきり綺麗な人だったけれど、お酒を飲んでいるところも、必要以上に着飾っている姿も、あたしは一度も見たことがない。
「ユミちゃん」
五十代くらいの、痩せ型で手の甲までこんがりと日焼けした男性がそう呼ぶと、ママがにっこり笑った。ママの源氏名は「ユミ」らしい。ただ本名を逆にしただけ。ママがお客さんに「ユミちゃん」って呼ばれるたびに、あ、これはあたしの全然知らない人だって思った。演じてるとかそういうレベルじゃなくて、なんかもう、魂ごと入れ替わってる感じ。お店の中のママは、あたしのママとは全く違う人なんだってわかって、なにもない空き地に急に放り出されたみたいな、ひどく心細い気持ちになった。あたしの知らないママに会いたくて来たのに、我ながら勝手だと思う。
ママがグラスに注がれたシャンパンを一気に飲み干す。それを見て、お腹にあたしがいるのをママはまだ知らないんだって、まざまざと見せつけられた気がした。自分の存在がひどく不確かなものに思える。あたしは、ママをじっと見つめた。つやつやした柔らかな生地のドレスがママの華奢な身体の線をよりいっそう美しく引き立てていて、本当に綺麗。けれど、笑うタイミングも、笑顔の作り方も、声のトーンや話すスピード、目配せ、どれをとってもあたしの知ってるママじゃなかった。あれは一体誰なんだろう。にこにこ笑って、たくさんお酒を飲んで、お客さんたちと楽しそうに話している。なんだかやけにいきいきして見えた。ママはやっぱりあたしのママじゃなくて、「ユミちゃん」のほうが本当の姿で、「ユミちゃん」として生きていたほうが幸せだったんじゃないか、とか考えて、勝手に打ちのめされた。どんなことであれ、きちんと向き合うためにここまできたっていうのに情けない。だんだん見てるのが辛くなって、あたしはママの座ってるソファの後ろでうずくまる。何も見ず、何も聞かず、ただ時間が過ぎるのを待った。
結局、最後のお客さんが帰ったのは午前一時過ぎだった。「帰るよ」という囁き声に顔を上げると、黒のワンピースに着替えたママがいた。あたしが選んだ服だ。「なんでそんなとこにいるの?」と笑っているママは、ちゃんとあたしの知ってるママの顔で、心底ほっとした。
通りに出るとすぐにタクシーが捕まった。運転席にちゃんと人がいて、人間の手で運転されている車だった。ママが家の住所を伝えると、運転手さんはそれをタブレット端末に打ち込み、ゆっくりと発進した。街は、あんなに人がいたのが嘘のように静まり返っている。大通りにはまだタクシーがずらりと並んでいて、人の数よりもタクシーのほうが多いように見えた。真夜中の道路は車が多いのに妙にしんと静かで、街灯や信号の光がやけに眩しい。だいぶ酔いが回ってきたのか、隣に座るママは頬や肩を赤く染めて、ややぐったりしている。こういうとき、実体のないあたしにできることは何もなくてくやしい。ママに触れたくても触れられないのがどうしようもなくさみしかった。仕方なく窓の外をぼんやり眺める。目の前にスカイツリーが見えた。ライトアップの消えた深夜のスカイツリーは、一番てっぺんと、輪っかみたいなところに一瞬、小さく光が流れるだけで、その他は灰色の影のように頼りなさげに夜と同化している。まるで幽霊みたい。
「ほら、あれがスカイツリーの幽霊よ」
ママがあたしに身を寄せて、とっておきの秘密を教えてくれるみたいに囁いた。ママが微笑みながら窓の外を指さす。ああ、これはママの顔だ。あたしのママだ。派手なメイクも、顔の横で揺れる大ぶりなピアスも、長く整えられた光る指先も、なにもかもあたしの知ってるママとはかけ離れてるのに。あたしは、「ママ」って呼びかけそうになってぐっとこらえた。
昔、あたしがうんと小さいとき、パパとひどい喧嘩をして、ママがあたしを連れて家出したことがあった。ママの家に着いた頃にはもう真夜中近くだった。眠くてぐずるあたしに、ママは照明の落ちたスカイツリーを指さして「ほら、あれがスカイツリーの幽霊よ」と教えてくれた。まるで歌うように、スカイツリーの幽霊は夜な夜ないろんな街を散歩しているのだと彼の冒険譚を語ってくれた。
「うんと大きいからどこからでもいつも同じように見えるでしょう? でもね、本当は違うのよ。わたしたちが気づかないだけで、大きな体をゆっくりと動かしながら、いろんな街をお散歩しているのよ」
それがママの作り話だって気づいたのはいつだったんだろう。急に鮮やかに甦った記憶に、思わず笑みが零れた。あたしの知らないママも、こうして同じスカイツリーを見てたんだってわかったことがたまらなくうれしかった。
ママは、運転手さんに声をかけて家のすこし手前でタクシーを降りた。まっすぐ立つこともできなくて、ふらふらしている。
「酔ってるの?」
あたしには、ママがどうして途中で降りたのかわからなくて、ただママが転ばないかだけが心配だった。
「へーき、へーき」
いいからついてきて、とママはおぼつかない足取りで歩き出した。やっぱり、ママを支えられないのがもどかしい。
「もう寝ていいよ? あたしがちゃんと代わりに歩いて帰るし」
と言ってみたけれど、ママは「だいじょーぶよ」と突っぱねた。ちゃんとついてきてね、とふらつきながら歩く背中はひどく弱々しく見えた。
住宅街の細い路地を抜けると、ぽっかりとあたりから取り残された空き地のような公園があった。あたしの知らない場所だった。申し訳程度に置かれた背の低いすべり台と鉄棒、小さなベンチをたったひとつの外灯が照らしている。ベンチのそばには、公園内での禁止行為を示した注意書きの看板が立っていた。ボール遊びをしている子、ポイ捨てをしている子、焚き火をする子や鳩のエサやりをする子のイラストに大きな赤いバツマークが描かれている。そのどれもが色褪せて顔や足や翼のあちこちが欠けていた。ボール遊びをしている男の子の青い帽子だけがやけに鮮やかに残っていた。
ママは公園の入り口にあった自動販売機で水を買って、ベンチに座った。仕方ないので、あたしも隣に座る。買ったばかりの水をいっきに半分以上飲み干すと、ママは、ふうと息をついて目を閉じた。
「本当に寝てもいいよ」
あたしがもう一度言うと、ママは「いいの。堪能してるの」と呟いた。気分が悪くなる少し手前、身体がふわふわと浮遊感に包まれているときが一番気持ちいいんだから、とママは笑う。そして、わたしの娘なのにわからないの? もしかして下戸? と冗談っぽく言った。欠け始めた月はすこし歪な形で空に浮かんでいる。時折、細い雲が月の上をなでるように流れてゆく。
「ツバサはほんとうにわたしの娘?」
ママがぽつりと言った。
「なんでわたしに会いに来たの?」
ママはとろんとした目つきであたしをまっすぐ見つめた。ママの瞳は鏡のように深い。
「こうやって会いに来ても、もう手遅れなんじゃないの?」
だって、ここはわたしの記憶の中なんでしょう? 未来は変わらないんでしょ? とママは淡く微笑んだまま言った。外灯がジジっと音を立てて明滅する。あたしは必死に涙を堪えた。本当にその通りだ。あたしがこうしてママのそばにいたって、ママが死んでしまう未来は変えられない。どんなにママと仲良くなったって、ママの記憶に残ることもできない。
ママはまるでもう自分が死んでしまうことを知っているみたいだった。それがひどくかなしい。どこで気づいたんだろう?
「……でも、手遅れでなきゃ触れられないものもあるんだよ」
あたしは絞り出すように言った。あたしはようやく本当の気持ちに気づいた。あたしは自分が何かを失うのが怖かったんじゃない。本当は自分が奪ったのかもしれないことが怖かったんだ。あたしがママから何かを奪ったんじゃないかってことが。そして、それをママが後悔してるって知ることが。わざわざママの過去にやって来てもなお、勇気がでないくらいに。今さら、そんなことを知ったところで、手遅れなことに変わりはない。だけど、これがきっとあたしがママに聞ける最後のチャンスだ。どんなことであれ、知らないまま別れるのはいやだった。
風がママの髪を揺らした。ママの横顔は生まれた時からずっと見てきたはずなのに、知らない人みたいで、ひどく幼く見えた。このとき、ようやくママが自分と同い年の女の子で、あたしと同じくらいまだ子どもなんだって気づいた。
だいぶ酔いが醒めたのか、公園を出る頃にはママは普通に歩けるようになっていた。家に帰ると、ママは「お風呂はいいや」と言って、メイクだけ落とした。それから寝室に向かうと、ママは水風船のような塊を避けるようにベッドの右端に寝そべった。あたしは意を決して「それなに?」と聞いた。一瞬、ママの表情が凍り付いたように見えた。あたしはひやっとしたけど、ママはすぐに「ツバサにも見えるの?」と言った。あたしが頷くとママは、「わたしの姉さん」とだけ言って、それ以上は話したくないというように、すぐに目を瞑ってしまった。
ママが眠ってしまうと、薄暗い部屋にあたしと透明な塊だけが取り残された。どうしてこの塊がママの「姉さん」なんだろう? ママの姉さんは、初めて見た時と同じように水のような液体でたっぷりと膨れている。カーテンの隙間から差し込む月明かりが彼女の輪郭を仄かに照らし出す。ママに姉がいたなんて話は、一切聞いたことはない。ますますママのことがわからなくなる。今日一日、ママの身体を借りて、ママと一緒に過ごして、一番近くにいたはずなのに、まだまだ全然遠い。明後日にはここから消えてしまうのに。残された時間を数えて、焦る気持ちがあたしの胸を締め付けた。
3
ママは朝九時ぴったりに目を覚ました。昨日のことはあまり覚えていないらしく、ごめんねと謝られた。
「昨日、寝る前に話したこと覚えてる?」
あたしの問いかけにママは小さく首を振った。
「なあに? わたしなんか変なこと言った?」
ママがすこし恥ずかしそうに笑う。
「姉さんってなに?」
あたしはママをまっすぐ見つめた。ママはまた「ツバサにも見えるの?」と驚いた顔をした。あたしが小さく頷くと、ママはさっと顔を背けて「言いたくない」とつぶやいた。ママの険しい横顔を見て、あたしはもうそれ以上何も聞けなくなってしまった。
「電話するから、ちょっと下に行っててくれる?」
そう言って、ママは寝室に籠ってしまった。あたしは、一度言われた通りに階段を下りたものの、だめだとわかっていながら、寝室の前に戻った。襖の向こうで、ママが誰かと電話する声が聞こえた。
「あの歌を歌って」
ママの甘えるような声。相手はパパだってすぐにわかった。ママは昔、パパによく歌をねだっていた。パパは、いつもでたらめな歌詞で歌う。「あの歌」で通じ合える二人を目の当たりにして、驚きと罪悪感が湧いてきた。あたしは、急にすごく悪いことをしてるって気になって、慌てて寝室から離れた。
しばらくして寝室に呼ばれたので向かうと、ママは、あたしから逃げるように身体を明け渡した。あたしはいいって断ったけれど、ママは無理やり寝てしまった。本当はもっと話したかったのに。仕方がないので、さっさと家事を終わらせて出かけようと思った。掃除機をかけて、洗濯機を回す。ママの身体で、あたしの知ってるママになりきってみたり、今のママだったらどんなふうにするんだろうって想像しながら身体を動かしたりしていると、ほんの少しだけママに近づけているような気がして、気持ちが慰められた。
家を出ると、ちょうどお昼前だったので、ママに教えてもらったパン屋さんでベーグルとバナナオムレットを買った。どちらも小さめだから、今度はママのお腹にもさほど苦しくないはず。こぢんまりとしたお店だけれど、種類が豊富で、あたしの時代にはもうなくなってしまっているのが惜しく思えた。パン屋さんを出てふらふらと歩いていると後ろから、か細い鳴き声が聞こえた。振り返ると路地の真ん中に三毛猫がいた。毛艶の整い方や、身体の細さからまだ若い猫のように見える。猫は夏の光のような金色の目であたしをじっと見つめると、ついてこいとでもいうように、しっぽをぴんと立てて歩き出した。追いかけていくと、小さな公園に辿り着いた。昨日のとは別で、ここもあたしの知らない場所だった。このあたりにかつてこんなに公園があったなんてちっとも知らなかった。ブランコ、すべり台、パンダの乗り物、鉄棒、そしてベンチと水飲み場があった。猫は、水飲み場の日陰にごろりと寝転んだ。あたしもベンチに腰かけてベーグルを齧る。しばらくすると、つばの広い帽子を被ったおばさんがやってきた。おばさんが「みーちゃん」と呼びかけると、猫は目をつむったまま尻尾を二回振った。猫はおばさんの厚みのある小さな手になでられて気持ちよさそうだった。ひとしきり猫をなでたあと、おばさんはあたしに軽く会釈して公園をあとにした。
ベーグルを食べ終わって、次はバナナオムレットから溢れてくる生クリームに苦戦していると、今度は腰が九十度くらい曲がったおじいさんがゆっくりとやってきて、猫を「チャチャ」と呼んだ。チャチャと呼ばれた猫はやっぱり目をつむったまま、今度は耳をぶるんぶるんと二回揺らした。それがすごく面白くて、あたしはその猫のことを好きになった。猫も名前によってそれぞれ演じ分けているのだろうか? おじいさんの節の目立つ浅黒い手になでられて、いたく満足げな顔をしていた。
生クリームでべたついた手を水飲み場で洗って、あたしも猫の前にしゃがみ込んだ。猫はあたしの存在なんて気にも留めてないのか、目を閉じたままだった。
「みけこ」
あたしも猫に名前をつけて呼んでみた。猫はうっすらと目を開けて、細く鳴いた。あたしは、みけこの白くなだらかなおなかをそっとなでた。
さっき家で盗み聞きしたママとパパの電話のことを思い出す。あたしが五歳の時に二人が離婚するまで、喧嘩している場面ばかりを鮮明に覚えていたけれど、たしかにママとパパが仲良く笑い合っている瞬間もたくさんあったはずだった。二人にはあたしの知らない歴史や絆があるってこと、そんな当たり前のことすら、今までわかってなかった。ママのことだって、あたしが知らないことの方が多い。急に押し寄せる孤独感に胸が押しつぶされそうになった。
公園を出るとき、ふと、あたしが生まれた場所へ行ってみようと思い立った。ママがパパと結婚して二人で住んでいた街へ。あたしが生まれた家はまだ影も形もないのかもしれない。「うたたね」の中で、今のママがまだ行ったことのない、ママの記憶の中にない場所に行けるのかどうかもわからない。けれど、今あたしはどうしてもそこに行きたかった。行かなくちゃいけないと思った。ママの身体でそこに行けば、きっとなにかわかるような気がした。
駅員さんに行き方と切符の買い方を教えてもらった。金の細ぶち眼鏡をかけた若い男の駅員さんが一緒に券売機で切符を買ってくれた。券売機から出てきたばかりの切符はほんのりあったかくて、なんだかそれがうれしい。路線図を見渡してみても、電車の路線はあたしたちの時代とさほど変わってないように思えた。
あたしがホームに着くと、ちょうど目の前に電車がなめらかにすべり込んできた。一拍待って扉が開く。あたしは吸いこまれるように足を踏み出し乗り込んだ。たまたまなのか、その車両に乗客はひとりもいなかった。端っこの席に静かに腰を下ろした。がらんとした車内に燦々と陽の光が降り注ぎ、クリーム色の床が眩しいほど光っている。しばらくすると、電車は広い川に差し掛かった。水面が生き物のように不規則にゆらめき、そのすべてが小さく鋭い光を放っていた。目を閉じると、瞼の裏側で光が揺れている。ゆるゆると眠気のような気怠さがあたしの意識をゆっくりと覆ってゆく。
ホームに立つと、青々とした濃い草の匂いがした。駅舎の向かい側には、白いアーケードと小さな商店街が見えた。うんと幼い頃の記憶の風景がそっくりそのまま目の前にあった。
商店街をまっすぐ抜けると、郵便局のある少し大きな通りに出る。郵便局の裏手には小さな教会と図書館があって、その角を左に曲がって、さらに百メートルほど進むと、あたしの生まれたマンションが立つ場所に辿り着くはずだった。けれど、角を曲がるとすぐに緑色のざわめきが目に飛び込んできた。目の前に広い果樹園が広がっていた。近づいてみると、木の枝には大きな梨の実がなっている。梨はまるまると大きくて、光に当たって金色に輝いていた。突然、強い風が吹き、梨の実が足元に落ちた。拾い上げるとずっしりと重く、両手で包み込むと生き物めいた感触がした。梨畑から吹く風はほんのり涼しくて、あまい匂いがした。
きっと、この風の匂いをママは知らない。ママがこの街に来るのは、この梨畑がなくなったあとだから。あたしは、ママにこの場所を覚えていてほしいと思った。いまあたしと、ここに来たことも。この風はママの脳には刻まれない情報なのかもしれない。けれど、ママの身体で、皮膚で、感覚で覚えていてほしくて、あたしは胸いっぱいに空気を吸いこんだ。
目を開けると、帰りの電車はちょうど川を渡り切ったところだった。ほとんど人は乗っていなかった。空いた座席には西日が射しこんで、座面を燃やすように照らしている。梨は両手で包んでお腹の前に抱えていた。赤く照らされた梨を手のひらでなでると、あまい匂いが強くなった気がした。向かいの席にお腹の大きな若い妊婦さんがひとりで座っていた。彼女は膨らんだお腹に両手を添えて、目を瞑ってしずかに微睡んでいる。こんな絵をどこかで見たことがあるような気がした。シンプルでやさしい線だけで描かれた天使の絵。絵は思い出せるのに、題名だけがどうしても思い出せない。
いつの間にか梨がなくなっていた。あたしの両手は梨を包み込んだ形のままかたまっていた。西日に照らされて、手のひらが燃えてるみたいに明るい。あたしは立ち上がって、座席の下をくまなく探してみたけれど、梨はどこにも見当たらなかった。
「大丈夫ですか?」
もといた座席に戻ると、妊婦さんが声をかけてくれた。
「あの、梨を見ませんでしたか? まんまるで、大きくて、あたしがこうして抱えてたはずなんですけれど……」
あたしは包み込むように両手を顔の前に掲げた。両方の手のひらは、梨のかたちも、重みも感触もたしかに覚えているのに、そこに梨だけがなかった。
「梨?」
妊婦さんは、あたしの言葉に怪訝な表情を浮かべ、「わからないわ、ごめんなさいね」と戸惑い交じりの声で言った。あたしは小さくお礼を言って、梨のかたちのまま歪にこわばった両手を膝の上に置いた。手のひらには、まだあまい匂いが残っていた。それだけで十分だった。
代わりに、あたしもママのぺたんこのお腹にそっと手をあててみる。いまはまだ平たいお腹が、もうすぐあんな風に大きくなるなんて信じられない。ママは、自分の膨らんでゆくお腹を見て何を感じていたんだろう。梨畑の風の感触を思い出す。あたしはお腹に手をあてたまま、目を閉じて想像した。ママの平らなお腹があたしを宿して徐々に膨らんでゆく感触を、目の前の若い妊婦のいまにもはち切れそうな重みを、そして、遠い未来に置いてきたあたしのお腹の膨らみから聞こえる鼓動を。
妊婦さんが降りるとき、まんまるのお腹が、座っているあたしの目の前を通っていった。ふと、ママが姉さんと呼んでいる塊のことを思い出す。妊婦のお腹のようなまるい膨らみ。膜いっぱいに羊水のようにたっぷりと満たされた液体。あの塊も、あたしたちと同じなのかもしれない。
あたしはやっぱりママに姉さんのことを訊こうと決意した。このまま聞けずに終わってしまったら、きっと後悔する。
電車は緩やかに速度を落としてゆっくり停止した。どこか見覚えがある構内だなと思った。車内アナウンスが駅の名前を読み上げる。あたしは慌てて電車を飛び出した。
*
「姉さんの話を聞かせて」
ツバサの声がやけにはっきりと響いた。わたしはちょうど、出勤に備えてメイクをしようとしているところだった。ツバサは、今日もシャワーを浴びてから身体を返してくれたらしく、どこもかしこもぴかぴかに磨かれていたけれど、かすかに知らない匂いがする気がした。
「わたしじゃなくて、ツバサの話を聞かせてよ」
今日はどこに行ってきたの? とはぐらかすと、ツバサはあからさまに傷ついた顔をした。その表情を見た瞬間、急に身体の奥から苛立ちのようなものがこみ上げた。
「なんでしつこく姉さんのこと聞くの?」
つい棘のある言い方をしてしまう。だけど、姉さんは、わたしにとって誰にも踏み込まれたくない聖域だった。ツバサは一瞬、何か言いたげな顔をしたけれど、俯いて黙り込んでしまった。
「もう姉さんの話はしないで」
わたしは俯くツバサに吐き捨てるように言って、背を向けた。これ以上ツバサと話していたら、もっとひどいことを言ってしまいそうで怖かった。
「じゃあ、仕事中の身体に入れてよ」
予想外の言葉にわたしはびっくりして、思い切りツバサを睨みつけた。仕事は、わたしにとっても、姉さんにとっても大切なもので、部外者に口を出されたくなかった。わたしが言い返そうとした言葉を、ツバサが遮った。
「どうしてママはユミって呼ばれてるときのほうが嬉しそうなの? ママにとってユミってなに? 姉さんって何?」
ツバサのなにか確信をもっているような言い方にぞっとした。
「やめて!」
わたしはもう限界だった。これ以上、詮索されたり追及されたりはごめんだ。ただでさえ、身体を貸して、もう十分すぎるほどツバサには協力してあげてるのに。
「勝手に踏み込んでこないで!」
わたしの言葉に、ツバサは今にも泣きだしそうな顔をした。耐えきれなくなって、わざと勢いよくリビングの扉を閉めると、そのまま仕事へ向かった。
電車の中でも、美容室でも、思い出すのはツバサの顔だった。あんな風に傷つけるつもりじゃなかった。たった二日の付き合いだけれど、それでも、ツバサが幽霊だろうと、娘だろうと関係なく、なにか重大な決心をしてわたしの元にやってきたってことは十分すぎるほどわかっていた。だからこそ、わたしはなんでもツバサに話してやるべきだったのにと後悔する。一方で、決して姉さんの話はしたくないという気持ちもある。姉さんのことは、今まで誰にも打ち明けたことがない。
お店に着くと、サホさんとアルバイトのナナさんがもうすでにスタンバイしていた。更衣室でドレスに着替えながら、必死に頭を切り替えようとする。今日は、大事なお客さんの日だから、気を引きしめなくてはいけない。考えないようにしようとするほど、別れ際に見たツバサの顔が頭から離れなかった。
わたしが着替え終わると、すぐに奥村さんがお店に来た。奥村さんは大きな製薬会社の三男坊で、自由気ままに画家としても活躍している。おおらかで、よく笑う方。大きな身体を揺らして、全身で笑う姿を見ているとみんな楽しくなってしまう。
「この前は本当にありがとう」
奥村さんはソファに座るなり、わたしとサホさんにそう言った。先週、わたしとサホさんはここで、奥村さんの誕生日を祝うささやかなパーティをしたのだ。お菓子作りが得意なサホさんがケーキを焼いて持ってきて、わたしはプレゼントと花束を用意した。奥村さんはたいそう喜んでくれて、本当に楽しかった。
今日は、そのお礼とのことらしい。シャンパンを入れてもらって、サホさんは口をつけるだけ、わたしとナナさんでどんどん飲む。シャンパンのつめたさが、わたしの身体の中をすべり落ちてゆく感覚が気持ちいい。わたしは、すべての感覚の中で「つめたさ」がいっとう好きだと思う。つめたさはいつでもわたしに姉さんを思い出させてくれる。
奥村さんが、サホさんが、ナナさんが、わたしを「ユミちゃん」と、姉さんの名前で呼んでくれる。わたしの演じる、「明るくて優しくていつも笑っている姉さん」という存在を信じたり、頼ったり、好きになったりしてくれる。わたしは、それがたまらなくうれしい。
「お腹の中で消えてしまったのよ」
母は姉さんの話をするとき、いつもこの言葉で始めた。よく泣く人で、初めて姉さんの話をしてくれたときも泣いていたし、姉さんが着るはずだったおくるみを抱いて、命日に泣いているのを見たこともあった。わたしが慰めにいくと、母はいつもわたしの目の奥に姉さんを探していた。
姉さんはずっと、たぶん生まれたときからわたしのそばにいた。お風呂に入るときも、公園で遊んでいるときも、眠るときも、姉さんはわたしと同じ大きさのまん丸の身体を光に透かしながら、いつもわたしの隣にいてくれて、それが唯一の救いだった。姉さんのやわくつめたい感触は優しくて、姉さんだけがわたしの生を肯定してくれている気がした。
けれど、わたしが成長するにつれて姉さんはどんどん小さくなっていった。わたしが大学に入るころには、姉さんはもう手のひらに収まるほど小さくなってしまっていた。姉さんがいなくなってしまうことが怖くて、何も手につかず自暴自棄になっているときに、人づてに紹介されたのがこの仕事だった。最初はただのアルバイトとして。姉さんの名前を使って働き始めてしばらく経って、「ユミちゃん」を指名してくれるお客さんが徐々に増えてきた頃、姉さんが少し膨らみはじめた。その時、この仕事がわたしにとって天職だと気づいた。わたしが「ユミちゃん」として人から求められて、売り上げを伸ばした分だけ、姉さんはどんどん膨らんでいった。
姉さんの名前を使って、みんなに「ユミちゃん」と呼ばれながら仕事をして、きっと姉さんだったらそうしたであろうやわらかい微笑みを振りまく。時々、お店の女の子と諍いになって「ユミちゃんってさ」と陰口を叩かれたりする。たまに、男が熱い素肌をわたしに押し付けながら、切羽詰まった声で「ユミちゃん」と囁く。そうやって、姉さんの存在をすこしずつ他の人の人生に、世界に刻み付けていくことで、わたしと姉さんはずっと一緒にいられる。わたしはそう信じている。
十二時を少し過ぎた頃、奥村さんとサホさんとナナさんとわたしの四人でアフターに行くことになった。頭の片隅で、ツバサがいるのも今日で最後だなと思ったけれど断らなかった。タクシーの中で、奥村さんは、これから行くところがオフィス街にほど近く、かつて花街だったところなのだと教えてくれた。大通りでタクシーを降りて、少し歩く。大通り沿いの建物はみな整然としているのに、少し路地に入ると雑居ビルがひしめきあって猥雑な雰囲気に変わるのが面白かった。
奥村さんの行きつけのバーは、こぢんまりとした三階建てのビルの二階にあって、一階に焼肉屋さん、三階にゲイバーが入っていた。そのビルには階段しかなく、みんなでやや急な階段をゆっくり進んだ。壁に取り付けられた銀色の手すりは、連日の熱帯夜にもかかわらず異様につめたかった。
バーは奥村さんの昔馴染みのカナエさんという綺麗な着物姿の女性と、舞台女優をやっているアルバイトのリカさんのふたりで切り盛りしていた。カナエさんは笑顔がやわらかくて、淡く透けて涼しげな生成りの絽の着物がよく似合っている。カウンターとソファのあるテーブル席がふたつだけのひっそりとしたつくりのバーで、漆喰の壁とぎりぎりまで絞られた間接照明のせいか、洞窟の中にいるみたいだった。平日の夜だからか他のお客さんはいなかった。カナエさんはわたしたちを奥のテーブル席に案内してくれた。焦げ茶の革張りのソファは、びっくりするほどやわらかくて、わたしの身体をやさしく包み込んでくれる。奥村さんはここでもボトルをあけて、みんなで赤ワインを飲んだ。すると二杯目あたりで、奥村さんが座ったまま寝てしまった。
「そのまま寝かせておいてあげましょう」
カナエさんがそう言うと、わたしたちはカウンターに移動した。そこでリカさんがモヒートのおいしい作り方を教えてくれた。リカさんのモヒートはミントの香りがとびきり深くて絶品だった。わたしはツバサにつくってあげようと思ったけれど、今日の夜には消えてしまう、と言っていたことをまた思い出す。胸にぽっかり穴が開いたような気持ちになった。
しばらくして、奥村さんが目をさまし、ようやく会がお開きになった。バーを出るとき、奥村さんはわたしたちに「ありがとうね」と言って、紙幣を一枚ずつ渡してからタクシーに乗った。わたしたちは、奥村さんを乗せたタクシーが車道にたった一台だけ、ぐんぐん遠ざかっていくのをただ見つめていた。それがすっかり小さくなって、見えなくなると、わたしたちは誰からともなく小さく、囁くように笑い合った。
午前二時、真夜中の街は人通りがなくて静か。雲の隙間から見える月がやけに眩しい。
「カラオケで始発まで時間潰さない?」
しんと静まり返った大通りに沿って歩きながら、サホさんがわたしとナナさんに尋ねる。ナナさんは家が近いからこのままタクシーで帰るとこたえた。わたしはツバサのことが気がかりだったけれど、また問い詰められるのも嫌で、サホさんと一緒に行きますと言った。ナナさんのタクシーを見送ってから、サホさんとまた歩く。サホさんの高く鳴るヒールの音が妙にかっこよく聞こえて、わたしもパンプスの踵を鳴らしてみる。ふと、ツバサが今までわたしの身体でどんな風に歩いていたのか気になった。わたしの身体はツバサにとって歩きやすかったのだろうか。わたし自身よりも、わたしの身体のほうがツバサと繋がり合っているような気がした。
大通り沿いに皓々と光を振りまくカラオケ店を見つけた。中に入ると、淡いピンク色に染めたボブがよく似合う店員さんが眠たげに出てきて対応してくれた。きっと大学生くらい。笑ったときに見える八重歯がすごくかわいいと思った。
サホさんが重い防音扉を開けて、部屋の電気をつける。中はほんのり雨の日みたいな匂いがした。壁に取り付けられたモニターの中で、猫の着ぐるみが陽気な音楽に合わせて踊っている。
「せまー」
横並びに置かれたふたつのソファを見てサホさんが笑った。ソファは小ぶりで、大人ふたりが寝そべることはできなさそうだった。
「ですね」
わたしはソファの上にバッグを放り投げて、空調のリモコンを手に取った。リモコンはなぜか英語表記で、見慣れないマークが並んでいる。とりあえず黄色の電源らしきボタンを押してみると、送風口からほのかに暖かい風が出てきた。すこし不安に駆られながらも、温度を二十三度に設定してみる。風は、徐々につめたさを帯びてきたような気がした。
「飲み物とりいこ」
サホさんに言われてドリンクバーに向かうと、ファミレスでよく見るタイプの機械のほかに、ソフトクリームのマシンもあった。わたしが迷わずソフトクリームをカップに盛ると、サホさんは「若いね」と笑った。けれど、さんざん迷った末に、サホさんも同じものを選んだ。
わたしたちは、部屋に戻ると黙々とソフトクリームを食べた。酔いと眠気で歌う気力なんてない。わたしは、ぼんやりとモニターに映る猫の着ぐるみを眺めた。
「来月半ばくらいから休もうと思うんだよね」
サホさんが唐突に呟く。サホさんとの会話はいつも急に始まる。わたしは、そうですか、と頷いたあと何を言っていいかわからなくて黙ってしまった。エアコンから吐き出される風はやっぱりまだぬるいかもしれない。
「名前をさ、考えたんだけど」
子どものね、と言って、サホさんがわたしにスマホの画面を見せてくれた。グーグルの検索窓に「琉矢」という漢字二文字が入力されている。
「りゅうや」
サホさんがよく通る声で読み上げる。
「琉は宝物って意味で、矢はどこまでも遠く、まっすぐ飛んでいってほしいって意味」
「きれいな名前ですね」
「でもね、今朝、姓名判断で調べてみたら画数が悪いの」
ほら、とサホさんが差し出した画面には「中島琉矢」と縦書きで書いてあって、その横にいくつも数字が書かれている。サホさんの苗字が中島って、初めて知った。
「外格ってやつが大凶になってるでしょ?」
そうですね、と言いながら外格ってなんだろう?と思った。
「旦那の家系がみんな『や』で終わる名前なの、旦那が克哉で旦那の弟が裕也」
琉矢って字、気に入ってたんだけど他の字探さなきゃ、と不満げに漏らしながらサホさんはスマホで漢字を探し始めた。サホさんが「旦那」って呼ぶのも、こんな風に漢字で悩むのもなんだか意外だった。わたしも一緒に「や」の漢字を探す。見つけた漢字をサホさんと見せ合いながら、そういえば、今までお店の女の子の中で本名を知ってる子はひとりもいなかったなとぼんやり思った。ほとんど毎晩顔を合わせて、一緒に働いているのに。けど、本名は知らなくても、こうやって飲み明かすし、誕生日やお酒の飲み方、同棲している彼氏のこととか、妊娠していることとか、普段は内緒にしていることも知ってる。すこし不思議で、でも、この距離感が心地いい。何も知らないから、何でも言える気がする。
「わたしの名前、本当はミユっていうんです」
サホさんはスマホから顔をあげて、わたしを見た。
「けど、意味とか全然知らないんです。わたし、親ともあんまり仲良くなかったし、もう聞けないから。適当だったりして?」
わたしが笑うと、サホさんは、
「一生懸命考えたと思うけどな」
名前は一番最初にあげるものだからね、とやさしい声で言った。そして、「ミユちゃんも、親になったらわかるのかも」と冗談っぽく笑った。
わたしも、サホさんのように真剣に悩んでツバサと名付けたんだろうか。もし、そうだとしたら、どんな意味を託したんだろう。スマホに目を落とすサホさんの姿に自分を、母を重ねてみる。母はいつもの視線の合わない姿のままで、何を考えていたのかまったくわからない。ふと、ツバサはこういう風に、自分とわたしを重ね合わせたくて、わたしのもとにやってきたんじゃないかと思った。わたしは、母と向き合う勇気がなかったけれど、ツバサは違う。もしそうなんだとしたら、わたしはちゃんとツバサと向き合わなくてはいけないんじゃないだろうか? ツバサのためにも、わたしのためにも。
サホさんに謝って一足先にカラオケを出た。結局、代わりになるような良い漢字は見つからなくて、サホさんはまだもう少し悩んでみるよと笑っていた。外はまだ暗いけれど、空気はじんわりと熱い。ずっとソフトクリームを食べていた唇は今もすこしだけひんやりしている。わたしは配車アプリでタクシーを呼んだ。一刻も早く、ツバサに会いたかった。タクシーはすぐに来て、革張りの座席に身体を預けた。アプリに事前に登録しておいた自宅の住所を読み上げる運転手の声がやけに遠く聞こえた。運転手の確認に頷いて、さらに深く座席に身体を沈めた。どっと疲れが押し寄せてきた。このままどろどろと溶けてしまいそうな気がした。一日中パンプスを履きっぱなしだった脚がひどく怠い。眠りに落ちる瞬間、わたしはまたツバサの顔を思い浮かべていた。
ながい夢をみていた。その日はわたしの四歳の誕生日だった。お誕生日会のために、マンションの駐輪場の前にある貯水槽のそばでデイジーを摘んでいた。よく晴れた日の夕暮れだった。もうだいぶ日が傾いているのに、風は灼けたアスファルトの匂いがした。デイジーの白く頼りない花弁が揺れている。
駐輪場に姉妹がやってきた。お姉ちゃんのほうは、自分の自転車を手早く立てかけると、補助輪付きの妹の自転車を代わりに駐輪場に入れてやり、頭からそっとヘルメットを外してあげた。妹が「ありがとう」と言うとやさしく髪を撫でた。わたしはそのお姉ちゃんの手から目が離せなかった。その手がどうしようもなくうらやましかった。
「お姉ちゃんほしかったな」
わたしはデイジーを手折りながら思わずぽつりと漏らした。隣で母が息をのむ気配がした。見上げると、母は泣いていた。
「あなたの姉さんは、母さんの中で消えてしまったのよ」
母の涙がわたしの手の甲を掠めて、デイジーを濡らした。
「だから、姉さんの分まで生きてあげて」
そう言って、母はわたしを抱きしめた。背中に押しつけられた母の手のひらが熱い。母の涙が首筋に流れてゆくのを感じた。母はひどく傷ついていて、わたしがさらに母を傷つけたのだとはっきりわかった。傷はわたしにも刻まれた。わたしは姉さんから奪ったのだ。本当は姉さんが生まれてくるはずだったのに。
目を覚ました時、わたしは泣いていた。そうだ、姉さんは、このとき生まれたんだ。生まれた時から一緒にいたわけじゃなかった。姉さんはこの日、わたしが産み落としたんだ。わたしにそっくりな名前をつけて、わたしの人生を分け与え、償うために。わたしはようやく、ツバサがわたしに会いに来た本当の理由がわかった気がした。
タクシーはちょうど橋の上を走っていた。視界の端で半透明の影のようなものが見え、ツバサだとすぐにわかった。ツバサは橋の上をわたしとは反対方向に進んでいた。慌てて運転手に停めてもらい、そのまま弾かれたように飛び出した。ただ、いますぐツバサを抱きしめたかった。
*
夜明け近くになっても、ママが帰ってこないので、あたしは心配になって外に出た。ママの家から歩いてすぐのところにある橋を渡れば、その向こうがもう駅だ。夜明け前の空は、下の方が濃い水色で、そのすぐ上を刷毛で一筋塗ったように薄桃色の帯が走り、全体は淡いペールブルーで染められている。橋の下では、水面を白く光らせて、川がゆっくりと流れてゆく。すべてがぼんやりとしたほのかな光の中で溶け合って、夢の中にいるみたい。空気はとろりと重みがあった。
橋を渡りきる手前で、後ろからあたしを呼ぶママの声が聞こえた。びっくりして振り返る。ママはあたしを見るなり、抱きしめようと手を伸ばした。けれど、両手はあたしの身体をするりと通り抜けるだけ。それでも、ママは空気を抱きしめるようにして、あたしのことを抱きしめてくれた。
「ツバサ」
ママがあたしを呼ぶ。
「ママ」
自然と零れた声に、ママは笑った。ぽろぽろと涙を流していて、うんと幼く見えた。
「ごめんね」
ママはあたしをまっすぐ見つめた。
「わたし、きっとあなたにひどいこと言ったんだね」
だから、こうしてわたしのところに来たんでしょう? と言って、ママはまた涙を零した。あたしも咄嗟にママを抱きしめる。触れられないはずなのに、胸や背中に回した両腕からママの体温が伝わってくるような気がした。
あたしたちは橋の側にある階段を下りて、河川敷をすこし歩くことにした。ママは、ぽつりぽつりと姉さんや自分の過去の話をしてくれた。ママのお母さんのおなかの中で死んでしまった姉さんがいたこと、本当は、自分じゃなくて姉さんが生まれるべきだったのではないか、自分が生まれてきたのは間違いなんじゃないかと思った日にママ自身がこの世に生み出して、名前を付けてからずっと一緒に生きてきたこと、姉さんをこの世界にとどめるために「ユミちゃん」として働いてきたこと。自分が母親に言われた言葉を思い出して、ママもあたしに対して何か傷つけるようなことを言ったんじゃないかと不安になったこと。ママがかつての自分の母親のようにあたしに呪いをかけたから、だから、あたしがわざわざ会いに来たんじゃないのかと思っていること。あたしは、違うよと言って首を振った。
「違うよ、ママはちゃんとあたしのことを、めいっぱい愛してくれたよ」
どうしたらちゃんと伝わるんだろう? 空が次第に明るさを増し、水面が鏡のように輝きはじめていた。
「ママはあたしのことをたくさん愛してくれたけれど、それでも、あたしもずっと本当にママの人生の中にいていいのかなって不安だった」
思春期の頃、ママが口癖のように「なんでも話してね」っていうのがきらいだった。なんでもなんて話せるわけがないし、そうやって親だからって子どものことをなんでも知ろうとするのは傲慢だと思った。ママは、まだあたしのママじゃなかった人生のほうが長くて、あたしの知らないママを持っていて、たくさん秘密を抱えているくせに。けれど、当時はそんなことも言えなかった。ただ、ふいにママの横顔や笑みの端や背中にあたしの知らないママが垣間見えるたびに、怯えることしかできなかった。だけど、自分が二十五歳になって、ママの人生の中の半分を占められたんだって思ったら、勝手にすこしゆるされたような気になった。今なら、ママとちゃんと向き合えるんじゃないかって思った。
「でも、あたしは、あたしのママになってからのママしか知らないから、ママが本当はどういう人だったのか、あたしを産んだことで何か失ってしまったんじゃないかって、あたしがママから奪ってしまったんじゃないかって」
言葉よりも先に涙が溢れてしまう。ちゃんと伝えなきゃと思うほど、声がつっかえてうまく話せない。
「でも、それを知りたいと思ったのは、あたしが自分も母親になるってわかって、だから怖くなって」
自分が妊娠したからって、ママがもう死んじゃうかもしれないからって、無理やりこんなふうに会いに来て、それでさらにママを傷つけて本当に最低なやつだと思った。自分がくやしくて、やりきれなくて、涙が止まらない。もうなにもしゃべれなかった。けれど、ママはずっとあたしを見つめていた。もうなんでも知ってるみたいに。
あたしたちが家に帰ってきた頃には、もうすっかり日が昇っていた。淡いベールのような光も、とろみのある空気も、すっかり跡形もなく消えて、透き通ったまっすぐな朝日があたりを照らしていた。
あたしは、すぐにママを寝かせると身体に入って、ママの代わりにシャワーを浴びた。ママの身体を泡とともにやさしくなでる。今のママの肌の感触をあたしは知らないはずなのに、触れるとやっぱり懐かしい気持ちになった。その度に、あたしは、あたしたちはかつてひとつだったってことを強く感じた。
寝室にはカーテンの隙間から差し込む透き通った光が溢れていて、ママの姉さんが淡く光っていた。あたしは、ママの真似をして、姉さんの上に寝そべってみる。薄く柔らかな膜がぴったりと身体に吸い付く。姉さんの冷たさが全身を浸してゆく。また、眠気のような怠さに意識が覆われる感覚がした。なんとなく、夢の中でママに会えるような気がして、あたしはそっと目を閉じた。
*
あたしたちは、夢の中でまたシャワーを浴びていた。さっき洗ったばかりのママの身体を洗う。ママの白いお腹が次第に大きくなってゆく。ものすごいはやさで膨らんでいくそれを、あたしたちはただ見ていることしかできない。皓々と月のように冷たい光を宿して、浴室いっぱいに広がっていく。あたしは段々怖くなって、ママの身体から出ようとするけれど、ちっとも出られない。どうして?ともがいて、あがいて、はたと身体を見つめた瞬間、それが自分の身体だと気づいた。
「ツバサ!」
ママがあたしを呼ぶ。気がついたら、あたしはママの寝室にいた。ママは、あたしがかつて選んだ黒のワンピースを着ていて、これもまだ夢の中なんだって気づいた。ママがあたしを抱きしめる。夢の中なのに、いや、夢の中だから、あたしは胸に、頬に、背中に、ママの体温を感じた。
「母娘にあまねく降りかかる呪いみたいなものなのかな」
ママが冗談っぽく言う。あたしは、さあ?と笑った。あたしたちはもう泣かなかった。ひとしきり泣いて、お互いすっきりした顔をしていた。ふたりとも、姉さんの上に寝そべっている。夢の中の姉さんは、クイーンベッドをすっぽり覆ってしまうほど大きい。
ママの記憶に、身体に入ったって、ママのことはちっともわからなかった。どこまでいってもママのことはわからない。それは、たぶん、ママとおばあちゃんも同じ。
「でもきっと、それがあるからあたしたちは手をつなげるんだと思う」
わからなさや、ままならない気持ちを抱える娘同士として。あたしはママの手をぎゅっと握った。ママの手のひらはびっくりするほど熱い。
「ママは何か失った?」
あたしの問いかけに、ママはわかんない、と笑ってあたしのお腹をそっとなでる。
「ママは、あたしのせいで姉さんを失っても、それでもいいって思える?」
あたしが生まれたら、きっと姉さんは消えてしまうんだと思う。なんとなくそんな気がした。
「それでも、ツバサにまた会いたいな」
ママは、あたしのお腹の上に手をあてたまま、もう片方の手で自分のお腹をなでた。
「もうここにいるんでしょう?」
ママがあたしを見つめる。あたしは、びっくりしてママを見つめ返す。
「どうしてわかったの? いつ?」
「いま」
ママがあんまりにも幸せそうに笑うから、あたしは胸がいっぱいになった。あたしもママのお腹と自分のお腹にそれぞれ手をあてた。みんな同じなんだ。奪い合ったり与え合ったりしながら、ママも姉さんもあたしもあたしの子もみんな同じところから生まれてくる。
本当ははやく目を覚まさなきゃいけないのに、あたしはママと離れたくなくて手を離せなかった。指を絡めながら、ママの左の手のひらを日に翳すと、小指の付け根に小さなほくろを見つけた。
「こんなとこにほくろあったっけ?」
あたしがびっくりして聞くと、ママは「え? うそ」と言ってほくろをしげしげと見つめた。ママも今まで気づかなかったらしい。あたしは、ママのほくろを人差し指で三回押した。なに?ってママが笑う。
「あたしたちの合図にしよ。皮膚にも、記憶って残るんだって」
だから、もしあたしのことを忘れてしまっても、きっと思い出せるように。
「起きたら、もう一度押してから行くね」
あたしがそう言うと、ママは嬉しそうに頷いた。
「もう行きな」
ママがあたしの頬をなでた。あたしのよく知っている手つきだった。
「ママみたい」
あたしが笑うと、ママはあたしの頬を軽くつねって「ツバサ」と呼んだ。あたしが「ミユ」と呼ぶ。あたしたちはお互いの身体をぎゅっと強く抱きしめ合った。
目を覚ますと、もう部屋の中は日が落ちかけて薄暗くなっていた。こんなに時間が経ってたなんて。あたしはまだママの身体の中にいた。けれど、ママの身体は、初めて入ったときのように着ぐるみの中みたいに感じた。全部の感覚がおそろしいほど遠くて、終わりが近いことがわかった。なんとかママの左手を顔の前に翳す。薄闇の中でママの手のひらを見つめる。ぎこちない動きで、それでも精一杯の力を込めて、小指の付け根の小さなほくろをゆっくり三回押した。
あたしの意識はとろとろとどこかへ向かって流れ落ちてゆく。
目を覚ますと、天井が見えた。電気の消えた部屋は薄明るくて、光の感じから夜明けの頃だとわかった。あたしは「うたたね」の中と同じようにママと手をつないで仰向けに寝ていた。片手でヘアバンド型の装置を外す。予定より早く戻ってきてしまったんだろうか。あたりはしんとしていて誰もいない。しばらくぶりのあたしの身体は怠くてかたくて、起き上がることすら億劫だった。なんだか自分の身体じゃないような気がした。ふと、甘い匂いがした。あたしたちの枕元のサイドテーブルに、大ぶりの梨がいくつも盛られた籠が置いてあった。たっぷりと水分を含んで、丸くずっしりしている。籠のそばには、カードも花も見当たらなかった。サイドテーブルに置きっぱなしだった携帯端末を手に取ると、樹に「ありがとう」とメッセージを送った。
あたしはママの手を離せずにいた。生まれてからずっと、何度も握ってきた手。乾いた感触に、帰ってきてしまったんだ、と実感した。隣に横たわるママは、かたく目を閉じている。枯葉のような手のひらにミユの熱い手のひらが重なった。あたしは身体を起こして、ママの強ばった左手をゆっくり開いた。淡い光の中で、小指の付け根にほくろがちゃんとあるのが見えた。あたしは震える人差し指で三回、とんとんとんとほくろを押す。ママはゆっくりとあたしの手を握った。風でカーテンが大きく揺れた。窓の外では、白みはじめた空と同じ色をした川が、水面を淡く光らせながら流れてゆく。
あたしは、またママの隣に寝そべった。さっきと同じようにママの手を握って、膨らみはじめたお腹の上にあたしたちの手をそっと置く。夜明けの風は甘く、なつかしい匂いがした。


大庭繭
1 コメント
- TM2025/05/19 21:01
SFだと思うとうたたねのシステムが気になってしまう。システム的には母の記憶がツバサの中で再構築されて母は動的なものというかよくてLLM的なものとして振る舞うかなと思ってしまう。そう思うとどうしても母の一人称目線が気になってしまう。最早ツバサが母の記憶の断片から母を妄想するほうがしっくりくるけどそうなるとヘアバンド型の装置だとかが気になってしまう。あと亡くなりそうな脳梗塞となるとそもそも記憶は再生可能なんだろうか?ここもSFという形だと気になってしまった。 でも逆にSF的に回収されない母の姉の存在は魅力的だった。この魅力は恐ろしく、喪失から母(祖母)から傷つけられる母というやや定型な部分を姉の表象が他では味わえない印象を残している。 姉的な想像力で全面に振り切られた作品が読みたくなりました。 この物語自体リアルなツバサと母のエピソードなどまだまだ書き込める余白が多分にあって、まだまだ大きく味が濃くなる余地が感じられます。すごいです。 人魚ごっこも読みたくなりました!




