「うたたねのように光って思い出は指先だけが覚えてる熱」解題|大森望

母と娘の関係を描く小説は、純文学でもエンターテインメントでも(主に女性作家によって)たくさん書かれている。このテーマに、べつだんSF的な設定は必要ない。むしろ邪魔だと思う読者もいるかもしれない。しかし、本篇に関しては、SF設定を導入することで、現実にはありえない角度から母と娘の関係を描くことに成功している。いったいどういう設定なのか、まずは「webゲンロン」上にまとめられたあらすじを引用しよう。
「ホステスとして働く『わたし』は、透明ではち切れそうな、水風船のような『姉さん』と暮らしている。仕事を終えて家に帰ると、ベッドの上の姉さんの、柔らかさと冷たさに身を委ねる。そんな日々を送るわたしのまえに、ある日、幽霊のように透けた『女』が現れる。彼女はわたしを『ママ』と呼び、嘘のような話を始める──自分は他人の脳にアクセスする技術で、ママに会いにきた。この世界は未来のママの、記憶にすぎないのだ、と」
ただしこれは、「ママ」視点のあらすじ。娘である「あたし」(=ツバサ)視点だと、かなり見え方が違う。ツバサは出産を控えた25歳。ツバサの母親は、50歳の誕生日の朝、脳梗塞の発作を起こし、いまも意識不明のまま病院のベッドに横たわっている。いつ死んでもおかしくない状態らしい。このまま出産すると何か大きなものを失うんじゃないかという漠然とした不安を抱えるツバサは、どうしてもママと会って話がしたいと願う。「うたたね」という新技術を使えば、その願いを叶えられるかもしれない。「うたたね」とは、寝たきりの患者の記憶にアクセスし、患者の記憶の中にいる自分に入り込んで、過去を再体験する技術だ。ツバサは、ママが自分を妊娠してすぐ、ママ自身もまだ妊娠に気づいていない頃の記憶にアクセスし、ママのおなかの中にいる自分に入りたいとリクエストする。セッションを開始した「あたし」は、不思議なことに、幽霊のような存在になっていた。期限の3日の間に、「あたし」はママと通じ合えるのか?
他者の記憶や意識の中に潜るという設定は、『インセプション』や『ザ・セル』、『パプリカ』、あるいは乾緑郎の原作を黒沢清が映画化した『リアル 完全なる首長竜の日』など、映画に限ってもたくさん先例があるが(小説はたぶんその一〇倍くらいある)、この「うたたね」は、それらと微妙に違い、結果的に独特の作品世界が形成されている。
この「うたたねのように光って思い出は指先だけが覚えてる熱」は、第七回ゲンロンSF新人賞受賞作。今回の選考には、菅浩江、伊藤靖(河出書房新社)、東浩紀(ゲンロン)の3氏に大森を加えた4人の選考委員のほか、ゲスト講師として登壇した方々のうち何人かが、候補作すべてを自主的に読んだうえ、事前投票のかたちで参加した(ゲスト編集者はVG+の井上彼方、東京創元社の小浜徹也、早川書房の井手聡司・溝口力丸の4氏、ゲスト作家は新井素子、円城塔、斜線堂有紀、柴田勝家、法月綸太郎、藤井太洋の6氏が参加)。ゲスト作家の選評の一部を抜粋すると──
「抒情的な文章や雰囲気が素晴らしかった。[中略]この作品の魅力は何より文章。この作者の方は文章に宿る身体感覚が唯一無二だと思う」(斜線堂有紀)
〈何かが起きていることがしっかり伝わってくる導入と、娘の登場まで息をつかせない展開が素晴らしい。そこから、最後まで一気に読ませていただきました。[中略]既存の「SF」を読む喜びはそれほど大きくないけれど、有り余る体験でした」(藤井太洋)
「荒削りなところも目立つのですが、不思議な文章の調子と、「記憶が人格を持っている」というありそうで意外にない設定を押し通した力が面白いと思います」(円城塔)
このうち、円城塔、藤井太洋の両氏が本作を正賞に推し、選考委員の一次投票では1人が1位、3人が2位に推した。選考会では、文章力が高く評価された一方、冒頭から出てくる「わたし」(=ママ)とはどういう存在なのか、ママ視点のパートは何を意味しているのかについて東浩紀氏から疑問の声が上がり、著者自身や会場に来ていた藤井太洋氏も含めて侃々諤々の議論になった(その模様は、ゲンロン YouTube Officialチャンネルで公開されている「第七回ゲンロンSF新人賞選考会」で見ることができる)。しかし最終的に、本作は、その東浩紀氏も含め選考委員4人のうち3人の票を集めて、ゲンロンSF新人賞を受賞した(『ゲンロン17』に掲載された中野伶理「那由多の面」と同時受賞)。
著者の大庭繭は1995年生まれ。『小説すばる』2024年11月号にフラッシュフィクション「人魚ごっこ」を寄稿。池澤春菜、中野伶理との鼎談では、「主人公に限らず、どの登場人物も8割くらいは自分です」と語っている。好きなSFは、ケン・リュウやキム・チョヨプなどの文学性の強い作品。「壮大な世界設定のSFというよりも、私たちの延長線上にある日常のズレのようなものを描いた作品が好きなんだと思います」とのこと(谷江リク編『だめなひとたち 七つの大罪アンソロ』より)。


大森望




