居住の藤子・F・不二雄論
序論
1 ドラえもんはなぜ、押し入れに寝ているのか?
令和の今なお人気で、アニメ映画も毎年のようにヒットしている国民的人気漫画『ドラえもん』のドラえもんは、のび太少年の家の押し入れに寝泊まりしている。
それはいつからだろう?
漫画内のあるとき、こういう出来事をもって押し入れを寝場所と定めた、というような話を読んだ記憶がない。本論執筆に際し調べたが、やはり出てこなかった。
ドラえもんはあるときから突然、押し入れで寝泊まりしていた。1969年の連載開始から約2年後に発表された短編「夜の世界の王さまだ!」(小学四年生1971年12月号[◆1])においてである。
このとき前段として、「ぼく、今日から押し入れで寝るね」と宣言するとか、家の人に「ドラえもんは押し入れで寝なさい」と命ぜられるといったやり取りは描かれなかったし、その後も特に言及されていない。いきなり押し入れで寝ていたし、我々読者もまたそれを自然なことと受け止めた。
我々はいろんなことを「自然に」受け止める。
この漫画の世界には昭和の日本ならではの光景として「空き地」があってそこには「土管」が置かれている。1972年(昭和47年)に生まれた筆者でも、空き地の隅に土管が横並びになっているのを目撃したことは、実はない。
それでも(それなのに、というべきか)どこかにそういう景色はあるのだろう、とすんなり「自然に」受け止めていた。土管にリアリティを持ち得ないほどに当時の現実の景色と漫画内のそれとがかけ離れたものではなかった、ということでもある。道の端が側溝になっているとか、ブロック塀と板塀が混在しているといった漫画内の様子は、僕の時代の現実の景色と通じていたから。
ましてや「押し入れ」はずっと身近だ。漫画内で描かれるのと似たような模様の紙襖の押し入れが、どこの家にもあるものだった(これは和室さえあれば今なお、かもしれない)。
だから、この人気漫画の「景色」として「押し入れのドラえもん」はごく自然なものとして受容され、皆なにも感じなくなっている。ドラえもんが勉強机の引き出しから初登場したこととあわせ有名な設定でもあるだろう。有名であることを示す例としてはいささか陰惨なものになるが、1999年に起きた山口県光市の母子殺害事件の犯人(当時未成年)はのちの公判で、幼児の遺体を押し入れに隠した理由として「ドラえもんに助けてもらおうと思ったから」と供述している。ある世代にとって「押し入れ=ドラえもんのいる場所」ということが他者にも容易に通じる設定だと認識されていることが分かる。
しかし、現実に照らしてよく考えると、これは変なことだ。世のどんな家庭でも、あるとき家の押し入れを半分からっぽにするのは、これはとても大変なことのはずだ。
今日から押し入れの上半分を空けろ、といわれても、それはどんな家庭でもだいたい無理ではないか(押し入れががらんと空いたまま生活している家庭を聞いたことがない。誰に聞いても「パンパンです」という)。
まあ、漫画なのだし、彼の居住によって外に出さなければいけなかった押し入れ上半分の荷物については「なんとかした」という了解でいい。リアリティがないとか、批判したくていうことではない。描かれていないだけで、そのことも本作ならではの「ひみつ道具」で四次元的に解決したと推量することも容易だ。
また空き地があるのと同様、連載初期のころ、多くの家で押し入れはそんなに「パンパン」ではなかった、という想像も成り立つ。掲載当時の多くの家では、余計な道具や衣類や電気製品など、とりあえず押し入れに押し込むような余剰の物品をどの家庭もさほど保持しておらず、押し入れを空けることはたやすかったという「読み」もできなくはない。また、こっそり捨て猫を飼うとき、押し入れに隠すのが自然な描写だという考えもある。ドラえもんがその名の通り「ドラ」ネコをもじった存在であることを思えば、即した描写とさえいえる。
しかし、ドラえもんは親に隠すべき存在ではなかった。
同じ作者によるもので、異分子が日常に定住する「ドラえもんスタイル」の先行作品に『オバケのQ太郎』(藤子不二雄Aとの共著)がある。その序盤では、異世界から来た異分子であるQ太郎の存在を親に隠し、うちあけることに1話を費やしているが、『ドラえもん』ではそのやり取りをはなから省略してスタートさせている。「こっそり」「隠す」ふるまいは不要だった[◆2]。
それで、ドラえもんは野比一家と同じテーブルで食事をし生活する。その日常と、こっそり隠れて飼われるようなふるまいには齟齬があるといえる。
そもそも納得できるかどうかとは別の「漫画の描かれ方」として、彼の寝床が押し入れである必要はない。押し入れ半分を空けるのが可能だったとしてもなおドラえもんとのび太が2組の布団を並べて寝起きする、そんな漫画でも別によかったはずだ。実際、それがタブーだったわけでもない。証拠に、彼らが一つの布団で寝るシーンが出てくる。
ファンには有名な「さようなら、ドラえもん」の回(初出時は「みらいの世界へかえる」、小学三年生1974年3月号)の中で、二人は一つの布団に枕を並べて寝ている。お別れを惜しんでの感動的なコマである(実際の連載はこのあとも中断することなく続くのだが)。
大洪水の予言を踏まえて(ノアの)方舟を造る「世界沈没」(初出時は無題、小学四年生1972年11月号)でも、船倉で二人は同じ布団に寝ている。「行け!ノビタマン」(てれびくん1979年9月号)でも、トラブルで異星に飛ばされてしまい泊めてもらった家で、二人は1組の布団で寝ている。
つまり作中に描かれた二人の性向からしても「一緒に寝るなんて耐えられない」ということはないのらしい。
それでも普段は押し入れの襖を隔てて寝る。逆にいうと「本当のお別れ」や「世界が洪水で滅ぶ」「異星に飛ばされる」レベルの出来事がない限り、二人は同衾しない。
室内に布団2枚敷く、でさえない。実はとても不自然な、ある中流家庭の押し入れ半分を空っぽにさせてまで、ドラえもんには「隔て」を用意した。誰がか。作者がだ。
夏目漱石『三四郎』の主人公が、物語の冒頭で布団に蚤よけの工夫をするといったような「建前の理由」をドラえもんがいったわけでもない。なんの言い訳もなく、なんか(自然と)そうした。藤子・F・不二雄(以下「藤子F」)がそう描いた。
もちろん、このことは、ドラえもんが他人行儀な(または三四郎のような臆病な)潔癖症であることを意味するわけでもない。先に「四次元的に解決」と書いたが、本作を読めば、ドラえもんの持つ能力はとても大きいことがすぐに分かるし、その能力をもってすれば彼は独自の空間を所有することもできる。それどころか遠隔操作でのび太に「会わずに」彼を監視、誘導、成長を促すことも可能だ。同居する必要はない。
なのに、というかむしろ、彼はのび太の「そばにいる」ということを自然に選んでいる(他者が「ただそばにいる/いてくれる」こと自体──Q太郎やラムちゃんなどを例示するまでもない──漫画という表現の本質に関わることと思うが、ここでは深めずにおく)。
その意味で「押し入れ」は「隣室」と同義ではないということも強調したい。主体となる部屋に対してほかのどの部屋よりも距離的に近く、扉さえ脆弱な「押し入れ」という位置を、作者はあてがった。
人が自分の個室を求めること自体は、潔癖な気質というほどのことではない。ずっと相部屋や大部屋では落ち着かないだろう。気分的、感覚的な「なんとなく、できればそうしたい」という漠然とした願望であり、誰しもが抱くものだ。
ただ、これは「子供」にはあまり生じない、大人にある感覚だ。子供はそれこそ大部屋で寝泊まりさせられても文句はそう出ないものだ(どころか、大勢で寝る状況に興奮さえする)。女子たちは「お泊まり会」をしたがるものだし、もっと小さな幼児は、個室を欲しないどころか親の不在で号泣し、寝かしつけで困らせる。
「自分だけの部屋が欲しい」という願いは子供時代のあるときから発生するが、そういう自意識の発生自体が脱子供=大人の始まりと考えられる。
「できたら個室を」という大人の感覚的願望が「ちびっこの仲間」であるはずのドラえもんのふるまいに、自然に、作者の手つきで反射的に、出ている。このことは、多くの児童向けの漫画や文学における「仲間」の描き方において、この作品を独特のものにする一要素と考える。藤子Fという作家を考察するうえでも重要なことだ。
2 居住に対する願望の強さ
『ドラえもん』は作品それ自体と同じくらいに「ひみつ道具」が有名だ。たとえば『ONE PIECE』(尾田栄一郎作)は大人気漫画だが、作中の「どの悪魔の実を食べたい?」と質問しても誰でも答えられるわけではない。ひみつ道具であれば多くの人がなにかは知っているだろう。
ここで急に私事を語るが『ドラえもん』のひみつ道具で、子供時代の筆者がもっとも渇望した道具は「どこでもドア」や「タケコプター」ではない。
「ナイヘヤドア」である(同名の短編に登場。小学六年生1977年5月号)。
有名な「どこでもドア」に似た名前のその道具は、ドア状のシートだ。なにもない、ただの壁にナイヘヤドアを貼ってドアノブを回すと、そこに「ない」はずの「部屋」がある、というものだ。物理的にあり得ない狭い隙間でも、貼りさえすれば、そのドアの向こうには部屋がある。
狭い住空間に簡易に1室増やすことができるというわけだ。よい道具だが、なんだろう……便利さが願望に対して卑近すぎる。つましい!
大空を飛んだり、時間をさかのぼったり、人心をコントロールさえできる強力なひみつ道具群にあって、いたって地味で、夢を感じさせない即物的なアイテムだ。特に、同じ「ドア」として「どこでもドア」と「ナイヘヤドア」には、四次元的な空間の移動、生成など技術的(?)には似た部分もあるだろうが、それが提供するワンダーには著しい差がある。用途の幅広さを思っても前者にこそ無限の可能性がある。
それでも、ほぼ1種類の使い道しかない「ナイヘヤドア」に、小学生時代の筆者は魅了された。四角い、無味乾燥な空間が瞬時に現れて自分の自由に使えるということに。2DKの団地に暮らし兄弟二人、4畳半の1室を分けあっていた筆者の「さしあたって」の願望として、これほど強く希求するものはなかった。藤子先生は分かってる! 快哉を叫ぶ思いさえしたのだ。
そもそも『ドラえもん』は「願いを叶えてくれる」漫画として有名だが、「ナイヘヤドア」よりはるか以前、というか最初の最初から、子供の願いは叶えられていた。
てんとう虫コミックス(てんコミ)第1巻の第1話(小学四年生1970年1月号)、第1ページ目の第1コマ目、そこには「のどかなお正月だなあ」と、自室で寝転びながら詠嘆するのび太少年が描かれている(厳密には扉のページの下部に「のどかなお正月」を表す風景のコマが描かれているので2コマ目だが、人物登場の初手から、といえる)。
のび太は一人っ子であり「自分だけの部屋」を持っているだけでなく、そこに寝そべって謳歌している。そのことが、兄と部屋を分けあう『オバケのQ太郎』はもちろん、『ウメ星デンカ』などの先行作での一人っ子暮らしと比べても、いきなり強調されている。
「自分だけの部屋が欲しい」という願いは、当時の対象読者の切なる願いだったはずだ。筆者は1972年生まれ。第2次ベビーブームの出生数のピーク前年である。木造の校舎の隣にコンクリの新校舎が建てられ、巨大な団地群があちこちに造成された時代だ。
狭い国土における人口増加による窮屈な世界の中で、自意識の芽生えかけた少年たちが「自分だけの部屋」を欲すること。その願いを作者は1個目のひみつ道具を与えるより以前にあらかじめ叶えていた。
主人公が個室にいる。
そのこともまた(ドラえもんが押し入れで寝ることと同様に)深遠な理由などなく、作者の「手つき」でなされたようにみえる。
「大長編ドラえもん」と称されることになるシリーズがある。
この「大長編〜」シリーズは、1979年のテレビ朝日における『ドラえもん』アニメ化以後の人気を受けてスタートした、劇場版アニメのための原作群である。読み切りの短編とは異なった、非日常の世界での冒険が描かれる。
主人公は副題においても『のび太の恐竜』『のび太の大魔境』などと名指しされ、彼のビルドゥングスロマンとして、舞台も、普段の「町内」から飛び出して、荒野から宇宙まで雄大な場所に移り、アクションも強く打ち出される。
普段は読み切りの中で定められた「役割」を演ずる人物たち──ジャイアンは乱暴者、しずかちゃんはマドンナ、のび太は怠け者のいじめられっこ──が、大長編においては「成長する少年少女たち」として結束し、友情を発揮しあうことになった。
その第1作『のび太の恐竜』(映画のためのリライト版は、コロコロコミック1980年1─3月号)の中で彼らは野営をすることになる。アクシデントで現代に戻れなくなり、恐竜の跋扈する恐ろしい土地に泊まることを余儀なくされるのだが、そこで彼らが当たり前のように個室に寝ることに筆者は驚いた。そこには先入観があった。
少年少女の冒険譚の「野営」といえば、皆で雑魚寝し、星空をみながらするものだと思っていた。そこで夢を語ったり、昼間の諍いを謝ったり許したり、つかの間の安息を得ると同時に友情を深めあう、そういう場面である気がしたのだ。
少年少女の冒険を描いた児童文学の名作といえば『十五少年漂流記』(ジュール・ヴェルヌ)や『ツバメ号とアマゾン号』(アーサー・ランサム)が挙げられる。どちらも、快適な自宅から隔たった、親の庇護のない世界で夜を明かす。狭い船室だったり洞穴だったりといった野趣にあふれた場所で「枕を並べる」ことが一つの見せ場であるし、演出上の意味がある気がしていた。
しかし『ドラえもん』において雄大な景色の中を冒険する少年たちは、親元を離れた自由な状況でも夜はめいめいの「個室」に入る。個室のために「キャンピングカプセル」というティーアップされたゴルフボール状のひみつ道具をわざわざ登場させ、快適な住環境とプライベートを保ったまま寝るのである(余談だが、近年「グランピング」と呼ばれるキャンプ体験をしたとき、自然の只中にありながらのさまざまないたれりつくせりぶりに、まさに『ドラえもん』的なアウトドアが現実化したことを実感したものだ)。
すべての大長編でそうなっているわけではないが『のび太の大魔境』『のび太の海底鬼岩城』などでもこの個室待遇は引き続いている。
活劇の合間の小休止の場面だから、雑魚寝でも個室でも、どちらで描こうとも「大長編ドラえもん」のストーリー進行に差し障りはない。
このように「どちらでもいい」ときに選ばれている表現を(これまでもそうだが)本稿では「手つきで」なされる表現と呼ぶ。
作者の「手つきで」子どもたちに個室が与えられているのを、(どちらでもいいと言っておいてなんだが)筆者は異様なことと捉えている。贅沢にみえるということとも別の、感覚的なこととして、フツー、雑魚寝だろう、そこは! と感じる。
押し入れもだが、ここでの「個室」には作者自身が大事にしている、ある種の強いバリアを感じ取れるのだ。
3 ドラえもんが叶える「衣食」
筆者が用いるところの「手つき」という語についてもう少し説明しておくことにしよう。
漫才で、ボケとツッコミが「なにをどうボケ、どのようにツッコむか」というのはとても大事なことだ。ボケの言葉やツッコミのタイミングを間違えたら「笑い」は作動しない。だから漫才師は猛練習し、それを練り上げる。
しかし、その演目を披露するとき、漫才師がどんなTシャツを着ていくかは、別になんでもいい。Aというシャツだと笑いが作動するがBだったら笑えないということは、よほど特別なシャツでない限り生じない。
つまり披露される漫才(の総体)には「大事」なことと「なんでもいい」ことが入り混じっていることになる。
なんでもいいといっても裸ではだめだ。裸で人前に登場することには強い意味が生じてしまうからだ。「なんでもいい」けど、なにかは着る。「なし」ではなく必要な選択が、ある。それで「ええっと、今日はこれにしよう」となんとなく着ているシャツ。
それが「手つき」で決まったものだ。
あらゆる創作には、多かれ少なかれ「手つき」が混じる。
ゆるがせにできない設定やテーマ、セリフ、筋書きというものの中に、「なんでもいい」けど描かなければおかしいことがある。「ええと、じゃあこれで」みたいな気持ちの選択、その「手つき」が藤子Fの場合、見過ごせない。
たとえば、『ドラえもん』の舞台が東京都練馬区であるらしい(そう読める描写がある)とか、ジャイアンがレッド・ツェッペリンのTシャツを着ていたというのも「手つき」だ。いっけん面白そうだが、それらを『サザエさん』(長谷川町子作)を考証してベストセラーになった『磯野家の謎』のように深読みしても仕方ないと思っている。
居住や空間についての「手つき」に、特に藤子Fの剥き身の作家性(その作者らしい、取り替えの利かない個性)が無意識に表れている、と筆者はみている。
さて、個室、押し入れということから「手つきでなされる作者らしさ」について考える前に、そもそも『ドラえもん』は「居住」についての言及が非常に多い。
『ドラえもん』には1000種類以上のひみつ道具が登場する。その多くはさまざまな願望充足に関わる。アニメの主題歌にも歌われた「空を自由に飛びたいな」や、人心掌握という大きなものから「竹馬に乗れるようになりたい」程度のことまでさまざまだが、その多くは人間の基礎的な「衣食住」の願望より上位のものである。
貧困や飢餓、居住の不充足を解消する、いわば生命維持と「健康で文化的な最低限度の生活」のための基本的な願いについては、先にも記したように、のび太の暮らしはあらかじめ叶えられている。先に挙げたてんコミ1巻の2コマ目だが、そこでは個室(「住」)だけでない、「食」についても、彼がそこで「餅」を食べていることによってその充足が描かれている(こざっぱりした服を着ていることは言うまでもない)。衣食住いずれも満ち足りた主人公であることをあらかじめ強調することで、「それ以上」の願いがテーマの漫画であることを初手から示唆しているわけだ。
それでもおよそ28年[◆3]にわたる長い連載の中で、衣食住が主題になったひみつ道具が登場しないわけではない。そして「衣食住」の3種類で捉えたときに「住」の不充足を解消する道具がとても多いということにここでは注目したい。
図は『ドラえもん』てんとう虫コミックス版全45巻において「衣食住」の不満解消、充足を描いた回をそれぞれまとめたものである[図1]。

一見して分かる通り、衣食住の「衣服」にまつわる話は本当に少ない。ただし、衣服をあまり描かないのには理由が二つ考えられる。
一つは本作が主に男の子向けの漫画だったということ。もし少女雑誌向けの創作だったら着衣への憧れはもう少し描かれたかもしれない。
もう一つの理由として、人物を読者に見間違えさせないため、漫画内人物は着衣の変更がしにくかったということもある。
そういった点を含めた上で、「衣」は『ドラえもん』内でやはり、ほとんど問題視されていなかった。
「食べ物の恨みは恐ろしい」ではないが、「食」の願いを叶える話はそれなりに描かれている。ドラえもんには好物が設定されており、「どら焼き」が幾度も登場する。
そうでなくとも、ドラえもんはロボットなのに食への関心が人並み以上にあり、意地汚く暴走することも多い。「食」は衣服と比べてもはるかに豊かに描かれているといえる。
栗まんじゅうを(たくさん食べたいという欲から)増やしすぎて無限に増殖してしまう「バイバイン」(小学三年生1978年2月号)はSF好き、科学好きの間でも議論の俎上に載るし、「タタミのたんぼ」(小学四年生1974年1月号)では第1話冒頭にも描かれていた「餅」への執着が描かれる。部屋でお餅259個作るのが幼い筆者には印象的だった(二人で食べるにしてはべらぼうな数なので)。
そのように「食」にまつわる多くの道具が「量」に関係するものだ。量と別の「質」について、稀少なものを味わいたい、食で贅沢をしたいという欲を満たす道具は、実はそんなに登場しない。対照的に、飽食を戒める道具は出てくる(「ありがたみわかり機」(小学三年生1978年11月号)、「腹ぺこのつらさ知ってるかい」(初出時は無題、小学五年生1977年11月号)など)。
贅沢をしたい、粗食をご馳走へとグレードアップさせたいという願望について描かれた道具としては、スネ夫が自慢したメロンの味を奪う「おすそわけガム」(小学五年生1976年5月号)、それから稀少な松茸をたくさん取って食べる「箱庭で松たけがり」(小学三年生1984年11月号)ぐらいが贅沢な「食」の願望を叶える回である。旅行やラジコンカーなどの贅沢品を欲する回の多さと比べたら、ごく少ないといえる。
衣食足りて礼節を知るという言葉がある。のび太少年が礼節を知っているかどうかはともかく、こうしてみていくに、彼らの衣食はすでに足りていることが改めて分かる。
「住」だけ、衣食と比べても執拗に描かれている。衣食住ともに恵まれたようにみえる少年とその一家(野比家)には「住」環境についての望み、不満、願いがふんだんにあったのだ。
4 「住」の出現
1967年に連載がはじまり当時の若者に熱狂的に支持された『あしたのジョー』(梶原一騎作・ちばてつや画)の主人公、矢吹丈は第1話の冒頭、身一つでドヤ街に現れる。家族もいない、住むところも定まらない主人公像はのび太と対照的なものである。『おそ松くん』(赤塚不二夫作)のチビ太もいわゆる浮浪児で土管の中に寝ており、放浪、宿なしは当時の漫画キャラクターの一つの基調だった。
『ドラえもん』と同じ1969年に藤子不二雄Aが連載を開始した『黒ベエ』の主人公の黒ベエも、身寄りの明かされない「流浪型」の少年だ(もっとも藤子Aにはそれ以前に、両親が健在で一軒家に暮らす少年を描いた『忍者ハットリくん』もあり、決して「流浪こそ藤子A作品の基調」ということではないが)。
対する「定住」型の漫画主人公も、その暮らしの多くは貧乏に描かれた。『巨人の星』(1966年開始、梶原一騎作・川崎のぼる画)の星飛雄馬、『ハリスの旋風』(1965年開始、ちばてつや作)の石田国松、『ど根性ガエル』(1970年開始、吉沢やすみ作)のヒロシなど、それぞれ「一人部屋」に寝起きしているようではあるが、どの家も木造のバラックみたいな外観と内装でオンボロさが強調されている。「2階がある」野比邸の恵まれた中流家庭感は当時、それなりに踏み込んだ主人公像だった気がする。
藤子F自身が『ドラえもん』と同年に連載スタートさせた『モジャ公』(1969年、週刊ぼくらマガジン創刊号から)の主人公、天野空夫は第1話で家出をし、大宇宙を放浪してみせる(ちなみに空夫は団地住まいである)。
矢吹丈や黒ベエのような「いきなりの放浪」ではなく、プロローグ的に平和な中流の家庭での暮らしをまず描いてみせてからの家出で幕を開けるので、『ドラえもん』との「シナリオ分岐」のようにもみえてくる。
放浪と、筆者が焦がれたような恵まれた住居空間は両極端なものだが、どちらも「漫画の主人公」にあてがわれる要素だったわけで、1969─70年ごろの少年漫画はこの二つへのあこがれが交錯する時代だったとみることもできる。以後、漫画主人公の多くは定住型となり「放浪」は、統計をとったわけではないが、減っていったように感じる。最近でも『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴作)の主人公の例などなくはないが(この漫画は序盤、オールドスクールな漫画をやってみた、というふうにみえる)、人物が放浪(旅)する理由も『ドラゴンボール』(鳥山明作)のブルマ(大会社の社長の娘がお仕着せの生き方を嫌って冒険に出ている)とか、「海賊王になる」という『ONE PIECE』のルフィのように、どこか「自由気まま」なものになり、住む・住まざる(食うや食わず)の次元からは離れていった。
とにかく、貧乏が強調されることなく始まった『ドラえもん』において、住環境への願望もただちに語られたわけではない。連載開始後しばらくは動物に変身するとか、恐竜狩りをしたいといった無邪気なのぞみや、人間関係を優位に運ぶ願いなどが描かれる。だが、だんだんと「住」が増えていく。
押し入れや個室を描くのが藤子Fの「手つき」によってなされているという主張(したいこと)と反することになるが、『ドラえもん』で「住環境」の問題が増えたのは、作者が世相の問題にも敏感で、(手つきではなく大きなテーマとして)律儀に応接し続けたということでもある。
5 ウサギ小屋の夢
ここから、いくつかのエピソードをみていきたい。
最初に大きく住環境問題が取り沙汰されたのは、てんコミ第3巻に収められた「ゆめの町、ノビタランド」だろう(小学四年生1974年7月号)。
このエピソードは1979年のテレビ朝日による『ドラえもん』再アニメ化の際の、第1話にも選ばれている(アニメの題名は「ゆめの町ノビタランド」)。アニメの第1話が、漫画版の第1話「みらいの国からはるばると」ではないのがまず、引っ掛かりを抱くところではある。
アニメ化のおかげで漫画の人気がブーストするのは今や一つの方程式であり、漫画業界全体がアニメの力を借りるべく恭しく扱い、露骨に色目を使っている。そうまでいうと意地が悪いかもしれないが、あるときから声優たちのアフレコに立ち会った漫画家たちが単行本の「あとがき」で一様に感謝感激してみせるのが自然な景色になった。
だが、ドラえもんはアニメで目算を狂わされた、珍しい漫画だった。
『ドラえもん』は、コミックス刊行より前の1973年に放送された日本テレビでのアニメ化が好調とはいえないまま終わり、1974年1月刊行のてんコミ版『ドラえもん』も、(日テレアニメの不調だけが理由と決めつけることはできないものの)あらかじめ全6巻で終わることになっていた[◆4]。
それが、コミックスの予想を超える爆発的ヒットにより連載は継続。普通なら起こりえない6年後の「再」アニメ化となった。その「第1話」が、ドラえもんとのび太の初邂逅を描かない、というのは不思議だし、象徴的なことである。普通なら、アニメで「はじめまして」となる一見さんの子供たちに、設定やキャラクターをまず理解してもらう必要があるだろう。日テレのアニメからは6年も経っており、前のアニメを覚えているだろうから説明不要ということはなかったはずだ。
しかし新アニメがスタートするころの『ドラえもん』に、そんな配慮は必要なかった。テレ朝版を企画した高畑勲の企画書には、「ドラエモンは何者か、どこから来たか、のび太とどういう関係なのか、をはじめからわからせるために、特別な第1話を指定することはしない」とある[◆5]。
もう、全国の子供たちは二人のなれそめを漫画で知っている。あるいは知らなくてもいきなり面白い。今さら設定を語るのはむしろヤボ。そう判断することができた。だから途中の、なるたけ面白い話が選ばれた。
つまり『ドラえもん』はアニメの力を借りたのでない、むしろ一度アニメで削がれた勢いを、漫画だけの自力で跳ねのけた(その後のアニメや映画化が力を与えたことまで否定はしないが)ド級の作品だったということが、テレ朝版の第1話の選ばれ方には表れている。
そして、なるたけ面白いトップバッターに抜擢された「ゆめの町、ノビタランド」は住環境にまつわる話だった。
それはつまり「住」こそが、当時の多くの子供たちの共感をいきなり得られるテーマだったということだ。
冒頭、家の中でローラースケートをして襖をぶち抜き叱られるのび太。外では狭い道を車が走っていて、どやされる。しずちゃんも家を追い出されてきた。空き地は工事が始まって、皆でドッジボールもできない。
「それじゃいったいぼくらは、どこで、なにをすればいいんだ」のび太は憤慨してみせる。
「ああ」「ほしいなあ」「ぼくだけの家」「ぼくだけの町」「いつ、どこで、なにをしても、だれにもなにもいわれない。そんな自由な世界がほしいな」と畳みかけられた願いを、ドラえもんが叶えることになる。
のび太は「ぼくだけの」というが、個人の不遇ではない、脇役たちも含めた子供たち「皆の」願いが描かれていることも、当時の多くの子供たちに向けた第1話にふさわしいと判断されたのだろう。
のび太の嘆きを受け、ドラえもんはミニチュアサイズの町を裏庭に作り「ガリバートンネル」で体を小さくして、広い町を提供してみせる。
人間の体を小さくできるひみつ道具には「スモールライト」があって、多くの回でそちらが用いられているが、同じ用途でもここでは「自分の足でトンネルをくぐる」自発的行為の必要な道具でアトラクション性を高めている。
日本の家屋が「ウサギ小屋」と揶揄され、時事として話題になったのが1979年である。これは当時のEC(ヨーロッパ共同体)の報告にあった文言で、日本のメディアも広く報道し、この年の流行語にもなった。いまでは国語辞典にまで載っている。
国が国ごと「皮肉られる」(「批判される」のではなく)、そしてそれがメディアで一斉に報じられるということはあまりないことだ。「出っ歯でカメラをぶら下げた日本人観光客」のような風刺と比べても、国内にまで踏み込んでなされた観察である。
子供でも覚えるほどの流行語になったのは、当時の日本人が「それがなにか?」とスルーできなかったということだ。「ウサギ小屋」に暮らしていることを内心、気にしていたか、外部から言われてにわかに気になりだした。
第2節でふれた通り、第2次ベビーブームの出生数ピークが1973年。右肩上がりに上昇してきている世代の子らが小学校にあがってくるのが1979年ごろだ。筆者の通っていた小学校も2年生のとき「新校舎」を落成し、下敷きと紅白まんじゅうが全校生徒に配られたのを覚えている。
全国あちこちで校舎が増設、ニュータウンに団地がどかどか造られた時代に『ドラえもん』は空前の人気を得つつあったわけだ。だから、仮にそのころ(1979年)に連載が開始したなら、のび太少年は号棟のたくさんあるマンモス団地住まいで、広々した個室など与えられなかったかもしれない。
しかし、野比家の一戸建ては借家である。
このことは連載開始からおよそ6年後の「無人島の作り方」(小学四年生1975年8月号)で、のび太の両親の会話から(おそらくだが)初めて判明する。減らされたこづかいの再値上げ交渉に挑もうと大人たちの部屋を覗き込むのび太とドラえもん。そこではママがパパにたばこ代を減らすと宣告している。「今月から家ちんが上がったのよ。どうしてもお金がたりないの」これを聞いたのび太たちは割とすぐに退散。「自分の家をたてりゃいいのに。家ちんなんか払わずにすむ」と軽くいうドラえもんに、珍しくのび太の方が分かった口をきく。「今の日本じゃ、まず土地を買うのがたいへんなんだ」と。
意外だった。何度も振り返るがてんコミ1巻第1話で描かれた両親は、その表情や子供への接し方からして妙な余裕に満ちていたので、まさかそこが借家とは思わなかったのだ。
このこともまた「手つき」の一種だ。これは、作者が最初に「借家」と設定を決めていて、しかしそれを言わずに連載を続けて6年後に明かしたのではないだろう(そこまで隠す、そこで明かすことにメリットがない)。
『サザエさん』の磯野波平が連載開始当初は会社で「局長」と呼ばれていながら連載が進むにつれて降格(?)していき、気づけば平社員になっていた例を想起させる。そのときそのときの読者に親しみを感じてもらえるよう、漫画は連載中に「チューニング」をする。そのチューニングが「手つき」だ(のび太のママが説教ばかりの怖い存在になっていったようにみえるのもそう)。
この翌年に描かれた「ゆうれい城へ引っこし」(週刊少年サンデー1976年6月15日号)では家の購入を検討する場面もあるが、そこでは「余裕のない庶民」のやり取りが描かれる。のび太の父曰く「[新居購入に際し]用意できる資金は1千万円がせいいっぱいだしな。ローンやら退職金の前借り……」と、彼らの金銭事情が示され、なんとも生々しい。
ここで露骨な金銭の話が持ち出されたのは、連載の主戦場だった学年誌ではない、『週刊少年サンデー』に出張掲載された中編だからだろうか。普段は出てこないようなドイツ人の美少女が登場したりもして、だから取り上げる話題も、常より大人びたものが選ばれたのかもしれない。
1千万円用意できるなら、ということで「どこでもドア」で距離の問題を解決し、ドイツの古城(道具で作り上げたのではない、ドイツに現存する)への引っ越しが模索される。
つまり当時の日本では1千万円あってももう、都心の家には住めなかった。だったらドイツならどうだ、というのは、現実に当時の作者たち大人も一瞬、夢想したことなのではないか? というのもここでのドラえもんは古城セールについて、大人向けの週刊誌の記事を引用してみせているからだ。ここでドラえもんは(彼がいつ、なんの興味でそれをめくったのかは謎だが)大人が読むような雑誌(表紙に『週刊ベスト』とある)を手に取って「週刊誌に「ドイツの売り城特集」が出てるんだ」と、のび太に示してみせる。これはおそらくだが1972年の『週刊ポスト』の記事を作者は参考にしたと思われる[図2]。

ものが中世の城だけに「夢のような話」にも感じられてしまうところ、ここでは週刊誌という現実寄りのメディアを介することで現実的な居住の選択肢として示したわけだ。そして「ノビタランド」で過密化を取り沙汰したのと同じ早さで、都心の土地価格上昇問題も俎上に載せてみせた。
6 外と内とに広がる願望
次に「アパートの木」(小学五年生1973年6月号)をみてみる。この短編にはのび太のいとこが珍しく登場する。
「大学に入ったので、いなかからでてきてアパートに住んでる」いとこの五郎は、学生運動の時代にも一定数以上いただろう、フワフワとしたノンポリの若者として描かれている。
部屋にはギター、万年床のそばにはラーメンの丼。平日の午後まで惰眠をむさぼり、のび太のママがこしらえてくれたおはぎを寝床から出ずに食べる(おはぎをこしらえて風呂敷包みで持たせるおば、という古風な役割をここでママが演じているのも、本作全体のムードからすれば意外だ)。
とにかく、当時の「社会人予備軍」が、作者には、たとえばこんなふうにみえていた(作者は昭和8年、1933生まれで当時39歳)。
同じ男性の大人でも、のび太のパパはさすがにそのようには弛緩していない。
ママと比べてもどっしりずんぐりした体躯に描かれ、家では浴衣に着替えてあぐらをかいている。内実はのび太同様に呑気で間抜けなキャラクターではあるが、見目だけは典型的な家父長的な姿として描かれており、態度もまたその役割を引き受けている。
のび太は「パパのようになりたい」と吐露することはないが、五郎には憧れを抱く。そのだらしない姿に半ば呆れもみせつつ「気らくでいいなあ……」「だれももんくいわないもんな」とドラえもんまで同調し、それで、子供だけのアパートを作り出す。
五郎は、だらしない部屋の様子だけでない、そのゆるみきった表情からしても、決して尊敬される大人像として描かれてはいない。つまり、作者は五郎のことを、本来子供が憧れるような人ではないとみなしている。だけれども、彼らのゆるんだ願いである「だれももんくいわない」「気らく」さを退けずに、叶えてもみせた。
「ゆうれいの干物」(小学四年生1976年8月号)ではその願望が発展した形で描かれる。蜘蛛の巣がはり、襖の破れた空き家をみつけたのび太は、そこを勝手に「別荘」にしている。汚いみすぼらしい室内をなんとも思わず「だれもうるさいこといわないからおちつけるよ」と昼寝を決め込む……ほとんどこれはもう、つげ義春の短編「退屈な部屋」の主人公のようだ。どこまでもひっそりと内向した生活を叶えようとしている。
そういった「だれもうるさいこといわない」個人の空間を渇望する気持ちは「デンデンハウスは気楽だな」(小学四年生1975年7月号)ですでに描かれていたし、その後も「人食いハウス」(初出時は「ドロボウホイホイ」、小学三年生1977年8月号)、「設計紙で秘密基地を!」(てれびくん1980年1月号)などで頻繁に繰り返されるようになる。
「デンデンハウス」については後述するとして、「人食いハウス」でのび太は、ドラえもんに願うより前にママに対し「自室のドアにカギをつけてくれ」と要望をしている。「設計紙で〜」では裏山の洞穴を「ぼくのかくれ家にするんだ」と目論んでいる。少年が「秘密基地」を作る話は多くの児童向け創作で描かれるものだが、本作ではそういった「秘密基地」的な、共犯的快感も描かれはするものの、そうではない「一人の」居住に特化した願いが繰り返されている。
「森は生きている」(てれびくん1981年1月号)では森を住居にしての隠遁生活という、内向への渇望が過激なほどに強まった状態が描かれるのだが、これは次節で語りたい。
もっとも、この作品全体が内向する一途を辿ったわけではない。1話完結型の漫画には暗黙の了解事項がある。「出来事を次回に引き継がない」だ。のび太の情緒も1話が終わる都度ニュートラルにならされ、内向とは逆の、広い世界でのびのび遊びたいという無邪気な願いも旺盛に描かれている。
「雲の中のプール」(初出時は「うき水ガス」、小学二年生1977年7月号)は文字通り、空にある雲を泳げるようにするもの(この回では冒頭で、町のプールが「めちゃくちゃこんでる」ことが嘆かれている)。他にも空を使用して広々とした環境で遊ぶ道具はラジコン的な乗り物を使用した回を含め、バリエーションがたくさんある。「ひるねは天国で」(小学四年生1983年12月号)のように、雲の上でも内向的に昼寝を叶える話もみられるようになった。
そのように、厳密には「住」ではないかもしれないが、混雑を避けることで快適さを担保する願望もまた、頻繁に描かれるようになっている。振り返れば、初期の「地下鉄をつくっちゃえ」(小学一年生1973年12月号)ですでに、都心の電車通勤の人の過密さにのび太たちが驚く姿が描かれていた。
「ひろびろ日本」(初出時は「ひろびろポンプ」、てれびくん1980年3月号)が、外向きに住環境を解決した最も壮大なもので「空き地が狭くて野球ができない」「持ち家を得たい」「騒音を気にせずにステレオをかけたい」といった悩みをすべて「日本の国土を太らせる」ことで解決しようとしてみせた。
つまり、広々とした外の世界と、快適な室内、両方向に向かってドラえもんはスペースを供給するようになった。「ホームメイロ」(小学五年生1979年1月号)では家の「内」部を悪夢的な広さの迷宮にし、「しあわせのお星さま」(小学四年生1978年12月号)では惑星の「外」部に別の居住地を造ってみせる。
豊かな時代は人口増加だけでない、物が増えすぎる悩みも生んでおり「チッポケット二次元カメラ」(小学四年生1979年8月号)では、物置に入らない物を平面の写真に閉じ込めて解決しようとする。同様の問題に応える話が「厚みぬきとりバリ」(小学五年生1986年6月号)などでも変奏されるようになる(押し入れ半分を空けることができた当初の野比家に、後年になって物質が増えていったと「こじつける」こともできる)。
「ミニハウスでさわやかな夏」(小学三年生1979年8月号)は初期の名作「ゆめの町、ノビタランド」の変奏である。
ガリバートンネルで体を小さくして、ミニチュアの家で快適に過ごす。冷房付きという豪華さが付加されたくらいで、そこまでは過去作と同じなのだが、ここではドラえもんが先と異なるシリアスな言葉を述べてもいる。
ミニハウスをおもちゃだと思ったのび太に対して「おもちゃじゃないぞ」「エネルギーのむだをはぶくためのミニハウスだ」「石油とかウラニウムとかさ、地球からなくなっちゃうだろ。だから、大事に使わなくちゃいけない」。そのため、未来の人はときどき体を小さくしてミニハウスに住む(ことで資源の節約をしている)のだと。
筆者が小学生のとき、やたらと言われた言葉に「石油はあと30年でなくなる」があるが、テレ朝のアニメスタート時には作者はもう、無邪気に「ノビタランド」を造ったのと同じ手つきではなくなっていた。
雑誌などの「現実の」記事を参照して漫画に落とし込むやり方(詳述しないが「ゆうれい城へ引っこし」以外にも何度かみられる)からも分かるように、公害や環境問題が作者の目に耳に触れないはずはなかった。時事や世相の側の変化に伴って『ドラえもん』側も変化したのである。
7 環境問題を引き受けるドラえもん
1980年代になると『ドラえもん』の人気は国民的なものになっていた。
同作に限らず、漫画がアニメになるとそれだけで表現がマイルドになるものだが『ドラえもん』もご多分に漏れずで、アニメが人気になればなるほど、のび太に説教を垂れる分別のある姿ばかりがみられるようになる。てんコミ1巻冒頭、皿に載った餅を「うまそうだな」と断りなくペロリ平らげてしまった、名前通りのドラ猫のような行儀の悪さの、図々しいトラブルメーカーの気配はすっかり雲散霧消してしまった。
しかし「アニメだから穏健になる」ということとも別に、この時代のドラえもんは子供たちに対する責任を率先して引き受けていったように思う。
具体的にいうと「住」を取り巻く「環境」が語られるようになる。「さらばキー坊」(小学四年生1984年4月号)、「ドンジャラ村のホイ」(コロコロコミック1984年7月号)が発表される。いずれも自然保護、環境問題を地球規模で捉え、警鐘を鳴らす内容である。前者は原作漫画とテレビアニメの同時展開を行って「エコ」を訴えることが最初から志向されていた。
後者は、のび太たちの卑近な悩みと別の、コロボックル的な小人たちにとっての「住」環境問題を解決する話でもあり、大長編『のび太と雲の王国』につながっていく。
バブルの景気上昇とともに、世のさまざまな表現自体が大振りになっていく中、同程度に子供たちの人気者だった「アラレちゃん」や「キン肉マン」らと比べても、子に分別を説ける存在のドラえもんが、地球規模の環境保護の旗印になったのは自然なことでもあった(同じ役割を「アンパンマン」も担うが、同作が人気を得るのは80年代後半から)。
しかし、当時の多くの人気漫画が地球規模の壮大な大風呂敷を広げ始めていった中、ドラえもんの叶える願いが拡大の一途をたどっていったかというと、そうではない。
「住」に関する願いも「のび太の地底国」(小学五年生1980年2月号)のような壮大な国家づくりが描かれる一方で、「おりたたみハウス」(小学一年生1980年1月号)、「どんぶらガス」(小学一年生1980年7月号)などではいたってささやかな願いが引き続き描かれた。
バブル期になるとマンションの高層化を反映してか「四次元たてましブロック」(小学三年生1982年3月号)、「エレベーター・プレート」(小学三年生1985年4月号)、「野比家は三十階」(小学三年生1989年8月号)などで、縦方向に居住空間を延ばすようにもなる。
このうち「野比家は三十階」で登場する脇役にマナブくんがいる。彼は連載後期に初登場した珍しいキャラクターで、その後も2度ほど登場している(てんコミには1作しか収録されず)。脇役として「出木杉くん」のように定着はしなかったが、都心を描く際に高層マンションが子供たちの活躍の舞台になる(のが自然である)ことを作者が見越して投入してみたようにも思える。
初期から後期までをみてきて分かる通り、衣食と比べたときに住のテーマが多いのは、連載期間に移ろっていった世相を鑑みても自然なことといえる。経済が発展し、衣食に困る人はさしあたって少なかったのに対し、住環境は人口増加とそれに伴う過密化、騒音問題、環境問題などがさまざまに噴出し、地球規模で拡大していた。
それを藤子Fはごく自然な手つきで反映した、あるいは意図的に取り沙汰して描いた。
しかし、それだけだろうか。まず単純に取り上げる回数がとても多いということ自体に作者の並々ならぬ興味を感じるし、大長編の中での野営で「個室」に泊まり、「押し入れ」で襖を隔てて眠る、ごく当たり前に「壁」で隔てる「手つき」は、世相では説明がつかない。
作中人物たちのふるまいもだ。世相とも無関係に見受けられる「内向」が随所にある。外と隔絶したいという積極的な意識が。
次節では外と内を隔てる「壁」について検証していきたい。
8 個人と世界の間
前節まで『ドラえもん』における「居住」関係の願いについてみてきた。
その願望は現実世界の(連載当時の)日本の居住空間の逼迫に即応したものであり、快適さ、自由さを求める内容が多いのは自然なことだった。
しかし、その快適さには二つの種類があった。
ベクトルが、正反対の2方向に分かれているようだ。
外向きに空間を広げて、皆で快適に過ごすというものと、内向的に、自分一人の自由、領域を守りたいというタイプのものとあった。筆者が憧れた「ナイヘヤドア」や、前年に描かれた「ゆうれいの干物」でみられるのは、個人のプライバシーを強く求める気持ちであり、さらには俗世からの隠遁でもあった。
居住を左右する効用でなくても、個室の定義が「個人の領域を侵食されない」だとしたとき、それを叶えるひみつ道具も、それをテーマに据えた回もかなり多い。
「デンデンハウスは気楽だな」で描かれる、カタツムリの殻状のひみつ道具「デンデンハウス」は、うるさい母親の声、さらには物理的なあらゆる干渉が届かないところで無限の自由を享受できるものであり、のちの「引きこもり」生活のミニマムな理想解が(おしりに巻貝状の物体がくっついた、見た目の風刺性も含めて)示されている。
「石ころぼうし」(小学六年生1973年4月号)の、題と同名の道具は、路傍に転がる石のようになる、つまり、それをかぶった者の存在感を消してしまうというものだ。
これと対になるものとして考えたい道具に「どくさいスイッチ」(小学四年生1977年6月号)がある。自分の存在感を消すことの逆で、気に入らない他者を無限に「消す」ことのできる、とてもブラックな道具として有名だ。効用を説明するドラえもんの怖い顔と「すみごこちのよい世界にしようじゃないか」のセリフは、SNS上でもよく引用されている。
しかし「どくさい」という強い言葉を用いながら、社会を制する話にならないのが、これもよく考えると奇異なことだ。
「すみごこちのよい世界」を支配して生きる、旺盛な「独裁」は少しも描かれない。のび太が集団の中で支配者的なポジションに収まって「独裁」する話は前出の「のび太の地底国」で描かれるし、普段から「ガキ大将になりたい」という程度の支配欲は度々描かれるが、あらゆるひみつ道具の効用の万能さを思うとき、そういった元気に満ちた悪役的な強い願いを描いてもおかしくないのだが。組織的な独裁はほぼ描かれないし、頻度も規模もごくささやかなものである。同じ時代には『科学忍者隊ガッチャマン』の「ギャラクター」や『仮面ライダー』で描かれた「ショッカー」のように、滑稽なほど大規模で意気盛んな世界征服のイメージが描かれていたのとは対照的だ。
むしろ「どくさいスイッチ」では、のび太が「全員消えろ」と念じてしまうことで、世界からすべての人がいなくなる。このことは、いわばのび太に対して世界全体が「個室」化したといえる。「石ころぼうし」も、アクシデントで脱げなくなり、同様の状態になる。真逆の願望のはずが、だ。
もちろんどちらも、良さではなくその「恐怖」を描いている。
個室を得る=他者から切り離されるという快適さが、究極までいくことで恐怖に反転することを、作者は戒めの言葉とともに描いているわけで、決して「孤独こそ素晴らしい」としているわけではない。
孤独の逆は、単純にいうと「他者がいる(他者に接している)」ということになるが、「他者」が「いる」ということをそもそも、作者はとても特殊なものと捉えていた。
「どくさいスイッチ」や「石ころぼうし」は私と世界のどちらかが消失することを描いたが、消えなくても「出会えない」という「状態」をも『ドラえもん』は描いていて、そのことに作者の抱く「他者」観とでもいうべきものがみえる。
「無人境ドリンク」(小学六年生1985年12月号)がそうで、この道具の効用は、前出の「どくさいスイッチ」「石ころぼうし」にとても近い。ひみつ道具を使用することで、自分を嫌な目に遭わせる誰とも会わなくてすむようになり満足を得るが、やがて世界に孤立してしまい、他者のありがたみに気付くという物語構造も同じだ。
異なるのは効用のありようだ。無人境ドリンクを飲むと、姿が消えるのではなく、どういうわけか他者と出会えなくなる。
説教しようと部屋の前まできたのび太のママの足元に、たまたま特売のチラシが落ちており、ママは踵を返してしまう。
電話でジャイアンに空き地に呼び出されて会いにいくと、その直前に空き地で壁当てキャッチボールをしていた子のボールが近所のおじさんの窓ガラスを割る。怒ったおじさんに追いかけられてジャイアンは、のび太がやってくる寸前に空き地を去ってしまう。書店に立ち読みにいくと、万引き犯をたまたま追いかけていて店主は不在、そこらの家の呼び鈴はたまたま故障していて不在(と勘違いさせられる)。おかげでさまざまなトラブルを避けることができる。そんな調子でのび太は「たまたま」誰とも出会えなくなる。
現実世界で、たとえば混んだ電車に乗り合わせても、道で誰かと通りすがっても、我々同士がその日その時そこにいるということが、本当はすべて「たまたま」なのだという、これは作者の「考え」のひみつ道具化である。
この「考え」は他の藤子F作品にも出てくる。SF短編作「ドジ田ドジ郎の幸運」(SFマガジン1970年11月臨時増刊号)での「たまたま海に行こうと思った人が一人もいなかった」というラストシーンのデートは鮮烈だし、『ドラえもん』内でも「ガラパ星から来た男」(小学三年生、四年生、五年生1994年7─9月号に同時掲載)では町中の人が「たまたま」いないシーンがある。「貸し切りチップ」(小学三年生1983年6月号)では、(道具の効用のおかげだが)「たまたま」誰も観ようと思わなかった映画館でしずかちゃんと二人きりで映画を観る。
「ドジ田〜」や「貸し切り〜」はロマンチックでドラマチックな「運命」を描いているわけだ。数多あるラブロマンスでもよく「運命の出会い」というものが描かれる。恋愛でなくとも、またフィクションでなくても、たとえば有名なロックバンドの結成のきっかけが同じレコード店でメンバー同士がばったり出会ったからとか、そういった劇的な遭遇に我々はキラキラした「運命」をみてとる。ユングの唱えたシンクロニシティ(共時性)のようなことを、我々はさまざまな局面で感じ取るし、大事に受け止める。
ここでも描いているのがデートだから、二人きりになるのが「運命」のようにみえる(そう意図して描いている)。だが藤子Fは「二人が出会える」ことだけでなく「一人が(その他大勢と)出会えない」ことも同時に描いている。「大勢が海に行かなかった」ことと「二人は海に行った」ことが同時に起こるから、甘い運命的なデートになった。誰かがあるときそこに行こうと思って行く。誰かは行かないと思って行かない。その全体で運命を生じさせている。
つまり、藤子Fは「出会える二人」に運命があるだけではない、「その日そのときそこにいた」(ただの)他者すべてと出会えたり出会えなかったりすることを「運命」とみなしていた、といえる。藤子Fの感じ方では、我々は誰でも、いつでも、たまたま出会えている。そこに他者が「いない」ことも運命だ。
「無人境ドリンク」では、「石ころぼうし」「どくさいスイッチ」と同様に、人がひとりで生きていけないことが謳われるが、デートを描くとき、すなわち「二人だけ」になるときは、その他のすべての人との出会わなさについては、むしろ素敵なこととして描いてみせている。
一人なら地獄、二人なら運命。他者一人の存在がものすごく大きい!
9 憧れさせることと否定の両立
「人は一人では生きていけない」ということについて、激しく主張してみせた話も本作にはある。
先に語ったが「森は生きている」がそうだ。
いつもの調子で親や学校に絶望し、森にこもるようになったのび太。ひみつ道具「心の土」で、森と心を通わせていく。実生活ではいつも以上に厳しくママに怒られジャイアンたちに追いかけられ、どんどん森に逃避していくようになる。優しく受け入れてくれる森に依存し、ついには家に帰らなくなってしまう。
働かずに森でずっと生きていくのだと遁世願望を露骨に訴えるのび太に対し、ドラえもんは本編でも珍しいほどのシリアスさで警句を発してみせた。
「ここにいれば、だれにもいじめられないし、たべものも山がだしてくれるんだよ」というのび太に対する一言はこうだ。
「たべて生きてるだけでいいのか!!」
子供向けの漫画が取り扱うにはかなり大きな命題である。
当時の作者自身(だけでない多くの大人が)予想していなかったと思うが、21世紀になると「たべて生きてる」だけで中年になってしまった元・子供たちが実際にあちこちで顕在化、「8050問題」という呼称で社会問題化しはじめるのだが、予想せずとも、そのことへの「否」を、ここで作者は強くドラえもんに述べさせた。
「こんなことつづけてたらきみはだめになっちゃう!!」「かならずだめになるぞ!!」
ときに辛くても「たべて生きてる」だけではダメ。他者=社会にコミットすることこそが「生きている」ことなんだという訴えだ。
このスピーチはのび太を改心させることはなかった。
だが、背後で聞いていた「森の精」の心を打ち、のび太の夢は外野によって「潰えさせ」られる。
これはドラえもんの短編の構造としてとても珍しい。
大抵の各話において、のび太の身勝手な願望は、彼自身のいたずら心が行き過ぎて「自滅」するのだ。結果、自らが「懲り」ることで教訓話に落ち着く。
「どくさいスイッチ」や「石ころ帽子」でも、他者、社会の大事さを自発的に気付くように描いていたのに対し、ここではドラえもんが森の精を(図らずも)説得し、のび太を裏切らせて「引きこもり」を強引にやめさせる形になっている(つまりこの回に限って、のび太は最後まで「納得」を得ていない)。
先にも書いた通り、本作の連載時には言葉さえ存在しなかった「引きこもり」が、今日では景色のように身近なものになり、それは今日の8050問題にも通じている。
のちの大勢の「引きこもり」を生む要因は、本作の連載期間と同時に育ちつつあった。戦後の困窮から抜け出し、経済的成長とともに、バラック暮らしではない文化的な佇まいの住宅に子らが「自室」を与えられつつあったことがその起点にある。
1970年代からの世相をみていっても分かる通りだ。子供たちは「受験戦争」などで疲弊、挫折を味わい、1クラスに40人も押し込められ、ときに「ノイローゼ」になったりした。かつての学生運動、学園闘争などの、仲間と連帯、共闘して情熱を注げるような問題も「敵」もすっかりみえなくなった中、「校内暴力」「いじめ」などで傷つき、ときに「非行化」していったのだが、与えられた自室がなければ「こもる」こともできなかったはずだ。
『ドラえもん』の、ひみつ道具でなんでもイージーに叶えるような問題解決の描き方が、怠惰で打たれ弱い=引きこもり的な若者を増殖させたのだというような批判はこれまでにみたことがあるが、具体的にそれらを引用したり、因果関係について検証したりすることはここではしない。少なくとも少年の抱く「引きこもり」的な願望については、のび太の納得とは無関係に作者は断固たる強さで否定してみせている。
だがこのとき、ラストシーンでドラえもんは涙を流してもみせる。
「森の精」に対してだ。のび太を愛し、人間社会から離脱させてともに暮らしたいと願った(それでも、人間であるのび太の総合的な将来を真剣に考え、裏切ることを選んでくれた)森の精に対しての感謝と、慮りによる涙を。
この命題を少年に与えるに際し、「森の精」を「他者」として登場させているのは注目すべきことだ。森という概念や「環境」ではない(一人は孤独、だが二人は?)。森の精は異世界の存在だが独自の心を持った他者だ。ドラえもんは他者を尊重している。そういう風に作者はまとめた。
孤絶を「是としない」(強い言葉で主張するほど)ならば、人を社会からはみ出させてしまう森の精を、もっと単純な悪役に描くこともできたはずなのだが、そうしなかったどころか、むしろとても魅力的なものとして、感傷的に、甘美に描き切っている。
森はいつでもデフォルトで誰かを孤絶させ(てくれ)る。そのこと自体の善悪のジャッジを、作者は実はしていない。
10 とりあえずの「まとめ」
この漫画内において主人公ののび太は、本人自身の自堕落さ、ダメさが描かれるが、もとから保持する能力(運動能力、知力、画力など)も低く描かれている。
それで学校や親、周囲のすべての人間関係において、あらかじめ低く評価され、侮られ、怒られ、いじめられという具合に、徹底的に否定的に扱われる。これは手つきではない、強固な「設定」だ。
一方で、森の精や、『のび太の恐竜』における恐竜のピー助や、ファンに人気の高い短編「台風のフー子」(小学二年生1974年9月号)のフー子といった「人間の構成する世界の外にいる、本来なら共存できない存在(恐竜、精霊、台風など)」からは妙に受け入れられ、なつかれ、さしたる理由もなく愛され、つまりあらかじめ肯定される。
そういう風に描いている。
社会へのコミットを「大事だ」と頑強に訴えながらその社会(世界)をやたら厳しいものとして描き、逆に社会からはずれた外部の他者たちはどこまでも無垢に魅力的に配する。彼らの共通点はものをいわないことでもある。
ここまで書いてきて、筆者自身、引用してきた作中のセリフにあっと思った類似がある。
「だれにもなにもいわれない」「だれももんくいわないもんな」「だれもうるさいこといわないからおちつけるよ」だ。
「ゆめの町、ノビタランド」で子供が夢想する世界であり、「アパートの木」でいとこの五郎をみてドラえもんの口から出たもの。それから「ゆうれいの干物」でのび太がみつけた空き部屋についての言葉だ。
「だれ」からも、「なにも」、文句を「いわれない」ということが、個室の自由を語る際にほぼ必ず言語化されている。
まさに、作者の「手つき」で選ばれたようななにげなさで、これは真から切実に叫ばれている。そして、森の精も恐竜のピー助もフー子も、揃って皆「ものをいわない」キャラクターだ。それもまた入念な設定としてではない「手つき」で描かれたものにみえる。藤子F自身の「もんくいわない」「他者にいてほしい」という気持ちがたしかに浮き上がっている。
みてきた通り、この作品はしばしば「壁」を作る。ときには人の存在感を消し、出会わなくしてまで「私」を保護する。
しかし、どこまでも内向して他者を遠ざけて孤立することについては、強い態度で打ち砕く。そのアンビバレントな繰り返しの手つきをみているうち、あいまいなようでたしかにある「もう一人の他者」と「一つの境界」が改めて、浮かび上がってくる。
それこそが「ドラえもん」であり、「押し入れ」だ。
森の精や台風のフー子といった、個人を異世界に誘う(ときに個人を孤立に向かわせかねない)友達とは、必ず別れなければならなかったが、同じ「異世界からの友達」で、別れのルールから逃れている存在が、ドラえもんそのものだ。ドラえもんだけは「いる」必要があった。ずっといてほしいから、彼自身が「だれにもなにもいわれない」ですむための壁を、恐竜時代にも野営させずに個室を与えるのと同じような、とっさの手つきで立てた。大冒険中の「個室」のような扱いではない(遠くでもない)「押し入れ」という絶妙な地点を選んだのも、紙襖一枚が必要な境界であり、同時に(他者への)近さも必要だったのだ。そう筆者は考える。
さて、藤子F作品の中では、人は「死ぬ」のでなく「消える」傾向がある。この指摘はすでに拙著『マンガホニャララ』の中で行っているが、今回の考察とつなげていくことができそうだ。
また『ドラえもん』のひみつ道具には「反乱」が多く描かれる。作中のひみつ道具たちが「自我」を持つとただちに逡巡なく自由を求め、自律的に動く(既存の世界にはむかう)という傾向として表れるが、これらもいずれまとめて考えていく予定である。今回は「居住」に絞り「序論」として掲載させてもらった(なにか意見などいただければ幸い)。
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本論考は「序論」以降を執筆のうえ、2027年に中央公論新社より刊行予定である。
◆1 各作品は単行本収録時に改変されていることがあるが、雑誌掲載を初出とした。掲載誌は『小学一年生』『小学二年生』『小学三年生』『小学四年生』『小学五年生』『小学六年生』『てれびくん』『コロコロコミック』(以上、小学館)『週刊ぼくらマガジン』(講談社)『SFマガジン』(早川書房)。量が多いため注では示さず、本文内に誌名と年月号のみを記した。
◆2 厳密には、ドラえもんを「飼ってよいか」親に許しを請う話がある。同時に6つの雑誌で描かれた6種類の第1話のうち『小学二年生』1970年1月号に発表されたもののみ、ラストシーンで親にドラえもんを紹介するくだりが描かれている。
◆3 1969-97年。1996年の藤子Fの死後も「大長編ドラえもん」が翌年まで掲載された。
◆4 藤子・F・不二雄『藤子・F・不二雄大全集ミラ・クル・1/宙ポコ/宙犬トッピ』、小学館、2010年。巻末のコロコロコミック初代編集長・千葉和治の解説による。
◆5 高畑勲による「ドラえもん覚書」、ドラえもんミュージアムでの展示より。
2026年10月24日刊行『ゲンロン19』

ブルボン小林

長嶋有




