だれひとり忘れない、なにひとつ忘れない

戦時下ロシアの文化と愛国 ロシア語で旅する世界 第15回(最終回)

2026年10月16日

 ことし、久しぶりにロシアに行った。しかも、なんと3回も。2月にサンクトペテルブルク、5月にペテルブルクとモスクワ、6月にペテルブルク。

 どのくらい久しぶりかというと、2019年9月以来である。この2月の渡航がじつに6年と5カ月ぶりだ。何度か書いているが、わたしは1994年からコロナ禍前までは毎年欠かさずロシアを訪問していた。定期的に現地に身を置くことがわたしの研究の基本だった。研究者人生ではじめて、生なまの情報を得られない状態になって、それが6年以上も続いたのだ。それでもなんとか活動を続けてこられたのは、ネットのおかげである。

 それに加えて、亡命ロシアの文化人が来日するようになった。ロシアの出版社が、ヨーロッパとの関係が難しくなったこともあり、アジアを向くようになった。日本では、ウクライナだけでなく、ロシアや旧ソ連諸国への関心も高まったのか、翻訳も研究者の本も出版は活発だ。円安の影響もあって、旅行に来るロシア語話者も多い。わたしはロシアには行けなかったが、いままで見えてなかったことに対してさまざまに視野がひらけた時期ともなった。そして、文学者として自分はなにをすべきか、繰り返し考えた。

 2022年2月24日以降ずっと、わたしは国の名前で個人を代弁することの持つ暴力性を訴えてきた。ロシアという国がウクライナに侵攻したことは事実である。それによって、この地域では戦争という暴力に歯止めが効かなくなった。しかし、ロシア人だからというだけで加害者だと決めつけることは、結局、ユダヤ人だから悪人だと決めつけていたナチスのナラティヴと同じで、単なる差別だ。そもそも国が戦争をやっているからこそ国民は巻き込まれるわけで、戦争が終わることが、国民が気軽な個人に戻るためのいちばんの早道である。

 では、個人が自国の方針を前に無力であるとき、その個人はこの世界で自分の人生を生きる権利を持たないのか。わたしはそうは思わない。そんなことを言ったら、たまたま戦争に遭遇しなかった世代だけが自分の人生を謳歌する権利を持つことになる。日本の場合なら、1945年8月15日より前に生まれたひとはみな悪なのか? むしろ、彼らは自分の経験を軸に、戦争の問題と真摯に向き合って、反戦を訴えてきたのではないか。文学や映画、絵画や演劇の歴史に、それははっきりあらわれている。

 戦争はますます長引いて、常態化してきているとも言っていい。もはやじっと待っていても仕方がない。今後、戦争が終わるか一段落つくかしたときのためにも、戦時下の市井のロシアを見ておかなければならないと思った。ネットの情報は多様だが、所詮、画面は二次元にすぎない。その場に行って、三次元の空間に身を晒し、意識せずとも目に入ってくるもの、聞くともなく聞こえる雑踏やカフェの会話に触れなければわからないことがある。コロナ禍前までの街からどう変わったのか、それとも変わっていないのか。

 連載最終回は、そんな戦時下のロシアを久しぶりに旅した記録である。

2026年10月24日刊行『ゲンロン19』

上田洋子

1974年生まれ。ロシア文学者、ロシア語通訳・翻訳者。博士(文学)。ゲンロン代表。早稲田大学非常勤講師。2023年度日本ロシア文学会大賞受賞。著書に『ロシア宇宙主義』(共訳、河出書房新社、2024)、『プッシー・ライオットの革命』(監修、DU BOOKS、2018)、『歌舞伎と革命ロシア』(編著、森話社、2017)、『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』(調査・監修、ゲンロン、2013)、『瞳孔の中 クルジジャノフスキイ作品集』(共訳、松籟社、2012)など。展示企画に「メイエルホリドの演劇と生涯:没後70年・復権55年」展(早稲田大学演劇博物館、2010)など。
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