2015.3.11 福島取材レポート(3)回廊美術館をめぐる|徳久倫康

初出:2015年5月22日刊行『ゲンロン観光地化メルマガ vol.37』
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最終回となる今回は、南相馬市博物館から浪江町を経由し、いわき市に戻る行程を記す。翌日はいわきの回廊美術館を見学した。

時刻は午後5時をまわり、周囲はかなり暗くなってきた。標識が小さく写っているが、写真は福島県道120号、浪江鹿島線で撮影したもの。南相馬市と浪江町をつないでいる。

道の端には「除染作業中」ののぼりが立ち、フレコンバッグが積まれている。
夜道のカエル

時刻は午後5時をまわり、周囲はかなり暗くなってきた。標識が小さく写っているが、写真は福島県道120号、浪江鹿島線で撮影したもの。南相馬市と浪江町をつないでいる。

道の端には「除染作業中」ののぼりが立ち、フレコンバッグが積まれている。

国道6号線を南下し、浪江町に入る。向かって右奥に浪江町役場が位置している。ここで右折し、114号経由で浪江インターチェンジに向かう。浪江町の市街を確認する目的もあった。

帰還困難区域のため、左右の建物には立ち入れないようになっている。電柱の「地域とともに東北電力」という広告は、このあたりでは頻繁に見かけるもの。

注意書きには、原付自転車や軽車両、歩行者などは通行できないことが示されている。
道の左右には壊れたままの家屋が放置されているところも見受けられた。

浪江町の市街地は2011年に『思想地図β』vol.2の取材で、また2013年に『福島第一原発観光地化計画』の取材で訪れた。それからさらに1年半以上が経過しているが、町並みにほとんど変化は見られない。

途中から、このカエル型のガードレールが現れた。暗くなるにつれてぼうっと光を放つ姿はいささか異様で、その数も相まって不気味な印象を与えた。

どこまでも続くカエルたち。どういうセンスなのだろう。

ようやく浪江インターチェンジに到着。ここからは行きに来た道を逆にたどり、常磐自動車道を南進する。

いわき市小名浜で、本メルマガでもおなじみの小松理虔さんと落ち合う。ここは小松さんおすすめのお店で、出てくる食べものはどれもクオリティが高く、大いに舌鼓を打った。小松さんが飲んでいる「みちのく福島路ビール」は福島・吾妻山の水を使った地ビール。

左は、途中で合流した江尻浩二郎さん。本メルマガの15号で「浜通り通信」にも寄稿していただいた。じつは東とは大学時代からの知り合い。飲み会は遅くまで続いた。
いわき万本桜と回廊美術館
3月10日の夜は小名浜のリゾートホテルに泊まった。3.11に合わせてかいわき市内のホテルは軒並み満室でかなり混み合っていたのだが、ここは運よく確保できた。海沿いの比較的大きなホテルで快適に泊まれたのだが、人影はまばらで少々寂しげな印象を受けた。
朝は小松さんに迎えに来ていただき、ここからは小松さんの案内のもといわき市内を回る手はずになっていた。

太平洋沿いの永崎海岸。現在防潮堤を作っているところで、海岸は緑地化される予定だという。かつては海水浴場として栄えたが、いまの計画ではサイクリングコースとして整備される予定。
小松さんの話では、防潮堤に限らず復興予算によって新たに仕事が生まれるケースが多く、新規の雇用はどんどん進んでいるという。

中之作漁港。歴史ある建物が立ち並ぶ小さな漁港で、津波被害により埋立地近辺は大きな被害を受けたが、旧家があるエリアは残っている。震災後、えんえんと工事が続いているそうだ。
小松さんの話では、防潮堤に限らず復興予算によって新たに仕事が生まれるケースが多く、新規の雇用はどんどん進んでいるという。

中之作漁港。歴史ある建物が立ち並ぶ小さな漁港で、津波被害により埋立地近辺は大きな被害を受けたが、旧家があるエリアは残っている。震災後、えんえんと工事が続いているそうだ。

絵本美術館「まどのそとのそのまたむこう」。私立保育園の附属施設として建てられたもので、設計は安藤忠雄が手がけた。高台にあるため館内からは太平洋を一望できるそうだが、基本的に園児のための施設であり、事前申し込みをしないと見学できない。

高台の土地が造成されている。聞くと、ここに豊間地区の住宅を移設予定なのだという。かなり大規模な開発が進んでいることがわかるが、はたして住民たちはここに戻ってくるのだろうか。

復興住宅。入居者は高齢者が多いという。のち東京に戻って調べてみると、福島に限らず復興住宅の入居者の高齢化率は各自治体の高齢化率に比べて10%ほど高く、また20%が一人暮らし世帯だそうだ[★1]。

薄磯地区。このあたりもまるまる緑地化され、盛り土の上に住居が建てられる予定になっている。復興予算による大規模な開発が進んでおり、雇用はかなり増えてきているという。

こちらは沼の内地区の復興住宅。洗濯物が軒先に並ぶ。回廊美術館はもうすぐだ。

ほどなくして「いわき万本桜」の文字が見えてくる。
万本桜プロジェクトは福島第一原発の事故を受け、地元・東北機工の志賀忠重氏が立ち上げた植樹運動。いわき市の山に9万9000本の桜を植え、事故の記憶と未来への希望を継承することを目的としている。回廊美術館はプロジェクトのメイン会場に位置づけられており、2013年4月に正式にオープンした。

こちらは昨年夏に完成したツリーハウス。志賀代表を中心に立案され、小屋のなかには屋根裏部屋があったり、屋上テラスにハンモックが取り付けられていたりと、ゆったりとした時間を過ごせるよう工夫がなされている。

回廊美術館の館長は世界的な現代美術家・蔡國強氏。氏と志賀代表は古くから交流があり、回廊美術館もその縁で実現した。若手アーティストだった蔡國強の作品を、志賀氏が「作品を見ずに」高く購入したことがきっかけだという。山林をそのまま利用したこの美術館を含め、エピソードひとつひとつのスケールが大きい。

美術館はその名の通り回廊式になっている。入場料などは設定されていない。

中心部には多くの木のベンチがしつらえられており、イベント時には客席として利用される。昨年にはいわきと蔡國強氏の20年にわたる交流を祝うイベントが開かれ、地元のひとが多数来場した。

館内には蔡氏の作品やスケッチがいくつも展示されている。これは回廊美術館のアイデアを記したもの(と思われる)。もちろん直筆だ。

それだけではなく、地元の子どもたちによるイラストや造形作品もびっしりと飾られている。世界的に名高い美術家と小学生の絵がほとんど区別なく並べられており、それもまた、この美術館のワイルドな魅力を増している。


それだけではなく、地元の子どもたちによるイラストや造形作品もびっしりと飾られている。世界的に名高い美術家と小学生の絵がほとんど区別なく並べられており、それもまた、この美術館のワイルドな魅力を増している。


高台には蔡國強の「竜骨」がむき出しのまま飾られている。館内には過去の様子の写真もあり、経年変化が見て取れる。少しずつ朽ちてゆく姿がまた、趣深い。

木彫りの像。小松さんによると「この前まではなかった」とのこと。日に日に展示物は増えていっている。誰がつくったのかも、展示を見るだけではわからない。右手のカラスのような生き物はなんだろう。

ちなみに、高台にはいくつかブランコが据え付けられている。
東浩紀もチャレンジ。及び腰ながら(とはいえほとんど崖のようなところに面しているので、それもやむを得ない)、ブランコを楽しんだ。

東浩紀もチャレンジ。及び腰ながら(とはいえほとんど崖のようなところに面しているので、それもやむを得ない)、ブランコを楽しんだ。

こちらは弊社上田。思い切りよく全身を投げ出しており、アルプスの少女ハイジ気分を味わっている。筆者もやってみたが、ここまで漕ぎ出す勇気はなかった。しかしとても爽快感があるので、見学の際にはぜひ試してみてほしい。

「森山良子さんもおすすめ!!」だそうだ。そうだったのか。

「森山良子さんもおすすめ!!」だそうだ。そうだったのか。
回廊美術館は自由な発想でつくられており、歩くこと自体が楽しい素敵な施設だった。自家用車がないとアクセスしにくいが(いわき駅から車で15分ほど)、機会があればぜひいちど、訪れてみることをおすすめする。とくに晴れの日に。


その後は常磐炭鉱の跡地や草野心平記念文学館、国宝の白水阿弥陀堂を見て回った。阿弥陀堂は見学できる時間を過ぎていたせいかもしれないが、あまりにも人気がなく、周囲に商業施設などもなかったため、ちょっともの寂しい印象を受けた。


その後は常磐炭鉱の跡地や草野心平記念文学館、国宝の白水阿弥陀堂を見て回った。阿弥陀堂は見学できる時間を過ぎていたせいかもしれないが、あまりにも人気がなく、周囲に商業施設などもなかったため、ちょっともの寂しい印象を受けた。


観光スポット以外ではいわきニュータウンがある中央台を紹介しておきたい。ここは昭和50年から造成が始まった住宅街で、関東で言えば成城や青葉台のような街並みになっている。震災後、その区域内に復興住宅が大量に建設され、ときに住民トラブルの元になっているという。
この手の報道はたびたび耳にするが、車道を挟んで左右にまったく異質な家々が並んでいる光景を目にすると、すれ違いが起こる理由もなんとなく見えてくるようだ。
小松さんには午後5時ごろまでたっぷりとお付き合いいただき、別れてからは一路帰路についた。末筆になるが、取材にご協力いただいた二上文彦さん、二上英朗さん、小松理虔さんにあらためて感謝を申し上げたい。
撮影=編集部
★1 朝日新聞デジタル「復興住宅の高齢化深刻 住人の36%、10年後は半数に」2014年9月7日 URL= http://www.asahi.com/articles/ASG9555ZFG95UTIL02H.html(編集部注:現在はページが削除されている)
「本書は、この増補によってようやく完結する」。


徳久倫康
1988年生まれ。早稲田大学文化構想学部卒。2021年度まで株式会社ゲンロンに在籍。『日本2.0 思想地図βvol.3』で、戦後日本の歴史をクイズ文化の変化から考察する論考「国民クイズ2.0」を発表し、反響を呼んだ。2018年、第3回『KnockOut ~競技クイズ日本一決定戦~』で優勝。




