アーカイブで未来を動かす──細井浩一×川上量生×東浩紀「コンテンツ産業の歴史を記録する」イベントレポート

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webゲンロン 2025年10月22日配信

 いまや日本の基幹産業のひとつであるコンテンツ産業。2023年には海外売上高が5.8兆円に達し、その規模は半導体や鉄鋼業に匹敵する。今後もますます成長が見込まれるコンテンツ産業だが、その歴史が振り返られることはあまりない。

 そうした状況のなかZEN大学が新たに設立したのが、コンテンツ産業史アーカイブ研究センター(HARC;History of Content Industry Archives Reserch Center)である。HARCの使命は、日本のアニメ、マンガ、ITなど、コンテンツ産業史をかたちづくってきた各分野の功績者たちにインタビューを行い、オーラル・ヒストリーとして保存、公開することだという。

 2025年7月17日のZEN大学とゲンロンの共同公開講座第14弾では、HARCの発起人である川上量生と、HARC所長でZEN大学教授の細井浩一を招き、ゲンロンの東浩紀を司会にHARCの活動やその意義について伺った。
 

細井浩一×川上量生×東浩紀 コンテンツ産業の歴史を記録する ──ZEN大学HARCの使命と挑戦
URL = https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20250717

ZEN大学は勝者になれるか

 対話は、細井がZEN大学に招かれた経緯の話から始まった。細井は立命館大学で30年間、ゲームの一次資料保存に携わってきた。その経験によれば歴史を伝えるうえで、「モノのアーカイブ」だけでは限界があるという。

 ゲームには家庭用ゲーム機だけでなくPCゲームやアーケードゲームなどさまざまな種類があり、それらすべてを収集するのは非常にむずかしい。また、仮にオンラインゲームが100年後までプレイ可能な状態で保存されたとしても、プレイ環境やユーザーの空気までは再現することはできない。強引にエミュレートしたとしても、広大なフィールドにプレイヤーがひとりぽつんと立っているだけになるだろう。そんなモノのアーカイブの限界を感じていた細井に声をかけたのが、ZEN大学だった。

 川上は、ZEN大学設立の意義のひとつに「KADOKAWAが大学を作ったこと」があると語る。これまでの大学も、ゲームや音楽などのコンテンツ産業に関心のある研究者は多かった。しかし、それらは個別の取り組みにとどまり、まして学術側と産業側が協働するまでには至らなかった。その点KADOKAWAが運営するZEN大学は、最初から産業とのコネクションが強い。学術と産業の橋渡しができるというわけだ。

 また従来の研究では、インタビューのような「ヒトのアーカイブ」についても、対象者がクリエイターに偏重しているという問題があった。しかし実際には、プロデューサーや編集者など、コンテンツに多大な影響を与えながらも功績があまり世間に知られていない「作り手」も多い。HARCの使命は、そうした証言をアーカイブ化し公開することにある。そのような資料が加わって、はじめて日本のコンテンツ産業を考えるための学術的な一次資料が整備されたと言える。

 HARCの機構や実際の活動を説明した細井のプレゼンは、YouTubeで無料で公開されている。そのためはここでは詳細を割愛するが、筆者としては、HARCの未来を語る川上が発した次の言葉がひときわ印象的だった。

「ぼくは、歴史は勝者が作るものだと思っているんです。だからZEN大学は勝者になってやろうと思っているわけです。ただ、勝者になったときに歴史を完全に書き換えるひとたちっているわけですよね。HARCでは、少なくともぼくらが思う公平な態度で作った歴史を、ある一定のフォーマットで誠実に作りたいと思っています。」

 果たしてZEN大学とHARCは「勝者」になれるのか。それは、既存のアカデミズムで成し得なかった新しい知の枠組みを築けるかどうかにかかっている。挑戦は始まったばかりだ。

アーカイブと「くら」

 対話のなかでは、そもそも「アーカイブ」とは何かという本質的な議論も交わされた。細井によれば、archive のarch-という接頭辞は、「本物、はじめのもの」と、「権力、支配」というふたつの意味をもつ。アーカイブとは、「最初のものこそが本物」であり「本物こそが支配の源泉である」という、真正性と権力性を帯びた言葉なのだ。川上は「ZEN大学は勝者になる」と語ったが、「最初に始めた人間こそが権力を持つ」という残酷な現実を、アーカイブという西洋語自体が表してしまっているといえる。

 ではそんなアーカイブと、研究者はどのような距離を取ればいいのだろうか。そのように問うと急に議論は曖昧になる。既存の研究施設やプロジェクトにも、アーカイブと名の付くものは多い。しかしその実態は、文化継承、研究基盤の整備、もしくは技術継承など、目的も対象の扱い方もバラバラである。それを「アーカイブ」という言葉で一括りにしてしまうことで、差異が見えにくくなっているのだと細井は言う。

 こうしたアーカイブの多義性を理解するために、細井は日本語の「くら」を参照する。細井は「くら」にはもともと三つの意味があるのだという。穀物などを貯めておくオープン志向の「倉」。経蔵など、完全に公的でも、完全に私的でもない半開放的な「蔵」。そして武器庫のような、普段は使われないクローズドな「庫」の三つである。これらはイメージがしやすい。

 しかし細井は、その三つのほかに、さらに、なにかを入れる場所という意味で「くら」と読む第四の漢字があると指摘する。それが「府」である。府は、本来は「大きくて立派な住まい」「文書や財宝などを収める所」という意味の言葉だが、それに加えて「人やものなどが集まる所」という意味をもつ。つまり、単にモノを集めるだけではなく、モノに携わるヒトが集まって交流し、文化や経済の発展につながっていくプロセスと場を含意しているのだ。

 細井はHALCが将来的に、ヒトやモノが集まるプラットフォーム、つまり「府」にならなければならないと熱弁する。「アーカイブとは単にモノを置いておく場所じゃない。使うことによって産業や経済を含めてなにかを動かすものでなくてはならない」のだ、と。

 こうした構えをもてば、人々のアーカイブに対する見え方も変わるだろう。アーカイブを、これからの産業や歴史を担う人間を育てるための戦略的なツールとして捉え直す必要がありそうだ。

起源とは再発見され続けるもの

 対話の最後は、アーカイブから日本人の世界観へと移っていった。東はそこで、ヨーロッパと日本では時間感覚が異なるのではないかと指摘する。ヨーロッパ人は、過去の起源が現在を作っているという時間感覚があり、常に過去の起源に戻って現在を解釈する。それに対して日本人は現在から過去を作る。さまざまな過去の文化の蓄積を「つまみ食い」して、歴史を再解釈する伝統があるのではないかと。

 細井は、そうした日本人の価値観の根底に、地震と津波に規定された日本の自然観、世界観があるのではないかと応答した。その象徴がゴジラである。日本人は、じつは周期的にゴジラのようなキャラクターを作ってきた。江戸時代に描かれた「豊年魚」もそのひとつである。豊年魚とは、繰り返し大阪の淀川に現れては街を壊し、翌年豊作をもたらすとされる怪魚である。検索していただければわかるが、この豊年魚、ゴジラにそっくりなのだ。

 ゴジラも海から現れて街を破壊するが、なにかしらのメッセージを残していく。少なくとも日本版のゴジラはそうである。ゴジラとは、現代版の豊年魚であり、こうしたキャラクターが周期的に作られるのは、「ヒトの理解を超えた災厄は必ず起こる」が「それが何かの恵みに繋がる契機でもある」という禍福同根のような自然観が日本人の根底にあるからなのではないか。そして過去のアーカイブを参照することで新しく見えてくる歴史があることを、豊年魚とゴジラの例自体が示していると言えるだろう。HALCが目指すアーカイブ化には、このような時代を超えたつながりを明らかにする機能もあるのだと細井が指摘し、イベントは終わった。
 

 本編では、はてなダイアリーの話から、日本における憲法解釈の問題に至るまで、多岐にわたる話題が繰り広げられた。ここで取り上げた細井の「くら」の話も、スライド付きでより詳しく解説されている。終盤のAIを巡る東と川上の激論も必見である。ぜひイベント本編の動画を視聴して、自由闊達な議論を楽しんでいただきたい。(諸坂宮果)

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