モンキー・D・ルフィと反キリスト 惑星的なものにかんする覚書 第7回|ユク・ホイ 訳=伊勢康平

シェア
webゲンロン 2026年5月7日配信

★=原注 ☆=訳注 [ ]=著者補足 〔 〕=訳者補足

 

§1

 

 2026年3月、パランティア〔Palantir〕の創業者であるピーター・ティールがローマを訪れ、ルネサンス期にオルシーニ家が建造させたタベルナ宮で連続講演を行なった。テーマはアンチキリストと西洋についてである。アメリカとイランが戦争をしている最中に反キリストにかんする講演をするとは、まるで十字軍のプロパガンダのようだ。もっとも、読者の多くはご存じかもしれないが、ティールは反キリストにかんする意見をすでにさまざまなところで表明している。ロス・ドーサットが聞き手をつとめた2025年のニューヨークタイムズのインタビューはその最たる例のひとつだ。

 西洋は近代の初期から勝利を収めてきたが、しかし徐々に衰退しつつあり、いまや弱く脆い存在になっている——これがティールの基本的な考えである。本覚書の初回で論じたように、ティールは過去にこれとよく似た発言をしている☆1。たとえば2004年にルネ・ジラールを囲んで開催されたシンポジウムに寄せた「シュトラウス的瞬間」〔The Straussian Moment〕という論考のなかで、9・11という事件によって西洋は目覚めなければならず、またそれこそが西洋を立ちなおらせる瞬間ときなのだと主張している。このシンポジウムののち、ティールはCIAの援助を受けてパランティアを創業した。この企業は警察による監視や戦争の際に使われるソフトウェアを開発しており、現在アメリカやヨーロッパ(とくにドイツやオランダ、デンマーク、イギリス)で広く採用されている。創業者たちの発言からうかがえるように、この企業の根幹をなす目的は、没落する西洋にひそむバグを修正フィックスすることである★1

 20年前に比べて、ティールはさらに過激化している。2004年の段階では、かれはまだ「赤子を産湯ごと捨ててしまわないようにする方法」を、つまり西洋が利益を失うことなく敵を取り除くにはどうすればよいかを考えていた★2。しかしそれから20年が経過したいま、敵はより強力になり、血みどろの戦いは避けられないものになったようである。また、ティールのビジネスパートナーでパランティアのCEOであるアレクサンダー・カープは、テクノロジーは中立であるという言説に逆らい、これまでシリコンバレーはただビジネスをして消費主義を促進することにのみ集中し、国家権力の一部になることをためらってきたのだと考えている。まさにカープらが『テクノロジカル・リパブリック』という著作のなかで述べているように、このような思考は必然的にテック産業と国家の緊密な協力をもたらすだろう。 

しかしながら、アメリカ合衆国や、ヨーロッパおよび世界各地の同盟国が前世紀と同様に21世紀も支配的でありつづけるために必要なことは、国家とソフトウェア産業の連合である──決して両者を分離させ、関係をほどくことではない。★3

 ティールとカープはどちらもエンジニアではなく、人文学の教育を受けた人物である。ティールはスタンフォード大学でルネ・ジラールと密接な関係を構築し(さらには「IMITATIO」というジラールにまつわる研究所を創設している★4)、カープはゲーテ大学フランクフルトでユルゲン・ハーバーマスのもと研究をした経験をもつ(ちなみにハーバーマスは、カープの博士論文提出から数年後、その内容に賛同しなくなった★5)。

 ティールとカープの両者にとって、西洋は支配的な存在でなければならない。なぜなら西洋はこの数世紀で進歩が止まる地点まで行き着いたからだ。啓蒙は、平等・自由・民主主義という価値観をもって西洋を非西洋諸国へと開いただけでなく、科学とテクノロジーの輸出と移民の受け入れによって西洋を侵食していった。つまり、西洋は啓蒙の価値観のうえで成り立つポリティカルコレクトネスによって弱体化しているというわけだ。たとえば平等はLGBTないしDEI〔多様性・平等・包摂〕のムーブメントを引き起こし、民主主義はリベラル左派の支配をもたらしたというのである。ティールはリバタリアンであり、自由と民主主義は同時に成立しないと考えているのだ。

 啓蒙とは一種のバグであり、暗黒啓蒙によって対抗すべきものである。これはニック・ランドによって提唱された命題だ。ランドはウォーウィック大学の元講師で、20年以上にわたって上海に居住している。ちなみにランドは2026年3月に ミッドジャーニー〔Midjourney 〕の創業者〔デヴィッド・ホルツ〕の招待でサンフランシスコを訪れている。その際カーティス・ヤーヴィンや、イーロン・マスクの元配偶者であるグライムスなどシリコンバレーのセレブリティたちからあたたかい歓迎を受けており、その模様はニューヨークタイムズやヴァニティ・フェアといったメディアで広く報道された☆2

 いまあらためて考えてみると、西洋の脆弱性にかんするティールらの議論は、ニーチェの『道徳の系譜』の第4の論考になりえたかもしれない★6。『道徳の系譜』という著作は、道徳の「自然史」を説くため、すなわち人間が徐々に退化していることを歴史的に説明するために書かれた。それは皮肉にも、もっとも強く、もっとも適応した者だけが生存するというダーウィンの有力な進化論と対立するものである。その意味で、西洋の発明品のなかでも啓蒙の価値観ほどドラマチックなものはない。なぜならそれは自己を破滅に導くものであり、ルサンチマンよりも罪の意識を原動力としているからだ。これに対し、暗黒啓蒙は西洋の支配を可能にする萌芽を内に秘めている──それはすなわち、君主制・反民主主義・反平等主義であるというわけだ★7

 10年ほどまえ、2017年に私は「新反動主義者の不幸な意識について」という論考を発表した。そのねらいはティールやヤーヴィン、ランドらによる新反動主義的な言説の起源を把握することだった。じつはこの論考を書くまえに、私はニック・ランドに会いにゆき、上海の湖南料理店で夕食をともにしている。それはわれわれが言葉をかわした最後の機会でもあった。

 じっさいに会ってみると、ニック・ランドはすばらしい人物だった。かれはじつに明晰な思考の持ち主で、思慮深く、知性にあふれていた。あの日はあまりに会話に没頭していたので、料理についてはあまり覚えていない(もちろん味はよかった)。けれども、その後ランドのお気に入りのバーでカクテルを飲むことになってレストランを出たとき、かれは中国の電子決済システムをいたく賞賛していた。その様子がいまでもずっと記憶に残っている。

 2017年のテクストのなかで、私はヘーゲルが『精神現象学』に記した「不幸な意識」をめぐる鋭い洞察をふまえて、西洋がいま矛盾に直面していること、そしておそらくそれをみずから解消するのは不可能であることを主張した。ヘーゲルによると、矛盾を意識しているのにそれを解消できないとき、不幸な意識が生じる。それは他者が自己にとっての他者であること、あるいは他者そのものが他者と自己を統合したものであることを認識しないまま、ただ単に他者の存在を認めてしまうような意識である。

 ヘーゲルにとって、これはユダヤ教的な意識への移行段階でもあった。ユダヤ教においては、主人と奴隷の弁証法の原型が展開されているのである。そこでは両極端なものの二元性が生じている。本質は実存を超え、神は人間性の外部に位置づけられる(これが不変のものである)。そして人間は非本質的なもののなかに置き去りにされてしまう。

 またキリスト教では、神が受肉した存在としてのキリストをつうじて、不変のものと特殊なものの統合が引き起こされる。この体験のなかで、不変のものが特殊なものに統合され、特殊なものが不変のものに統合される。いっけんそれは幸福な統合のようであるが、そのじつ別の不幸な意識をもたらすだけである。というのも、不変のものと特殊なものは依然として「他者」であり〔不和を抱え〕つづけるからだ。

 西洋はグローバル化の推進力となってきたが、ある歴史上の瞬間に他者を発見した。それはかつては弱かったが、いまや強力になり、西洋の実存を脅かしている。ヘーゲルの有名な主人と奴隷の弁証法における場合と同様に、奴隷は自身の生死が主人の機嫌によって左右されるような実存の危機から出発した。そして歴史が進むにつれて、奴隷は「物の否定」すなわち労働をつうじて自己意識を獲得する。このプロセスは、そのような自己意識が独立へと転じる瞬間まで継続する。そして中国のようにかつては「世界の工場」であった国々が、いまでは大国として注目され、西洋の支配に挑戦するようになったのである。もっとも、このようなことはここ数年にわたって毎日のようにマスメディアで語られているので、いまでは何ら目新しい点はない。

 Arbeit は単なる労働や仕事のことではない。それは Bildung でもある☆3。このことは、たとえば日本なら19世紀から20世紀への転換期に当てはまる。日本が日露戦争に勝利したとき、オスヴァルト・シュペングラーは、技術的な知見をアジアに輸出したことは西洋の大いなるあやまちであり、かつては学ぶ側だった日本がいまでは西洋の教師になってしまったと嘆いている★8

 

§2

 

 まさにいま私たちが目にしているとおり、支配への意志は世界を混乱に陥れる。これからも西洋が支配しつづけられるという根拠は一体どこにあるのだろうか? カープは「ほんらい備わっているその明白な優位性へと西洋を押しあげる」のだと語ったが★9、いまヨーロッパの政治家たちにこのような質問をしたとき、果たしてカープのように肯定的に答えることを適切だと思うひとが存在するのだろうか。

 アメリカの新反動主義者たちは、西洋がたとえばアフリカなどの地域を植民地化しなければ、中国が代わりにそれを行なうだろうと考えている。たしかにそれは、ここ十数年にわたって中国がアフリカ大陸にインフラを建設し、借金を積み上げさせることによって、じっさいになされていることではある。反植民地主義は西洋の道徳的な手枷となったが、植民地主義以後に発展した国々はそれを免除されている。げんに中国はいまだに発展途上国とされており、アフリカの同胞たちに寄り添う姿勢を見せているのである。

 アジア諸国の軍備増強を見てみると、これとよく似たことが起きているといえる。中国の急速な軍拡や北朝鮮の核の脅威に直面するなかで、日本も同じようにすることはフェアではないのだろうか? あるいは日本は、20世紀の軍国主義によってもはやその権利を失ってしまったのか? もし日本が政治的なリアリズムの路線を採るならば、権力にとって道徳は二の次になることだろう。

 「リベラル左派」からの絶えまない指摘をのぞけば、アメリカが背負っている道徳的な重荷はずっと軽いといえる。だとしても、いまなお支配的な勢力でありつづけたいというアメリカの願望を正当化する方法などあるのだろうか? ティールは、自身の政治的見解を正当化し、ドナルド・トランプが2期目に入るのを支持するにあたって、「政治神学」を拠りどころとしている。ティールによれば、いまアンチが到来している。それによってキリストが父なる神の右側に座ったままとなり、その臨在パルーシアが先延ばしにされているという。

 では、反キリストとは具体的にいうと何者なのか? もちろん、反キリストだと明言された個人は歴史上存在しない。この言葉は、キリストを否定し、その地上への帰還を遅らせている人々を指すときによく使われる。ティールは、反キリストとはグローバルシステムであると述べているのだが、しかしニューヨークタイムズのインタビューのなかで、17世紀の反キリストは科学者であり、21世紀の反キリストは気候変動活動家のグレタ・トゥーンベリであるとも語っている★10。つまり、グローバルシステムが反キリストの力を生みだしているとティールが語るとき、それは環境保護やLGBT、脱植民地化などを意味していると考えられる。新約聖書の「テサロニケの信徒への第二の手紙」を見るとわかるように、反キリストは「カテコーン」によって抑止される。カテコーンとは、文字通りには抑止する力を意味しており、反キリストの到来を遅らせるものをあらわしている☆4

 ティールの発言のなかに新しい点はなにもない。なぜならそれは、カール・シュミットが自身の政治神学のなかで主張したことを繰り返しているだけだからだ。しかもシュミットは、ティールよりもいくぶん洗練されたかたちで、カテコーンの概念にひそむ未解決のパラドックスを明らかにしている。つまりカテコーンが反キリストを抑止しているかぎり、それはエスカトーン〔終末〕を、またそれゆえ神の臨在パルーシアをも遅らせてしまうということだ。

 しかしながら、ティールはフランシス・ベーコンの『ニュー・アトランティス』から尾田栄一郎の『ONE PIECE』にいたるまで、飽きもせず反キリストを見いだしつづけている。とくに後者は、ティール自身が「平穏な時代に、暴れん坊のような尾田栄一郎が『ONE PIECE』を執筆し始めた」と述べているように、冷戦が終結しグローバル化が始まった直後に展開された、一種の臨在パルーシアの物語として読み解かれている☆5。『ONE PIECE』は、ゴムのように腕を伸ばす能力をもったモンキー・D・ルフィという海賊を描いた作品で、かれは「ワンピース」と呼ばれる伝説の宝を見つけ、海賊王になるために航海に出る。その旅路のなかで、ルフィは多種多様な仲間を集め、強力な敵に立ち向かい、世界の秘密を解き明かしながら、究極の自由というみずからの夢を追い求めてゆく。

 日本の読者にこれ以上『ONE PIECE』の説明をする必要はないだろう。ここで銘記しておきたいのは、ルフィがカイドウとの闘いのなかで一時的に死亡したのち、自身の悪魔の実を覚醒させたという「ワノ国編」のエピソードだ。この変身は、いわば伝説の海賊の帰還として、ジョイボーイに結びつけられた。ジョイボーイとは、「空白の100年」に存在した謎の海賊で、世界政府を樹立した〔ティールいわく〕「反キリスト」のイムと対立したとされている。「神聖な海賊ジョイボーイの帰還がイムの神格化を否定することになる。神の子キリストがカエサルの養子アウグストゥスの神格化を否定したのと一緒だ」☆6

  ローマでのティールの講演に対しては、バチカンから猛烈な批判が寄せられた。たとえば、バチカンのAIアドバイザーであるパオロ・ベナンティ神父は、『ル・グラン・コンティナン』というフランス語の雑誌に「米国の異端──ピーター・ティールは火あぶりの刑に処されるべきか」という論考を発表している☆7。ベナンティは、フランシスコ元教皇にグローバルなAI運用の指針について、具体的には平和や宗教におけるAIの役割といった内容について、助言をしていたことで知られている。さらにベナンティは、AIの特徴を論じるためにマキナ・サピエンス〔機械的な人間〕という用語を生みだし、共存のための政治戦略を模索してもいる。

 この論考のなかで、ベナンティはティールに反論し、かれのいう終末論はキリスト教的な終末論ではなく異教徒のものだと主張している。なぜなら、ティールの時間の概念は直線的ではなく円環状であるからだ。よく知られているように、円環的な時間はしばしば異教徒のものとされてきた。たしかにグノーシス主義には円環的な時間が見受けられるが、それは人間の魂が〔転生によって〕繰り返される無知のなかに囚われるという、ネガティブな状況をあらわしている。

 〔ベナンティの批判のなかには教条的なものもあるが〕しかしベナンティは、まさにいまアメリカで起きているように、ティールの政治的な見解を容認すると民主主義が瓦解してしまうとはっきり述べている。トランプが「王」として台頭することは、カーティス・ヤーヴィンやニック・ランドらが熱望していた君主制の復活にほかならない。

 ティールの議論のなかでは、テクノロジーの力と国家の力が融合している。20世紀においては、テクノロジーの力は得てして経済的な力の一部とみなされていた。なぜならテクノロジーは工業化のなかで重要な役割を果たすからだ。だがティールの見方では、テクノロジーは単なる経済的な力ではなく、西洋の基礎を固めなおし、その支配体制を維持するものである。この点は、昨今のテクノロジーの開発競争や、それにともなうハードとソフト両面での制裁措置にすでにあらわれている。さらにテクノロジーと国家の力の融合は、民主主義の消滅をも加速させる。そこではテクノロジーに含まれる全体化の傾向が、権威主義とぴったり一致するからだ。そのため、ベナンティとは別のバチカンの神学者でイエズス会士のアントニオ・スパダロ神父は、ティールのローマでの講演に反応してつぎのように語っている。

いまや福音書は地政学的な分析のための道具と化しています。[……]実利を優先したかれの結論は残酷なものです。人工知能を規制すること、グローバルな管理機関を設置すること、テクノロジーの発展に歯止めをかけること、そのすべてが──この文脈では──反キリストによる支配の手はずを整える行為になってしまうのです。★11

 

§3

 

 いま、一方ではドナルド・トランプと『ONE PIECE』が同じ場所におかれ、他方ではヨーロッパから中東へと戦火が広がりつつある。この政治的な現実に対して、私たちはどのように向きあってゆけばよいのだろうか? コロナ禍以前であれば、トランプと『ONE PIECE』を等置するのはポストモダン的なパロディだと思えたかもしれない。けれども、現在の政治やテクノロジーの状況は、〔その手の想像力にとどまらず〕トマス・ホッブズが提示した主権国家のイメージ──獣と機械と神と人間を混ぜ合わせた、ただならぬものの姿──を復活させてしまったといえる★12。世界がハルマゲドンを待望しているなか、主権国家がみずからの安全を守るためには、やはり軍備増強が直感的に妥当な選択肢であるように思える。じっさい、アメリカがNATOから距離を置いたことで、ヨーロッパ諸国、とりわけドイツは軍事力を強化しなおすよう強いられており、中国や北朝鮮の軍拡によって日本や韓国にも軍備増強のプレッシャーがかかっている。では、果たしてどんな物語ナラティヴや概念的な道具があれば、私たちは「デジタル中世」への退行ではない、より幸福な惑星の未来を想像できるようになるのだろうか?

 ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』に収められた「大審問官」は、いまの状況に対抗しうる物語ナラティヴになるかもしれない。この話は同書の第5編「プロとコントラ」の第5章に登場する。そこでは、イワン・フョードロウィチ・カラマーゾフが、スペインのセヴィリヤにイエス・キリストが帰還するという話を弟のアリョーシャに聞かせる。セヴィリヤの寺院でイエスが何度か奇跡を起こしてみせると、人々はその正体を知り、かれを崇拝する☆8。ところが、イエスは大審問官によって拘束され、投獄されてしまう。この年老いた大審問官は、ランプに照らされた暗き牢獄のなかでイエスと面会し、おまえはわれわれの邪魔をしに来るべきではなかったと語る。そしてイエスを異端者として焼き殺そうとするのだった。

なぜわれわれの邪魔をしにきた? なにしろお前はわれわれの邪魔をしにきたんだし、自分でもそれは承知しとるはずだ。しかし、明日どうなるか、わかっているのか? お前がいったい何者か、わしは知らんし、知りたくもない。お前がキリストなのか、それともその同類にすぎないのか、わしは知らないが、とにかく明日になったらお前を裁きにかけて、異端のもっとも悪質なものとして火あぶりにしてやる。そうなれば今日お前の足に接吻した同じあの民衆が、明日はわしの合図一つでお前を焼く焚き火に炭を放りこみに走るのだ、お前にはそれがわかっているのか?★13

 パオロ・ベナンティが言ったように、ピーター・ティールは火あぶりの刑に処されるべきなのだろうか? だとしても、どんな名目で焼かれるべきなのか──異端として、あるいは「異端のもっとも悪質なもの」として、だろうか? もちろん、そのような物語ナラティヴは私たちをまたしてもキリスト教神学に引き戻し、世界史を聖書に描かれた展開の一部のように見せてしまうだけだろう。

 『カラマーゾフの兄弟』では、「大審問官」よりまえの箇所で、イワンが自分の論文について語る場面がある☆9。そこでイワンはこのように主張する。キリスト教は最初の3世紀はもっぱら教会としてあらわれたが、ローマという異教国家がキリスト教国家になろうと望んだとき、教会は国家に服従したのではなく吸収されてしまったのであると。このようなイワンの見解は、のちに〔かれ自身の物語のなかで〕イエスが地上に帰還しても何の意義もなかったわけを説明しているのかもしれない。げんに年老いた大審問官は、もはや教会はイエス本人を必要としていないと言ってのけたのだ。そして最終的に、キリストは一言も発さぬまま青ざめた唇で年老いた大審問官に口づけをし、牢獄を去ってゆく。多くの教会がパーティやナイトクラブのレンタル会場と化してしまったこのグローバル化以後の世界では、もはやカテコーンや反キリストにも何の意義もないのかもしれない。

 とはいえ、キリスト教ぬきで西洋を理解することは不可能である。それは数学を学ばずに物理学を習得しようとするようなものだ。またカール・シュミットが『政治神学』で示したように、近代化が始まって以来、西洋以外の国民国家が、多かれ少なかれ世俗化されたキリスト教の原理のうえに創設されていることもまた、事実である。なかには、国家における政治や法の概念の根底にある神学的なものは、世俗化によって完全に払拭されたわけではないと主張するひともいるだろう。

 このあいだテュービンゲンに滞在したときにハンス・ケルゼンの弟子であるという国際法の学者が教えてくれたのだが、アメリカが国際法を崩壊させているがゆえに、いまドイツではカール・シュミットの人気が再燃しているそうだ。ケルゼンは「根本規範」〔Grundnorm〕という概念を発明した法哲学者である。根本規範とは、あらゆる規範にとっての規範とされ、ほかのすべての法規範の妥当性がそこからもたらされるようなものだという。

 これに対しシュミットは、「規範的に見れば、決定は無から生まれている」と言いつつ、ケルゼンの法実証主義を嘲っている★14。ケルゼンとは対照的に、シュミットは合法性と正当性を区別するべきだと考えたのである。正当性は国家による危機への対応を可能にするものであり、決して欠かせないものとされる。たとえば古代ローマの時代には、数ヶ月のあいだ危機に対処するため、議会によって独裁者が選出された。その期間内、独裁者は例外状態あるいは緊急事態を宣言し、一切の法を停止させる権限を有する。まさにこの事例から、「主権者とは、例外状態に対して決定する者である」という『政治神学』の冒頭の有名な記述がもたらされたのである★15

 しかし、いにしえのヨーロッパ大陸から見た惑星の想像力は、すでに限界に直面している。げんにシュミットは、アメリカの帝国主義を目の当たりにしたことによって、1648年から19世紀末までヨーロッパを治めていた Ius Publicum Europaeum(ヨーロッパ公法)の終わりをさとった。より具体的に言うと、アメリカが、ヨーロッパの進出を阻止して自国の資本を円滑に中国の市場へ流入させるため、日本を説得してアジアにモンロー主義を立ち上げさせたとき、シュミットはアメリカの帝国主義がもつ影響力を見抜いたのである★16

 シュミットは、アメリカのやり方に対する応答として、広域〔Großraum〕という概念を見いだした。その背後には、長距離輸送から遠隔通信にいたるテクノロジーによって、〔国家の枠組みを超えるような〕広大な領域が成立したという側面があった。じっさい、当時でもたった1時間で複数の主権国家の上を飛んで行くことが可能となっていたのである。また、広域はドイツ帝国とも密接に関わる概念だった。そしていまでは、それは多極化する世界における有効な政治的単位として認知されている。

 

◼️

 

 こうした状況を背景に、『機械と主権』では、政治神学に対して私のいう「政治認識論」をつきつけることを提案した☆10。それは巨大機械メガマシンとその内部にある認識論との関係を再考するためであり、またこの試みが政治哲学のための新しい領域を切り開くのではないかと考えているからである(詳細は前回の覚書を参照)。いまや惑星化は、あらゆる地域に根ざす想像力を凌駕するに至っている。私のいう惑星的な思考を構築するにあたっては、この状況を見通すための拠りどころとなるような別の立場を探しだすことが急務となっている。

 ピーター・ティールが西洋の支配を維持するために反キリストの概念を世俗化された世界に適用しようとするならば、それは20年以上前にオサマ・ビンラディンがアメリカ帝国に対抗するために宗教を動員したのと大差ないといえるだろう。とはいえ、シリコンバレーの億万長者でテクノロジーの専門家でもある人物が、戦争のイデオロギーとしてのキリスト教に回帰しているのは、やはり驚くべきことではある。それは、イワン・カラマーゾフが教会の起源まで遡って分析してみせた、国家のなかに教会を吸収しようという試みの最新版なのだろうか? それとも、かくも進行した惑星化の段階において、国家を瓦解する運命から救いだそうとするあらたな試みなのだろうか?


★1 Alexander Karp and Nicholas W. Zamiska, The Technological Republic: Hard Power, Soft Belief, and the Future of the West (New York: Crown Currency, 2025). 〔アレクサンダー・C・カープ、ニコラス・W・ザミスカ『テクノロジカル・リパブリック──国家、軍事力、テクノロジーの未来』、村井章子訳、日本経済新聞出版、2026年。〕
★2 Peter Thiel, “The Straussian Moment,” in Studies in Violence, Mimesis, and Culture: Politics and Apocalypse, ed. Robert Hamerton-Kelly (East Lansing: Michigan State University Press, 2007), 189–218, 207. 「近代西洋は自分自身を信用しなくなってしまった。啓蒙の時代およびポスト啓蒙の時代においては、この信用の喪失によって莫大な商業的かつ創造的な力が解放されたのである。だがそれと同時に、この喪失が西洋を脆弱にしてしまったのだ。では、近代西洋を完全に破壊せぬよう強化し、いわば赤子を産湯ごと捨ててしまわないようにする方法はあるのだろうか」。〔この箇所は、以下のホイの論考にも引用されている。ユク・ホイ「新反動主義者の不幸な意識について」、伊勢康平訳、「0-eA Journal」第1号、2023年4月、52-67頁、53頁。〕
★3 Karp et al, The Technological Republic, 10. 〔邦訳はカープ、ザミスカ『テクノロジカル・リパブリック』、26頁。訳は英文より。〕
★4 研究所の公式サイトは以下より。URL=https://www.imitatio.org/
★5 Alexander Karp, “My Time with Jürgen Habermas, Europe's 'Last Intellectual’”, Politico, Mar 20, 2026. URL=https://www.politico.com/news/magazine/2026/03/20/karp-habermas-remembrance-00838398
★6 ニーチェの『道徳の系譜』は3本の論考によって構成されている。
★7 Nick Land, The Dark Enlightenment. URL=https://keithanyan.github.io/TheDarkEnlightenment.epub/TheDarkEnlightenment.pdf 〔ニック・ランド『暗黒の啓蒙書』、五井健太郎訳、講談社、2020年。〕
★8 Oswald Spengler, Man and Technics: A Contribution to a Philosophy of Life (Greenwood Press, 1967), 100–101. 〔オスヴァルト・シュペングラー『人間と技術──生の哲学のために』、駒井義昭、尾崎恭一訳、富士書店、1986年、115-116頁。〕
★9 Lindsay Clark, “Palantir designed to ‘power the West to its obvious innate superiority,’ says CEO”, The Register, Feb 4, 2025. URL=https://www.theregister.com/2025/02/04/palantir_karp_comments/
★10 “Peter Thiel and the Antichrist”, The New York Times, June 26, 2025. URL=https://www.nytimes.com/2025/06/26/opinion/peter-thiel-antichrist-ross-douthat.html「ひとは実存的なリスクについてひっきりなしに語り、それこそが規制すべき対象だと言います。これは17-18世紀のフランシス・ベーコン的な科学観とは正反対です。当時の反キリストは、機械を発明して世界を支配しようとする邪悪な天才技術者や悪の科学者のようなものでした。人々はその脅威を過度に恐れてしまうものです。  現代の世界で政治的な共鳴をもたらすのは、ベーコン的な科学観の対極にある考えです。つまり「科学を止めなければならない」「とにかく科学に『止まれ』と言うべきだ」といったものです。17世紀的な文脈なら、ドクター・ストレンジラブやエドワード・テラーのような人物による世界の支配を想像できますが、現代にその役割を担う可能性がはるかに高いのは、グレタ・トゥーンベリのような存在なのです。」 
★11 Nick Vivarelli, “Peter Thiel Sparks Vatican Ire With Antichrist Lectures in Rome”, Variety, Mar 18, 2026. URL=https://variety.com/2026/digital/global/peter-thiel-vatican-ire-antichrist-lectures-rome-1236692140/
★12 Carl Schmitt, The Leviathan in the State Theory of Thomas Hobbes (Chicago: University of Chicago Press, 2008), 49. 〔カール・シュミット『リヴァイアサン──近代国家の生成と挫折』、長尾龍一訳、福村出版、1972年、59頁。〕
★13 Dostoyavski, The Brothers Karamazov, trans. Richard Pevear and Larissa Volokhonsky (Vintage). 〔ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』上、原卓也訳、新潮文庫、1978年、2004年改版、629-630頁。〕
★14 Carl Schmitt, Political Theology: Four Chapters on the Concept of Sovereignty, trans. George Schwab (Chicago: University of Chicago Press, 2005), 31-32.〔カール・シュミット『政治的神学──主権論四章』、権左武志訳、岩波文庫、2024年、54頁。〕
★15 Ibid., 5. 〔同上、11頁。〕
★16 Carl Schmitt, “Großraum gegen Universalismus,” in Positionen und Begriffe, im Kampf mit Weimar—Genf—Versailles 1923—1939 (Hamburg: Hanseatische Verlagsanstalt, 1940), 299.
 
☆1 以下を参照。ユク・ホイ「惑星的なものにかんする覚書(1) 共生の言葉について」、『ゲンロン14』、ゲンロン、2023年、65頁。
☆2 マスクはグライムスとのあいだに3人の子どもをもうけたが、両者は厳密には婚姻関係にないとされる。
☆3 Arbeit はドイツ語で労働を、Bildung は教育や陶冶、あるいは(人格の)形成を意味する。
☆4 カテコーン kathchon とは、「抑止するもの」を意味する神学的概念。終末をもたらす「不法の者」すなわち反キリストの力を抑止する存在のこと。カテコーンが取り除かれると終末が訪れ、キリストが再臨するとされている。のちにカール・シュミットは、秩序を維持し、外敵を抑止する政治的権威のことをカテコーンと呼んだ。なお、『ゲンロン14』所収の本連載第1回(63頁、訳注4)でより詳しい説明を行なっているので、そちらも参照のこと。
☆5 Peter Thiel and Sam Wolfe, "Voyages to the End of the World", First Thing, Oct 1, 2025. URL=https://firstthings.com/voyages-to-the-end-of-the-world/ 邦訳は以下より。ピーター・ティール、サム・ウルフ「世界の終わりへの航海(後編) 『ワンピース』のルフィはキリストだ」、会田弘継訳、『文藝春秋』2026年3月号、143頁。
☆6 邦訳は同上、146頁。
☆7 Paolo Benanti, “L’hérésie américaine : faut-il brûler Peter Thiel ?”, Le Grand Continent, 14 mars 2026. URL=https://legrandcontinent.eu/fr/2026/03/14/thiel-heresie-benanti
☆8 厳密にいうと、イワンの物語のなかでキリストは「気づかれぬようにそっと姿を現わしたのだが、ふしぎなことに、だれもが正体を見破ってしま」い、その後奇跡を起こすという流れになっている。ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』上、原卓也訳、新潮文庫、1978年、2004年改版、626頁。
☆9 同上、148-149頁。
☆10 『機械と主権』は未邦訳のホイの著作で、原題は以下のとおり。Yuk Hui, Machine and Sovereignty (Minneapolis: University of Minnesota Press, 2024). また、巨大機械メガマシンと政治認識論をめぐるホイの議論の詳細については、『ゲンロン18』『ゲンロン17』所収の本連載第5、6回を参照。


ユク・ホイ

エラスムス大学ロッテルダムの哲学教授。著書に『中国における技術への問い──宇宙技芸試論』(アーバノミック、邦訳はゲンロン)、『再帰性と偶然性』(ローマン&リトルフィールド、邦訳は青土社)、『芸術と宇宙技芸』(ミネソタ大学出版、邦訳は春秋社)、『ポストヨーロッパ』(アーバノミック、邦訳は岩波書店)、『カントマシン──AI以後の批判哲学』(ブルームズベリー、未邦訳)など。著作は十数カ国語に翻訳されている。2014年より「哲学と技術のリサーチネットワーク」を主宰。2020年よりバーグルエン哲学・文化賞の審査委員をつとめる。 Professor of philosophy at the Erasmus University Rotterdam, author of several monographs that have been translated into a dozen languages, including The Question Concerning Technology in China: An Essay in Cosmotechnics (Urbanomic), Recursivity and Contingency (Rowman & Littlefield), Art and Cosmotechnics (University of Minnesota Press), Post-Europe (Urbanomic/Sequence Press) , and Kant Machine (Bloomsbury Academic). Hui has been the convenor of the Research Network for Philosophy and Technology since 2014 and a juror of the Berggruen Prize for Philosophy and Culture since 2020.

伊勢康平

1995年生。東京大学東洋文化研究所特任研究員。専門は中国近現代の思想など。著作に「観念と力動」(『中国哲学研究』第33号)、「不可能なものから動くものへ」(『比較思想研究』第51号)、「はてなき天下の夢」(『ゲンロンy 創刊号』)ほか、翻訳にユク・ホイ『中国における技術への問い』(ゲンロン)、『芸術と宇宙技芸』(春秋社)ほか。
    コメントを残すにはログインしてください。