もっとも透明な建築へ ──《磯崎新:群島としての建築》展を観て|布施琳太郎

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webゲンロン 2026年6月12日配信

 

 2022年末に逝去した磯崎新は「思想家」のように扱われることも多かった人物である。しかしこの文章の目的は、あくまで「建築家」としての磯崎新を論じることである。そのための手がかりとして、2025年11月から26年1月にかけて磯崎自身が手がけた水戸芸術館(1990年)で開催された回顧展《磯崎新:群島としての建築》を振り返ってみたい。

 会場には、水戸芸術館についてはもちろんのこと、1970年の大阪万博における仕事、70年代の都市開発計画、住居建築、オフィスビルまでの模型や資料が並んでいた。それらに挿入されるように、磯崎によってキュレーションされた展覧会《海市》(1997年/NTTインターコミュニケーションセンター)の資料、展覧会《間──日本の時空間》ニューヨーク展(1980-1981年、同展は1978-1981年にかけてパリ・ニューヨーク・ストックホルムなど世界6ヶ所を巡回した)の一部の再現、モンローチェア、パフォーマンスの記録なども陳列された。さらにゲストキュレーターのケン・タダシ・オオシマ、五十嵐太郎、松井茂らによる肉厚なテクストも壁面に提示される。

《磯崎新:群島としての建築》、2025年水戸芸術館現代美術ギャラリーでの展示風景。写真提供=水戸芸術館現代美術センター

 とはいえ、とにかくたくさんの建築模型が並んでいた。──それが、率直な、最初の感想である。

 メインとなる展示室には台座に載せられた建築模型が陳列され、その周囲に説明文や版画が付されている。鑑賞者は展示を通じてひたすら建築模型を眺める。だからこそ、同展について論じるのであれば、「模型」について考えなければならない。それは私にとって、「建築家」としての磯崎新の思考に踏み込んでいくことを、同時に意味している。
 

模型と版画──人間のいない風景

 

 気になったのは、多くの模型が同じように深い茶色の木材でつくられていたことだ。たしかに、キャプションには「実現」「実現せず」と書かれている。しかし、模型を眺めている限り、それらが現実に建てられたのか否かはもはや問題ではないかのように感じられた。

 もうひとつ無視できなかったのが、住居やミュージアム、図書館、オフィスビル、役場などの具体的な用途をもった建築の模型が並べられていたにもかかわらず、それらを実際に使用する人間の姿が模型のなかにほとんど見受けられなかったことだ。

 「実現/実現せず」という区別が無効化されながら、生きた人間の姿が蒸発した景色。まるで映画『マトリックス』(1999年)が描き出した、すべての人類が「水槽のなかの脳」となった、シミュラークルとしての仮想的=潜在的(virtual)な現実。──展示をみて、そんな印象をおぼえた。
 

 この印象には、模型の周囲に展示されたイメージが、建築写真ではなく、磯崎自身による版画を中心としていたことが影響していたのだろう。

 建築写真は、撮影時の天候、アスファルトの照り返し、反射光、建築資材の歪み、時間経過による風化などを捉える(捉えてしまう)ものだ。これに対して版画作品では、建築は理念化されている。磯崎の版画は、写真が捉える現実的な要素をすべて無視している。直線は直線でしかなく、曲線は曲線でしかない。現実の建築物にはあるはずの細かな歪みは捨象され、私たちが生きているのとは異なる世界のイメージが立ち上がる。のっぺりした色面、色彩は非現実的なまでに鮮やかな赤や青であったり、現実にはありえないほど徹底的な無彩色だったりする。

 それゆえ同展を観て「建築家・磯崎新」について想いを馳せようとしても、なかなか理解は深まらないと当初は感じた。模型と版画の双方に建築を使用する人間が欠如しているからだ。そしてそれだけでなく、建築の内部空間のイメージも欠如していた。

 例えば第一室には「実現せず」のプランが多数展示されていた。磯崎が在籍していた東京大学丹下健三研究室が率いた《東京計画1960》(1961年)の資料。渋谷と新宿での《空中都市》計画(1960-1962年)の模型。磯崎のステートメント的なテクストとして繰り返し引用されてきた詩《孵化過程》と、同名のコラージュとインスタレーション(1962年)。それらはいずれも建築の外観が示されるだけで、内部空間を見ることはできない。
 

 だが、実現しなかった建築だから内部のイメージが欠如しているというわけでは決してない。実現された建築であっても、見せ方は同じなのだ。まるで未だ建設されていないかのように、木製模型と版画によって、人間のいない景色が示される。たとえば実現されて使用されているティーム・ディズニー・ビルディング(フロリダ/1991年)については、建築中央の吹き抜けを内部から見上げる構図の版画が展示されているが、それもまた内部空間というより、吹き抜けそのものが日時計の機能を持つことを示すのみである。どのように使用されているのかを明らかにしない点では、実現しなかった建築と同じだ。

 この欠如は当人が亡くなった後の展覧会だから生じた、キュレーターや学芸員の関心の偏りによるものだろうか? いや、そうではない。実現/実現せずの無効化、生きた人間の蒸発、内部空間の欠如──それはすべて磯崎の手法の特徴である。

 磯崎新は、建築そのものではなく、模型や版画によって自らの建築を未来へと残そうとした。そのとき、磯崎の建築は純粋な理念として現れる。
 

資材の固有性と細部の欠如

 

 版画について論じるまえに、個人的なデッサンの体験を記したい。
 

 折り目のない数枚のコピー用紙が机の上にバラバラと重ねられている。それをモチーフとしてデッサンをしていたとき、最初に気がついたのは、紙に厚みがあることだった。紙は二次元的な存在ではない。そこには極小の厚みがあり、その厚みを鑑賞者に感じさせなければ、デッサンとして「紙を描いた」ことにはならない。

 しかしそのとき、もうひとつの事実に気がつく──いまデッサンを描き込んでいる画用紙の表面を、純粋に幾何学的な作図の空間として自分自身が捉えていることである。つまりモチーフとなる紙の厚みを描く前に注意すべきは、遠近法的な正しさだ。
 

 真上から俯瞰すれば、机の上に置かれたコピー用紙は、各頂点が直角の長方形だ。しかしデッサンとして描かれると、それぞれの紙は異なる角度の菱形になる。そこで各頂点の角度は、遠近法の理論に従って決定されている。

 しかし実際にデッサンをすすめるためには、支持体の画用紙のざらつきを利用して陰影を表現する必要がある。極小だが、たしかに存在するコピー用紙の厚みを表現する必要がある。だが遠近法的な正しさを検討し、実現するためには、そのような陰影、厚みを無視しなければならない。

 つまり支持体である画用紙の厚み、ざらつきを無視した瞬間にのみ、描画者は「机に置かれた紙」を遠近法に則って描くことができる。遠近法に集中することは、座標平面上での幾何学的な作図のような、徹底的な二次元への没入を前提としている。

机の上に置かれた紙とデッサンの関係。作成=筆者

 遠近法にのみ注目するとき、描画者は、モチーフの紙を画面内の各辺の角度決定の参照項としてのみ認識し(厚みを忘れ)、支持体の紙を幾何学的な作図のための理念的な二次元平面としてのみ認識し(画用紙のざらつきを忘れ)ている。

 磯崎の版画は、そのような忘却の等価物だ。その忘却を「版画化」と呼ぼう。

 例えばレンガは理念的には「6枚の面、12本の辺、8個の頂点」で構成される。だが、実物を観察してみれば、12本の辺はけっして直線ではない。写真はそれを捉えるし、基礎教育としてのデッサンもその細部を捉えるべきだとされる。けれども、遠近法にのみ注目する描画者であれば、実物の歪みは描かないだろう。磯崎の建築版画もまた、その歪み、すなわち建築資材の固有性を無視している。

 遠近法のための二次元にとどまるとき「理念としての建築」が現れる。遠近法にばかり注意が向けられたデッサンと同じように、磯崎の版画は、実際に竣工された建築に対してあまりに理念的なのだ。

「還元」シリーズ《MUSEUM-I》(群馬県立近代美術館)1974年竣工、シルクスクリーン、1983年、H90×W63cm 
©Estate of Arata Isozaki

 ただし、細部の消失と理念化は、磯崎に限らず、一般的な建築設計のなかに偏在している。建築設計のプロセスでは、基本計画図に始まり、基本設計図、実施図、施工図と、さまざまな図面が描かれる。それらの違いの随所に、細部の消失と理念化は出現する。

 「基本計画図」や「基本設計図」は、建築の理念的な側面を露わにするものだ。「基本計画図」には大まかな部屋割り、正面から見た形態などが記される。「基本設計図」は、基本計画図よりも踏み込んだ図面で、ここで資材の確定や構造計算などが開始される。「実施図」では、建築家ではなく構造家が、構造計算書をつくる場合もある。そして「施工図」は、最終的に建設作業を行う人々が用いるもので、そこには資材の種類や寸法、電気配線などの細部も詳しく描き込まれている。

 ひとつの図面ですべてを表現することはできないから、複数の図面が使い分けられる際には、建築の理念化と細部の消失が行われることになる。磯崎の建築が理念的で版画的であるのは、建築設計のプロセスで生じていることが特に象徴的にあらわれている事例であると言うこともできる。その鍵は「構造計算」にある。

 

「見えない力」を把握する

 

 磯崎の模型と版画が理念的であるのは、彼が哲学や思想の言説に依拠したり、言説の可視化を目指したりしていたからではない。それは磯崎が、構造計算においてのみ知覚される「見えない力」を思考の起点に置いていたからなのである。

 構造計算とは、重力や地震、風圧、積雪などの力学的な負荷に対して建築が安全であることを検証して証明する作業である。ほとんどの建築設計では、建築家や建築事務所が行った基本設計の後で、構造家や構造事務所が構造計算を行う。構造計算は建築を実現するために欠かせないものだ。

 磯崎は、学生時代に構造家から受けた教えについて語っている。

 

 [当時の先生には、いずれも建築構造学が専門の]武藤清さんや梅村魁さんがおられました。俺たちは構造計算をやる人間だから、構造計算をやれば力がどういうふうに流れていくかモーメント図でわかる。建築家はそういうことをやる必要はないけれど、パッと見て力がひとつの建築のなかにどういうふうに流れているのかがわからなかったらもう建築を辞めろ、それがわからないやつはデザインする能力がないんだと、はっきり言われたことを覚えています。★1

 

この発言を踏まえてみると、磯崎の版画は、構造計算における数理的な思考にこそ触発されているように私には思える。

 引用した発言に続けて磯崎は、「メガストラクチャーにしても何にしても、スキンではなく骨組みをいつも頭に入れるようになった理由は、要するに日本は、地盤も悪く地震もあるという特殊条件があるから」だと述べている。そこから磯崎は、骨組みは固定的なものではなく「動的にその内部に力が流れている」と解釈するのである。

 つまりこのように言うことができる。磯崎の建築から細部を──版画のように──消失させたものは、資材の固有性よりも建築に潜在する力の流れにこそ注目する構造計算の思考だったのではないか。

 構造計算が対象とする重力、地震、風圧などの物理的荷重と、それらへの応答として骨組みに生じる内部応力の分布──これらを私はまとめて「見えない力」と呼びたい。磯崎が構造家から学んだのは、建築の外部と内部に作用するそれらの二層の「見えない力」を「パッと見て」直感的に把握する能力だった。

 磯崎の有名な設計手法に「プロセス・プランニング」がある。初期作《旧大分県立大分図書館》(1966年)を設計するなかで整理されたこの手法は、まさしく構造計算的思考を時間軸に展開したものとして理解できる。それは建築が成長し、形態を変えながら増殖することを前提とした設計理論であり、用途変更・増築・改修を事前に組み込むことで、「見えない力」が時間とともに変化し続けるという認識を設計レベルで実装したものだ。

 旧大分県立大分図書館では、このプロセス・プランニングが「骨組み(スケルトン)の露出」という手法を通じて捉え直され、たんなる理想論にとどまらず、具体的な建築手法として機能しはじめた。図書館の打ちっぱなしコンクリートは、骨組みを露出させることで、見る者に「内部に流れる動的な力」を直接知覚させる。

 

 

 展覧会から私が読み取った「実現/実現せず」の無効化や人間の蒸発、内部空間の欠如、部材の固有性の無視といった、磯崎建築にみられる否定的な特質の重ね合わせは、真に理念的で数理的な、構造計算への着目に支えられているのではないか。

 そのように考えるとき、磯崎がつくった資材の固有性が消失した版画作品は、まさしく建築に流れる「見えない力」を浮かび上がらせるものだと言える。そして、その「消失」があるがゆえに──たとえ版画をつくっていた時期の磯崎自身が「アーティスト」を名乗っていたとしても──磯崎新は職能としては建築家であり続けていた、と言うことができる。

 

建築模型の小ささ

 

 版画や模型から構造計算的思考を感じることは、建築設計に携わったことのない人間には困難だ。しかし模型が発する特異なアウラから「見えない力」を論じることはできるかもしれない。

 当たり前のことだが、多くの建築模型は、建築そのものよりも小さい。磯崎の模型もそうである。会場に並んだ木製模型は、丁寧に研磨されていた。窓やドアはあれど、可動するようなものではない。スチレンボードや厚紙、プラダン、あるいは3DCGでつくられた模型とは異なって、磯崎の模型には再編集や組み替えの可能性はまったく認められない。それらは、自らの手元でなされる造形に触発されて造形の途中で別のアイデアを着想し方向転換していく習作としてのものでも、図面や模型を前にしたクライアントとの対話によって最終的な竣工状態を修正したり訂正したりするためのものでもなかった★2。磯崎の模型は、版画と同じように「見えない力」と向き合う方法だった。

《水戸芸術館》1990年竣工、展示風景「Arata Isozaki: In Formation」2023年 
Courtesy of Power Station of Art, Shanghai

 具体的な模型を取り上げてみよう。例えば1960年代の提案に基づいて模型がつくられた《空中都市》計画は、渋谷や新宿に巨大な柱のような構造物を複数建て、それらを上空でつなぐものである。地上と空中が異なる経路で接続されるので、地上で工事等をしているあいだも空中で都市活動を維持できる、というSF的とも言える発想に基づいたこの建築は、「実現せず」に終わった。

 その模型は、渋谷の斜面などを一切反映していないフラットな台座の上に置かれている。つまり周辺風景としては、構造計算が相手取る重力や地震、風圧といった力学が消失している。しかしだからこそ、細部を消失させながら骨組みだけを取り出した版画と同じように「見えない力」を可視化するのだ。磯崎新の模型は、彼にとっての建築がスキン(表層)ではなく「見えない力」を原動力としていたことの証明なのだ。

 本展鑑賞後に、建築史家の五十嵐太郎や、かつて磯崎新アトリエに在籍していた建築家の吉野弘と話す機会があった。そこで話題になったのが、やはり木製模型だった。彼らは、磯崎の模型がルネサンス期の建築家たちによってつくられた模型からの触発を受けた可能性を示唆してくれた。

 調べてみると、木材の色味があまりに似ていて驚いた。ルネサンス期の模型はアルベルティが『建築論』(1451年)で述べたように「飾らず簡明なもの」として、形態を構想、試行する「スタディ」として機能していた★3。その点、磯崎の模型は竣工後に事後的につくられたものであって、制作目的はまったく異なる。

 しかし両者が視覚的に酷似しているのは偶然ではないし、磯崎が伝統的な模型のスタイルをシミュレーションしようとしたからでもない。スタディのための模型が、まだ実現していない建築の理念を素材に宿らせようとするのに対して、磯崎の模型は「実現/実現せず」にかかわらず建築から「見えない力」だけを抽出して再提示する。方向は逆だが、どちらも建築を資材の固有性から切り離して純粋な形態としての理念を扱おうとする点で、同じ志向を共有している。磯崎の模型がルネサンス期のものと似た外観をもつのは、それらが「理念としての建築」を志向していることの表れではないだろうか。しかし、その理念の内実が異なることは無視できない。

 

ブルネレスキによるサンタ・マリア・デル・フィオーレ聖堂のクーポラ模型 (バルトロメオ作、1436年) 
URL=https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Filippo_brunelleschi_(attr.),_modello_architettonico_della_cupola_e_due_tribune,_1420-36.JPG 撮影=Sailko CC BY 3.0 Unported

 

隠喩から透視へ

 

 理念としての建築を志向するための模型。それはどういうことだろうか。

 ここで「模型」について、より俯瞰して考えておこう。人類学者のレヴィ゠ストロースは『野生の思考』(1962年)のなかで「原寸大の物ないし人間を認識しようとする場合とは逆に、縮減模型では全体の認識が部分の認識に先立つ」と述べる★4。つまり、模型の「小ささ」においてこそ、本来は断片的にしか経験できないはずの全体性──建築のボリューム──が把握され、さらにその全体性のなかに断片(ドアや窓など)が発生する。建築模型においては、この全体性の先取り、あるいは断片性と全体性の逆転こそが、模型に固有のアウラを形成していると言える。そのアウラこそ、磯崎の模型を理解するために着目すべきものだ。

 芸術作品の礼拝的価値に宿るアウラが写真や映像による複製の普及によって失われ、代わりにさまざまな場所で再展示されることによって展示的価値が新たに生じる。そう述べたのは『複製技術時代の芸術作品』を著したウォルター・ベンヤミンだった。

 模型もまた複製ではあるが、スケールと細部を縮減して喪失している点で、写真的複製とは異なる操作を経てきたものだ。写真は対象のアウラを希薄化する。しかし模型の縮減は、レヴィ゠ストロースの指摘から捉え直せば、全体性を先取りすることで固有のアウラを生成しうるのだ。

 「模型は隠喩である」として、模型における全体性の先取りを語ったのは、批評家の多木浩二である★5。建築をはじめとした現実は、隠喩化されることで模型となり、それによって急速に全体性が到来する。彼によれば、模型をつくることは「比喩の次元をひらき、もともとの物(プレテクスト)を物語化(テクスト化)する操作」★6であり、そうした言語化によって模型は「混沌とした現実を不連続な単位に分節する」★7ものだ。

 より日常的な例をあげれば、隠喩としての模型とは、キャラクターや動物のぬいぐるみなどがつくりだす関係性だろう。隠喩化=模型化された現実は操作対象として互いに連関させられるようになり、最終的には物語として編み直すこともできる。

 模型化によって獲得される想像力の特徴を捉えるために対置されるべきは「見立て」だろう。

 磯崎は著書『見立ての手法』のなかで、模型を「ひとつの観念の図式化されたもの」だと定義する★8。図式化とは、何かを操作可能な対象として、任意の全体性のなかで再編していく試みだ。それとは対比的に論じられるのが、とりわけ日本庭園の手法としての「見立て」である。磯崎にとって、「見立て」とは、「類似性アナロジーを媒介にして、連想アソシエーションを喚起し対象物を分節アーティキュレイトしていく手法である」という★9。例えば富士山が三角状突起物になり、八の字になり、扇面になり、築山になるプロセスは、形態の近接性によって「たとえ」が次々に置き換えられていく換喩の連鎖である★10。それは多木が論じた「隠喩としての模型」とは異なる操作だ。

 彼の模型や版画において、建築に対する物理的な負荷は、構造計算における数理的な思考によって内部応力として骨組みに反映される。もしも磯崎の思考に一貫性を見出すのなら、富士山が「八」になるような「見立て」の換喩化とは、「見えない力」の版画化や模型化の、別なる実践可能性として位置付けられるかもしれない。

 しかし日本庭園、たとえば枯山水においては、床に敷き詰められた白砂は海として、配置された岩は山や島として「見立て」られる。複数の換喩が、連関することで世界そのものの隠喩として駆動しはじめる。しかし単独の建築模型における「連想」や「分節」は、「見えない力」に限定されたものなのであり、複数の模型の連関において生じるものではない。つまり「見立て」論をそのまま磯崎の模型や版画に適用することはできないだろう。実際、個展に展示された模型群は、あくまで互いに独立した状態にとどまっていた。つまり建築が模型化されることで、隠喩化されて互いに連関して物語化するには至っていない。

 繰り返してきたように、磯崎は模型や版画において、建築に潜在する「見えない力」を透視し、資材の固有性を消去することで純粋な構造として建築を露出させることにこだわっていた。それは換喩の連鎖とも、隠喩的な縮減とも異なる操作——「透視としての模型化」である。

《群島としての建築》に展示された模型は《空中都市》計画から二階建て程度の住宅にいたるまでのあいだで大きさが統一されている。もちろん厳密に同じ大きさであるわけではないが、特定の倍率(1/n)が設定されているとは思えず、実際のスケールにかかわらずある程度の幅に収まるように調整されている。この統一は、大きなもの/小さなものという寸法の絶対性を瓦解させる。それらは個別の「見えない力」のみを体現するのだ。

 もしも特定の倍率で模型をつくっていたら、模型を並べるだけで、ひとつの仮想都市の景色のようにもなったはずだ。しかし、そうではないからこそ各模型は比喩の次元をひらくことなく、それぞれが独立した世界縮減として機能する。もともとの建築=物を物語化することなく、たんに個々の全体性だけが部分に先立って到来する。

 そのとき、実際の地形が再現されていないフラットな台座の上に置かれているのだとしても、建築模型は、その形態だけで「見えない力」へと私たちを導く。先ほど私は、構造計算が対象とする重力、地震、風圧などの物理的荷重と、それらへの応答として骨組みに生じる内部応力の分布──これらをまとめて「見えない力」と呼んだ。構造家が図面だけによって「内部に流れる動的な力」を直接知覚するように、磯崎の模型は「見えない力」のみをまとって現れるのである。比喩の次元をひらかず、ただ世界を縮減する模型は「見えない力」を透視させるための光学装置なのだ。

 

模型はいかにキュレーションされるべきか

 

 この文章では、磯崎新を、実現した/しなかった建築を同じように版画化したり模型化したりして、それらによって「見えない力」を透視しながら思考した建築家として位置付けてきた。

 磯崎新にとって版画は、たんなる完成予想図でも、構想を練るためのドローイングでもない。模型もまた、たんなるスケールの縮小でも、構成を試すスタディでもなかった。建築に対する物理的な負荷と、建築の骨組み。版画と模型は、それらの「見えない力」を透視するための光学装置として位置付けることができる。

 最後に確認したいのは、「見立て」が日本庭園のように隠喩的な連関にひらかれていく実践、つまり彼自身による展覧会のキュレーションである。
 

 1978年、パリ。磯崎は、その後4年をかけて世界各地を巡回することになる展覧会《間──日本の時空間 MA Espace - Temps du Japon》をキュレーションした。

 この展覧会では、「間」が7つのキーワードでカテゴライズされ、それぞれひとつの展示室を用いて、「解説文」「イメージ」「オブジェ」という3要素によって提示されていた。今回の《群島としての建築》展では、7つのキーワードのうちの「寂」が、磯崎新によるイメージ《ふたたび廃墟になったヒロシマ》(1968年)と高松次郎によるオブジェ《柱と空間》(1979年)によって再現された。当時、他の展示室では舞踏やファッション、もの派などの同時代の表現、邦楽や能、浮世絵、曼荼羅などの伝統的な表現が並んだようである。それらは比喩の次元をひらく模型として、本来の文脈を離れて配置され、物語化されていた。

 たしかに磯崎の「間」論は、『見立ての手法』(1990年)や『始原のもどき』(1996年)といった後年の著作によって深化されている。しかしそれに先立ち、1978年の《間》展において、「7×3」というユニークな構成を通じて、「間」という時間と空間が連動する概念が「日本的なもの」としてプレゼンテーションされている。今回の《群島としての建築》展では、キュレーターによる壁面テクストでそのことが強調されていた。

 だからといって磯崎は、江戸時代の浮世絵が印象派以降の絵画に大きな影響を与えた、といったような系譜学的な説明の種類を増やしたのではない。《間》展が重要なのは、たんに「日本的なもの」のカタログをつくるだけではなく、「日本的なものを日本的な方法で提示しようとした」からだ。

 ここでの「日本的な方法」とは、枯山水における「見立て」のように、換喩的な連鎖へと鑑賞者を導くための手法である。異なる展示室のテクストとイメージ、オブジェが互いに響き合うことによって「日本的なもの」が立ち現れる。こうして磯崎のキュレーションは、個々の表現を模型化しながら、世界を隠喩化して時空を超えて組み合わせていく、自由として発揮されていく。
 

 そこでひとつの疑問が生じる。はたして今回の《群島としての建築》展における模型や版画は、磯崎自身がやってのけたように、よりひろい時代の多様な文脈における表現群のなかでキュレートされ、「見立て」られて、比喩の次元をひらくことができていたのだろうか?

 磯崎の設計思想はすでに高度に模型化されているから、それだけで事後的なキュレーションの自由を担保しているように思われる。しかし展示室にずらっと並べられた模型や版画において、そうした自由は発揮されていなかった。もちろん、だからこそ、模型の想像力によって透視される建築の理念「見えない力」について考えることはできたのだが。

 展示室に並べられた無数の模型と版画。それらは建築の理念に対する磯崎の想像力を私たちに考えさせるとともに、それらを「群島」として見立てるための文脈とキュレーションを必要とする。それゆえ私は、この文章を通じて、模型たちの先に浮かび上がるべき「建築家としての磯崎新」を捉えようとしてきた。
 

 建築家・磯崎新の死後にこそ、キュレーションによってその模型が比喩の次元へとひらかれていくことを、私は期待し、想像してしまうのだ。


★1 磯崎新、聞き手=日埜直彦「ターニングポイント、空間から環境へ」、『10+1』No.48、2007年。URL=https://db.10plus1.jp/backnumber/article/articleid/788/
★2 模型による建築設計の多様化と問題解決方法は藤村龍至による超線形設計プロセスに具体化されているが、磯崎の模型はこういった建築「以前」の模型とはまったく異なる。藤村龍至「超線形設計プロセス論──新たなコンテクスチュアリズムへ 」、『10+1』、LIXIL出版、2007年。以下で閲覧できる。URL=https://db.10plus1.jp/backnumber/article/articleid/782/
★3 レオン・バッティスタ・アルベルティ『建築論』相川浩訳、中央公論美術出版、1982年、38頁。
★4 クロード・レヴィ゠ ストロース『野生の思考』大橋保夫訳、みすず書房、1976年、30頁。
★5 多木浩二『比喩としての世界:意味のかたち』、青土社、1988年、151頁。
★6 同書、148頁。
★7 同書、151頁。
★8 磯崎新『見立ての手法:日本的空間の読解』、鹿島出版会、1990年、105頁。
★9 同書、128頁。
★10 同書、126頁。
 

布施琳太郎

1994年生。アーティスト。東京藝術大学大学院映像研究科(メディア映像専攻)修了。主な活動にプロジェクト「パビリオン・ゼロ」(2025/葛西臨海公園、コスモプラネタリウム渋谷など)、展覧会「150年」(2025年/豊島区東池袋)、個展「新しい死体」(2022/PARCO Museum Tokyo)、キュレーション展「惑星ザムザ」(2022/小高製本工業跡地)など。その他、ルーブル・アブダビ、国立西洋美術館、金沢21世紀美術館などで作品を発表。著書に『ラブレターの書き方』(2023/晶文社)、詩集『涙のカタログ』(2023/パルコ出版)。
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