展評――尖端から末端をめぐって(7) ステージの上の彫刻たち──小谷元彦「Tulpa –Here is me」展によせて|梅津庸一

初出:2019年07月19日刊行『ゲンロンβ39』
はじめに
今回は小谷元彦(1972-)の個展「Tulpa –Here is me」を取り上げる。小谷は90年代末に東京のアートシーンに突如現れた新星だった[★1]。デビュー以来、リヨン・ビエンナーレ(2000年)、イスタンブール・ビエンナーレ(2001年)、光州ビエンナーレ(2002年)などに立て続けに出展しており、2003年のヴェネチア・ビエンナーレでは日本館代表に選出されている。2010年には六本木ヒルズの森美術館で大規模な個展も開催している。また現在は東京藝術大学で准教授を務めるなど日本の現代アート界の中で確固たる地位を築いてきた作家と言って間違いない。しかしながら、これほどのキャリアを誇る小谷のことをしっかりと論じたテキストは意外なほど少なく、社会的プレゼンスの高さに反して全貌が掴みにくい作家の一人である。しかし小谷をめぐる考察はそのまま「現代アート」の根本的な問題を考えることにつながりうると筆者は考えている。小谷元彦の歩み
まずは小谷のこれまでの歩みを簡単に振り返っておきたい。小谷の最初期の代表作《Phantom-Limb》(1997年)は少女を被写体にした写真作品である。少女の両手は、すり潰した木の実の果汁で真っ赤に染まっている。しかし作品自体は、ファッション誌に掲載されそうなほどに洗練されており、芸術写真のような重苦しさはない。タイトルの通り、ここでは腕や足が切断された後もそれがまだ存在しているような感覚、それに伴う痛みと快楽が主題になっている。この「痛み」や「痛覚」はその後も小谷が追求していく主要なテーゼとなる。 その後、小谷は1999年に椹木野衣のキュレーションによる「日本ゼロ年展」に出展する。この展覧会で椹木はハイカルチャーとサブカルチャーの境界を無効化し旧来の鈍重な日本の美術史観の「リセット」を試みた。小谷が「日本ゼロ年展」に出品した作品は《Air “Gust”》(1999年)という木彫作品だった。女性の立像の表面には様々な模様が彫り込まれ、手から手品のように水が流れ出す様子が木彫で再現されていた。この作品は、大正から昭和初期の彫刻家である橋本平八の《花園に遊ぶ天女》(1930年)[★2]を着想源のひとつとしている。日本は明治期に西洋から入ってきた「彫刻」という概念・制度を早急にインストールしようとしたが、しかし様々な理由によりしっかり根付くことはなかった[★3]。橋本はそんな中で独自に仏教彫刻と西洋の彫刻の融合を模索した数少ない彫刻家だった。小谷はそんな一種のマニエリスムというべき橋本のDNAを一部で引き継ごうとしていた。椹木はこの時点での小谷作品を「「彫刻」であることの不自由さ、どうしようもなさ、融通の効かなさを正面から受け止め、その重力を思いもつかないやり方で脱臼させてしまう軽やかさもかさねもっている」[★4]と評している。 2003年のヴェネチア・ビエンナーレに出品した《ロンパース》(2003年)は木の枝に座る異世界の少女が登場するファンタジックでエロティックな映像作品だが、この作品はスイス人のアーティストであるウーゴ・ロンディノーネ[★5]の《I don't live here anymore》(1995年)から少なからず影響を受けていると思われる。このシリーズはロンディノーネがファッション広告の女性モデルのグラビア写真の顔をデジタル技術によって自分の顔に置き換えるというものだが、そのシリーズのうちの1点が《ロンパース》と同じように裸足で木の枝に座っており、構図もシチェーションもほとんど同じなのだ。とはいえ、ここで指摘したいのはイメージの類似性ではなく、むしろ小谷が当時欧米の作家を丹念にリサーチし、影響を受けていたのではないかという点である。ロンディノーネは現実と空想の間の境界を探るために写真、彫刻、絵画、映像、インスタレーションを横断し組み合わせるが、小谷もまた様々なメディウムを同時に使うことを特徴としていた。つまりこれは当時の海外アーティストの最新のトレンドをなるべく早く貪欲に吸収していた小谷の勤勉さを物語っている。それによって当時の日本ではまだ珍しかった多ジャンル性を小谷はいち早く実装することができたというのはあながち間違いではないはずだ。
他にも狼の毛皮を使った《Human Lesson (Dress 01)》(1996年)[★6]や髪の毛を使った《Double Edged of Thought (Dress 02)》(1997年)といった作品もあるが、小谷という作家を簡単に説明すると、東京藝術大学美術学部彫刻科出身であり「彫刻」を主要なメディウムにしながらも、それと同時に海外のアートシーンの動向とも同期した多ジャンル性を持ち、「痛み」や「痛覚」を主題とする優秀なアーティストという認識でひとまずは問題ないだろう。しかし、小谷には別の側面があることを忘れてはならない。それはブランディングの力である。小谷はデビューした90年代からの現代美術のシーンの中で、美術の外の同時代の空気を積極的に纏い、自分を他のプレーヤーから差別化することに成功していた。もちろん、作品と作者は分けて考えるべきだという考え方もある。しかしながら、作品が公開される場である展覧会が、自然発生するわけでなく作家自身の社交や交渉なくしては生まれない以上、両者を完全に分けることはできないのではないか。
美術作品、ことに現代アートにおける「作品」は実体のあるオブジェのみとは限らず、非物質的領域こそが作品本体であることは全く珍しいことではない。それはつまり、作品の持つ文脈や物語、タイミング、そして作者自身のブランディングなどが複合的に作品を形成し、左右するということだ。場合によっては、マテリアルとしての作品以上に説話やコンセプトのほうが重要だったりすることも多々ある。さらに言えば「作品」と「作家」を厳密に区分する標自体も存在しない。ましてや、今回取り上げる「Tulpa –Here is me」という個展は小谷のセルフポートレートがテーマである。作家自身の立場や背景の物語は積極的に参照されるべきだ。前述したように、小谷は同世代のアーティストの中では飛び抜けて自己プロデュース力が高かった。雑誌の表紙を俳優さながらのポーズで飾り、また過去のインタビュー記事などを読み返してみても、適度な深度で真面目なことも言えば、自身の本音や欲望をちらつかせもする。それはアーティスト小谷と普段の自然体の小谷の高低差を利用した一種のファンサービスでありそれ自体が小谷にとって重要な表現媒体だった。実際、同時代のトレンドに目を向けつつイケメン俳優然としたアーティスト像を作り上げていく様は見事だったし、そのブランドイメージ自体が、彫刻家である小谷にとってのもうひとつの「人体塑像」であったとは言えないだろうか。
セルフプロデュース力と震災と
他にも狼の毛皮を使った《Human Lesson (Dress 01)》(1996年)[★6]や髪の毛を使った《Double Edged of Thought (Dress 02)》(1997年)といった作品もあるが、小谷という作家を簡単に説明すると、東京藝術大学美術学部彫刻科出身であり「彫刻」を主要なメディウムにしながらも、それと同時に海外のアートシーンの動向とも同期した多ジャンル性を持ち、「痛み」や「痛覚」を主題とする優秀なアーティストという認識でひとまずは問題ないだろう。しかし、小谷には別の側面があることを忘れてはならない。それはブランディングの力である。小谷はデビューした90年代からの現代美術のシーンの中で、美術の外の同時代の空気を積極的に纏い、自分を他のプレーヤーから差別化することに成功していた。もちろん、作品と作者は分けて考えるべきだという考え方もある。しかしながら、作品が公開される場である展覧会が、自然発生するわけでなく作家自身の社交や交渉なくしては生まれない以上、両者を完全に分けることはできないのではないか。
美術作品、ことに現代アートにおける「作品」は実体のあるオブジェのみとは限らず、非物質的領域こそが作品本体であることは全く珍しいことではない。それはつまり、作品の持つ文脈や物語、タイミング、そして作者自身のブランディングなどが複合的に作品を形成し、左右するということだ。場合によっては、マテリアルとしての作品以上に説話やコンセプトのほうが重要だったりすることも多々ある。さらに言えば「作品」と「作家」を厳密に区分する標自体も存在しない。ましてや、今回取り上げる「Tulpa –Here is me」という個展は小谷のセルフポートレートがテーマである。作家自身の立場や背景の物語は積極的に参照されるべきだ。前述したように、小谷は同世代のアーティストの中では飛び抜けて自己プロデュース力が高かった。雑誌の表紙を俳優さながらのポーズで飾り、また過去のインタビュー記事などを読み返してみても、適度な深度で真面目なことも言えば、自身の本音や欲望をちらつかせもする。それはアーティスト小谷と普段の自然体の小谷の高低差を利用した一種のファンサービスでありそれ自体が小谷にとって重要な表現媒体だった。実際、同時代のトレンドに目を向けつつイケメン俳優然としたアーティスト像を作り上げていく様は見事だったし、そのブランドイメージ自体が、彫刻家である小谷にとってのもうひとつの「人体塑像」であったとは言えないだろうか。
しかし、そんな小谷のスタイルが上手くいっていたのは、少なくとも震災前までだったように見える。現代アート界が煌びやかなスターや適度な刺激を求めていた時期においては、小谷のキャラクターはそのニーズにぴったりとフィットしていた。しかし、2011年の東日本大震災はアートの慣習やインフラ、そしてシステム全体を揺るがし、美術界に虚無感と不安を蔓延させた。そこで、小谷のようにアートのインフラに深く依拠するタイプのアーティストは一気に輝きを失っていった。あくまでも筆者の観測範囲からの視点だが、小谷の近代彫刻に自己言及するという行為が東京藝大という問題のそもそもの震源地[★7]の内部から発信されることの説得力や必然性は低下していったように思う。それに加えて、小谷は美術館、コマーシャルギャラリー、雑誌、芸術大学という既存のインフラ以外の場所での活動の経験がほとんどなかったのである。いま振り返って見れば、小谷が巧みに構築したキャラクターが纏っていた「美術の外」の雰囲気とは、結局のところなんの実体もないただの空気でしかなかったのだ。
前置きが長くなったが、ここでようやくANOMALY[★8]で開催された小谷の個展について論じていこうと思う。ANOMALYは東京都品川区のウォーターフロントに最近できたTERRADA ART COMPLEXの中に軒を連ねている。業務用の巨大なエレベーターを降りるとそこにはコンクリートのスケルトンとホワイトキューブの中間のような空間が広がっている。現代アートの作品にとって最適な空間と言えるだろう。そこには小谷がつくった等身大からミニチュアサイズの人体像が床へ直に置かれていたり、宙に吊るされていたり、車椅子に乗せられていたり、台に載せられたりと、まるでテーマパークのように配置されていた。黒っぽかったり鈍い銀色だったりする不気味な人体像たちは芸術作品然としたアウラを湛えてはいたが、展示全体としては、演劇的な空間というよりむしろ一室にたくさんの作品がひしめき合う美大の彫刻科の卒業制作展のような無秩序さを感じた。
本展で展示されていた小谷の新作は、大小の人体像であり小谷のセルフポートレートだった。2017年に心筋梗塞で倒れたことをきっかけに、小谷は「実存」をテーマに様々なスケールで直接的に「痛み」を表現している。たとえば《Tulpa –Plantman》(2019年)は頭が蘭のような花と同化している。一見ブロンズ像のように見えるが大半はFRP[★9]でできており、箔やエイジング塗装によって素材の属性や経過年数が改竄されている。また足の付け根や手にはところどころ穴が空いているのだが、この穴は金属が朽ちてできた空洞のように演出されていたりする。小谷の彫刻の表面には、幾重にもイミテーションとギミックが上書き保存された痕が残っている。つまりここでは、モチーフである人物の死とジャンルとしての彫刻の死が重ね合わされオブジェ化されているのだ。石油や鉱物や金属などの各素材はそれぞれ自然物と人工物の間を往還しながらもしっかりと組織化され危なげなくオブジェを形成している。その一方でそれぞれの素材が風化したり酸化したりすることを演じることでバラバラになっていくことも同時に示唆されているが、ここではまた、生命の終わった人間が物質になっていく過程が逆再生されるように立ち上がっているのである。それと同時に、人や彫刻が滅ぶとき、物質は細かくなったり状態変化もしくは化学変化したりするけれども、決して完全に消滅するわけではないという意志も込められているように感じた。小谷の人体像たちをフィギュアとして見るとやや稚拙な演技や演出が目立つが、素材レベルでの演じ分けはマニアックすぎるほど練られていたように思う。
癒着するレディメイドとハンドメイド
前置きが長くなったが、ここでようやくANOMALY[★8]で開催された小谷の個展について論じていこうと思う。ANOMALYは東京都品川区のウォーターフロントに最近できたTERRADA ART COMPLEXの中に軒を連ねている。業務用の巨大なエレベーターを降りるとそこにはコンクリートのスケルトンとホワイトキューブの中間のような空間が広がっている。現代アートの作品にとって最適な空間と言えるだろう。そこには小谷がつくった等身大からミニチュアサイズの人体像が床へ直に置かれていたり、宙に吊るされていたり、車椅子に乗せられていたり、台に載せられたりと、まるでテーマパークのように配置されていた。黒っぽかったり鈍い銀色だったりする不気味な人体像たちは芸術作品然としたアウラを湛えてはいたが、展示全体としては、演劇的な空間というよりむしろ一室にたくさんの作品がひしめき合う美大の彫刻科の卒業制作展のような無秩序さを感じた。
本展で展示されていた小谷の新作は、大小の人体像であり小谷のセルフポートレートだった。2017年に心筋梗塞で倒れたことをきっかけに、小谷は「実存」をテーマに様々なスケールで直接的に「痛み」を表現している。たとえば《Tulpa –Plantman》(2019年)は頭が蘭のような花と同化している。一見ブロンズ像のように見えるが大半はFRP[★9]でできており、箔やエイジング塗装によって素材の属性や経過年数が改竄されている。また足の付け根や手にはところどころ穴が空いているのだが、この穴は金属が朽ちてできた空洞のように演出されていたりする。小谷の彫刻の表面には、幾重にもイミテーションとギミックが上書き保存された痕が残っている。つまりここでは、モチーフである人物の死とジャンルとしての彫刻の死が重ね合わされオブジェ化されているのだ。石油や鉱物や金属などの各素材はそれぞれ自然物と人工物の間を往還しながらもしっかりと組織化され危なげなくオブジェを形成している。その一方でそれぞれの素材が風化したり酸化したりすることを演じることでバラバラになっていくことも同時に示唆されているが、ここではまた、生命の終わった人間が物質になっていく過程が逆再生されるように立ち上がっているのである。それと同時に、人や彫刻が滅ぶとき、物質は細かくなったり状態変化もしくは化学変化したりするけれども、決して完全に消滅するわけではないという意志も込められているように感じた。小谷の人体像たちをフィギュアとして見るとやや稚拙な演技や演出が目立つが、素材レベルでの演じ分けはマニアックすぎるほど練られていたように思う。
筆者が小谷の彫刻の素材やエイジング塗装にとりわけ注目してしまうのには理由がある。筆者の個人的な経験談になってしまうが少し触れたいと思う。10年ほど前、筆者は京王線沿いのとある造形屋の工房でアルバイトをしていた。造形屋とはテーマパークの置物や資料館のジオラマやテレビで使う特殊なオブジェなどあらゆる種類の造形物を作るところである。ちなみに村上隆の立体作品の多くも造形屋で製作されている。筆者は土器のレプリカを作る部署に配属されていた。
割れた土器の欠けらをセメダインで接着しパズルのように組み上げる。その後、錫の箔を貼り、型取りをしてFRP製の土器のレプリカを作る。それに本物の土器と同じ色・質感になるようにアクリル絵の具で彩色していく。絵画であれば、絵の具は像を形づくったり、絵の具それ自体が自己主張することが許されるがここではそんな余地は全くない。砂の粒や微細なひび割れもルーペを使いながら数日かけて彩色した。何千年も前のものをアクリル絵の具で再現するということにはじめは戸惑ったが、アクリル絵の具も石油でできていることを思えばそれも妥当かもしれないと次第に納得するようになった。
そして震災当日、筆者はとある遺跡のお墓のレプリカを彩色中で、人の骨を焦げ茶色に塗装している最中だった。
震災後は文化事業にお金が回らなくなり、博物館からその類の仕事依頼が減ったので筆者はバイトを辞めることになった。それが、本展を見ていて急に思い出が蘇ってきたのだった。
博物館のレプリカと小谷作品は共通点が多い。素材も手法もほぼ一緒とも言える。違いは土器のレプリカは対象をお手本とし転写するように再現するのに対し、小谷の彫刻には小谷の想定した時間が恣意的に付与されているという点である。
展覧会の話に戻ろう。本展の像の多くからは、60年代から活動した彫刻家ジョージ・シーガル[★10]やアメリカのスーパーリアリズムに分類されるドゥエイン・ハンソンなどのように、生身の人間から直接型をとる作風で知られる作家たちの人体像と近い印象を受ける。実際の人間と同じスケール感を持つ人体彫刻は、当然のことながら既製の衣服や車椅子などと親和性が高い。しかしこれらの小谷作品は、マネキン的でありながら型取り彫刻ではない。今日、人体をマッス[★11]で捉え作者の手で造形するという試みは、木や粘土や石を加工することの労働的な負担や、3Dプリンタの登場などいくつかの要因が重なったことで激減している。しかし小谷の彫刻には、いまだにこの昔ながらの造形の痕跡が伺える。筆者は小谷の仕事現場を実際に見たことがないので想像するより他ないが、本展の小谷作品は型取りしたパーツと粘土で自作したパーツと既製品がキメラのように複雑に組み合わされているように感じる。それはアッサンブラージュ[★12]やコラージュのように異素材を結合していることを意味するが、その接合箇所の多くは継ぎ目をパテ埋めするような要領で消しさられているため、もろもろの諸要素はひとつの個体に還元されている。たしかに小谷の彫刻には伝統的な技術と最先端の技術が統合されてはいるが、それはインクジェットプリントとアクアチントとリトグラフを同一の作品の中で併用する版画家と似たような意味でのミクストメディアなのであって、新しい技術の工学的な側面の可能性は去勢され伝統的な塑造の文法に従属させられている。
割れた土器の欠けらをセメダインで接着しパズルのように組み上げる。その後、錫の箔を貼り、型取りをしてFRP製の土器のレプリカを作る。それに本物の土器と同じ色・質感になるようにアクリル絵の具で彩色していく。絵画であれば、絵の具は像を形づくったり、絵の具それ自体が自己主張することが許されるがここではそんな余地は全くない。砂の粒や微細なひび割れもルーペを使いながら数日かけて彩色した。何千年も前のものをアクリル絵の具で再現するということにはじめは戸惑ったが、アクリル絵の具も石油でできていることを思えばそれも妥当かもしれないと次第に納得するようになった。
そして震災当日、筆者はとある遺跡のお墓のレプリカを彩色中で、人の骨を焦げ茶色に塗装している最中だった。
震災後は文化事業にお金が回らなくなり、博物館からその類の仕事依頼が減ったので筆者はバイトを辞めることになった。それが、本展を見ていて急に思い出が蘇ってきたのだった。
博物館のレプリカと小谷作品は共通点が多い。素材も手法もほぼ一緒とも言える。違いは土器のレプリカは対象をお手本とし転写するように再現するのに対し、小谷の彫刻には小谷の想定した時間が恣意的に付与されているという点である。
展覧会の話に戻ろう。本展の像の多くからは、60年代から活動した彫刻家ジョージ・シーガル[★10]やアメリカのスーパーリアリズムに分類されるドゥエイン・ハンソンなどのように、生身の人間から直接型をとる作風で知られる作家たちの人体像と近い印象を受ける。実際の人間と同じスケール感を持つ人体彫刻は、当然のことながら既製の衣服や車椅子などと親和性が高い。しかしこれらの小谷作品は、マネキン的でありながら型取り彫刻ではない。今日、人体をマッス[★11]で捉え作者の手で造形するという試みは、木や粘土や石を加工することの労働的な負担や、3Dプリンタの登場などいくつかの要因が重なったことで激減している。しかし小谷の彫刻には、いまだにこの昔ながらの造形の痕跡が伺える。筆者は小谷の仕事現場を実際に見たことがないので想像するより他ないが、本展の小谷作品は型取りしたパーツと粘土で自作したパーツと既製品がキメラのように複雑に組み合わされているように感じる。それはアッサンブラージュ[★12]やコラージュのように異素材を結合していることを意味するが、その接合箇所の多くは継ぎ目をパテ埋めするような要領で消しさられているため、もろもろの諸要素はひとつの個体に還元されている。たしかに小谷の彫刻には伝統的な技術と最先端の技術が統合されてはいるが、それはインクジェットプリントとアクアチントとリトグラフを同一の作品の中で併用する版画家と似たような意味でのミクストメディアなのであって、新しい技術の工学的な側面の可能性は去勢され伝統的な塑造の文法に従属させられている。
それらの特徴は小谷と同世代の海外の人体像を作る現代の彫刻家、たとえばマシュー・モナハン[★13]やデイビット・アルトメジョ[★14]と比較するとより顕著に見えるかもしれない。彼らは一般的な彫刻に使われる素材にガラスや蜂の巣のような網や羽毛や結晶などの異素材をアッサンブラージュ的に組み合わせることで、美術史の射程を越えて考古学や博物学的な諸体系を作品に宿す。それらSFや神話的な物語も想起させる彫刻は、近代の人体像の呪縛にはとらわれていない。一方、小谷の作る人体像は、たとえ異なる複数の素材を組み合わせていたとしても、その造形がロダン―佐藤忠良から連なる日本の美大や団体公募展で散見されるような、もっとも典型的な「ヒトガタ」に近い。小谷の作品のプランドローイングは記号的で、線で思考することが不得意であることが伺える。つまり小谷が彫刻をモデリングする際には、ドローイング的な感受性ではなく美術予備校的なロダン―忠良式の日本の近代彫刻の定型の演算システムが駆動しているのだ。それによって、小谷の彫刻作品には日本の近代彫刻の「蒙古斑」が否応なく浮かび上がってくる。
しかしながら、それはマシューやデイビッドと比べて日本近代的な彫刻のあり方に固執する小谷の人体像がキッチュな装飾人形に成り下がっているということを意味するわけではない。ポストヒューマンやAIといった近年のトピックに最適化しようとするアーティストが多い中で、小谷からはそのあたりの動向とは一定の距離をとろうという姿勢が伺える。彫刻というメディアが持っている厄介さをなかったことにはせずに作品の中でそれを更に強化し抱え込もうとしているように見える。
問題があるとすれば、本来なら小谷作品と地続きのはずの日展をはじめとする団体展系の日本近代彫刻史との血縁関係がきちんと明示されていない点だろう。たとえそれが歯抜け状態のゾンビにすぎなかったとしても、である。小谷は、その初期こそ現代美術におけるマニエリストとして自身を位置づけることに成功したかに思えたが、その後は自身の手におえる範疇を超える創作のテーマや課題に苦戦を強いられてきたように見える。そして筆者が思うに、この問題は近代的な彫刻家の葛藤そのものである。それによって小谷の彫刻は文脈上、現代美術におけるマニエリスムから現代美術における古典主義の劣化版に下方修正されてしまったという見方もできるかもしれない。だがその見方では、小谷の本質を捉えきれないのだ。素材の選択や加工の的確さや、既成品の使用などの適度な手抜きによりレディメイドの色合いが強かった初期の小谷作品とは異なり、今回の個展の自刻像たちのうちには、マネキンのような型取りとロダンから忠良に至る日本の近代彫刻の蒙古斑が奇妙に同居している。それは言いかえれば、彫刻におけるアウラや不純物を担保するハンドメイド的要素と現代アートにおける客観性と知的さを担保するレディメイド的要素のふたつがひとつの作品の中でせめぎ合っているということだ。
ところで、もし仮にこれらの小谷作品が現代美術のギャラリーではなく空き地やファッションビルのメンズフロアや美容室のインテリアとして配置されていたとしたら、全く違う見え方をしただろう。単純すぎる話に聞こえるかもしれないが、小谷の作品は制度の中心ではなく街や在野でこそ真価を発揮するのではないだろうか。それは彼がドラえもん展や荒木飛呂彦展[★15]に作品を提供するような依頼仕事をこなしているということではなく、そもそも彫刻は本来であれば公共の場におけるモニュメントであることを志向しているメディアであるという意味においてである。小谷は自作で彫刻のそういった根源的な面をしばしばすくいとっている。またそれは彫刻というメディアが持つ権威構造の問題とも表裏一体である。であるならば、小谷が美術における最高学府である東京藝術大学の彫刻科の中で後進の指導・育成をしていることとも無関係ではない。筆者の考えでは、一握りの選ばれし者たちへのカジュアルなエリート教育は美大出身者ばかりが席を埋める美術業界の排他的な体質をさらに強化することにしかならない。小谷は「彫刻」という本来は美術制度の外と接続しうるものを制度内に幽閉し、入り口である教育の分野では新しい「台座」を作っているとは言えないか。誤解を恐れずに言うと、筆者は彫刻という分野に可能性があるのだとすれば、それは美術大学という機関から適切な距離をとれるかどうかにかかっていると思っている。
しかしながら、それはマシューやデイビッドと比べて日本近代的な彫刻のあり方に固執する小谷の人体像がキッチュな装飾人形に成り下がっているということを意味するわけではない。ポストヒューマンやAIといった近年のトピックに最適化しようとするアーティストが多い中で、小谷からはそのあたりの動向とは一定の距離をとろうという姿勢が伺える。彫刻というメディアが持っている厄介さをなかったことにはせずに作品の中でそれを更に強化し抱え込もうとしているように見える。
問題があるとすれば、本来なら小谷作品と地続きのはずの日展をはじめとする団体展系の日本近代彫刻史との血縁関係がきちんと明示されていない点だろう。たとえそれが歯抜け状態のゾンビにすぎなかったとしても、である。小谷は、その初期こそ現代美術におけるマニエリストとして自身を位置づけることに成功したかに思えたが、その後は自身の手におえる範疇を超える創作のテーマや課題に苦戦を強いられてきたように見える。そして筆者が思うに、この問題は近代的な彫刻家の葛藤そのものである。それによって小谷の彫刻は文脈上、現代美術におけるマニエリスムから現代美術における古典主義の劣化版に下方修正されてしまったという見方もできるかもしれない。だがその見方では、小谷の本質を捉えきれないのだ。素材の選択や加工の的確さや、既成品の使用などの適度な手抜きによりレディメイドの色合いが強かった初期の小谷作品とは異なり、今回の個展の自刻像たちのうちには、マネキンのような型取りとロダンから忠良に至る日本の近代彫刻の蒙古斑が奇妙に同居している。それは言いかえれば、彫刻におけるアウラや不純物を担保するハンドメイド的要素と現代アートにおける客観性と知的さを担保するレディメイド的要素のふたつがひとつの作品の中でせめぎ合っているということだ。
ところで、もし仮にこれらの小谷作品が現代美術のギャラリーではなく空き地やファッションビルのメンズフロアや美容室のインテリアとして配置されていたとしたら、全く違う見え方をしただろう。単純すぎる話に聞こえるかもしれないが、小谷の作品は制度の中心ではなく街や在野でこそ真価を発揮するのではないだろうか。それは彼がドラえもん展や荒木飛呂彦展[★15]に作品を提供するような依頼仕事をこなしているということではなく、そもそも彫刻は本来であれば公共の場におけるモニュメントであることを志向しているメディアであるという意味においてである。小谷は自作で彫刻のそういった根源的な面をしばしばすくいとっている。またそれは彫刻というメディアが持つ権威構造の問題とも表裏一体である。であるならば、小谷が美術における最高学府である東京藝術大学の彫刻科の中で後進の指導・育成をしていることとも無関係ではない。筆者の考えでは、一握りの選ばれし者たちへのカジュアルなエリート教育は美大出身者ばかりが席を埋める美術業界の排他的な体質をさらに強化することにしかならない。小谷は「彫刻」という本来は美術制度の外と接続しうるものを制度内に幽閉し、入り口である教育の分野では新しい「台座」を作っているとは言えないか。誤解を恐れずに言うと、筆者は彫刻という分野に可能性があるのだとすれば、それは美術大学という機関から適切な距離をとれるかどうかにかかっていると思っている。
いずれにせよ、このような複数の事情が絡み合うジレンマは小谷の彫刻作品が孕むトートロジーと相似形を成している。小谷は自らを制度の中心に拘束することで安定した生活と地位を得ることと引き換えに、大胆な戦術が打てなくなっているように筆者には思えるのだ。制度で守られた場所に展示物を陳列し、それを通して「痛み」を観客に共有してもらうだけではなく、自身の厨二的な想像力を逆探知するようなメタ視点が必要なのではないだろうか。たとえば、彼が原点回帰を期して制作した《SP》(スカルプチャープロジェクト)[★16]という彫刻作品のシリーズは「スターウォーズ」さながらに、ナンバリングされていながらも発表される順番が必ずしも時系列順ではないという、いかにも「イタい」設定がなされている他、様々な謎のルール設定が敷かれていたりする。そういう類いの一種の「イタさ」と内的でシリアスな「痛み」は、小谷元彦という「フィギュア」にとって本来は表裏一体であり等価値だったのではないだろうか。
最後に筆者の趣味へ引き寄せて申し訳ないが、これまで見てきたような小谷作品のタイトルやコンセプト、それから彼自身のインタビューでの発言などは、どうもV系バンドの世界観や振る舞いと被っている気がしてならない。それも最近のバンドではなく90年代の「コテ系」[★17]のメメント・モリ的な世界観である。つまり、ステージの上からアーティストが自身の切実だったり抽象的だったりする「痛み」を退廃的な世界観の中で訴え、ファンはそれを見上げるというお決まりの構図だ。それに対して、テン年代後半のV系バンドたちはステージからフロアに降りることや舞台裏を見せることを厭わない[★18]。小谷というアーティストがかつて先行世代の作家像を刷新できたのは自身をメディウムにしたことに起因すると筆者は考えている。テン年代のV系バンドがこんなにも輝いているのは、自身の身体をメディウムとした上で様々な文脈とオブジェクトをアッサンブラージュのように寄せ集めたかと思えば赤裸々な私生活や物語(これもフィクションかもしれない)をあけすけに開示することができたからである。今後の小谷には東京藝大や美術館、ギャラリーをはじめとしたステージ(台座)から降りてフロア(在野)での活動に期待したい。
おわりに
最後に筆者の趣味へ引き寄せて申し訳ないが、これまで見てきたような小谷作品のタイトルやコンセプト、それから彼自身のインタビューでの発言などは、どうもV系バンドの世界観や振る舞いと被っている気がしてならない。それも最近のバンドではなく90年代の「コテ系」[★17]のメメント・モリ的な世界観である。つまり、ステージの上からアーティストが自身の切実だったり抽象的だったりする「痛み」を退廃的な世界観の中で訴え、ファンはそれを見上げるというお決まりの構図だ。それに対して、テン年代後半のV系バンドたちはステージからフロアに降りることや舞台裏を見せることを厭わない[★18]。小谷というアーティストがかつて先行世代の作家像を刷新できたのは自身をメディウムにしたことに起因すると筆者は考えている。テン年代のV系バンドがこんなにも輝いているのは、自身の身体をメディウムとした上で様々な文脈とオブジェクトをアッサンブラージュのように寄せ集めたかと思えば赤裸々な私生活や物語(これもフィクションかもしれない)をあけすけに開示することができたからである。今後の小谷には東京藝大や美術館、ギャラリーをはじめとしたステージ(台座)から降りてフロア(在野)での活動に期待したい。
★1 東京の恵比寿にあったP-HOUSEというギャラリーで小谷は初個展「Phantom-Limb」を開催した。P-HOUSEは秋田敬明の住んでいたマンションの一室をギャラリーに改装したスペースで村上隆や椹木野衣が運営に関わっていた。小谷の他に漫画家の岡崎京子も個展を開催している。
★2 橋本平八(1897‐1935)の代表作のひとつ。また自然の石をモデルにした異色の木彫《石に就て》を念頭においた作品も小谷は2007年に制作している。橋下は仏教だけではなくダダやシュルレアリスムにも触れており、ウィリアム・ブレイクやムンクのことも高く評価していた。弟は詩やデザインの分野で活躍した北園克衛。
★3 西洋彫刻とは公共の空間に設置される記念碑的な性質を帯びるものだが、日本の歴史との相性はそこまで良くなかったように思われる。
★4 「日本ゼロ年展」展覧会図録の13ページより。本展は水戸芸術館現代美術センターで1999年11月から2000年1月にかけて開催された。キュレーションは椹木野衣。出品作家は会田誠、飴屋法水、大竹伸朗、岡本太郎、小谷元彦、できやよい、東松照明、成田亨、村上隆、ヤノベケンジ、横尾忠則。
★5 Ugo Rondinone(1964‐)は、ニューヨークを拠点とするスイス生まれのアーティスト。オプアートのような同心円の絵画や巨大なカラフルな岩を積み重ねた7つの塔で構成される大規模な野外彫刻《Seven Magic Mountains》が広く知られている。日本では2011年のヨコハマトリエンナーレに出品している。
★6 狼の剥製の毛皮を使った作品。小谷の母親がドレスに仕立てた(季刊『プリンツ21 2012年春号 特集小谷元彦』より)。
★7 1899年に東京藝術大学の前身である東京美術学校に塑造科ができ日本における「彫刻」の受容は広がっていった。しかし現在においても「彫刻」は一般化されたとは言えないだろう。
★8 2018年11月に「山本現代」と「URANO」、「ハシモトアートオフィス」が合併して生まれた新ギャラリー。こけら落しはChim↑Pomの個展「グランドオープン」だった。
★9 繊維強化プラスチック。ガラス繊維などをプラスチックに混ぜ込んだ複合素材。軽くて丈夫な素材である。
★10 George Segal(1924‐2000)は、ポップアート運動に関連したアメリカのアーティスト。伝統的な鋳造技術の代わりに、石膏を染み込ませたガーゼを用いて生身の人間から型を取る手法を開発。友人、家族、近所の人などをモデルにした等身大の人体像はよく街中で見かけるようなシチュエーションが再現され不気味な日常ドラマの様相を呈する。
★11 彫刻作品を造形したり、デッサンをしたりする際によく使われる用語。モチーフの意味や記号性やディティールを一度取り払いひとつの塊として把握することで量感を捉えやすくするための見方。
★12 アッサンブラージュはコラージュの立体版といえる手法。ものを寄せ集め、積み上げ、貼り付けるなどの方法により制作された美術作品(立体作品)。作例としてR・ラウシェンバーグの「コンバイン・ペインティング」やダダのクルト・シュヴィッタース「メルツ建築」などが挙げられる。
★13 Matthew Monahan(1972‐)はロサンゼルスを拠点とするアメリカの現代アーティスト。モダニズムから古代の芸術まで、幅広い対象をリソースに彫刻作品を作る。解剖や装飾、保存修復などあらゆる要素が作品の上で展開される。台座には石膏ボードなど安価で脆弱な素材がよく使われる。2012年に Kaikai Kiki Gllery で個展を開催。
★14 David Altmejd(1974‐)はカナダのアーティスト。これまで隣り合うことがなかったような様々な異素材を、内側や外側という構造に規定されずにぎゅっと接合することで、魔術的とも科学的とも言える彫刻を作る。
★15 2018年に「ジョジョの奇妙な冒険」シリーズの連載30周年を記念して国立新美術館で開催された「荒木飛呂彦原画展 JOJO 冒険の波紋」には小谷が本展のために制作した新作《Morph(モルフ)》も展示された。
★16 様々なメディアを横断してきた小谷が原点である彫刻に立ち返ったシリーズ。《SP2 New Born》(2007年)は古代生物の骨を思わせる白い作品。《SP4 the specter “What wanders around in every mind”》(2009年)は高村光雲《楠正成像》(1904年)を起点にゾンビとしての日本近代彫刻として再解釈。また2012年に井原市立田中美術館で開催された展覧会には「SP0」という名前がつけられていた。
★17 一般的にコテコテなメイクをするバンドを指す。ここでは詳しく触れることはできないが、V系はアニメ、漫画、ゲームに並ぶ重要コンテンツであり体系化も進んでいるが文化としての研究はほぼ手付かずの状態である。
★18 米田翼による「ピクトグラムとしての夢――フロアの論理とマイナー盤の作法」はR指定のV系シーンを自己言及する楽曲「VISUAL IS DEAD」が冒頭で語られる比類のないV系論(2017年に発行された批評誌『アーギュメンツ #2』に収録)。ちなみにK.K.による「ワラッテイイトモ、」からちょうど10年後の2013年にリリースされた「VISUAL IS DEAD」のPVでは偶然にも「ワラッテイイトモ、」と同じくテレビが破壊されるシーンがある。
ゲンロンαへの追記
ゲンロン編集部からANOMALYに小谷元彦作品の写真提供をお願いしたところ、断られてしまったため、本稿は作品の図版なしでの掲載となりました。
ANOMALYに少なからず関わりのあるいち作家として、とても残念にそして恥ずかしく思います。コマーシャルギャラリーは作家のブランドイメージをコントロールする役割も担っていますが、批評には寛容であるべきなのではないかと思います。
ゲンロン編集部からANOMALYに小谷元彦作品の写真提供をお願いしたところ、断られてしまったため、本稿は作品の図版なしでの掲載となりました。
ANOMALYに少なからず関わりのあるいち作家として、とても残念にそして恥ずかしく思います。コマーシャルギャラリーは作家のブランドイメージをコントロールする役割も担っていますが、批評には寛容であるべきなのではないかと思います。
梅津庸一(美術家・パープルーム主宰)
小谷元彦の作品画像を掲載した本稿の初出は『ゲンロンβ39』でお読みいただけます。(編集部)


梅津庸一
1982年山形生まれ。美術家、パープルーム主宰。美術、絵画が生起する地点に関心を抱く。日本の近代洋画の黎明期の作品を自らに憑依させた自画像、自身のパフォーマンスを記録した映像作品、自宅で20歳前後の生徒5名と共に制作/共同生活を営む私塾「パープルーム予備校」の運営、「パープルームギャラリー」の運営、展覧会の企画、テキストの執筆など活動は多岐にわたる。主な展覧会に『梅津庸一個展 ポリネーター』(2021年、ワタリウム美術館)、『未遂の花粉』(2017年、愛知県美術館)。作品論集に『ラムからマトン』(アートダイバー)。作品集『梅津庸一作品集 ポリネーター』(美術出版社)今春刊行予定。
尖端から末端をめぐって
- 尖端から末端をめぐって(11) 陶芸と現代美術 『窯業と芸術』を開催するに至るまで(抜粋)|梅津庸一
- 展評──尖端から末端をめぐって(10) コロナ禍と「常設展」|梅津庸一
- 展評――尖端から末端をめぐって(9)「表現者は街に潜伏している。それはあなたのことであり、わたしのことでもある。」展について|梅津庸一
- 展評──尖端から末端をめぐって(8) ReFreedom_Aichi について|梅津庸一
- 展評――尖端から末端をめぐって(7) ステージの上の彫刻たち──小谷元彦「Tulpa –Here is me」展によせて|梅津庸一
- 展評――尖端から末端をめぐって(6) 「オブジェを消す前に ―松澤宥 1950-60年代の知られざるドローイング」展によせて|梅津庸一
- 王国的絵画、ピエール・ボナール展によせて
- 夏休みの展覧会巡り、アートとゴミの間には
- 人間・高山辰雄展
- 展評──尖端から末端をめぐって(2) ヌード NUDE―英国テート・コレクションより|梅津庸一
- カオス*ラウンジ新芸術祭2017


