危険な闘い ──あるいは現代アートの最前線(後篇)|会田誠+東浩紀 司会=黒瀬陽平

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初出:2014年03月20日刊行『ゲンロン通信 #11』

 会田誠は危険な作家である。昨年開かれた森美術館での個展「会田誠天才でごめんなさい」では、四肢切断された美少女を描いた連作『犬』が性差別を助長させるとして撤去を求められるなど、社会的事件に発展したばかりだ。なぜ彼は、危険な闘いを続けるのか。芸術は社会にとってどのような意味を持ち、いかにして関わるべきか。聞き手に東浩紀、司会にカオス*ラウンジ代表・黒瀬陽平を迎え繰り広げられた、現代アートの最前線を巡る熱いトークを完全収録。※本記事は前後編の後篇です。前篇は下のボタンからお読みいただけます。
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美大に役割はあるのか?


黒瀬陽平 会田さんは東京藝術大学や武蔵野美術大学で非常勤講師を務めた経験もあります。いまの美大についてはどのように見ていますか。

会田誠 嫌だけど気にはなってしまっています。美大系の話題がツイッターで流れてくると、つい反応して教育体制とかをディスってしまう癖がやめられない。裏返せばそれだけ気になってしまっているのでしょう。非常勤を合計四年間ほど務めましたけど、いろんな意味で向いていないことがわかって辞めてしまいました。でも美大を憂う気持ちがちょっと残ってますね。

黒瀬 そこが真面目なところですね。どうでもいいではすまさない。

会田 でも、美大を「アカデミー」と呼ぶのはおかしいと思っています。美術ですからね。東京大学とかハーバード大学のような学問しているアカデミーと美大は違いますよ。美大って東京藝大が明治時代にできたころから、校風としてバカ万歳という場所でしたしね。

東浩紀 業界の外から見ると、美大ってよくわからないんですね。なにを教えられているのかよくわからない。美大って、そもそもなんのためにあるんですか?

会田 自分探しのリストカッターが、とりあえず緊急避難的に猶予期間を与えられる場所。でも、そういうなんともいえない場所が社会にあるのは悪くないことです。目くじらを立てて「何の役に立つんだ」と突き詰めていくとなくしてしまうことになり、そうなると居場所がなくなる人がたくさん出てきてしまう(笑)。ただ、美術業界のほうから見てよくよく吟味すれば、世界的には美大は不要になってきてはいます。事実、ニューヨークやロンドンなどでも、大学以外からスター作家が出てきている。

黒瀬 日本の芸大、美大の特殊なところは、入学時点で高校生に課す試験で振り落としをすることです。まずは入学させてから進級で落とせばいいのに、日本では入試の時点で高いハードルを設定している。

 ぼくは文学をやっていました。その常識で言うと、小説家になるために文学部に入るというのは、かなりマヌケです。基本的に文学部は文学研究の場所で、小説を書くところではない。最近ではいろんな大学が小説の実技指導をやっているけど、これはほとんど意味がない。ところが美大には作家になるために通うわけですよね。研究目的ではない。

黒瀬 小説家になりたい人と違って、画家になりたい人とかアーティストになりたい人は、「美大に行かないとわからないことがあるんじゃないか」と、なんとなく思っちゃっているんですよね。

 で、実際にはあるの?

黒瀬 ないです。つまり美大に行かなくっても勉強できることばかりです。でも、美大に行かなければ業界に入れなかったり、上手くいかなかったりするといった妄想が浸透してしまっている。

会田 すぐに変革はできないけど、美大は普通の大学の文学部みたいにお堅くなって、もっと文字とかも読むような試験も課していったほうがいいと思う。それと同時に、Chim↑Pomメンバーのほとんどがそうだけど、美大を経由しないアーティストが堂々と胸を張ってデビューすることが珍しくない状況にするのが、健全かなと思うんですけどね。

 Chim↑Pomなんかを見て藝大の大学院生は無力感に打ちひしがれないのかなというのが、ぼくの素朴な疑問なんですが。

会田 打ちひしがれてほしいから、ツイッターで煽るようなことを言うこともあります。ところで、「Chim↑Pom vs カオス*ラウンジ」みたいな構図もあるようですが、そもそもぼくにカオス*ラウンジという名前を教えてくれたのは、Chim↑Pomのリーダーの卯城うしろ竜太りゅうただったんですよね。「一度観たほうがいい」と言われて連れられて行ったら、ぐちゃぐちゃとしたゴミ部屋みたいになっていた。観に行く前に卯城は、「Chim↑Pom結成のきっかけになった、群馬県立近代美術館の展示に近い」と言っていました。ぼくが群馬県立近代美術館に招かれて広いスペースが与えられたものの、ギャラが出なかったこともあり、若い人をたくさん呼んでぐちゃぐちゃにさせておくという企画にしたんです(笑)。堅苦しい美術は置いといて、素人がワイワイやっちゃっていいんじゃないかと。だから、卯城は初期のカオス*ラウンジのぐちゃぐちゃしたインスタレーションを観て、「やられた」という思いがあったんじゃないか。

 それにChim↑Pomは電脳系には弱くて、ほとんどコンピューターを触れないような連中なんですよね。それがコンピューターに詳しい人たちにやられてしまった。でも、初めて観たとき「なるほど、こういうのが出る必然はあるな」と思いましたよ。だから、いろいろ悪口言われても、やればいいんじゃないのかな。

黒瀬 すみません。会田さんから優しいフォローをいただいてしまいまして。

会田 卯城からしてみれば、確かに「屁理屈を言うインテリは嫌いだ」みたいなところがあるのかもしれないけど。

黒瀬 いえ、ぼくも本気でずっと根に持っているとかではないんで(笑)。

 なにかあったんですか?

黒瀬 以前、トークイベントをしていたら卯城さんが乱入してきて、朝の五時くらいまで罵り合いになってしまった。それが最初の出会いだったので......。

 基本的にChim↑Pomはヤンキー系で、カオス*ラウンジはオタク系ですからね。人生観が違う。

黒瀬 ファーストインパクトで、その違いがすごく出てしまいましたね。

 それは合わないでしょうね。お互いに「お前たちみたいなのがいるからこの世界は生きづらいんだ!」と思っているはず(笑)。

黒瀬 ただ、第一印象が最悪だったので、それ以上まずくなることはないんですよね。周りからも「卯城さんは不器用な人だ」と言われたので、こちらからもいろいろ読み取ろうと思っています。

椹木以降の美術評論


 美大は美術評論の場ではない、という話がありました。一般的に、美術について語るのは難しいですね。

会田 ぼくからすると、美術はとても簡単なんですけどね。いや、美術全般じゃないですね、「ぼくの美術は」ということですが。というのも、美術は言葉でできていないからです。美術はビジュアルであって、視神経から直接イメージが入ってくる。一方、思想や文学は言語中枢から入ってくる。だからぼくにとっては美術のほうが絶対に簡単なんですけどね。で、美術を言葉に変換しようとすると、とたんに難しくなってしまう。しかしそれを避ければ、基本的にはとても簡単なものなんですよ。

 そもそも作り手同士が展覧会で交わす言葉なんて、「よかったよ」くらいのもので、下手すれば言葉なんていらないときもある。なにも言わずジェスチャーだけで、作品をどう思ったか通じるくらいで。むしろ、作品が悪かったときの方が、どう悪かったのか説明しなければいけないから言葉を考えなければいけないかな。ほめるときにわざわざ言語に変換したいとは思わない。

 会田さんは、エッセイでも非常に理論的な文章を書きますよね。すごく理路整然と書かれている。美術家にしてはめずらしいと思います。会田さんのロジカルな部分とセクシャルな部分の関係性が、この対談で掴めたらいいな、と思っていました。

会田 そうでしょうか。まあ、「ロジカルに書かなければ」と必死に努めてはいますけれど。

 『青春と変態』もロジカルだし、ツイッターを見てもロジカルだし。多くの人々は、会田さんはすごく感覚的な人だと思っていると思うんですけど、文章の印象はまったく違う。そんな会田さんが評論や批評をどう見ているのかについては、興味があります。

会田 自分について書かれたことは、まったく読めません。そこには、かなり高い精神的なハードルがあります。他の人について書かれた評論は読めるんですけど、自分のことについて書かれた文章は、どなたのものでもまともに読めたことがない。でも、評論も芸術の一ジャンルであり、表現者として評論家という存在はライバルだと思っていますよ。「ぼくのことを正確に正しく記述してくれる世間への便利な紹介者」とは思っていない。

 二〇世紀後半に現代美術が言語ゲームになってからは、評論は言語ゲームをコントロールする役割を担ってきた。グリーンバーグが、アメリカ抽象表現主義が市場における位置を獲得するうえで、きわめて重要な役割を果たしたように。美術批評は生々しく市場と結びついている。

 実際、対談の最初に提示された問題とも関係しますが、浅田彰と岡崎乾二郎のコンビは一九九〇年代半ばに、美術の新しい流れから岡崎さんを擁護するためにこそ、『批評空間』で「モダニズムのハードコア」という特集号をつくり、いろんな論理を組み立てていた。「モダニズムのハードコア」で座談会のテープ起こしをしたのはじつはぼくなんですが、その作業をしながら、批評と美術の独特の生々しい関係を痛感することになった。だからぼくは美術評論をほとんど書かないのですが、あり得べき美術と評論の関係ってどんなものなのでしょう。
黒瀬 グリーンバーグに代表される二〇世紀アメリカの美術評論が目指したのは、新しく登場したものに価値を付与し、人々に欲望させることだった、といえるはずです。

会田 人々、庶民というよりは、意識の高い一握りのコレクターに向けている感じはしますね。

 ぼくは二年ほど前、あるお金持ちの人から、「東くんがほめているからあの作家の作品を買った」と言われたことがあって、すごく萎えたことがります。ぼくがほめたり、ほめなかったりすることが、投資と直接に結びついていく。もちろん、投資自体が汚いことだと言うつもりはありません。けれど、その世界に一度入ってしまうと、もう自由に発言できない。これは厄介な問題です。

 ぼくが文芸評論だけはかろうじて関わっていられるのは、本は基本的に原書の複製芸術なので、評論の力が相対的に弱いんですよね。つまり、ぼくがほめたからといって、発行部数が二倍になったりはしない。

会田 たしかに、複製が中心の小説やマンガ、ポピュラーミュージックは、評論家がほめようがけなそうが、あまり大きな影響はない。でも美術や演劇は複製できないので、そういう基本構造は進化できずにいる。もちろん、大量複製できないからこそ、コレクターや評論家など顔が見える範囲の人と小さなサークルで仕事ができるというメリットもある。個人的な信頼関係とかが大事で。しかし、だからこそ結果的に単価は高くなっていくし、批評との関係もあまりに密接になってしまう。どっちがいいとか悪いとかではなくて、双方にジレンマがあるのではないかと。

 批評の公平さを保つのは難しいんですよね。たとえば二〇一三年、あいちトリエンナーレを観に行った際、芸術監督の五十嵐太郎さんが、友人だったこともあり展示を直接案内してくれた。案内は本当にわかりやすくて感謝でいっぱいなのですが、説明をもらった時点で、五十嵐さんの視点が入ってきてしまうのは避けられないとも思った。ぼくは美術評論家ではないからいいけれど、そういう点では、オープニングパーティーに出席することすらまずいのかもしれない。

会田 ぼくはデビューのときから説明魔なんですよ。でも、特殊な説明魔かもしれない。作品自体のきちんとした説明よりも、それ自体が独立して芸になっているような説明を目指しています。会場の入口にそういうプリントを置いておいたり。不要なオマケかもしれないけれど。

 これには理由があって、べつに出し惜しみしようというわけではないのですが、創作のモチベーションの本当にコアな部分については語れないんですよ。作家自身からしてもモヤッとして、言語化しにくいものなので、その周辺をぐるぐる回りつつ、面白おかしく語ろうとする。それがぼくの解説のスタイルですね。あえてコアに触れないからこそ、長年続けられているのかもしれない。

黒瀬 興味深い話ですね。東さんは美術と批評の関係性に違和感があるということですが、もう少し詳しくうかがえますか。

 二〇世紀の抽象画は表現と言説が一体になって成立するものでした。しかしその時代はすでに終わり、日本でも、世界的にも、美術は次の段階に達している。しかしそこで評論がどんな役割を担うのか、いまひとつわかっていない。別の言い方をすれば、椹木野衣さんの『日本・現代・美術』(新潮社)はとてもいい仕事だと思うのですが、それを受けて日本の美術評論家がなにをすべきかについては、ほとんど回答が出ないまま、10年以上の歳月が経過してしまった。新しい美術評論家って、意外と現れていないじゃないですか。

会田 美術評論で食べていくのが大変という理由もあるかもしれませんが。

 ぼくは椹木さんをとても尊敬しており、書かれているものも大好きですけど、その前提で言わせてもらうならば、いまでも最先端の美術評論家が椹木さんというイメージがあるのは、さすがに不健康なのではないかと。

会田 きっと業界でもみなそう思っていますよ。椹木さんを脅かすほどの若い評論家が出てこないのは、業界の不幸のひとつです。

 新しい批評が出てこないと、キュレーターも何をやるべきかわからないし、指針が定まらない。クールジャパン的な意匠をアートに取り込むのが先端的だとされて、会田誠も村上隆も奈良美智もカオス*ラウンジもスプツニ子!もすべて同系列のように扱われていますが、さすがにそれは大ざっぱすぎる。そのあたりを細かく腑分けして論じられる人はいないんでしょうか。

会田 椹木さん以降も、立派で頭がいい人たちはいっぱい出てきていますよ。でも、もっと美術界に喧嘩を吹っかけるような山っけのある人、なんなら「椹木の時代を終わらせてやる」とか、「会田や村上を過去のものにしてみせるぜ。そのためにはこの新しい作家だ!」というような鼻息の荒い人がきてくれたほうが面白い。そういう人を待っていますよ。

黒瀬 椹木さんの『日本・現代・美術』という仕事は、どちらかというとアーティストチックで作家的なんですよね。戦後美術史の紹介というよりも、椹木さんの世界観の提示に近かった。

会田 個人的には評論家はそういう人が好きですね。正確で冷静というよりも、自分個人のロマンを懸けた批評をするような。

 椹木さんは、これから世界が明るくなってくるというよりも、暗くなって滅びていくという世界観の人ですよね。それは『日本・現代・美術』でも明らかだし、3・11後のツイートにも顕著に表れている。それもあって、結局ぼくらは「悪い場所」から出られないという結論に落ち着いてしまう。「悪い場所」を生成の場所として捉えるポジティブなロジックを構築しようという発想はない。それを否定する気はないのですが、別のことを強引に言う人が現れてもいい。

黒瀬 それはわかります。椹木さんのなかでは、日本の「いい現代美術」は、「『悪い場所』がいかに悪いか」ということを露呈させている作品だということになっている。

 ぼくは評論というのは、ちょっと無理をしないと駄目なジャンルだと思うんです。現実をそのまま言い表すことは誰でもできるけれど、それでは「日本の現代美術には未来がない。以上、終了!」で終わっちゃう。そこにちょっと苦しくても物語をつくっていくことこそが、評論の役目のはずです。

 ぼくが個人的にカオス*ラウンジを応援しているのは、黒瀬くんたちには「悪い場所」をポジティブに変えようとする意志を感じるからです。Chim↑Pomがワタリウム美術館でやった「ひっくりかえる」展もよかったです。いままでChim↑Pomといえば、日本という「悪い場所」で誕生した例外的なアート集団だと思われていたのが、じつは同じようなものが世界的にはいくつも現れていて、普遍的な現象だったんだということが、彼ら自身によって示された。そういう文脈をつくることで、初めて次の世代が生まれてくる。あれはChim↑Pomの次の世代を育てる展覧会なんですよね。それに感銘を受けました。

原発事故と「悪い場所」


会田 「悪い場所」をポジティブに転換するという話で言うと、原発問題を連想します。事故をどう捉えるか。たとえば、椹木さんは原発に対してかなり強く反対の立場ですが、東さんは事故以降、椹木さんとこの問題について、おそらく一緒に話をされていませんよね。多くの人がそれを待ち望んでいると思いますよ。

 さすが会田さん。切り込んできましたね(笑)。ぼくは放射能については、いま観念的に怯えている人が多いと思うんです。しかし、戦後の日本文化を考えれば、放射能は忌避するのではなく乗り越えなくてはならないものなのではないか。クールジャパンの礎を築いたゴジラやアトムは、まさしく被爆経験をサブカルチャーがどう乗り越えるかというところから生まれている。問題をきちんと直視してアクションを起こさなければ、乗り越えることはできません。だから村上さんや椹木さんの、原理的な反原発の立場については、どうしても違和感を覚えてしまうところがあります。会田さんのご指摘のとおり、直接話はできていないですね。

会田 でも、意見は一致しなくても、意義のあるお話になる気がしますけどね。

 一一月に『福島第一原発観光地化計画』という本を出すのですが(本対談収録時点では未刊)、そこでぼくと津田大介さんは、共同で旧警戒区域付近にギャラリーをつくろう、という話をしています。たとえば広野町やいわき市に。なぜそういうことを考えたのかというと、一口で言ってしまうと「そこにギャラリーをつくったら、アーティストは必ず来るだろう」と思ったんです。福島の事故は、全世界で一世紀の間に何回かしか起こらないような巨大な事故で、世界中から注目を浴びている。それが東京の近くで起きたのは――あえてこういう表現を使いますが――やはりアーティストにとっては「チャンス」なんですよね。

会田 Chim↑Pomみたいな鉄砲玉タイプのアーティストはとりあえず真っ先に行きましたね。

 Chim↑Pomの反応は正しいんですよ。彼らの生き残り戦略としてまったく正しい。アーティストであれば、あの事故にアクションを起こすほうが得なはずなんです。だからぼくは、福島の問題に関わりたいアーティストはたくさんいると思う。けれどもいまは表現の場所がない。だからつくる。そうすればアーティストが来る。そしてそれは、結果として福島の復興に繋がるはずだと思っています、逆にそういう場所がないと、アーティストはずっと東京で、「福島は危ない」「放射能は怖い」などと言い続けているような気がする。椹木さんのような方を招いて、旧警戒区域の近くでシンポジウムを開いてもいい。

 東京にいると、「福島が危険かどうか」の判断が、そのまま原子力政策に対する賛否と結びついてしまう。それになぜか、福島の復興を支援することが「東電を応援する」と捉えられることさえある。でも、そんなのは観念的でナンセンスな議論にすぎない。アーティストには別の関わり方ができるはずです。

会田 そのあたりの機微には興味を持っていて、ずっと注目しています。

 これは空想にすぎませんが、もしチェルノブイリがべルリンから東に二〇〇キロのところにあって、立入禁止区域の境界にギャラリーがあったとしたら、そこは現代美術の震源地になったと思うんです。クールジャパンはそういう政治的なことから遊離している。他方で、いま森美術館で開催されている「六本木クロッシング2013」展(二〇一四年一月一三日に会期終了)を見ると、美術が3・11にどう応えていくべきかという問題意識はあるのだけれど、政治については古い感性しか持っていない。原発賛成・反対という軸を、保守と革新、右翼と左翼という旧来の政治意識と重ねてしまう。これは残念ながら的外れだと思うんですよね。いまはそんなわかりやすい二分法にはなっていない。それを理解したうえで、そこでアートになにができるのかを考える必要があると、ぼく自身は思っています。

会田誠のアートはサービス業?


黒瀬 議論が盛り上がってきたところですが、すでに時間を大幅に延長しています。最後にいくつか質問をお受けしようと思います。

質問者A 本日は興味深いお話をありがとうございました。会田さんは大学で教えられていたとき、生徒に「もっと土着的、情念的にドロッと描いたほうがいいよ」と言われていたと伺ったのですが、それはどのような意図があってのことだったのでしょうか?

会田 そんなこと言いましたかね、ぼく(笑)。美術教育というのは、生徒が描いた作品にその場で反応しながら行うものなので、ご指摘のようなことを言ったりもするし、場合によっては「もっと西洋の正統な美術を勉強しろ」と言ったりもする。正直、これにあんまり法則性はないです。もしかすると、矛盾だらけかもしれません。ほとんど同じような絵を描いているのに、こちらには「西洋に学べ」、こちらには「日本のいにしえに学べ」と言っていてもおかしくない。定型化しにくいし、しない方がいいのが美術だと思ってます。

 ほかに質問はありますでしょうか。会田さんはすでにいい感じに酔っぱらっておられて、なんでも答えてくれそうな雰囲気が出てきました(笑)。

質問者B 「美大に通っても意味がない」というような話があったんですけど、会田さん自身は、藝大に通ってなにか意味があったと思う部分はありましたでしょうか?

会田 メディア上では「意味はない」というような発言をたくさんしてきましたが、本当は個人的には意味ばかりでした。グッドな体験でなくても、バッドなものも体験は体験ですからね。芸術家にとって大失恋に勝る豊富なイメージ供給源はないのと同じで、ひどい体験は多くのイメージを与えてくれる。そういう観点からは、藝大に行ったことに対する後悔はありません。でも、先ほど言ったとおり、ぼくは美大に行かなくても堂々と美術界にデビューできる時代を待望しています。美大なんてお金ばかりかかって不合理ですよ。行ってもいいけれど、行かなくてもいい、くらいになるのがいいのではないでしょうか。

黒瀬 ありがとうございました。最後に、そちらの女性に質問をいただいて、閉会にします。

質問者C 貴重なお話をありがとうございました。私は性風俗の仕事をしているのですが、自分の仕事をポジティブに考え、大事にしています。ですが、社会では性的なものはマイナスイメージで扱われ、会田さんの作品もポルノだという批判に晒されている。性的なものを女性にとってハッピーなものとして扱えたらマイナスイメージが払拭できるようになるのかな、と思っているのですが、性被害のようなものではなく、もっと豊かなものとして捉えてもらうためには、どのような表現をしていけばいいのでしょうか?

会田 性にはハッピーな面と、ダークな面がありますよね。

 会田さんは性風俗についてどう思っているんですか?

会田 最初の童貞を捨てたとき以外は行っていないですね。

 性風俗に行く男性についてはどう思いますか?

会田 うらやましいです。その健全性が。

 では、性風俗と自分のアートとの関係性はどう思っていますか?

会田 「普通に幸せで健康なもの」と、「ちょっと駄目で不健康な俺」くらいの差しかないと思っていますよ。

 つまり、会田さんの考えでは、風俗に行く行為はすごく健康的なことだから、自分のアートとは少し違う場所にある。

会田 そうですね、けれど、そこまで差はない。ほとんど同じですよ。

 なるほど。会田さんのアートは性についてある種の明るさを持って表現していると思いきや、じつは性産業にこそ明るさがあって、会田さんの作品はむしろそれとは少しずれた性の暗さを表現していると。そういう回答なようです。

質問者C 会田さんの作品『灰色の山』を観て、そこにお客さんたちが描かれているような気がしてしまったんです。社会の捨て駒が山のようになっているなかで、私がオアシスを提供できているのかなと。癒しを求めて風俗に来る方がとても多いので。

会田 まさにそういうことです。ぼくみたいな人は風俗嬢が大好きですよ。

 それは、会田さん個人としてですか? それともアーティストとして?

会田 ……後者ですね、それは。

 まだ少しは理性が残っていたようです(笑)。

会田 アーティストも、彼女と同じようなサービス業だと思っていますよ。

 なるほど。美術は「サービス業」であると。最後にとても素晴らしい答えがいただけました。予期していなかったいい締めになったのではないでしょうか。

黒瀬 確かに、サービス業という言葉は初めて出てきましたね。自分の仕事をサービス業と捉えているのだと考えると、会田さんのアートに対する真面目さがよく理解できるような気がします。

 さっきも言ったんですけど、会田さんの『青春と変態』はアーティストっぽくないんですよね。きちんと読者を想定して、読ませる小説になっている。五〇部しか印刷されない同人誌に、当時二〇代後半の藝大出身のアーティストが書いた小説とはとても思えない。これも会田さんのサービス精神の表れだと考えると理解しやすい。
……ところで、会田さんはもう酔っぱらい過ぎて限界のようですね(笑)。

黒瀬 今日のトークショーは会田さんが忘れてしまったとしても、みなさんの記憶には残るのではないでしょうか。本日はありがとうございました。

 ありがとうございました。


2013年11月1日 東京、ゲンロンカフェ
構成=宮崎智之
撮影=編集部

会田誠

1965年新潟県生まれ。美術家。1991年東京藝術大学大学院美術研究科修了。 絵画、写真、映像、立体、パフォーマンス、インスタレーション、小説、漫画など表現領域は国内外多岐にわたる。 小説『青春と変態』(ABC出版/筑摩書房)、漫画『ミュータント花子』(ABC出版/ミヅマアートギャラリー)、エッセイ集『カリコリせんとや生まれけむ』(幻冬舎)、『美しすぎる少女の乳房はなぜ大理石でできていないのか』(幻冬舎)、『戦争画とニッポン』(椹木野衣との共著、講談社)など著作多数。 近年の主な個展に「天才でごめんなさい」(森美術館、東京、2012-13年)、「考えない人」(ブルターニュ公爵城、ナント、フランス、2014年)、「世界遺産への道!!~会いにいけるアーティストAMK48歳」(霧島アートの森、鹿児島、2014年)、「ま、Still Aliveってこーゆーこと」(新潟県立近代美術館、2015年)、「GROUND NO PLAN」(青山クリスタルビル、2018年)など。自身2作目となる長編小説『げいさい』が2020年夏に刊行予定。 撮影:松蔭浩之 Courtesy Mizuma Art Gallery

黒瀬陽平

1983年生まれ。美術家、美術評論家。ゲンロン カオス*ラウンジ 新芸術校主任講師。東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。博士(美術)。2010年から梅沢和木、藤城噓らとともにアーティストグループ「カオス*ラウンジ」を結成し、展覧会やイベントなどをキュレーションしている。主なキュレーション作品に「破滅*ラウンジ」(2010年)、「キャラクラッシュ!」(2014年)、瀬戸内国際芸術祭2016「鬼の家」、「カオス*ラウンジ新芸術祭2017 市街劇『百五〇年の孤独』」(2017-18年)、「TOKYO2021 美術展『un/real engine ―― 慰霊のエンジニアリング』」(2019)など。著書に『情報社会の情念』(NHK出版)。

東浩紀

1971年東京生まれ。批評家、作家。ZEN大学教授。株式会社ゲンロン創業者。博士(学術)。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』、『訂正する力』など。
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