平和について、あるいは「考えないこと」の問題(後篇)|東浩紀

2025年5月13日
2025年5月10日刊行『ゲンロン18』

 

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 エミール・クストリッツァの話から始めることになっていた[★1]。

 

 クストリッツァについての紹介は必要ないだろう。世界的に知られる映画監督で、1954年にサラエヴォで生まれた。カンヌ国際映画祭で最高賞を2度受賞しているほか、ベルリン国際映画祭とヴェネツィア国際映画祭でも賞を獲得している。作品はいずれも評価が高く、とくに1995年に公開された『アンダーグラウンド』は、ユーゴスラヴィアの誕生から崩壊までの半世紀を寓話的に描いて話題となった。ぼくも個人的にたいへん好きな作品である。

 けれども、そんなクストリッツァは政治的発言で毀誉褒貶の強い作家でもある。前回記したように、欧米メディアでは、ユーゴスラヴィア内戦の原因はセルビアのミロシェヴィッチ政権の拡張主義にあり、ほかの民族は被害者だったという見かたが支配的である。クストリッツァはその歴史観に公然と異議を唱えている。それゆえリベラル派から激しく批判されている。

 ぼくはクストリッツァの支持者ではない。だから彼の政治的立場を擁護するつもりはないが、これからの議論の前提として記しておけば、彼はけっして単純なセルビア民族主義者ではない。そもそも出自はセルビア人ではない。ボシュニャク人である。

 旧ユーゴスラヴィアではセルビア人が権力を握っていた。そのとき彼はセルビア人ではなかった。だから当時を単純に礼賛しているわけではない。1985年に公開された2番目の長編映画『パパは、出張中!』は、1950年代のサラエヴォを舞台にしている。主人公は不当逮捕で父を奪われた幼い少年である。公開時はまだティトーの死から五年しか経っておらず、体制批判の意図は明らかだ。また彼はロマの人々に共感を抱いているのでも知られている。1988年の『ジプシーのとき』は、全編ロマ語で撮影された世界初の映画だと言われる。

 クストリッツァの政治的感覚の基礎にあるのは、特定の民族の優越性ではなく、むしろ内戦前のサラエヴォで実現していた多民族共生の経験であろう。少なくともある時期まではそうだったと考えられる。

 サラエヴォが首都になっているボスニア・ヘルツェゴヴィナは、内戦が起こるまではセルビア人とボシュニャク人とクロアチア人が混在する多民族共生の地だった。むろん実際には葛藤があり、その抑圧こそが内戦につながった。とはいえ、とりあえず表面的には共生の平和が実現していた。

 クストリッツァはその時代の記憶を大切にしている。前述の『アンダーグラウンド』や、同じようにユーゴスラヴィア内戦を扱った2004年の『ライフ・イズ・ミラクル』を観ると、彼の関心が、だれが正しくだれが悪かったのかといった善悪の判断になく、同じ文化を共有し、同じ言葉を話していた民族が殺しあうことの不条理さに向けられていることがよくわかる。彼の映画には兄弟のモチーフが頻出するが、それは明らかに民族関係の隠喩になっている。クストリッツァも、さすがにセルビア人が悪くなかったとは考えていないだろう。ただ、セルビア人だけを悪者にしても、共生は戻って来ないと訴えているのだ。

 とはいえ、その主張は確かにセルビアの罪を相対化するものではある。だから批判されている。それにじつのところ、あとであらためて見るように、最近ではクストリッツァの発言自体も素朴な歴史修正主義に近づいている。

 クストリッツァは2005年に洗礼を受けて、セルビア正教徒となった。彼自身はイスラムを信仰したことはない。とはいえボシュニャク人は伝統的にイスラム教徒として知られる。その出自を否定したことになる。2012年にはセルビア正教会から最高位の勲章を授かっている。

 ロシアのプーチン大統領とも親交がある。2012年の大統領就任式に列席し、2016年には勲章をもらっている。2022年にロシアがウクライナを侵攻した直後には、セルビアとロシアの連帯を重視する立場を表明している。最近では、プーチン政権の援助を受けロシア文学を主題とした新作を撮る構想も発表している。こうなってくると、いくらむかしの作品が好きでも擁護はむずかしい。

 ちなみに翌年の2023年には、かつて1999年のNATOによる空爆に反対し、そのためにクストリッツァと同じく批判され続けているドイツの作家、ペーター・ハントケと連帯する書物も出している。ページをめくると、ハントケの名「ペーター」が聖人ペトロになぞらえられており、クストリッツァのなかで問題が宗教的次元にまで高まっていることがよくわかる[★2]。いまの彼は、現代世界を支配する大きな不条理に対して、芸術と宗教の力で戦っているつもりなのだろう。

 

 さて、そんなクストリッツァは、セルビア西部のリゾート地に小さなテーマパークを建設している。その名を「クステンドルフ」または「ドルヴェングラード」という。

2025年夏に東浩紀の新刊『平和論、あるいは愚かさについて』(仮)がゲンロンから刊行予定です。今号で後篇を掲載した「平和について」は、加筆修正のうえその第一部になる予定です。同書にはほか、本文で紹介した3つの論文、『ゲンロン14』に掲載された「声と戦争」、『ゲンロン16』に掲載された「ウクライナと新しい戦時下」などが収録予定です。全国の書店で購入可能なほか、友の会第15期の会員のみなさまは「選べる単行本」で特典の1冊として受け取ることもできます。詳しくは友の会からの案内をご覧ください。

『ゲンロン18』の刊行を記念して、東浩紀と上田洋子によるトークイベントが開催されました。イベントでは、原稿には入れることのできなかった取材写真を豊富に紹介しています。ぜひ記事とあわせてご覧ください。

東浩紀×上田洋子 【『ゲンロン18』刊行記念特別番組】平和は記憶できるか?──クロアチア&ヤセノヴァツ取材報告
URL=https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20250516

東浩紀

1971年東京生まれ。哲学者、ZEN大学教授。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』、『訂正する力』、『平和と愚かさ』など。
webゲンロンは、友の会のみなさまのご支援によって運営されています。

2 コメント

  • 浦野竜一(U_Ryuichi)2025/05/19 21:00

    なぜ自分が「歴史修正主義」的なものに、警戒と同時に共感を覚えるのか、精緻に言語化されていて、すごくよかったです。

  • 松井邦晃2025/09/02 15:31

    平和について、あるいは「考えないこと」の問題(後篇)を読んで感想を残しておこうと思う。 私には4歳と2歳の娘がいる。彼女らは実に巧みに訂正可能性も忘却も使いこなす。お菓子1個だけでいいからどうしても欲しいと懇願し、食べ終わったら本当は2個欲しかったんだと泣き叫ぶ。そして一晩寝れば面白いほど同じ失敗を繰り返す。 私はこれから彼女らに、人間が行なってきたいいことも悪いこと教え、自分の内側に何を渇望するかを芽吹かせ、それを守るために外側で何を実現していくかをを見守り、必要があればサポートしていく。 現実には、そんなことはムリゲーだなと思う。しかも親の存在するだけで暴力問題や知ることとわかることの違いや誤配などを勘案すると私が子供達に平和について教えることは不可能だ。 私が臨んで子供を持ったので、教育を諦める訳にはいかない。私の言葉で無理ならば、他者の言葉で平和を学んでもらうしかない。 この東氏の平和論は最も優れた指南書の一つであると確信する。 私の娘達が惨たらしい戦争の現実と、その現実に何も出来ない自分達の無力感に思考停止してしまった時に、この平和論はししおどしの音のように心に響く力がある。 東氏の言葉に思い馳せながら、私も考え続けたいと思います。

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