小松左京から美少女へ──『日本沈没』と、日本とSFの未来(後篇)|新城カズマ+東浩紀 司会=森川嘉一郎

初出:2013年11月15日刊行『福島第一原発観光地化計画通信 vol.2』
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言論人としての小松左京
東浩紀 現在と大きく異なる価値観で書かれているというのは、『日本沈没』だけでなく小松作品全体にいえることです。未来観や科学観が現在とずいぶん違います。今後小松作品を読む上では、その違いから何を拾い上げるかということが重要になってくるでしょう。小松作品の読者って、一定の年代にはたくさんいるけど、ある年代以下になるとほとんどいない気がするんです。
新城カズマ どれくらいの年代ですか?
東 ぼくはいま42歳ですが、このあたりが境界線ではないかと思います。30代前半になると、とたんに小松の名前を聞かなくなる。星新一や筒井康隆は読まれているから、小松はとくに世代間の差が大きいのだろうと思います。小松作品をどうやって救うかは、なかなか難しい問題です。
新城 当時の空気をきっちり書いているがゆえに、今はもう、歴史を振り返るようにしか読めないのかもしれませんね。
東 ただ、同時代の価値観を反映しているといっても、微妙なズレというものがあるはずで、今後はそのズレに着目して読むべきでしょう。高度経済成長期の日本が好きで、未来が好きで、宇宙も好き、だから小松が好き、というタイプの読者は今でも一定年齢以上の層にいる。ただこういう読者層はいずれ消えていくわけです。
新城 自然の摂理によって。
東 だからこれからどうやって小松作品を読み継いでいくかが問題になるんです。
新城 東京オリンピックやリニアモーターカーで盛り上がる中で、小松さんが再評価されるような流れができた場合には、むしろ反対したほうがよいということでしょうか?
東 反対というより、そういう文脈で読むことは難しいと思います。例えば、野尻抱介氏の小説なんかを読むと、女性科学者が主人公になっています。今やそちらのほうがデフォルトで、「男の科学者」が主人公だと、むしろ違和感がある。
新城 ポリティカル・コレクトネスの問題ですか?
東 それもありますし、オタク的な要素を入れるのが当然になっている。逆にいえば、小松さんが書く人間って、とてもまともな、ちゃんとした人なんですよね。
新城 確かに『日本沈没』にもちゃんとした人しか出てきません。
東 社会性があるので、むしろみんなが共感できない。
新城 ただ、「あるある感」だけで小説を作り上げていいのか、とも思うんですが。
東 でもあるある感がないとみんなついてこない。嘆かわしいことではあるけれど。若い人に小松作品を読んでもらうことが目標、というわけではないのですが、ぼくは今も昔も小松作品が好きなので、現在でも通用する読みかたはどんなものだろう、と考えてきました。この評論もその結論の一つです。いずれにしろ、東京オリンピックが来たり、イプシロンが飛んだりしたからといってブームになるような作家ではない、と思っています。
新城 私もブームが来るとは考えてないですし、もし来たら「嫌だな」と思ってしまうかもしれません。若い世代が小松作品を読むべきかと考えると、強引に人に薦めたいものではない、という結論になぜか落ち着く。自分としては、自分が読めればいいや、という感じです。
東 ぼくもそうです。ぼくは最近捨て鉢で、自分の文章ですら他人に読んでほしいと思っていないので(笑)、「今こそ小松左京を読み返すべきだ」などと大上段に構えるつもりはない。ただ、今までおもしろい小松左京論には出会った覚えがないので、ちょっと面白い読みを試してみたかった、というところがあります。
この評論の中では、『虚無回廊』が重要な役割を果たしています。未完に終わったこの長編は、『果てしなき流れの果に』のやり直しを企図したものです。『虚無回廊』では主人公の人工知能開発者が、宇宙探査のために「人工実存(AE:Artificial Existence)」という、AIのアップデート版のようなものを送り込む。「HE2」と「アンジェラE」という人工実存が登場するのですが、これがそれぞれ男性型と女性型に当たります。『虚無回廊』は未完のため、第1部で男性型の人工実存「HE2」が向こう側へいくというところで終わっている。ただどう読んでも、この後は女性型が男性型を追いかけていくという展開になったと思う。つまり、『虚無回廊』は小松作品で初めて、性差によって分かれた主人公が登場した作品になったはずなんです。けれど、小松氏はこの連載が始まったタイミングで、1990年の「国際花と緑の博覧会」のプロデューサーに就任し、そのまま作品は完成をみなかった。
新城 大阪万博で大きな役割を果たしたことは有名ですが、それ以外にも小松氏は実に多くのイベントに関わっていますよね。テレビと組んで世界中を回ったりもしている。
東 楽しかったんでしょうね。
新城 作家以外の顔を考えると、例えばルポルタージュの書き手としてもすごい。
東 30代で万博に関わったり、未来学に関する本を書いたりしていることから考えて、当時から言論人として認知されていたはずです。
新城 小松さんは梅棹忠夫の『文明の生態史観』裏表紙に推薦文を寄せていますよね。たまたま本日、その文庫本を持ってきたんですが。小松さんは梅棹の弟子筋だったので当然かもしれませんが、小松左京が一筆書けば本の売り上げにプラスになるという空気が当時あったのも間違いない。青島幸男や立川談志のように、テレビメディアと組んだり小説を書いたり選挙に当選したり、一つの枠に収まらない「マルチ人間」が戦後に幾人かおられるんですが、小松さんもその一人だったのだなと。
東 歴史的にみると、小松さんは戦後日本の重要な知識人の一人です。SFは小松さんの仕事の一つでしかない。小松さんの重要な仕事の一つにノンフィクションがありますが、彼のノンフィクションは、フィクションが混じったルポルタージュという印象がある。『妄想ニッポン紀行』など、変わった面白い作品もあります。小松さんは1960年代から70年代の日本社会を体現した重要な知識人だから、知識社会学的に重要な研究対象になるはずです。
新城 小松さんの全体像を把握できる人は、今後現れるんでしょうか? とてつもない労力が必要になりそうな……。
東 ぼくは2000年に小松さんにインタビューをしたことがあって、『メフィスト』にその一部が掲載されています。その時の印象を端的に表現すると、ぼくは決定的に「間に合わなかった」と感じたんです。文学とか科学とか色々な話をしたけれど、根本的に話がすれ違ってしまった。
小松さんの奥様から聞いた話ですが、小松さんは、書斎の後ろ側に世界各地のお土産を並べて飾っていたのだけど、それらは震災で粉々になってしまった。1960年代から集めてきたものが壊れてしまって、そのことをとても気に病んでおられたというんです。この話は象徴的で、小松さんは1995年を期に、かなり老け込まれてしまったのではないかと思うんです。
小松さんは、1960年代から本格的に活躍し、1970年ごろに作風を変えています。それまでのいけいけどんどんのSFではなく、社会的要素が加わったSFを書き始めた。同時に『さよならジュピター』の映画化を進めていて、それらをハイブリッドな形で作品化したものが『虚無回廊』になるはずだった。しかしバブル崩壊と阪神大震災で、1960年代から培ってきたものがガシャンと壊れてしまった。結果、『虚無回廊』も未完に終わる。小松左京の人生には、まさに日本社会の縮図が書き込まれているように感じるんです。
『虚無回廊』が書かれたのは、小松さんが50代のときなんですよね。バブルや花博がなければ、小松さんは小説家として、もう一つ違う境地を見せてくれたのではないかと思う。
新城 作家以外にいろいろな活動をしていたこともあって、作家として不思議な軌道を描いていますよね。
東 社会に対してすごく鋭敏に反応している。
アニメ、特撮、SFの未来
新城 『さよならジュピター』の製作に関しても、紆余曲折があったと聞きました。
東 株式会社イオという会社を立ち上げて、そこからいろんな才能が開花していきました。イオは、日本のアニメ史的に見ても重要な存在です。小松さんの貢献はすっかり忘れられていますが……。
新城 小松氏に限らず、戦後のSF作家はテレビに助けられ、テレビを助けてきた。それと、学年雑誌とSFも助け合っていた。
東 ぼくや新城さんのところにも、そういう仕事来ないですかね? 宇宙都市○○を書いてくれ……みたいな。
新城 そういう依頼があれば、ぜひやってみたいですが。
東 絶対流行らないでしょうね。
新城 筒井康隆の『時をかける少女』とか、光瀬龍の『夕ばえ作戦』とか、SFとジュブナイルが結びついていた時代ですね。この中には、学年雑誌で連載していたものも多い。
東 昨今理系教育の復活が謳われていますが、少年誌にSF小説が載る、などという話は耳にしない。イプシロンの開発者に話を聞きにいくようなものばかりで、フィクションを通じた教育、という方向性はないですよね。
新城 日本では、テレビでもSFドラマは少ない。
東 アメリカではあるのに。映画だと、今年も『スター・トレック イントゥ・ダークネス』、『マン・オブ・スティール』、『パシフィック・リム』……。
新城 『ワールド・ウォーZ』もありました。
東 アメリカ映画はアップデートに成功している。スーパーマンもバットマンもスター・トレックも、はっきりいって馬鹿げた設定ですよね。子どもっぽい想像力に支えられている。だけどそれを上手くアップデートして、今の世の中を反映しているかのように見せてごまかしている。それが凄いところです。
新城 ものすごい量の愛情があるんですよね。
東 愛情もあるけど、作り手の知的レベルが違うのかなあ、と思うところもありますね……。
新城 それは知的、ということなのでしょうか。
東 そうだと思います。スター・トレックシリーズに象徴的ですが、アメリカのSF業界って、今の社会と折り合いがつくようにアップデートする訓練をしていると思うんですよ。だけど日本は、例えば『日本沈没』を現代風にアップデートするための訓練をしていない。そういう蓄積がない。
新城 映像産業の雰囲気の違いということでしょうか。
東 日本ではある時期からSFがオタクのものになってしまったんです。
新城 むしろアニメや漫画にSF的要素が移って、才能もそちらに行ってしまい、テレビや実写映画には向かわなかったとか。
東 『ダーティペア』をリニューアルするといいんじゃないかと思います。『ダーティペアクラウズ』みたいな感じで(笑)。アメリカ人にはそれができる。そのくらいの力技を身につけないと。
新城 日本ではいったんアニメになると、それ以降もずっとアニメですよね。
東 『ダーティペア』がスタイリッシュで社会問題をえぐるような作品になったらすごいことですよ。
新城 高千穂遙さんの原作からやり直すのであれば、まだ分かる気がします。
東 ぼくは『ダーティペア』も好きで、高千穂さんのファンでした。80年代初頭の作品って、現代風にできないんでしょうかね。
新城 ウルトラマンや仮面ライダーのほうが可能性があるかも。
東 仮面ライダーはある程度アップデートされてるかな。
新城 平成ライダーなんかそうですね。日本には漫画がある、というしかないのかな。アニメもあるけど、最近は向こうのアニメもすごいから、誇らしげには言えなくなってきたし。

未来から美少女へ
東 このイベントの前に、明治大学博物館で行われている「SFと未来像」展を見学してきました(9月1日から29日まで開催)。小松崎茂さんの空中都市や宇宙都市のイラストが並ぶ一方で、もう一方には初音ミクがいる。未来から美少女へ、というのはまさに森川さんが専門としているテーマのひとつですが、しかし「未来」と「美少女」というのは、あらためて考えるとまったく違うモチーフです。ぼくたちみたいにSFの歴史を知っている人間が見ると、その推移は自然に理解できるのだけれど、SFを知らない人から見れば違和感を覚えるのではないかと思います。いつの間にこんなことになってしまったのか、と(笑)。
新城 先ほど、今科学者を登場させるならば女性だ、という話がありましたが、それとも関わっているのかもしれませんね。少年がヒーローでは、なんだか「申し訳ない」ような感じがする。
東 かつて宇宙や未来、ロボットに対して向けられていたリビドーが、今美少女やボーカロイドに向かっているのだとすれば、なぜ両者が等価に扱えるのか不思議なんですよ。
新城 逆に、未来や宇宙は、単なる欲望の対象の一つでしかなかったのかもしれません。
東 対象というのは性的な対象、ということでしょうか? 本当は未来とエッチなことをしたかったとか。あのころは「未来」と呼ばれて抽象的だったけれど、女の子のかたちになってくれて本当によかった、と。だとしたら、本当に残念な話ですね(笑)。
新城 いったん、なにもかも女の子になってしまう傾向が。
東 20年後、SF作家クラブ70周年展覧会が開かれたとしたら、どんな内容になると思いますか。
新城 半分以上が美少女キャラとか。
東 それはもはや「日本SF作家クラブ」ではないですね。
新城 そのころSFは「素敵なファンタジー」という意味になってるかも(笑)。美少女の次は美少年かも。
東 美少女から美少年に移行して、美少年からまた未来へ向かう方向も考えられますね。美少年からおっさんに移行し、官僚が活躍する話ばかりになり、『日本沈没』が最先端になるかもしれない。これは冗談としても、ユートピアの想像力が反転してディストピアに向かうことは、これまでもありました。例えば1980年代のサイバーパンク/アウタースペース→インナースペース/サイバースペースの流れもそうです。アメリカのSFでもシンギュラリティ(技術的特異点)を超えた先になにが起こるのか――という、ポスト・シンギュラリティが話題になった。しかし、そこに美少女が加わったのは日本だけです。
新城 ゆっくりと変化していったので、気がついたら母屋をとられていた、というような感じでしょうか。そもそも日本では発生時期からSFはマンガと親和性がありますよね。SFは、少女マンガを舞台にブレイクした。
東 つまり、萩尾望都のせいだろうと。
新城 彼女が描いたのは美少女ではなく美少年ですけれど…SFの中で美少女が登場したのは、マンガならば吾妻ひでおさん、アニメならば『超時空要塞マクロス』あたりが印象的でしたね。
東 吾妻ひでおやマクロスは戦犯ですね。
新城 コミケの重要性も見逃せません。
東 このイベントは米沢嘉博記念図書館の主催ですが、「SFを美少女にした戦犯たち」展を開くのはどうでしょう? SFを残念にした男たちを取り上げる。みんな喜んで出てくれるんじゃないですか。俺がやった、いや俺が、みたいな感じで(笑)。
新城 それこそ、資料は米沢記念図書館にたっぷりありますし。
東 今「艦隊これくしょん」が流行っていますが、あの手の擬人化の想像力というのも謎ですよね。なぜ戦艦が少女になるのか? 戦艦は女を表象しているものでしょうか。
新城 たしか1980年代初頭に『クリィミーマミ』をロボットにする、という内容の同人誌があったような記憶が…それと同時期に、最新型の戦闘機を女の子にする同人誌もありました。なので、この手の想像力は最近出てきたわけではなく、昔からあってかなり根深いのではないかと。
東 ぼくは『ストライクウィッチーズ』も好きなんですが、あれも謎ですよね。いや、女の子が水着着て戦うのがいいのだ、ということであれば、なにも謎はないとも言えますが。
新城 むしろ戦後SFの中でアトムが少年だったことを考えると、逆に「ほんとうに少年だけでよかったのか?」ということも問いかけ得ると思います。
東 SFが半ズボンだらけになってしまう。光線銃とか持ってるけど、みんな足しか見ていない(笑)。
新城 そういえば栗本薫さんが伊賀の影丸が拷問される場面に萌えたとおっしゃってたような気が。
東 それってSFと関係ないよね(笑)。
新城 日本のSFって、全方位的ではなく特定の方向に伸びていて、テレビや漫画とくっついたまま離れない。
東 触手を伸ばしてくっついたけど、本来行きたかった方向は違う。例えばヱヴァンゲリヲンはSFだと思う、ロボットが登場するし。でも初音ミクは単なるボーカロイドでSFじゃないのでは?
新城 ヱヴァを見ている人の中で、初号機が好きな人、キャラが好きな人、プラグスーツが好きな人、それぞれの割合を考えると、母屋を取られた感じはありますよね。
東 ヱヴァのスタッフはSFを残念にした最後の戦犯ですよ。
新城 ヱヴァのおかげでSFって売れたんですかね? ディプトリー・Jrとか。
東 売れるわけないでしょう。
新城 過去の名作のタイトルを引用して、それが話題になったり。
東 そういうことをやろうとしていた感じはしましたけどね。
東 日本は科学技術立国だけど、それは産業的な側面だけではありません。戦後SFが流行った国は日本とソ連とアメリカで、これらの国々はナショナル・アイデンティティーに科学が含まれている。国の誇りに科学技術が組み込まれているのは、実は珍しいことです。日本は2011年の段階でくじけてしまったが、再びオリンピックが来ることになって、科学技術と日本の関係をどう演出するのか関心をもっている。1964年の東京オリンピックよりも文化予算をつぎ込むと予想されるけれど、2020年に向けて貫く物語をどう作るか、まだ軸が見えていない。
難しいのは、グローバルな文化やアートと、日本独自の、例えばアキバ系の文化はロジックが異なることです。例えば美術館をどう使うか。クールジャパンってことでドラゴンボール展やワンピース展をやることが有効な活用法だとは思えない。オタクカルチャーをホスピタリティーの一つとして活用するとしても、アートとは戦略が違ってくる。この点が区別されていないし、行政も分かっていない。オタクの特徴って、科学技術と結びついていることだと思うんです。オタクカルチャーって、テクノロジードリブンなアートで、コンセプトドリブンなヨーロッパのアートとは違う。その違いをメタレベルで議論できると面白いのではないでしょうか。
森川嘉一郎 お話の中で、「日本のSFをダメにした男たち」展という、素晴らしいご提案をいただきましたが(笑)、現在行っている「日本沈没」展や「SFと未来像」展を含め、これからも様々な催しを行いますので、ぜひご来場いただければと思います。本日はどうもありがとうございました。
2013年9月21日 東京、明治大学リバティタワー
構成=常森裕介
写真提供=ヤマダトモコ(米沢嘉博記念図書館)
東 ぼくは『ストライクウィッチーズ』も好きなんですが、あれも謎ですよね。いや、女の子が水着着て戦うのがいいのだ、ということであれば、なにも謎はないとも言えますが。
新城 むしろ戦後SFの中でアトムが少年だったことを考えると、逆に「ほんとうに少年だけでよかったのか?」ということも問いかけ得ると思います。
東 SFが半ズボンだらけになってしまう。光線銃とか持ってるけど、みんな足しか見ていない(笑)。
新城 そういえば栗本薫さんが伊賀の影丸が拷問される場面に萌えたとおっしゃってたような気が。
東 それってSFと関係ないよね(笑)。
新城 日本のSFって、全方位的ではなく特定の方向に伸びていて、テレビや漫画とくっついたまま離れない。
東 触手を伸ばしてくっついたけど、本来行きたかった方向は違う。例えばヱヴァンゲリヲンはSFだと思う、ロボットが登場するし。でも初音ミクは単なるボーカロイドでSFじゃないのでは?
新城 ヱヴァを見ている人の中で、初号機が好きな人、キャラが好きな人、プラグスーツが好きな人、それぞれの割合を考えると、母屋を取られた感じはありますよね。
東 ヱヴァのスタッフはSFを残念にした最後の戦犯ですよ。
新城 ヱヴァのおかげでSFって売れたんですかね? ディプトリー・Jrとか。
東 売れるわけないでしょう。
新城 過去の名作のタイトルを引用して、それが話題になったり。
東 そういうことをやろうとしていた感じはしましたけどね。
東京オリンピックと日本の未来
東 日本は科学技術立国だけど、それは産業的な側面だけではありません。戦後SFが流行った国は日本とソ連とアメリカで、これらの国々はナショナル・アイデンティティーに科学が含まれている。国の誇りに科学技術が組み込まれているのは、実は珍しいことです。日本は2011年の段階でくじけてしまったが、再びオリンピックが来ることになって、科学技術と日本の関係をどう演出するのか関心をもっている。1964年の東京オリンピックよりも文化予算をつぎ込むと予想されるけれど、2020年に向けて貫く物語をどう作るか、まだ軸が見えていない。
難しいのは、グローバルな文化やアートと、日本独自の、例えばアキバ系の文化はロジックが異なることです。例えば美術館をどう使うか。クールジャパンってことでドラゴンボール展やワンピース展をやることが有効な活用法だとは思えない。オタクカルチャーをホスピタリティーの一つとして活用するとしても、アートとは戦略が違ってくる。この点が区別されていないし、行政も分かっていない。オタクの特徴って、科学技術と結びついていることだと思うんです。オタクカルチャーって、テクノロジードリブンなアートで、コンセプトドリブンなヨーロッパのアートとは違う。その違いをメタレベルで議論できると面白いのではないでしょうか。
森川嘉一郎 お話の中で、「日本のSFをダメにした男たち」展という、素晴らしいご提案をいただきましたが(笑)、現在行っている「日本沈没」展や「SFと未来像」展を含め、これからも様々な催しを行いますので、ぜひご来場いただければと思います。本日はどうもありがとうございました。
2013年9月21日 東京、明治大学リバティタワー
構成=常森裕介
写真提供=ヤマダトモコ(米沢嘉博記念図書館)


新城カズマ
生年不詳。作家、架空言語設計家、古書蒐集家。1991年に『蓬莱学園の初恋!』(富士見ファンタジア文庫)で作家デビュー。『サマー/タイム/トラベラー』(ハヤカワ文庫JA)で第37回星雲賞を受賞。他の著書に『15×24(イチゴー・ニイヨン)』(全6巻、集英社スーパーダッシュ文庫)、『物語工学論』(角川ソフィア文庫) 、『島津戦記』(新潮文庫nex)など。

森川嘉一郎
1971年生まれ。明治大学国際日本学部准教授。早稲田大学大学院課程修了(建築学)。秋葉原へのおたく文化の集中を調査し、その研究を下敷きに、2004年ヴェネチア・ビエンナーレ第9回国際建築展日本館コミッショナーとして「おたく:人格=空間=都市」展を制作(日本SF大会星雲賞受賞)。桑沢デザイン研究所特別任用教授などを経て、2008年より現職。著書に『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』(幻冬舎、2003年)など。

東浩紀
1971年東京生まれ。批評家、作家。ZEN大学教授。株式会社ゲンロン創業者。博士(学術)。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』、『訂正する力』など。




