ショッピングモールから考える(1)(後篇)|大山顕+東浩紀

初出:2014年7月1日刊行『ゲンロン観光地化メルマガ #16』
前篇はこちらジョン・ジャーディの仕事
大山顕 日本でも同じような傾向は見られるのですが、バンコクのショッピングモールでは、まったくと言っていいほど家電屋を見かけませんでした。ショッピングモールについては、時代の推移とともになにが中心になってきたのかを知りたいですね。松下電器(現・パナソニック)は2000年まで、梅田の百貨店に巨大なショールームを持っていた。しかしいまは、家電はモールにおいて中心となる機能を果たさない。モールの中で唯一家電を売っているのは無印良品だったりする。無印良品は家もつくっていますね。
東浩紀 イケアはどうですか。
大山 すべてのモールはイケア的になるのではないかと思っています。イケア的というのはつまり、動線がひとつに固定されて、定められたコースを順路通りに見ていく構造ということですね。
東 ラゾーナ川崎だと、出店している店舗が頻繁に入れ替わるようです。そういう変化が、ショッピングモールには不可欠かもしれません。
大山 ラゾーナができるまで、川崎駅の西口にはなにもなかった。東芝の工場の跡地だったんですよね。そこにラゾーナができたことで、川崎駅と線路が、東西の街を隔てる境界線になった。東側はいわば旧市街で、西側のラゾーナワールドとはいる人種がまったく違う。川崎駅には改札がひとつしかないのですが、そこで南に行くか北に行くかは、改札を出る前になんとなくわかります。
ところで専門的な話になりますが、建築的な観点からすると、ショッピングモールの内装で進化しているのはたぶん柱です。古いモールと新しいモールを比べると、柱の収め方や演出の仕方が全然違う。新しいモールは柱の扱いがとてもうまくて、それが柱であると感じさせない。面白いのは空港のショッピングエリアってすごくモールに似てるんですが、大きな違いは柱がない点。なので、わざわざ柱的なものを立てて、そこにバナーなどを設置してるんですよね。せっかくの無柱大空間なのに。
ショッピングモールの歴史に燦然と輝く、サンディエゴのホートンプラザというショッピングモールがあります【図1】[★1]。これを手がけたのは、ジョン・ジャーディという、商業施設のデザインの第一人者です。日本では博多のキャナルシティが彼の設計によるものです。ぼくは大学で柘植喜治(つげ・きはる)先生の研究室にいたのですが、彼はキャナルシティ[★2]のプランニングにかかわっていて、ジャーディともつながりが深い。ぼくが学んだ街路のつくり方も、ジャーディに由来するものだった。

Wikipedia, the free encyclopedia:"Hortonplazaarchitecture.jpg",(Author: Coolcaesar, CC-BY-SA-3.0)、URL=https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hortonplazaarchitecture.jpg Public Domain
今日のために、いまはなき建築雑誌『プロセスアーキテクチュア』の、ジャーディの特集号[★3]を読み返してきました。ジャーディは商業施設をつくるとかショッピングモールをつくるという表現を一切使わず、街をつくると言っている。街路をいかに魅力的につくるかが重要だというわけです。古い手法かもしれないけれど、彼はまず最初に魅力的な導線を描いて、残ったところに建物を建てる。ぼくも授業でこういうプロセスを踏みました。
雑誌にはジャーディがつくったキャナルシティの粘土のモデルが掲載されていますが、このやり方にその手法がよく表れてます。ふつう建築では模型をつくりますよね。模型を組み立てるのは建築を作る行為です。それに対して粘土を削って形態をつくっていくやり方は、それとはまったく逆の視点になる。それが重要だというわけです。
東 クリストファー・アレグザンダーのパターン・ランゲージ[★4]にも近いですね。実際に人々が行き来しているところを重ねて描いていくと、どこに道路をつくるのが最適か見えてくる。『思想地図β』vol.1は、前半ではショッピングモールを、後半ではパターンを特集したので、符合が興味深い。
大山 ジャーディとアレグザンダー、それとジェイン・ジェイコブズ[★5]の3人というのは、それぞれは違う方向性で活動していたのだけれど、方法論としては共通しているところが大きかったのかもしれません。
ジャーディはイタリアのモチーフを好む建築家でした。あるとき、イタリアの田舎町でインスピレーションを受けたと書いています。彼はその田舎町の魅力を表現するエレメントをとにかくたくさん収集して、ショッピングモールをつくるときにはそれを再現しようとしたというわけです。ぼくも授業の課題で同じように、亀戸の周辺を歩き回って、この街の魅力はなんだろうとまとめたことがあります。そこで出会ったのが工場なんです。そこで工場はかっこいいじゃないかと気づき、今に至るわけです。課題の趣旨とはずいぶん逸れてしまいましたけど。結局、ぼくが工場と出会ったのはジャーディの手法によってだった。今日のイベントの準備をしているうちにそれに気づいて、ちょっと衝撃を受けました。
東 大山さんはじつはジャーディの孫弟子であり、いつの間にか彼の手法に強く影響されていたと。
大山 この『プロセスアーキテクチュア』を読むと、最初に紹介されているのがホートンプラザで、次がロサンゼルスオリンピックです。彼はオリンピックを機会に、ショッピングモールの文法でロサンゼルスの再開発を手がけた。『福島第一原発観光地化計画』には2020年の東京オリンピックをきっかけに街をつくりなおそうという提案がありますが、これが先取りされているんです。これはもっと評価されていい。
東 ジャーディについては、建築家もあまり言及していない。
大山 あまり好まれるタイプではないのかもしれません。とくにアトリエ系とは相性が悪いようです。しかしジャーディは論理的でおもしろいですよ。これは実現しなかったのですが、北海道の苫小牧に工業団地をつくる計画も立てていて[★6]、住宅と商業施設も併設するようなプランになっている。いま見ると形態的には古いところもありますが、考え方はまさにショッピングモール的なものそのものです。
団地という点で言えば、ご存じのようにぼくはずっと団地も研究してきました。今回、ショッピングモールについて改めて考えてみて、両者は「行政/民間」、「鉄道(駅前)/ロードサイド」、「住宅/消費」の3つの対比で論じられるのではないかと思いいたりました【図2】。団地というのは国を挙げて戦略的に進められたものでした。それに対していまは、UR(独立法人都市再生機構)が団地リノベーションと言って民間と共同で再活用に取り組んでいる。ショッピングモールも同じですね。

東 この3つの対立の関係はどうなっているのですか。行政が作ったものは鉄道で住宅で……とかなのかしら。
大山 それはまだよくわかっていません。まだアイデア段階で、もう少し掘り下げたいと思っています。たとえば団地の中に消費する場が存在したのかどうか、そういうことも含めて考えたい。団地というのは住宅難への対応だった。では、そこに商店街や、あるいはショッピングモールのようなものをつくろうという計画はあったのか。団地を一生懸命つくっていた時代と、いまショッピングモールがつくられている時代というのはどういう違いがあるのか。
東 日本の行政は、住宅地の造成には熱心ですが、商業地の再開発にはあまり力を入れない傾向がありますね。むしろ再開発を規制する側に回っている。そのあたりに考える鍵があるかもしれません。
大山 そうですね。考えてみれば、行政が商業地を開発しないというのも不思議な話です。
東 こういうことでしょうか。この国の行政は、商業地を中心とした街づくりのメソッドを持ってこなかった。その役割は、間のデベロッパーが果たしてきた。でも、街を再生しようとしたら、商業地を変えないと活性化するはずがない。最近の事例では、たとえば品川駅周辺の再開発は失敗したと言われている。敷地を区切ってオフィスビルは林立したけれど、オフィス人口だけが増えて終わってしまった。それに比べると六本木ヒルズの方がはるかによくできている。これは市川宏雄さんの本に書いてあるのですが[★7]。
大山 渋谷の宮下公園の騒動を連想しますね。いろいろ騒いでいるうちに駅前のほうが大規模に再開発されてヒカリエもできて、人の流れが全く変わってしまった。あれは結局なんだったのか。
東 あの点については、行政の問題というよりも、この国の左翼的運動が持つ問題点が現れた事例かと思います。資本主義対ホームレスという対立構図ありきで話を考えているから、問題を取り違える。ホームレスのひとをサポートするのと、彼らが宮下公園を根城にして暮らしているのを容認するのはまったく別の話ですね。
大山 あまりおもしろい話ではなかった。
東 敵を増やすだけなので、このくらいにしておきましょうか(笑)。
瓦礫で回復するJヴィレッジ
東 ここで、福島第一原発観光地化計画とショッピングモールの関係について議論できればと思います。ご存じの方も多いでしょうが、福島第一原発観光地化計画では、現在のJヴィレッジの跡地を再開発して、「ふくしまゲートヴィレッジ」と名づけられたビジターセンターをつくることを提案している【図3】。この設計は藤村龍至さんにお願いしたのですが、大山さんからは、この形態に違和感があるとうかがっています。

大山 違和感というか、趣味の問題ですけど。土地の文脈をどう捉えるか、という点にぼくはすごく興味があるので。この写真は、先ほども触れた玉川高島屋です【図4】。おもしろいのは、上を道路が通っているところですね。大阪にはときおり見られますが、関東には珍しい。なぜこうなっているのか調べると、行政側と高島屋側で複雑な権利の調整があったらしい。なにもない敷地に高島屋が建てられて、その後バイパスがつくられてこうなった。

国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」よりCKT20092/コース番号・C70/写真番号・31/撮影年月日2009/04/27(平21)に加筆
これは西宮のモールです【図5】。これはもともとスタジアムの敷地を流用しているので、ここの曲線にその痕跡が見て取れるのがわかります。先ほどジャーディを紹介しましたが、ショッピングモールをつくるひとは、たんなる商業施設ではなく街をつくろうとする。だから、その地域がもともと持っている文脈を強く意識して、それをなんとか活用しようとする。

国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より 左:CKK962/コース番号・C8/写真番号・7/撮影年月日1997/02/27(平9)に加筆 右:CKK20092/コース番号・C37/写真番号・55/撮影年月日2009/04/19(平21)に加筆
東 モール・オブ・アメリカも、メトロポリタン・スタジアムの跡地を再利用しています。モール中心の遊園地はスタジアムの敷地がそのまま流用されていて、かつてホームベースがあったところには真鍮のプレートが埋められている。
大山 ある意味では、商店街よりもショッピングモールの方がその地域の歴史を強く意識している。ぼくも建築を見るときには、その土地がどういう背景を持っているのかがとても気にかかる質です。
ここで一冊、本を紹介させてください。「岩波講座 都市の再生を考える」というシリーズの第1巻、『都市とは何か』[★8]。ここで中谷礼仁さんが、「先行形態」という表現を使っています。街の構造が、それまで街がどのようになっていたかという歴史によって強く規定されているということを論じていて、とてもおもしろい。大阪の地図を見ると、なんということはない住宅地に、突然丸い道路があったりする。これは昔古墳だった場所です。広島の事例では、原爆投下以前の時点ですでになくなっていた道が、その後の復興過程で復活したそうです。これは計画したひとも自覚していなかったのだけれど、無意識のうちに、かつて道があったところに道をつくっていたのだと。
こういう観点からすると、ふくしまゲートヴィレッジには土地の文脈が見えてこない。跡地マニアのぼくとしては、その点が不満です(笑)。
東 なるほど。設計を担当した藤村龍至さんは、大山さんとは逆に、記憶がなくなった土地を求めたのだと思います。彼はJヴィレッジを見学に行ったとき、これはニュータウンに似ていると言っていました。山を切り開いて、いままでの土地の文脈を無視して建造されていると。藤村さんは、自分には趣味がないというふりをするけれど、趣味的には明らかにニュータウン的な光景を好んでいる。
大山 ぼくもそれでいい、という心性はわかるんです。ただ、いまの広島の例のように、計画している当人ですら気づかないうちに古い道が復活してしまうような抗えなさに、ぼくは魅力を感じてしまうんですよね。これはニュータウンにしても同じで、たんに山を切り開いたといっても、それぞれに土地の文脈はやはりある。
東 よくわかります。藤村さんは、土地の痕跡を探る仕事はあまり得意ではない。たとえばふくしまゲートヴィレッジの設計でも、彼は敷地内の深い谷を埋め立てるというプランを提示しています。これはけっこう力業で無理のある案で、ぼくもじつは強く異論を唱えたのですが、彼は最後まで埋め立てを主張しました。これは象徴的な話だと思います。彼は、もともと存在していたものの痕跡を残す、そういうことを否定しているのではないか。
大山 Jヴィレッジ周辺の歴史的推移を見てみると、もともと起伏が豊かだったところを平らに造成しているんですね。ぼくは建築の本質とは、床が平らなことだと思っているんです。ほかの動物と違って、人間は平らなところでしか暮らしていけないという弱点がある。建物を建てる前には、必ず土地を平らにしなければいけない。これは建築家の仕事ではないと思われがちですが、これこそが本質だと思うんです。Jヴィレッジ周辺の航空写真を時系列順に見ていくと、土地が均されていく様子がわかる[★9]。ここにこの土地の歴史が刻まれている。梅沢さんの「ツナミの塔」もすばらしいアイデアですが、この均されたエリアに、瓦礫を使ってもとの地形を再現するのもおもしろいのではないかと。それこそ、家電のゴミを使うんです。
東 なるほど! 家電の瓦礫で回復するJヴィレッジ造成前の敷地……。それはすごいおもしろい!
大山 ありがとうございます。
東 藤村案と比べるとじつに対比的ですね。
いまふと思い出したのですが、渋谷の駅ビルは渋谷川を埋め立てた上につくられているんですよね。だとすると、ステーションシティを評価する藤村さんが、このような土地の痕跡を消去する案を出してくるのはよくわかる。
観光地化計画は複数の委員の思惑が集まった結果なので、必ずしもぼくの建築的センスが生かされているわけではないんですよね。むろん、座長として責任を取りますが、その前提のうえで言えば、個人的には、いまの大山案はとてもおもしろいと思いました。
大山 今日はこのアイデアを話したかったので、そう言っていただけて光栄です。最後にもうひとつだけ付け加えておくと、ツナミの塔はかなりぐっと来ました。家電製品というのは電気がないと動かない。それが津波の結果使えなくなり、原発事故で電気の供給もままならない状態で、瓦礫となって積み重なった。その経緯が象徴的に込められていて、元家電屋として涙が出そうになりました。
東 ありがとうございます。家電は高度経済成長の象徴でもあって、その瓦礫が、さらに放射能で汚染されて塔になっているというのは、とてもアイロニーに満ちている。梅沢さんの提案はとてもよかった。その提案を活かす建築を考えたいですね。
個人商店に未来はあるのか?
東 ではここらあたりで質疑応答に入りたいと思います。
質問者A 今日の議論は、ショッピングモールというと大手のチェーン店ばかりが入居しているイメージで語られていますが、自営業の小さい店舗が入ることも多いのではないでしょうか。
東 ショッピングモールの形態によると思います。日本ならば109もイオンもショッピングモールと呼ばれる。109には小さい店舗も入っていますよね。ただ、ぼく個人の見解としては、地元の商店街がたんに移転したような小さい店よりも、世界中どのショッピングモールに行ってもユニクロが入っている、その事実のほうが重要だと考えています。これは本当に衝撃的です。どこでも同じような価格で同じような服を買い、同じような袋で持ち帰っている。
大山 同感です。ZARAやFOREVER21もそうですね。一般的に、物事が同じであることの重要性は理解されにくい。とくにサブカル好きなひとたちは、物事が多様であり差異化されていることが大切だと思っていますよね。でも彼らに足りないのはまさにこの感性で、ぼくは同一性にぐっと来てしまう。
東 言語も宗教も政治体制も違うのに、ショッピングの実践では同じというのはすごい。大げさではなく、これは人類にとって大きな可能性ではないでしょうか。今後世界で言語や宗教が統一されたり、連邦政府がつくられることはありそうにない。しかしみながZARAを着ることはありうる(笑)。
大山 『思想地図β』vol.1の巻頭言では、みなが同じクロックスを履いていることに驚いたと書かれていましたね。ただ、いまのご質問にはもう少し含みがあるような感じもしましたが、いかがですか。
質問者A 自営業者対大手という構図になるとなかなか勝ち目がないので、もう少し自営業者が入り込む余地はないのかなと。
東 うーん。質問の意図はわかるのですが……。しかし、個人の商店の強みというのはなんでしょう。そこでしか買えないものがあったり、なにか個性があって勝負するというのならばわかる。けれどいまや、個人商店も大手チェーンも基本的には卸売業であって、同じものを売っている。だとすれば、安くて品揃えが充実していた方がいいに決まっている。
大山 ぼくはいま住んでいる部屋の階下に八百屋屋や魚屋が入っているんです。で、少し歩くとOKストアがある。日々悩むのはどちらで買い物をするかということで、八百屋はすぐ近くなのだけれど、おやじの愛想が悪い(笑)。引っ越してきて挨拶しても、お前はコミュ障なのかというくらい素っ気ない。それに比べてOKストアは接客マニュアルがきちんとしているので、おばちゃんの愛想がいい。島忠も併設されているので楽しいし。まさに個人商店とショッピングモール的なものの板挟みの中で生きています。
ショッピングモールと物語
質問者B いま、ショッピングモールの機能は、ものを売ることだけではなく、「体験」を提供すること変わりつつあるように思います。たとえば、幕張のイオンモールには東映の体験型アトラクションが入っている。しかし、もしいまお二人がおっしゃったように、そこで販売されているものはどのモールでも均質だとすると、「同じものを売る」ということと「差異化された経験を提供する」ということは両立するのでしょうか。
大山 ショッピングモールはものを売るところではなく経験を提供するところだということは、まさにジャーディが言っていたことです。つまり、ぼくたちが行っているモールというのは、はじめからそういう観点で設計されている。売りものになっているのは体験であって、じつは商品そのものではない。
東 ショッピングモールというとイメージが固定化されていて、たんにものを安く売るところと思われがちですが、これはまったく認識違いですね。小さな子どもを持つと、ショッピングモールがエンターテイメントとしてどれだけ完成されているかがわかる。これは子どもを持たないひとへの批判でもなんでもなく、そもそもショッピングモールの設計がファミリー向けにできているので、子ども連れだとその真価が見えてくるということです。
テーマパークにしても、たとえばディズニーランドはなぜ夜10時まで開いているのか。カップル向けのように見えるけれど、じつはそうではない。10時まで開いていれば、子どもを連れていけるんです。としまえんの方が近くても、17時に閉まるので行けない。体験を提供するという言葉の意味は、そういう即物的なところからも理解する必要があるのではないか。
大山 東さん、キャナルシティ博多に行ったことはありますか?
東 2回ほど訪れました。あそこはいいですね。
大山 キャナルシティは「キャナル(=運河)」という名前の通り、地下1階に擬似運河が流れています【図6】。本当は敷地の隣にある川の水をそのまま引き込むつもりだったのだけれど、日本の法制度ではそれはできない。そこで、川のような形に池を作って、まるで敷地外から流れが連続しているように見せた。

【図6】 キャナルシティ
Wikipedia, the free encyclopedia:"Canalcityhakatainner.jpg",(Author: Pontafon~commonswiki, CC-BY-SA-3.0)、URL=https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Canalcityhakatainner.jpg Public Domain
ショッピングモールの起源はカリフォルニア、つまり乾燥地帯なんです。ぼくは柘植先生の講義で、ジャーディとともに噴水のデザインを手がけたWET Designというひとたちの話を聞く機会がありました。そこで彼らは、「ぼくたちの水に対する渇望は、君たちにはわからない」と言っていた。空き地にはいつの間にか雑草が生え、秋になれば虫が湧いてくる。こんな自然が豊かなところとは違うんだと。カリフォルニアでは、放っておいたら砂と岩だけになってしまう。ジャーディが繰り返し水をモチーフにしているのは、やはりその影響が大きいのだと思います。日本ではラゾーナのように、せっかくつくった噴水が使われていないことがありますが、日本人にとってはあまり水がありがたいものではないからかもしれません。
なぜ噴水の話をしたのかというと、WET Designは噴水を設計するにあたって、まずシナリオを書いているんです。二匹の龍が出会って恋に落ちて……という感じで物語をつくって、それに沿って設計を進める。ジャーディは繰り返し、設計の前に物語を書けと強調しています。起源からして、ショッピングモールは体験を売るところなのです。
東 じつにおもしろい! ぼくの義理の父はアリゾナに別荘を持っていて、結婚後数回訪れたことがあるんです。一帯が砂漠なので、別荘といってもゲーテッドコミュニティになっている。塀に囲まれた中には木が生えているけれど、一歩出ると完全な砂漠。ショッピングモールがそういう場所を前提に生まれたのだとすると、日本のショッピングモールは同じようで全然違うものなのかもしれませんね。日本はショッピングモールとして再解釈していきますね。それは、アリゾナやカリフォルニア、あるいはドバイのような乾燥地帯の手法とはまったく異なる。
逆にシンガポールやバンコクのモールは日本に近い。バンコクには、チャオプラヤ川岸壁の旧倉庫街を再利用した、アジアティーク・ザ・リバーフロントというショッピングモールがあります。この倉庫はかつて日本軍も使っていたもので、植民地の記憶を持つ遺構を、新たな消費の場所として蘇らせている。日本でも、工業遺産がポストモダン的な商業施設に転化される。一方アメリカだと、砂漠のなかに巨大建築が突然登場する。
大山 同感です。アメリカ的なショッピングモールとは別に、アジア型のショッピングモールが育ったのだということですね。土地の記憶ということに関して言うと、多くのショッピングモールのホームページでCSR(企業の社会的責任)の項目を見ると、わたしたちはこの地域を大規模開発するけれど、環境にも配慮するしこういう責任を果たしていくつもりだ……と書かれている。これ、工場が掲げるCSRとほとんど同じ文言なんです。つまり、地元住民に対するメッセージですね。土地の文脈を踏まえることは、昔からの住民に対するエクスキューズとしても機能している。日本でショッピングモールをつくろうとすると、むしろ土地の記憶に配慮することは、必須の条件なのかもしれません。
東 なるほど……。今日はいろんな論点が出ましたが、最後に、ショッピングモールを区分する上で、土地の記憶の有無が決定的な違いになることが見えてきました。これは大きな発見だと思います。アジア的なショッピングモールのおもしろさについては、機会をあらためてさらに考えていきたいと思います。大山さんとは定期的に、このテーマで対談をお願いしたいと思いますので、今日積み残した課題はぜひ次回に。本日はありがとうございました。
大山 ありがとうございました。
2014年1月30日 東京、ゲンロンカフェ
構成・注=編集部
★1 1985年にサンディエゴで開業したショッピングモール。メイシーズなどの3つの百貨店と約130の店舗からなる。オープン初年に2500万人を集客するなど大きな成功を収め、ジョン・ジャーディの出世作となった。
★2 1996年に福岡市博多区にオープンした商業施設。開業当初は劇団四季の常設劇場を備えており(2010年に閉鎖)、日本で初めてのシネマコンプレックスを備えた商業施設でもある。テナント数は約180で、年間来場者数は1000万人以上。2011年には九州新幹線の全線開業に合わせ、新たにイーストビル(第2キャナル)がオープンした。
★3 『プロセスアーキテクチュア』vol.101、プロセスアーキテクチュア、1992年。「共有社会的体験の再創出」と題され、ジャーディ・パートナーシップ責任編集のもと、ホートンプラザを始めとするジャーディの代表的な仕事と、その方法論が特集されている。
★4 1977年にイギリスの建築家クリストファー・アレグザンダーが提唱した、都市や建築にひそむすぐれたデザインを抽出し記述する方法論のこと。この手法はプログラミングの手法としても注目され、広い分野に影響を与えている。著書に『パタン・ランゲージ』(平田翰那訳、鹿島出版会、1984年)など。
★5 アメリカの都市研究家。実例をもとに都市の多様性を確保するための条件をまとめた『アメリカ大都市の死と生』(山形浩生訳、鹿島出版会、2010年)は都市論の古典として、現在に至るまで広く参照されている。
★6 苫小牧東部工業団地「苫東コミュニティ」のこと。1960年代後半に始まった苫小牧東部開発計画の一環として工業団地として計画されたエリアを、社会の変化に合わせて産業複合都市として計画変更することを目的に構想された。業務ゾーンと宅地ゾーンが放射状に展開し、グリーンベルトや水路がそれぞれの区域(ヴィレッジ)を区切る構造になっている。しかし開発計画自体が巨額の赤字を抱え頓挫したため、ジャーディのプランも実現することはなかった。
★7 市川宏雄『山手線に新駅ができる本当の理由』、メディアファクトリー新書、2012年。
★8 間宮陽介編『都市とは何か』、岩波書店、2005年。「岩波講座 都市の再生を考える」の1巻目にあたり、同シリーズは「グローバル化時代の都市」までの全8巻からなる。
★9 1970年代の航空写真を確認すると、現在のJヴィレッジにあたる敷地は緑の広がる沢のほとりであり、豊かな起伏があったことがわかる(広野火力発電所の稼働開始が1980年、隣接する敷地にJヴィレッジが開業したのは1997年のこと)。現在の地形図ではJヴィレッジの敷地だけがへらで削り落としたように平らに造成されており、人工的な開発の痕跡が見て取れる。
大山 東さん、キャナルシティ博多に行ったことはありますか?
東 2回ほど訪れました。あそこはいいですね。
大山 キャナルシティは「キャナル(=運河)」という名前の通り、地下1階に擬似運河が流れています【図6】。本当は敷地の隣にある川の水をそのまま引き込むつもりだったのだけれど、日本の法制度ではそれはできない。そこで、川のような形に池を作って、まるで敷地外から流れが連続しているように見せた。

Wikipedia, the free encyclopedia:"Canalcityhakatainner.jpg",(Author: Pontafon~commonswiki, CC-BY-SA-3.0)、URL=https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Canalcityhakatainner.jpg Public Domain
ショッピングモールの起源はカリフォルニア、つまり乾燥地帯なんです。ぼくは柘植先生の講義で、ジャーディとともに噴水のデザインを手がけたWET Designというひとたちの話を聞く機会がありました。そこで彼らは、「ぼくたちの水に対する渇望は、君たちにはわからない」と言っていた。空き地にはいつの間にか雑草が生え、秋になれば虫が湧いてくる。こんな自然が豊かなところとは違うんだと。カリフォルニアでは、放っておいたら砂と岩だけになってしまう。ジャーディが繰り返し水をモチーフにしているのは、やはりその影響が大きいのだと思います。日本ではラゾーナのように、せっかくつくった噴水が使われていないことがありますが、日本人にとってはあまり水がありがたいものではないからかもしれません。
なぜ噴水の話をしたのかというと、WET Designは噴水を設計するにあたって、まずシナリオを書いているんです。二匹の龍が出会って恋に落ちて……という感じで物語をつくって、それに沿って設計を進める。ジャーディは繰り返し、設計の前に物語を書けと強調しています。起源からして、ショッピングモールは体験を売るところなのです。
東 じつにおもしろい! ぼくの義理の父はアリゾナに別荘を持っていて、結婚後数回訪れたことがあるんです。一帯が砂漠なので、別荘といってもゲーテッドコミュニティになっている。塀に囲まれた中には木が生えているけれど、一歩出ると完全な砂漠。ショッピングモールがそういう場所を前提に生まれたのだとすると、日本のショッピングモールは同じようで全然違うものなのかもしれませんね。日本はショッピングモールとして再解釈していきますね。それは、アリゾナやカリフォルニア、あるいはドバイのような乾燥地帯の手法とはまったく異なる。
逆にシンガポールやバンコクのモールは日本に近い。バンコクには、チャオプラヤ川岸壁の旧倉庫街を再利用した、アジアティーク・ザ・リバーフロントというショッピングモールがあります。この倉庫はかつて日本軍も使っていたもので、植民地の記憶を持つ遺構を、新たな消費の場所として蘇らせている。日本でも、工業遺産がポストモダン的な商業施設に転化される。一方アメリカだと、砂漠のなかに巨大建築が突然登場する。
大山 同感です。アメリカ的なショッピングモールとは別に、アジア型のショッピングモールが育ったのだということですね。土地の記憶ということに関して言うと、多くのショッピングモールのホームページでCSR(企業の社会的責任)の項目を見ると、わたしたちはこの地域を大規模開発するけれど、環境にも配慮するしこういう責任を果たしていくつもりだ……と書かれている。これ、工場が掲げるCSRとほとんど同じ文言なんです。つまり、地元住民に対するメッセージですね。土地の文脈を踏まえることは、昔からの住民に対するエクスキューズとしても機能している。日本でショッピングモールをつくろうとすると、むしろ土地の記憶に配慮することは、必須の条件なのかもしれません。
東 なるほど……。今日はいろんな論点が出ましたが、最後に、ショッピングモールを区分する上で、土地の記憶の有無が決定的な違いになることが見えてきました。これは大きな発見だと思います。アジア的なショッピングモールのおもしろさについては、機会をあらためてさらに考えていきたいと思います。大山さんとは定期的に、このテーマで対談をお願いしたいと思いますので、今日積み残した課題はぜひ次回に。本日はありがとうございました。
大山 ありがとうございました。
2014年1月30日 東京、ゲンロンカフェ
構成・注=編集部
★1 1985年にサンディエゴで開業したショッピングモール。メイシーズなどの3つの百貨店と約130の店舗からなる。オープン初年に2500万人を集客するなど大きな成功を収め、ジョン・ジャーディの出世作となった。
★2 1996年に福岡市博多区にオープンした商業施設。開業当初は劇団四季の常設劇場を備えており(2010年に閉鎖)、日本で初めてのシネマコンプレックスを備えた商業施設でもある。テナント数は約180で、年間来場者数は1000万人以上。2011年には九州新幹線の全線開業に合わせ、新たにイーストビル(第2キャナル)がオープンした。
★3 『プロセスアーキテクチュア』vol.101、プロセスアーキテクチュア、1992年。「共有社会的体験の再創出」と題され、ジャーディ・パートナーシップ責任編集のもと、ホートンプラザを始めとするジャーディの代表的な仕事と、その方法論が特集されている。
★4 1977年にイギリスの建築家クリストファー・アレグザンダーが提唱した、都市や建築にひそむすぐれたデザインを抽出し記述する方法論のこと。この手法はプログラミングの手法としても注目され、広い分野に影響を与えている。著書に『パタン・ランゲージ』(平田翰那訳、鹿島出版会、1984年)など。
★5 アメリカの都市研究家。実例をもとに都市の多様性を確保するための条件をまとめた『アメリカ大都市の死と生』(山形浩生訳、鹿島出版会、2010年)は都市論の古典として、現在に至るまで広く参照されている。
★6 苫小牧東部工業団地「苫東コミュニティ」のこと。1960年代後半に始まった苫小牧東部開発計画の一環として工業団地として計画されたエリアを、社会の変化に合わせて産業複合都市として計画変更することを目的に構想された。業務ゾーンと宅地ゾーンが放射状に展開し、グリーンベルトや水路がそれぞれの区域(ヴィレッジ)を区切る構造になっている。しかし開発計画自体が巨額の赤字を抱え頓挫したため、ジャーディのプランも実現することはなかった。
★7 市川宏雄『山手線に新駅ができる本当の理由』、メディアファクトリー新書、2012年。
★8 間宮陽介編『都市とは何か』、岩波書店、2005年。「岩波講座 都市の再生を考える」の1巻目にあたり、同シリーズは「グローバル化時代の都市」までの全8巻からなる。
★9 1970年代の航空写真を確認すると、現在のJヴィレッジにあたる敷地は緑の広がる沢のほとりであり、豊かな起伏があったことがわかる(広野火力発電所の稼働開始が1980年、隣接する敷地にJヴィレッジが開業したのは1997年のこと)。現在の地形図ではJヴィレッジの敷地だけがへらで削り落としたように平らに造成されており、人工的な開発の痕跡が見て取れる。
「顔」と「指」から読み解くスマホ時代の写真論
ゲンロン叢書|005
『新写真論──スマホと顔』大山顕 著
¥2,640(税込)|四六判・並製|本体320頁(カラーグラビア8頁)|2020/3/24刊行


大山顕
1972年生まれ。写真家/ライター。工業地域を遊び場として育つ・千葉大学工学部卒後、松下電器株式会社(現 Panasonic)に入社。シンクタンク部門に10年間勤めた後、写真家として独立。執筆、イベント主催など多様な活動を行っている。主な著書に『工場萌え』(石井哲との共著、東京書籍)『団地の見究』(東京書籍)、『ショッピングモールから考える』(東浩紀との共著、幻冬舎新書)、『立体交差』(本の雑誌社)など。2020年に『新写真論 スマホと顔』(ゲンロン叢書)を刊行。

東浩紀
1971年東京生まれ。批評家、作家。ZEN大学教授。株式会社ゲンロン創業者。博士(学術)。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』、『訂正する力』など。



