【 #ゲンロン友の声|046】大切なのは哲学を「生きること」です

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webゲンロン 2026年9月20日配信

新卒で就職した年にゲンロン友の会に入会し、陰ながら応援しています。もしよければ、進路についてご相談させてください。

対人援助職として6年目になります。昨年度、自分も哲学がやりたいと思い立ち、東大大学院を社会人枠で受験しましたが、二次試験で不合格でした。後日、志望していた研究室の先生から「実践がやりたいなら、ここじゃないと思うよ」と言われ、もう一度挑戦するつもりだった気持ちが折れてしまいました。私は、自分の専門から離れてものを考えることが難しくなっていたようです。

私は哲学が自分の仕事に資すると信じていますし、自分の見ているものを哲学の言葉で表現したらどうなるのか、どうしても気になります。一方で、院試への挑戦は今年までとリミットを決めていたのに、迷ってしまい、焦りが募っています。

東さんは大学という場所を離れ、哲学を通して「実践」をされています。大学院に行かずに論文を書いたり、ゲンロンで学んだりする道もあるのかもしれません。私はこれから、どこで何を学んでいけばよいのか。東さんのご意見を伺えたら嬉しいです。(山梨県・30代・女性・会員)

 長いあいだ会員でいてくれて、ありがとうございます。相談者さんの真摯さが伝わってきました。結論から言いますと、大学で哲学を学ぶことと、哲学の実践は切り離して考えるのがよいと思います。

 これは哲学を学ぶのが無駄だということではありません。哲学は確かに学ぶことができる。たとえば(相談者さんがどのような研究室を志したかわかりませんが)、ぼくはフランス現代哲学を学んだので、フーコーの「生権力」がどうとかデリダの「歓待」がどうとかドゥルーズの「差異」がどうとか、それっぽく語ることができる。それが大学で哲学を学ぶことの効能です。いまはフランス哲学の例を出しましたが、むろん専門によって学べる概念は異なります。そしてそれらの概念は現代社会を考えるうえで役立たないこともない。だから無駄ではない。

 けれども、哲学の厄介なところは、そこでの学びが必ずしも実践につながらなということです。哲学の学びは、特定の知識や技術を取得することと本質的に異なる。学んだ知識や技術を使うことで、なにかがうまくできるようになる、そういう構造をしていないのです。

 おいおい、そりゃなんだと思われるかもしれません。でも本当にそうなのです。最近ほかの相談者さんに答えるかたちでも書きましたが、哲学の学びの本質は、「過去の哲学者がそれぞれの人生をかけて学んだことを学ぶ」という形式をしている。したがって、そこで学ばれた知識は、煎じ詰めればそれぞれの哲学者が生きた時代で有効な知識に過ぎず、必ずしも現在にそのまま適用できるとは限らない。哲学を学んでいると、むしろ過去と現在の違いに直面し、哲学が役立たないと思うことばかりです。

 これはつぎのように表現するとよいかもしれません。哲学を学ぶことは歴史を学ぶことに似ています。歴史はさまざまなことを教えてくれる。歴史は教訓の宝庫です。けれど、歴史を学んだからといって、歴史をうまく「実践」することができるわけではない。いまの時代をうまく生きることができるわけではない。

 歴史や哲学は、それを学ぶことでなにかがうまく実践できる、そのような知識の構造をしていない。それなのになぜ歴史や哲学を学ぶのか、ここにはたいへん難しい問題があります。裏返せば、学んだ知識や技術を使うことで、なにかがうまくできるようになる、それこそが教育の目的だと考える立場からは、歴史や哲学を教えることは無駄だという結論になるはずです。昨今話題の「人文系のダウンサイジング」もまた、そのような立場から必然的に出てくる政策だと言えるでしょう。

 話が逸れました。いずれにせよ、ぼくは以上のように、哲学を学ぶことと、哲学を実践することは切り離して捉えたほうがよい、というか原理的に切り離すしかないはずだと考えています。哲学を実践することは、哲学という専門分野のなかで学んだ特定の知識や技術を活かしてできるものではない。歴史が盲目的に生きられるほかないように、哲学も盲目的に実践されるほかない。哲学が実践においてできることは、せいぜいが、自分がやっていることの意味を哲学の言葉で「言語化」できるようになる、そのていどのことでしかありません。

 つまり、学びがあって実践があるのではない。実践がさきにあって、学びの意味が遡行的に見出されるのです。ぼく自身もそうです。デリダの「誤配」がゲンロンの実践と関係しているなんて、要は後付けの屁理屈です。哲学はそういうものです。

 それゆえ、ぼくの考えでは、相談者さんはあまり悩む必要はありません。院試の失敗で落ち込む気持ちはよくわかりますが、それで哲学の道が閉じられたわけではけっしてない。それどころか、詳細はわかりませんが、「対人援助職として6年目」なのであれば、むしろぼくなどよりはるかに哲学的経験を積み上げているのかもしれない。大事なのはその事実のほうであって、いわゆる哲学の専門的教育を受け、難しそうな言葉をペラペラとスマートに話す能力を身につけることではないと、ぼくとしては思います。

 大事なのは、哲学を学ぶことではなく、哲学を生きることです。哲学を生きていれば、必然的に哲学の言葉も──確かに独学風にはなってしまうけれど──身についていくと思います。(東浩紀)

東浩紀

1971年東京生まれ。哲学者、ZEN大学教授。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』、『訂正する力』、『平和と愚かさ』など。
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