投薬される鶏、聖体拝領される鶏──フィリピンの闘鶏家はいかに運と格闘するか ひろがりアジア(16)|師田史子

2025年8月、フィリピンにフィールドワークに向かった。筆者はフィリピンの賭博、その中でも特に闘鶏を調査している。だから調査地に行けば、鶏の話ばかり聞いて集めることになる。
ある日、いつものようにお世話になっているミンダナオ島の闘鶏家のもとに足を運ぶと、アメリカから闘鶏家が訪ねて来ていた。何やらこのアメリカ人は有名な闘鶏品種の血統を作り出した人物らしく、友人は熱心に交配の方法や育成の術を聞いていた。とりわけ鶏の筋肉肥大化にテストステロンの適切な投与が重要という話はパラダイムシフトだったようで、目をまん丸くしていた。翌日以降、彼は、テストステロンを〇日ごとに接種すれば云々と、新たに仕入れた知識を闘鶏仲間へしきりに熱弁していた。

別の日、首都マニラで活躍する闘鶏家がこの街に里帰りをしていて、地元の闘鶏場で闘っていた。彼の鶏はバッタバッタと敵を倒して難なく優勝。「めっちゃ強かったね、おめでとう!」と声を掛けると、「たまたまだよ」と彼は一言返して、颯爽と帰宅していった。
人間は特定の出来事に対して、因果関係を追求し科学的に改善しようと努力することもあれば、時に「運」のような言葉で捉え仕方ないと受け入れることもある。技術を駆使してどうにかすること、運に任せるしかないこと。この2つの落差は、別に珍しいものではない。どこにでもあることだ。先日のサッカーワールドカップ、日本対ブラジル戦の時、解説・本田圭佑は試合中、「クロス上げてる3番が……」と分析しつつ、試合が終われば「くじ運は悪いっすよ」と言っていた。
こうした矛盾やズレを含む思考やそれに連動する行為は、どういう回路で共同的に生まれているのだろうか。こうしたぼんやりしたことを、私は文化人類学者として、フィリピンの賭博の現場から考えてきた[★1]。中でも闘鶏は私にとって「謎に包まれた行為」だったが今では、友人が保有する鶏たちのもとへ毎年通うほどに魅惑されている。それはおそらく、極めて単純に見える賭けの場で、闘鶏家たちが鶏を育成することや金を賭けることに多様で複雑な思考を巡らせていることを知っていくうちに、闘鶏が「人間の制御できること」と「運でしかないこと」の両極を強烈に露呈する営みだと感覚するようになったからだ。ここでは、その「人間の制御できること」と「運でしかないこと」の相補的な関係性──一方の拡大が他方を際立たせるようなあり方──について、鶏に向けられてきた技術や思考の変遷をひもときながら、考えていきたい。
ナショナル・アイデンティティとなる闘鶏
闘鶏は2羽(あるいはそれ以上)の鶏を闘わせる遊びである。じつは人類において一番長い歴史を持つスポーツだと言われることもあるほどに、多くの人々を魅了してきた。日本でも古くは8世紀前半に編纂された『日本書紀』に、宮中で「鶏合せ」が行われていた記録がある[★2]。
しかし現在では、闘鶏は、日本をはじめ多くの国で伝統文化として一部で営まれつつ、基本的には、動物保護や賭博罪との関係で──曖昧さも残しつつも──ほとんど違法な存在となっている。果たしてその文化が今も残っているのか、残っているならどこで行われているのか、さっぱり見当がつかない人のほうが多いだろう。
闘鶏に曖昧でどっちつかずな態度を維持する日本のような国と比べると、フィリピンはまさに特異な国である。なぜなら、闘鶏が完全に合法に営まれ続けているからだ。
フィリピンにおける闘鶏とは、左脚に鋭いナイフを装着した2羽の鶏を闘わせ、相手を戦闘不能にさせた(すなわち、息の根を止めるか戦意喪失させた)方が勝利するというルールの合法賭博である。しかもそれが、「フィリピン固有の文化遺産を保存・継承し、それによってナショナル・アイデンティティを高めるための手段として位置づけられるべきである」という法律に支えられて、国民の娯楽として確固たる地位を確立している[★3]。

闘鶏がナショナル・アイデンティティと結びつく理由は主に2つある。第一に、スペインにフィリピンが「発見」される以前から、諸島では闘鶏が営まれていたという歴史的事実がある。16世紀中ごろからフィリピンはスペインの植民地となるが、それ以前の1521年にはすでに先住民の間で賭け闘鶏がなされていたことが記録されている[★4]。第二に、闘鶏がスペイン植民地期(1565–1898年)、アメリカ植民地期(1902–42年)、そして日本占領期(1941–45年)をくぐり抜けてきた経緯がある。外来の権力に屈することなく今日まで続いてきたという遍歴をもって、闘鶏は植民地主義への抵抗の証として位置づけられている。
ただ、フィリピンの闘鶏家たちがこのようなナショナリズム的信条を胸に抱いて、日々闘鶏場でアツい闘いを繰り広げているのかというと、そんなことはない。「闘鶏は俺たちフィリピン人の血をたぎらせるんだぜ!」といった言葉はよく聞くが、その血を沸騰させる熱源は反植民地主義だけではない。それはまず何よりも金である。そして闘鶏そのもののロマンであり、男性を中心とした仲間との祝祭的な熱狂であったりする。
闘鶏に注目した文化人類学の研究では、クリフォード・ギアツの「ディープ・プレイ」が古典中の古典として名高い[★5]。彼はインドネシア・バリの闘鶏を、単なる金儲け主義の賭博に興じる「シャロー・プレイ」、つまり浅い遊びと対比させ、深い遊びとして描き出した。何が深いのかというと、賭けられているものや闘鶏の世界それ自体だという。つまり、金ではなく名誉や男らしさが賭けられることで、闘鶏場はバリ社会の熱狂や暴力性や秩序を上演する劇場として存在することになる。
ギアツは闘鶏の象徴性を深く解釈しているが、正直なところ、私としては「ほんとうかなあ?」という感じがしている。フィリピンの闘鶏場にいると、確かにそこは非日常的な劇場で、熱が渦巻く空間なのだが、賭けること、当たること、金銭を得ることを画策して、闘鶏家たちが細々とあれこれしている具体的なことを抜きにしてはわからない事態が多すぎる。
例えば、彼らは闘鶏の一日の中で、鶏の強さや鶏の所有者の名声の大小を推し量るだけでなく、どちらのピット側の鶏が勝ち続けているのかをカウントしたり、赤い羽と白い羽の対戦の場合は赤が優勢であるという小さな統計を取ったり、極めて多様な観点を踏まえた上での次の結果の推測に余念がない。負けが立て込めば一度闘鶏場を離れたり、タバコを吸ったりして、自らの判断あるいは運の流れを立て直そうとする。また、闘いに出す鶏自体にも、勝つことのできる体躯や俊敏性を養うための給餌や訓練に、日々を費やしている。基本的には、すべては、闘鶏に勝ち、金銭的利潤を得ることを目的とした、切実な行為である。打算的かつ現実的な行為の積み重ねとしてフィリピンの闘鶏はあり、ディープな象徴性を操作することで完結するような、宙に浮いた世界ではないのだ。
そんなこともあって私は、深くない「シャロー」なこと、つまり闘鶏家たちの賭けの流儀を追いながら、コントロール外の事象を彼らがどう捉えているのかを調べている、という次第である。
コントロール外の事象
闘鶏における人間のコントロール外の事象とは何か。闘鶏場において、どちらかが勝ち、どちらかが負ける、すなわち死に至ることはあらかじめ決定づけられている。それは限りなく必然に近い。結果が必然として決定的に提示されなければ、賭けは成立しない。賭けを成立させるもう一つの要素は、闘鶏家の手を離れた鶏が、闘って決着をつけるまで──どちらかが/両方が動かなくなる、もしくはどちらかが闘いから逃げるまで──の未決定性、すなわち、どちらが勝ってもおかしくないがどちらかが必ず勝つ、という偶然性である。
ピットに放たれた鶏は、自動的に相手をロックオンすることなく、しばしば暢気にてくてくと土の上を散歩する。どちらの鶏が先に相手を視界に収めて先制攻撃を放つか。観客は序盤、この時間を、固唾を飲んで見守る。喧嘩が始まると、どちらがどのように相手をかわし、どちらがどのように致命傷を与えるのか、鶏の一挙手一投足に視線が注がれる。そして、どちらが先に首をもたげ、息を止めるのか、審判の公式な判定を待つ。いくらでも分割可能なこうした時間は、来るべき決定的な「結果」に対して、決定されることなくいかような未来にも開かれている。この開かれが偶然性であり、ここと結果の必然性の落差のようなものに、みな賭けている。

賭けにおいて、何が制御できることで、何が運でしかないことなのか。遊戯の仕組み自体は固定的だが、闘鶏家が鶏や闘鶏への賭けをどれくらいコントロール可能だと考えるかは可変的だ。私の友人がテストステロンのことを知ったように、知識や技術、価値観の変化に即して、イメージされるコントロール可能性は変化する。コントロール外の事象という領域もまた変化する。こうした変化の背景をなしてきた、闘鶏を取り囲む諸事情の変遷は、フィリピン社会の動態と密接に連動していてなかなか面白い。ここからはその歴史を駆け足で辿ろう。
宗教的・呪術的な鶏の強化
今から500年ほど遡った、スペイン植民地下のフィリピン。植民地支配とともに宣教を始めたカトリック教会は、闘鶏を含めた賭博に金をつぎ込むフィリピン人たちを怠惰な存在と見做し、どうにかやめさせようとしていた。しかし蓋を開けると、スペインから派遣された行政官が闘鶏を取り仕切ったり、聖職者が関与したりと、スペイン人たちも闘鶏から甘い汁を吸っていた。こうした統治の腐敗によってフィリピン社会の闘鶏熱はヒートアップ。さらにスペイン本国の政治情勢の変化に伴う財政難を受け、植民地期末期には貴重な税収を減らすわけにはいかないと、闘鶏は合法的に運営されることとなった。
フィリピン独立の英雄ホセ・リサールは、賭博に関連する語彙の多くがスペイン語由来であることから、フィリピン人を怠惰にさせたのはほかならぬスペイン当局であると糾弾した[★6]。このロジックを延長させると、運の観念が持ち込まれ、定着したのもまたスペイン植民地期だったと推測できる。実際、フィリピン語で幸運は「スウェルテ(suwerte)」や「ブイナス(bwenas)」、不運は「マラス(malas)」と言われるが、すべてスペイン語由来の語彙である。また、フィリピン人の思想をひもとく書籍には、幸運は神が定めた運命を源泉とするものであり、「神様からの贈り物」であると記されていることからも、この観念の流入にカトリック教会が関係していたのは間違いない[★7]。
実際、賭けに勝つために闘鶏家たちが頼ったのは、カトリック教会だった。「大金をかけて闘鶏をしようという時には、ミサのために司祭に金貨を送って神の歓心を買う」大尉の話[★8]や、試合前の鶏に聖水を賭けて神的な力を蓄えさせる話[★9]、聖体のパンを鶏に与えてキリストを身体に宿し無敵化させる話[★10]などからは、カトリック教会の宗教的な力が闘鶏という賭博に大いに活躍していたことがうかがえる。負けた場合も、司祭の声がかすれていた、ろうそくの数が少なすぎたなどの理由が挙げられたり、負け自体が信仰を厚くするために天から与えられた試練として読み解かれ、より手厚いミサへと金銭が投じられたりしたという。運という概念を持ち込んだ教会が運を操作するサービスを提供し金儲けをするという、マッチポンプ的な事態が生じていたのかもしれない。
もちろん、鶏のケアの技法が重要だったことは間違いない。闘鶏家は鳥を息子より大切に育てているという言説が残っているくらいだ。しかし、ケアと同等かそれ以上に、どう頑張ってもどうにもならない人間のコントロール外の事象をどうにかするという領域において、スペイン植民地期には宗教的な力が幅を利かせていたようだ。
科学的な鶏の強化
1902年から宗主国がアメリカに移行すると、カトリック教会に代わってプロテスタント教会が、「未開な」フィリピン人を矯正する道徳的指針となった。
闘鶏は怠惰な行為とされただけでなく、アメリカ本国で盛り上がっていた動物福祉の観点から、残虐な営為として位置づけられた。聖書は人類を、他の生物とは区別された「特別な存在」として規定する。その人間が他の生物に対して支配権を有するという、種差別的なスタンスが、闘鶏を許容し続けてきたと言ってよい。しかしこの支配権が「道徳的な管理責任」へと読み替えられることで、闘鶏は鶏への道徳的保護を毀損する残酷な営みとして批判されたのである[★11]。
プロテスタント教会は、先に述べたカトリック教会による鶏への聖体拝領も、聖書の冒涜として糾弾した。聖体拝領とは、儀式によってイエス・キリストの身体(聖体)となったパンと葡萄酒を受け取り、信仰を共にすることを確認する儀式である。洗礼を受けた人間にとっての秘跡である聖体を、理性や信仰を持たない動物にやってキリストを宿させるなど、言語道断なのである。こうした聖なる行為もまた、人間と動物の境界を崩壊させる退廃的なものだと訴えることで、反カトリシズムを貫いた。
では、アメリカ植民地期に闘鶏が下火になったのかというと真逆である。プロテスタント教会の抗議むなしく、闘鶏はフィリピン社会の祝祭的空間として法的に保護された。のみならず、闘鶏に魅了されたアメリカ人が、闘鶏の近代化に大いに貢献した。彼らは本国から闘鶏品種をフィリピンに持ち込み始めたのである。当初は熱帯性気候に馴化できなかったが、在来種との交配を経てフィリピンの闘鶏に堪えうるハイブリッド種が生産された。遺伝子を固定させる近親交配など、アメリカで培われた技術や知識がフィリピン人闘鶏家たちにもたらされ、スタンダードを一新させた。

科学的交配の流入は、闘鶏がもはや宗教的な力によって決定される世界ではなくなったことを意味する。鶏の強さを司るものが、ミサにかけるお金の多寡ではなく、交配と薬剤にかけるお金の多寡へと変わった。プロテスタント教会が訴えていたもののうち、聖書の冒涜だけは改善されたのだ。一方、鶏の身体への物理的な介入度合いを増加させるアメリカ流の知と技術は、鶏の各個体の性質に由来する不可知性や人間のコントロール外の事象をぐっと狭めたことだろう。鶏へのコントロール可能性を拡張させるために発展してきた飼料、製薬、繁殖産業は、今や約1400億円規模の産業規模を誇る[★12]。市場に出回るこうした商品なしでは今日、鶏の育成は成立しない。アメリカによる闘鶏の近代化は、資本主義的な枠組みの中に闘鶏の営みを規定していく過程だったと理解することもできる。
フィリピンのナショナル・アイデンティティを惹起させる存在である闘鶏が、アメリカ由来の知と技術とマテリアルで構成されているとは、何と皮肉なことか。フィリピン社会で蠢くネオ・コロニアルリズムが、こんなところにも垣間見える。
賭けと偶然と必然
しかし、これだけ科学技術が発展しても、闘鶏家たちは「運」という言葉を多用する。ある闘鶏家は、「賭博はまったくもって確実性がなく、ただ、不運と幸運があるだけだ。不運だったら、毎回負ける。幸運だったら、何に賭けてもいつでも勝ち続ける」ものだと教えてくれた。この台詞からは、賭博における必然性の欠如と、満ち溢れる偶然性、そしてその偶然性を捉えるための運という概念の構図が見えてくる。
偶然とは何か。仮の足場として、九鬼周造による偶然性をめぐる哲学を参照しよう。じつは九鬼の哲学が、私のフィリピンの闘鶏研究をかたちづくっている。
『偶然性の問題』の中で九鬼は、偶然とはシンプルにまず「必然性の否定である」と述べる[★13]。九鬼の偶然性論は、必然/偶然/可能/不可能という様相間の関係性の検討を通じて進行していく。必然とは「必ず然か有ること」、すなわちそうであること以外が不可能であることだ。反対に偶然は、そうでなくてもよかったのにそうあったこと。九鬼の言葉をそのまま引けば、「存在にあって非存在との不利の内的関係が目撃されている時に成立するもの」、「有と無との接触面に介在する極限的存在」、「有が無に根差している状態、無が有を侵している形象」である[★14]。
蛇足だが、なんとここまで引用した言葉はすべて、本を開いた1ページ目に書いてある。つまり、『偶然性の問題』には、引いても引いても引き足りないくらいのキラーワードが満載なのだ。極めて豊饒な表現で、偶然性が色彩やかたちを持つかのように描かれ、その言葉のふくらみに心を奪われていると、生活感覚に根差した卑近な事例が示されて、「これは人間が生きることについての話なのだ」と揺り戻される。偶然性を深く深くどこまでも深く掘り下げていく本書を、その存在自体が美しいと私は思っている。ギアツがバリの闘鶏を深く掘り下げることで持続的な大きな物語を読み解くのに対し、九鬼が深く掘り下げるのは、常にバラバラに崩壊する可能性をはらむような、偶然のとりとめのない一回性が惹起する物語だと言えるだろうか。この本と出合ってしまったことで、フィリピンの賭博の研究に今日に至るまでのめり込んでしまったと言っても過言ではない。
偶然性の細分化
九鬼は偶然性を大まかに3つに分類する。まず、定言的偶然。一般から外れる「稀れ」とされ、例えば四つ葉のクローバーが挙げられる。三つ葉が一般的な中で四つ葉になるロジックは解明されている、しかしなぜその個体が四つ葉になったのかはわからない。
次に、仮説的偶然。これは異なる因果関係が交差することである。例えば、屋根から落ちてきた瓦と飛んでいた風船が当たって、割れる。瓦が落ちることと、風船が飛ぶことは、異なる因果関係の下にある中で、そうした二項が遭遇してしまう。九鬼はこれを、「独立なる二項の邂逅」[★15]と表す。
最後に、離接的偶然。全体と部分の関係に関することである。巨視的に見ればそうでなくてもよかったのに、現にそうなった、という偶然性だと言い換えることもできる。一つの部分が離接肢として全体に持つ関係性が離接的偶然であり、全体はその部分を含む完結した存在(離接的必然)だ[★16]。
九鬼が賭博に見出したのが離接的偶然だった。例えばサイコロ振りの、巨視的な確率論と微視的な一回性の事象について考察だ。すなわち、1が出る確率は大数の法則に倣えば1/6に収れんする。しかし、この確率はあくまで無限回の試行を前提としており、理論上のものに過ぎない。巨視的蓋然性に基づく思考(確率的・統計的な思考)によっていくら確率が高くなったとしても、サイコロを振るこの一回においてどの出目が出るのかを確実に予言することはできず、この点において微視的に、偶然性が存在する。闘鶏に引き付けて考えてみれば、いくら過去に蓄積されたデータに基づいて算出された科学的交配や薬剤投与を通じて鶏を強化したとしても、実際に鶏を闘わせてみるまでは、その結果はわからない。ここに必然性の欠如、偶然性がある。
「偶然は遭遇または邂逅として定義される」[★17]とあるように、九鬼が提起する偶然性の中核的な要素を取り出すとすれば、まずそれは「邂逅」であり、そしてその邂逅の「稀れ」さだろう。「偶然とは「この場所」に行きづり、「この瞬間」に目くばせをするものである[……]無関心と無関心との交叉点の関心的尖端性にほかならない」[★18]。取るに足らないものたちが遭遇して、普段であれば目撃しないような稀な出来事を生み、それに私たち人間は驚きとともに足を止める。人間や事象の個別性に着目し、「この私」が生きることの個別具体性を、偶然性から射止めたのが九鬼だ。
一方、ストア派をはじめとした西洋哲学の潮流において、偶然的なるものは人間の認識の欠如や人間の理性によっては到達しきれない存在として位置づけられてきた。スピノザは、偶然だと捉えられるものは人間の十全な認識の欠如でしかないと言い、有限な存在である人間の自由意志すらも否定する[★19]。決定論的世界観を研ぐ哲学は、神(あるいはスピノザの言うような神即自然)の存在証明だけでなく、自然科学の営みを後押ししてきた思想でもある。
翻って九鬼は、偶然性と必然性を二項対立的にではなく、コインの裏表のように捉えていた。「偶然性とは必然性の否定である」という冒頭の言葉は、両者の分離を示すととともに、必然があるからこそ偶然があり、その逆もまたしかりという、両者の間の絶対的な結合関係を暗示している[★20]。
偶然、必然という両極端な存在は、人間の能力ではどうすることもできない事態としての表裏一体性を有している[★21]。未来の非決定性/決定性と、人間ではいかんともしがたい事態との重なり合い。この余白に生起する「人間のコントロール外の事象」に向けられる人々の理解や捉え方、沸き立つ情動には、個別の文化的・社会的文脈との連関を見て取ることもできるだろう。
この文脈がじわじわと変化してきたのが、フィリピンの闘鶏の世界だった。鶏を強化するための宗教的・科学的実践は、闘鶏家が他者である鶏に対してコントロール可能性を拡張するために培われてきた技術である。こうした実践の変容は、勝ちたいという人間の欲望を基盤とする、勝利の確実性、必然性を常に志向する運動だ。同時に、技術の結実する地点が賭博であるがゆえに、この運動は偶然性の相を逃れることができない。人間によるコントロールの余地を細部において増殖させればさせるほどに、鶏の闘いの結末が人間の力ではどうにもならない領域であることがますます鋭利に鮮やかに前景化していく。
そして、コントロール不可能性のただなかで、尖端としての偶然性を垣間見ることを欲望しているのは、闘鶏家にほかならない。勝利の必然を望みつつ、勝負の偶然を目撃せんとする彼らは、さらにそこに、賭ける「私」を挿入する。鶏の闘いと私の賭けの選択とを重ね合わせることで、彼らは自らの幸運を言祝ぎ、不運を嘆く。私自体の運をコントロールすることで、私の賭けを変質させて次なる鶏の闘いに向かう。闘う鶏とともに未完了の時間へと投げ込まれ、私の外部の出来事と私自体を接続させること。鶏のわからなさを逓減しようとする技術革新の大きな枠組みの中で連綿と日々繰り返されているのは、こうした賭けであり、生き生きとした時間である。
*
現代の闘鶏世界において、わからなさをコントロールしたいという欲望のよすがは、宗教的なものから資本主義的なものへ、完全にとって代わられてしまったのだろうか。アニミズムが豊かに息づき、同時に信心深いキリスト教徒が多く生活するフィリピンで、そんなことはきっとないと思って探しているのだが、鶏を強くさせる呪具や神を宿す秘術にお目にかかれたことはまだ一度もない。「闘鶏場に神はいないぜ、おい」と冷笑されるのがオチだ。だが、少なからず、西洋的な知のパラダイムや科学的行為と溶け合いながら、こうした言説に回収しきれない感性は闘鶏家たちに内在しているだろう。あるいは、テストステロンへの絶大な信頼、それを支えるアメリカ的価値への無条件の信仰からも宗教的な構造を見て取ることもできる。
そして、闘鶏の技術革新が目まぐるしくても、運の存在や運の流れは闘鶏家たちにとってアクチュアルでクリティカルなものであることには間違いない。「ハイブリッドの鶏と良質な餌とケア、そして幸運があれば勝てる。自分の道に幸運があれば、俺たちは100万ペソでも稼げる!」などと言い合って、彼らはたいてい、互いの幸運を祈っている。鶏の生産を科学的に制御できるようになったとしても、依然として鶏は人間にとって他者であり、わからない存在であり続ける。人間のコントロール外の事象を狭めても狭めても、そのコントラストとして、手に余る「たまたま」が鶏の闘いの内に重大さを深めていく。
闘鶏場を後にするたびに、やれ幸運だ、やれ不運だ、と口走る闘鶏家たちの姿には、人間の手に余るものの存在に驚くとともにそれを賛美するかのような生の実感が、いつもふわっと漂っている。
撮影=師田史子
★1 師田史子『日々賭けをする人々 フィリピン闘鶏と数字くじの意味世界』、慶應義塾大学出版会、2025年。
★2 増川宏一『合せもの』、法政大学出版局、2000年、22-23頁。
★3 大統領令449号(通称1974年闘鶏法)。 "Supreme Court E-Library". 2019. URL= https://elibrary.judiciary.gov.ph/thebookshelf/showdocs/26/25254
★4 ピガフェッタ, A.「最初の世界周航」、『マゼラン 最初の世界一周航海』、長南実訳、岩波書店、2011年、141頁。
★5 クリフォード・ギアーツ「ディープ・プレイ:バリの闘鶏に関する覚え書き」、『文化の解釈学II』吉田禎吾ほか訳、岩波書店、1987年、389–461頁。
★6 Jose Rizal, The Indolence of the Filipinos, n.d, pp. 24–25. URL= https://web.seducoahuila.gob.mx/biblioweb/upload/the_indolence_of_the_filipino_by_jos %C3%83%C2%A9_rizal.pdf(編集部注:現在はリンク切れ)
★7 Leonardo Mercado ed. Filipino Thought on Man and Society. Divine World University Publications, 1980.
★8 ホセ・リサール『ノリ・メ・タンヘレ:わが祖国に捧げる』、岩崎玄訳、井村文化事業社、1976年、33頁。
★9 Bruce Kershner, The Head Hunter and Other Stories of the Philippines. Cincinnati: Powell and White Printers, 1921, pp. 67–69.
★10 同上。
★11 Janet Davis, “Cockfight Nationalism: Blood Sport and the Moral Politics of American Empire and Nation Building,” American Quarterly, Volume 65, Issue 3, 2013, pp. 549–574.
★12 Mario Limos. “Sabong: A billion-dollar national obsession in the Philippines.” Esquire Philippines. 28 Dec. 2020. URL= https://www.esquiremag.ph/politics/news/sabong-a-billion-dollar-national-obsession-in-the-philippines-a00293-20201228
★13 九鬼周造『偶然性の問題』、岩波書店、2012年、1頁。
★14 同書、1頁。
★15 同書、134頁。
★16 宮野真生子『出逢いのあわい 九鬼周造における存在論理学と邂逅の倫理』、堀之内出版、2019年、75頁。
★17 九鬼周造『偶然性の問題』、132-133頁。
★18 同書、155-156頁。
★19 スピノザ『エティカ』、工藤喜作、斎藤博訳、中央公論新社、2007年。
★20 小浜善信「注解」、九鬼周造『偶然性の問題』、288-289頁。
★21 古田徹也『不道徳的倫理学講義:人間にとって運とは何か』、筑摩書房、2019年を参照。


師田史子
ひろがりアジア
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