チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記(12)|セルゲイ・ミールヌイ 訳=保坂三四郎

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初出:2014年8月15日刊行『ゲンロン観光地化メルマガ vol.19』
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第38話 プロスコエ村 ~ 結婚式


 ベラルーシのとある村に測定にやってきた。

 そこで目にしたのは

 ひとつの村のなかに三つの村が同時に暮らしている!

 ──事故後に強制移住の対象となった村だ。

 移住先はどこか?

 隣村だ。

 すると今度はここも線量が上がってきた。この村からも立ち退かなければならない。

 最初の村とふたつ目の村、つまりふたつの村が一緒にさらに隣の村に移住する。

 進攻する放射能と後退していく人間。

 こうして強制移住の波は広がっていく。

 そんなわけで、三つの村が今では一つの村に無理矢理押し込まれて暮らしている……

 我々がここに来たのは〈客観測定〉のため。この村にさらに移住が必要かどうか決めるのだ…… 三つの村の運命を……

 ──さて、その村は結婚式の真っ最中!!!

 原発方面からやってきた、汚い身なりの我々放射能偵察隊員。一方、ここでは新婦が純白のウェディングドレス、新郎が下ろしたての黒のスーツに身を包む。花束、シャンパンもある……

 結婚式の一団が装甲車をバックに記念撮影をしたいと言う。

 確かに滅多にお目にかかれるものではない…… まあ、特別にいいだろう。

 出席者は装甲車の横に立って並び…… カメラマンは全員がきれいに一線に並ぶように指示を出している。

「それにしてもなんて運がいいんだ! こんなウェディング写真、誰にも真似できないぞ」

 我々にも、一緒に入ってくれ、と声がかかった。運転手のコーリャも外に出た。

 私はハッチの上から「コーリャ、装甲車のナンバーが隠れるように立てよ……!」と注意を促す。

 ナンバーから足がついてしまう可能性もあるからだ。民間人に軍の装備を撮影させるのは立派な罪。特務部員からしょっぴかれてもおかしくないのだから。

第39話 チェヒ村 ~「客観測定」とは


 舞台はベラルーシ。ある村のはずれ。とにかく暑い。時間は正午を指していた。

 最後の家の前で車を止め、畑の測定に取りかかる。

 ちょうどそのとき小麦畑沿いの道の正面からもう1台の装甲車が砂埃を舞い上げて走ってきた。車両側面のナンバーが白色…… つまり我々の仲間ではない。

 車はこちらから10メートルほど距離を置いて停止した。まず測定器を肩に掛けた兵士。続いて士官が降りてきた。

 こちらの計測係が測定し、私が記録をつけている……

 連中も同じように計測係が測定し、士官が記録する……

 チェルノブイリ市の本部から派遣された者たちではない。とすると連中は向こうの本部(隣の軍管区)に属す偵察隊で、30キロゾーンの境界北側に位置するこの一帯を担当しているのだろう。放射能偵察の任務は同じ。でも、本物のゾーンに足を踏み入れたことはないはずだ。ここはたった毎時0.1ミリレントゲン(注:1μSv/h)ちょっとだが、本部に帰ったらきっとものすごく高い線量の村々を回ったと英雄気取りでふれまわっているのだろう…… こういう連中も我々の〈客観測定〉の対象だ…… 連中は連中で、俺たちのことを〈客観測定〉しているんだろう…… いずれにしろ本部の偵察課でこの同じ村に関する連中と俺たちの測定データがつき合わされ、照合されてから、政府委員会のテーブルに正確な数値が並び、村について決定が下される……

 こっちの計測係が装甲車によじ登れば……

 むこうの計測係も装甲車によじ登る……

 2台の装甲車はほぼ同時に動き出した。それぞれ反対の方向へ向かって。

 止まって挨拶を交わすことも、会話をすることもない……

 我らが同僚よ……

 しかし、これが〈客観測定〉なのだからどうしようもない。

 でも心の中で思うことは同じ。

「いったいどこのよそ者がおれの土地を荒らしてやがるんだ……?」

第40話 ラディジチ村 ~ 毎時0.7ミリレントゲン

ラディジチ ― 原発から北東に26キロの居住区  キエフ州。20万分1地形図。ウクライナ国防省、1992年。
 村の入口のそば、樫が生い茂った日陰の多い丘を通り過ぎた。樫の根元に墓がある。村の墓場だ。

 ラディジチ村には、もはや生きた人間は残っていない。村人は移住させられた。

 村はずれの一軒家の裏戸から人影のない内庭に足を踏み入れる。

 ペトロは計算ずくめでゾンデをぱっと手から放し、草の上に落ちるすれすれのところで取っ手を掴み直すと、測定器のボタンを押して〈地表〉の測定を始める……

 ゾンデを腰の高さまで上げて〈空間〉を測る……

 それが、これまで測ったことのないような数値を示した! 子どもだましかというほど小さい! ……「この村には放射能はないに等しい……」「なんでわざわざこんなとこに行ってこいと?」

 メモをとる。

 壁…… 屋根…… 足早に畑へと向かう。空間線量…… 地表線量……

 隣家も同じように調べる……

 普通、このような村では東西南北の四隅(だいたいの)と中心地(たいていは商店がある)を測定する。それぞれの場所で家2軒を選ぶ。そして家の屋根と壁、庭と畑の地表を測定する……

 測定ノートは次のように始まる。
 

ラディジチ
 
  庭   家   畑
 
  空 地 空 地 空 地
 
西 0.5 0.6 0.4 0.5 0.6 0.5
 
  0.5 0.8 0.4 0.4 0.5 0.6(注:≒4-8μSv/h)
 
「ここの中心地はいったいどこだ?」

 道路のすぐそば、木造の小さな商店が大木の下にひっそりと佇んでいた。よかった。わざわざ探さずにすむ……
 

中心 0.6 0.75 0.4 0.5 0.6 0.6
   2軒目の家に畑はなかった。  そのかわり、うらやむほどの果樹園が!  ここのチェリーが、これまたすごいことになっている! 赤い新鮮な大粒は真っ黒にならんばかりに熟している……  ここまで来たら放射能も上司も関係ない……  この庭、この村にいるのは私たちだけなのだから……  静けさ…… 聞こえるのはミツバチの羽音……  ここは天国か……  我を忘れる……  木製の細いベンチにジャンパーを脱ぎ捨て、庭のど真ん中、緑色の絨毯のように分厚い雑草のうえに真っ白なシャツ姿で立った……  たわわに実をつけたチェリーの木…… イナゴの大群のような勢いで襲いかかる…… 黒く甘い果実の皮にこびりついた灰色の埃。そんなことを気にかける者などいない……  もぎとっては口に運び、心行くまで味わう…… 夢にまで見た新鮮な果実の味……  そもそも味わいのあるものであればなんでもいい…… 空気、草、葉のかすれる音、緑の絨毯の上に躍る影たち……  掌はもうインクで汚したように真っ黒だ……
 

0.8 0.6 0.7 0.6
   次の家の測定に移る。  なんだこりゃ? ロープが張られ、魚を干してある。ジャガイモ畑はきれいに除草されている……  屋根の下からここの主が現れた。我々がただの偵察員で、追い出しに来たわけではないことをすぐに見てとったようだ。ここでの生活について堰を切ったように話した……  避難のとき家畜は連れて行けなかったそうだ。残して去ることも、連れて行くことも許されない。すると組合の人間が家畜を買い取りにやってきた。しかもあろうことか、憐れな村人の足元を見るかのように、キロ当たりの値段で買い取るという。「おい、それはないだろう?!」と反論したところで買付人は村人を見下すように「ならば、とっとと連れて帰れ!」という具合らしい。どうしようもないから、引き渡さざるを得なかった……
「最初は、ある村に連れて来られ、『チェルノブイリからの避難者です。新しい家が決まるまで、みなさんの家に分かれて住んでもらいます』と紹介された。でも『放射能!』、汚染されている、と騒いで門前払いにする人もいたよ… もちろん家に住まわせてくれて、ほんとによくしてくれた人々もいたがね…… 助けてもらったんだ、ありがたいことに間違いはない…… でもそんな生活をどれだけ長く続けられると思う? 一つ屋根の下にふたつの家族(3家族の場合もあった)が三日、一週間と暮らしてみなさい…… 受け入れた側の家族にも生活や仕事があるし、自分の家でゆっくりと過ごす時間も必要だよ…… 毎朝、ふとんをたたんでタンスにしまったら、家を出て一日中外をほっつき歩くか、店の前のベンチに座っているか…… みんなそれぞれの生活がある…… しょせんは他人の家だから……」

 一度退去した人々はゾーンのなかにある故郷に戻ることが許されなかった。決して。だから、連中はバスで一旦ベラルーシに向かい、そこから戦時中のパルチザンのような行程で国境地帯の森や湿地を抜けて故郷を目指した…… ジャガイモ畑の雑草取りや魚釣りのシーズンに合わせて……
 

東 0.7 0.9 0.6 0.5 0.6 0.6 0.6 0.7 0.5 0.5 0.6 0.6
   ラディジチ村の自由な雰囲気のなかで、思いがけないハプニングがあった。チェルノブイリ市の車両置き場まで戻ってきてから、ふと気づいたのだが、ジャンパーの内ポケットに入っているはずの軍務手帳と運転免許がない! 消えちまった! ちくしょう、どこで落としてしまったんだ?  ジャンバーを脱いだとき落としたのだろうか……?  陽が傾きかけた頃、チェルブイリ市から約30キロ離れたラディジチ村に踵を返す羽目になった。でも急ぐ必要はないんだ。なぜかって? もし確かにあの村で落としたなら、誰も持ち去るはずがないから……  ──落し物は落ちたその場所に寸分違わずにあった。  木でできた細いベンチ(昼間ここにジャンバーを脱ぎ捨てた)の下、ミチヤナギがみずみずしく茂ったところに、赤色の免許と深緑色の軍務手帳が縦とも横ともつかぬ状態で転がっていた……  正式名「ラディジチ居住区」。  そのとき測定器の針は毎時0.7ミリレントゲン☆1を指していた。  
北 0.6 0.7 0.5 0.7 0.7 0.75
 
  0.5 0.7 0.6 0.7 0.6 0.7
 

☆1 (訳注)≒7μSv/h 。村の退避基準値。

セルゲイ・ミールヌイ

1959年生まれ。ハリコフ大学で物理化学を学ぶ。1986年夏、放射能斥候隊長として事故処理作業に参加した。その後、ブダペストの中央ヨーロッパ大学で環境学を学び、チェルノブイリの後遺症に関して学術的な研究を開始。さらに、自分の経験を広く伝えるため、創作を始めた。代表作にドキュメンタリー小説『事故処理作業員の日記 Живая сила: Дневник ликвидатора』、小説『チェルノブイリの喜劇 Чернобыльская комедия』、中篇『放射能はまだましだ Хуже радиации』など。Sergii Mirnyi名義で英語で出版しているものもある。チェルノブイリに関する啓蒙活動の一環として、旅行会社「チェルノブイリ・ツアー(Chernobyl-TOUR)」のツアープランニングを担当している。

保坂三四郎

1979年秋田県生まれ。ゲンロンのメルマガ『福島第一原発観光地化計画通信』『ゲンロン観光地化メルマガ』『ゲンロン観光通信』にてセルゲイ(セルヒイ)・ミールヌイ『チェルノブイリの勝者』の翻訳を連載。最近の関心は、プロパガンダの進化、歴史的記憶と政治態度、ハイブリッド・情報戦争、場末(辺境)のスナック等。
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