手錠+腰縄=犯罪者? 裁判員裁判から導き出された偏見の法則 前略、塀の上より(9)|高橋ユキ

刑事裁判の詳細を書いてウェブ媒体に公開されると、ヤフーニュース等の外部配信サービスにも同じ内容が配信される。外部配信サービスのコメント欄は心を削られるため、なるべく見たくはないが、たわむれに眺めてみることもある。よく見る批判が「三流記事」「ライター失格」。こんなライターに書かせるなというコメントだ。他のライターが書いた記事にも同様の内容が書き込まれていることがあり、自分だけが三流ではないと知る。これと似たものとして、たまに見かけるのが「法曹関係者でもないのに」といったコメントである。総じて、書き手に知識も経験も不足しているという批判がヤフーニュースのコメントには多い。経験を重ねても収まる気配がないので、死ぬまで同じようなコメントが書き込まれることだろう。
ヤフコメ界隈の常識では、裁判記事を書く資格があるのは法曹関係者だけのようだが、そもそも裁判を傍聴するのに資格はいらない。いまやX(旧Twitter)では日本全国の傍聴人たちが感想や情報を書き込んでいる。法曹関係者でなくとも裁判は傍聴できるし、法曹関係者でなくとも裁判記事を書くことはできる。逆に、私のような永遠の素人が日々傍聴に励んでいると、ふとした違いが気になり、そこからいろんな疑問が湧いてくる。今回はそんな疑問のひとつについて書いてみたい。
傍聴を始めたのは裁判員制度が始まる前。当時は殺人事件も裁判官だけで審理していたが、2009年に全国初の裁判員裁判が東京地裁で開かれて以降、一般市民から選ばれた裁判員が参加するようになった。制度導入には刑事裁判に市民感覚を反映させるなどの狙いがあったと言われてはいるものの、いまだにその市民感覚がどのようなものか、判決のどこに反映されているかはピンとこない。そんな裁判員裁判対象事件は公判前整理手続を経て、事前に事件の争点や採用する証拠などを決めるという。「という」と伝聞調で書いているのは、手続きが非公開だからだ。そしてその後、公開の法廷では、手続きで決めた通りに進むことになる。裁判員の拘束日数をなるべく少なくするという配慮か、集中審理といって連続開廷することが多い。刑事裁判がすべて裁判員裁判になるわけではなく、対象外の事件は、従来のように裁判官だけで審理が進められている。
裁判員裁判とそれ以外の刑事裁判には違いがいろいろある。前者は公判前整理手続を経ているため、全ての証拠が揃っている状態で初公判を迎えるが、後者はそうではない。ひとつめの事件で起訴したのちも捜査が進んでおり、追起訴がなされることもままある。その場合、例えば1時間という枠が取られている新件(初公判のことをこう言う)でも、ひとつめの起訴状の読み上げや冒頭陳述を終えたら次回に続行となったりする。正味10分ほどで閉廷してしまい、傍聴人としては泣きたくなる瞬間だ。追起訴が続く刑事裁判を見るのはかなりの胆力が必要となる。被告人質問がいつ行われるか分からないまま傍聴を続けるのは、社会人にはちょっと厳しい。たまに次回期日が突然取り消されるという地獄のパターンもある。法廷の前に着いてようやくそれを知ったときのショックは計り知れない。改めて期日を問い合わせ、そしてまた傍聴し……判決まで数年かかる事件もザラにある。
このように追起訴だらけで傍聴に骨が折れた刑事裁判であっても、そんなことは事件の本筋とは関係ないため、記事には書けないのだが、例えばこの裁判も、追起訴が続いたのちに被告人の主張が変わり、判決まで2年を要した。
長い前置きになった。同じく事件の本筋と関係ないため、普段の裁判記事には書かないことのひとつが、手錠腰縄についてだ。いつものように裁判員裁判を傍聴するため開廷前の傍聴席に座っていたとき、ふと気づいた。
警察署や拘置所などで身柄拘束されている被告人は、手錠をかけられたうえ、その手錠から伸びる縄を腰に巻かれ、さらにその腰縄を施設の職員にガッチリ握られた状態でやってくる。このあたりまでは裁判員裁判ではない事件でも見る、いつもの光景である。違うのはここからだった。職員らが腰縄(とここでは記すが、法律では「捕縄」ともいわれる)を解き、手錠を外すのを確認すると、書記官がどこかに内線電話をかける。そうして電話を切ったあと、裁判官らが裁判員を伴い、奥のドアから法廷に入ってくるのである。
最初はさして気にも留めなかった。だが、休廷明けも同じようにしている。加えて、休廷に入るときは裁判長だけが残り、裁判員や右陪席裁判官、左陪席裁判官が法廷奥のドアから出て行ったのを確認してから、裁判長が何やら合図を出す。そこでようやく被告人に手錠と腰縄が装着されはじめるのだった。
それでもまだ、この裁判長だけが何か不思議なマイルールを課しているのだろうと思っていたが、別の裁判員裁判でも全く同じことをしているのを見てしまう。よくよく注意して観察を続けると、それ以降傍聴した裁判員裁判全てで、同じようにやっているのである。あるとき、被告人の手錠腰縄を外していない状態で奥のドアが空き、裁判員たちが入ってきそうになったことがあった。すると裁判長と書記官が慌てて戻るように伝えていた。
こうした長期にわたる観察から導き出されたのは、裁判所が「裁判員に被告人の手錠腰縄姿を見せないようにしている」という法則だった。そこまでは分かったが、次は「何のために?」という疑問が生じてくる。その答えは、木嶋佳苗裁判の判決のごとく、状況証拠から導き出した。裁判員裁判では基本的に「裁判員に先入観を与えないように」という配慮がなされている。裁判員裁判ではない事件では、勾留されている被告人はだいたい、かなりラフな服装をしている。スウェットやデニム、ゆるいTシャツ……ワンマイルウェアという表現がいちばんしっくりくる。足元は皆、同じサンダルだ。女性はピンクだったりするが同じ形状をしている。ところが裁判員裁判になると被告人はスーツを着ていることがけっこうある。通常、自殺のおそれがあるとしてネクタイ等紐状のものは勾留時に所持することを禁じられているのだが、裁判員裁判のためのソリューションとして「フック式のネクタイ」のようなものが使われているそうだ。そして足元も、普段見る便所サンダルのような形状ではなく「革靴のように見える黒いスリッパ」を履いていることがある。
そんな違いから見えるのは……平たく言うと「パッと見で犯罪者に見えないように」という配慮であろう。ということは、手錠と腰縄も同様の配慮から、裁判員たちに見せないようにしているのではなかろうか。これが私の導き出した結論だが、間違っていない気がする。
原稿を書きながら調べてみると、東京弁護士会が発行している『LIBRA』のバックナンバーにすでに言及があった。やっぱり間違ってはいなかった。
法廷内で手錠・腰縄付きの状態の被告人を見ただけで,被告人が犯罪を犯した者との先入観や偏見を抱く可能性がある。現在では,被告人が手錠や腰縄付きの状態で入廷して着席位置に着き,刑務官が手錠等を解錠した後,裁判員と裁判官が入廷するという方法を取ることになった。[★1]
制度導入前に日弁連が交渉したことから得られた成果だという。なるほど……と納得したところで、それでもやっぱり疑問に思うのが、裁判員だけに見せないようにしていることだ。裁判員を務めたあと、興味を持って裁判傍聴に来た人は、初めて「手錠腰縄姿の被告人」を見ることになる。法廷にいるみんなが見ているものを自分たちだけが見ていなかったということを知る。私たちってバカにされてたの……? と思ってしまいそうな局面である。自分だったらそう思う。「手錠腰縄姿に偏見を持つ人たち」と思われていたという「偏見」に凹む。
個人的にもっと問題だと思うのは、日弁連の交渉に最終的に裁判所が応じていることだ。つまりこれは、手錠腰縄姿というものが一般的に偏見を抱かれるおそれがある、と国が認めていることと同じなのではないか。被告人の立場は「未決囚」である。その言葉のまま、刑が確定していない人のことを指す。のちに無罪になる人も、身柄拘束されていれば、手錠腰縄姿で法廷に現れる。裁判員には見せないという運用自体が、未決囚の手錠腰縄姿を晒すことに問題があると示しているように見えてならない。実際私は、この運用に気づいてから問題だと感じるようになった。
テレビで逮捕報道を見ていると、手錠をかけられている被疑者の手元に必ずモザイクがかけられている。逮捕すなわち有罪ではないため、これは適切な運用である。「犯罪捜査規範」[★2]には「警察官が犯罪の捜査を行うに当つて守るべき心構え、捜査の方法、手続その他捜査に関し必要な事項」(第一条より)が定められているが、第127条には手錠についても明記されている。「逮捕した被疑者が逃亡し、自殺し、又は暴行する等のおそれがある場合において必要があるときは、確実に手錠を使用しなければならない」。
さらに二項には「手錠を使用する場合においても、苛酷にわたらないように注意するとともに、衆目に触れないように努めなければならない」とあり、テレビでのモザイクはこれを踏まえたものであろう。ちなみに、逮捕すなわち手錠というわけでもない。読者のみなさんも、逮捕状を読み上げられてガシャン……と手錠をかけられる、そんなドラマのシーンを見たことがあるかもしれないが、例えば池袋暴走事故を起こした飯塚幸三受刑者は当時逮捕されることなく在宅起訴となった。高齢であることや逃走のおそれがないと判断されたためのようだ[★3]。
話を戻すと、ほかにも「刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律」の第七十八条には、逃走や自傷他害、設備の損壊などのおそれがある場合に手錠腰縄等を使用する旨定められている[★4]。刑事訴訟法第二百八十七条には「公判廷においては、被告人の身体を拘束してはならない」とある[★5]。
法廷ではテレビのようにモザイクをかけることはできない。であれば、裁判員裁判でなくとも全ての刑事裁判で、法廷に入る前のドアの向こう側で手錠腰縄を外すほうが理にかなっているのではなかろうか。
いっぽう、なぜ手錠腰縄姿に「偏見」を持たれるのか。その一要因として、これまた持論を述べさせていただくと、日本では事件報道の中で逮捕だけが大きく取り上げられがちなことも影響しているのではと日々感じている。逮捕=犯罪者、というイメージが一般的にはかなり強い。そして逮捕=手錠、のイメージも相まって、手錠=犯罪者という解が導き出されてしまっている。だが実際は、逮捕後に不起訴になることもあるし、起訴後に無罪になることもある。被疑者≠犯罪者だ。にもかかわらず、逮捕報道は多いが不起訴の報道は多くない。報じられない不起訴の例を挙げるように編集部からアドバイスを受けたが、これは報じられていないのでなかなか難しい。分かりやすいものとしては、法務省が毎年まとめている『犯罪白書』にある「検察庁終局処理人員総数の処理区分別構成比・公判請求人員等の推移」に、検察に身柄を送られた被疑者がどうなったか分かるグラフがある[★6]。令和3年に公判請求されたものはそのうちわずか9.9パーセント。63.6パーセントが不起訴または起訴猶予となっている。被疑者として大々的に報じられた者の名誉は回復されず、アンバランスな報道が偏見を助長している。私にできることは、被疑者≠犯罪者であるというその事実を少しずつでも広めていくことなのだろう。法曹関係者ではないが、裁判員と同じように「市民感覚」を大事にしながら、疑問に思うことを取材し、報じ続けたい。
★1 「特集 裁判員裁判の成果と問題点」、『LIBRA』2010年5月号。 URL= https://www.toben.or.jp/message/libra/pdf/2010_05/p02-14.pdf
★2 URL= https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=332M50400000002
★3 「【池袋暴走事故公判】飯塚幸三被告が「逮捕」でなかった理由」、「ニッポン放送 NEWS ONLINE」、2021年6月21日公開(9月2日更新)。URL= https://news.1242.com/article/297877
★4 URL= https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=417AC0000000050_20231201_504AC0000000067
★5 URL= https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=323AC0000000131_20231215_505AC0000000066
★6 URL= https://hakusyo1.moj.go.jp/jp/69/nfm/n69_2_2_2_4_0.html


高橋ユキ
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