当事者から共事者へ(13) 共事者の居場所|小松理虔

初出:2021年9月21日刊行『ゲンロンβ65』
前回の寄稿、リア充をめぐる文章に[★1]、多くの感想をいただいた。自分も似たような悩みを抱えていた。息苦しさを抱えていた。だからリケンさんの文章に共感した、というような感想が多かったように思う。社会から「マジョリティ」とされる人たちにも息苦しさがあるということだろう。しかし、マジョリティと自覚するからこそ、語ることを自重し、耐えてきた。それこそマジョリティの役割だと言われてしまえばそれまでだが、さまざまな生きにくさや困難がある時代、自分の弱者性・被害者性に触れる機会もなく、誰かに聞いてもらう機会も失ったまま、一方的に社会の側から「強者であること」を背負わされ、それに耐えられず、他者に対して負の感情をぶつけてしまう人も、あるいは少なくないのかもしれない。
今回の体験を通じて感じたことは、自分のアイデンティティの一部が崩れるようなショッキングなことが起きたとしても、辛さや悩み、ネガティブな感情も含めて(社会的には正しくなかったかもしれないが)自分の内面を吐露し、誰かから感想をもらったり、働きかけられたりすることで、以前よりも手応えのある自分が立ち上がり、何かを引き受ける力が生まれ得る、ということだ。
思い返せば、件の「小松さんには賛同できないコメント」以降、ぼくのシラス配信には不思議とコメントが多くついた。しかしそれでいて何百人も見ているというわけではなく、おそらく視聴者のほとんどはチャンネル購読会員だろうから、空間は適度に閉じてもいる。その適度に閉じた空間に、会員から盛んにコメントが寄せられたことで対話空間が生み出され、図らずもそれが「オープンダイアローグ」のような機能を立ち上げたのかもしれない。もしかしたら、ぼくの配信は図らずも「ケア」の空間を立ち上げてしまっていたということか。いや、それはさすがに拡大解釈だろうが、みなさんがぼくに「共事」してくれていたことは間違いない。そしてその「共事」の働きかけがぼくを成長させ、鋭い論考を書かせた。前回のテキストが秀作だったのだとすれば、それはみなさんの力によるものだろう。この場を借りて感謝!
今回の体験を通じて感じたことは、自分のアイデンティティの一部が崩れるようなショッキングなことが起きたとしても、辛さや悩み、ネガティブな感情も含めて(社会的には正しくなかったかもしれないが)自分の内面を吐露し、誰かから感想をもらったり、働きかけられたりすることで、以前よりも手応えのある自分が立ち上がり、何かを引き受ける力が生まれ得る、ということだ。
思い返せば、件の「小松さんには賛同できないコメント」以降、ぼくのシラス配信には不思議とコメントが多くついた。しかしそれでいて何百人も見ているというわけではなく、おそらく視聴者のほとんどはチャンネル購読会員だろうから、空間は適度に閉じてもいる。その適度に閉じた空間に、会員から盛んにコメントが寄せられたことで対話空間が生み出され、図らずもそれが「オープンダイアローグ」のような機能を立ち上げたのかもしれない。もしかしたら、ぼくの配信は図らずも「ケア」の空間を立ち上げてしまっていたということか。いや、それはさすがに拡大解釈だろうが、みなさんがぼくに「共事」してくれていたことは間違いない。そしてその「共事」の働きかけがぼくを成長させ、鋭い論考を書かせた。前回のテキストが秀作だったのだとすれば、それはみなさんの力によるものだろう。この場を借りて感謝!
さて、言葉が出てきたついでなので「オープンダイアローグ」から本稿を始めようと思う。オープンダイアローグは、フィンランドで始まった、精神的な疾患や障害のある人たちに対する療法のひとつだ。患者の関係者が集まって全員参加で対話をするという極めてシンプルな手法として知られ、これまでは投薬が中心だった統合失調症の治療が対話だけで解決できるということで近年、さらに注目を浴びている。たとえば、精神科医の斎藤環さんは、インタビュー記事のなかで、オープンダイアローグについてこう語っている。
対話の目的は、対話を続けることそれ自体です。相手の気持ちが変わる、結論が変わる、選択肢が変わることを目指すのは対話ではありません。[中略]主役は主体であり周囲はそれに対して感想などを返していきます。そうするうちに、中心にいる患者の症状が消えていくというわけです。[★2]
もちろん、むやみに一般化することは避けねばならないが、あのコメントに対するぼくの怒りや葛藤を吐露する場が、「独白」ではなく「対話」だったのがよかったのかもしれない。ぼくのシラスチャンネルなので、いつもはぼくの独白で終わるが、地元の先輩である猪狩さんや江尻さんが助け舟を出してくれ、若い世代の久保田くんが別の角度から違った考え方を提示し、さらに、みなさんから寄せられた多様なコメントが「加害者-被害者」という関係を解体してフラットな対話空間をつくり出してくれた。それによってぼくの意識に変化が生まれ、怒りや葛藤がうまく言語化されたことで、ぼくは感情を自分の「外」に出すことができた。そのことが、自分の苦しみが何によってもたらされていたのかを客観的に振り返り、「闇」を自分なりにクリアにすることにつながった。そう解釈できないだろうか。
自分の苦しみを、まずは聞いてもらえる。それによって心の苦しみが少しずつ癒されたり、また明日からがんばろうと思えるような力になる。そういうことはぼくたちの暮らしのなかでも頻繁に起きることだ。対話が生まれるような場所は地域にも求められてきた。たとえば東日本大震災直後、地域に小さなコミュニティができた。自分の苦しみや困難、辛さ、悲しみを聞いてくれるだけで楽になった、語ることで救われた、なんて話をあちこちで耳にする。このコロナ禍における「リスク・コミュニケーション」の文脈でも同じだろう。どれほど目の前の人が「非科学的」な意見を発しているとしても、「あなたは非科学的だ」と指摘するだけでは不十分だ。相手の悩みや不安、懸念がどこにあるのか見極めるべく、いったんは意見を受け止めることが必要だというのは、少なくない専門家が指摘するところだ。
シラスでのやりとりも、それにも似た話かもしれない。みなさんが、ぼくの意見をつぶそうとせず、まずは吐露する機会を与えてくれ、その後に、多様な意見を交わし合う。そういう関わり方がぼくの回復につながったのだとすれば、やはり、シラス配信の「オープンダイアローグ性」は、あながちこじつけとも言えないのではないか。
イノセンスを表出できる場所
本音を吐き出せる場所は、ぼくが体験したように「ケア」にもつながる。しかし一方で、同じような意見だけが集まれば、異なる意見が排除されたり、場合によっては「カルト」的な言論空間をつくり出してしまうこともあるだろう。「つらい」という思いを、傷を舐め合う方向でもなく、いたずらに共感を増幅させる方向でもなく、回復につなげていくことは、どうすれば可能なのか。そんなことを考えるために、ぼくがひと月ほど前に参加した、とあるイベントへ寄り道してみたい。
8月、福島の白河市で開催された「白河若者会議」というイベントに参加した。大学生や高校生たちが企画したシンポジウム形式のイベントで、今回のテーマは「分断をこえる新しい地域のひらき方」。白河出身の大学生、白河市長、さらに、スウェーデンの若者政策の研究者とぼくの4人で討議するという内容だった。「若者会議」というとなんとなくキラキラしたイメージを持つ人もいるかもしれないが、白河の若者たちはここ数年、非常に「尖った」テーマを掲げて活動してきた。たとえば、今年3月に開かれた前回のテーマは「復興を背負わされた若者たち」というものだった。若者たちを「復興の未来」として動員してきた大人たちに対するある種の批評に思える内容だ。毎回、学生たち同士で慎重に討議し、専門家たちも交えて対話の場をつくり続けてきたという。
今回の会議では、白河出身で、現在は東京大学で社会学を学ぶ小林友里恵さんの発表が大変印象的だった。テーマは、福島に生まれている若者たちと大人、地域の分断について。以下、小林さんの問題提起を簡単にまとめてみる。
大人たちは、若者たちに「地域に出よう」とか「社会課題に関心を持とう」というようなことをしばしば口にするが、若者たちは「自分には関係がない」「自分たちのせいじゃない」と考えてしまう。なぜか。小林さんは、若者や教育について多くの著作を持つ評論家、芹沢俊介さんが提唱した「イノセンス」の概念を用いて解きほぐしていく。芹沢さんによれば、子どもたちは誕生するとき、本人の意思とは関係なく、ある意味で暴力的にこの世に産み落とされる。つまり子どもは根源的になんら自己に対して責任がない「イノセント」な存在だ。しかし、子どもは成長の過程で誕生という暴力を受け止め、自己の存在に責任をとっていかなければいけない。そのためには、他者から自己の存在がまるごと受け止められる体験が必要だ。そうでなければ、子どもはイノセントな自己から脱皮できず、自らの責任の主体となることができない。それが芹沢さんのイノセンスの概念だ。
小林さんは、このイノセンスの概念を、福島の若者たちにも当てはめていく。若者たちはイノセントであるがゆえに、復興とか社会課題なんて関係がない、自分たちに社会課題の責任なんてないと考えてしまう。しかしそれは自然なことであり、大事なことは若者たちがそのイノセンスを乗り越えることだ。そこで鍵を握るのが、自分の存在が丸ごと許容される場所、自分が存在していていいんだと感じられる場の存在だ。若者が、「若者」としてではなく、名前を持った固有の存在として社会に存在できるようになって初めて、彼らは自らのイノセンスを解体できるのではないか。必要なのは、若者たちを、大人たちがつくった「被災地の若者」という役割に当てはめることではない。若者自らが社会に対して自由に意見を表明できる場をつくることだ。
小林さんの話は、一言でいえば、大変「刺さった」。そして自省を促された。ぼくたち大人たちは「福島の若者」というだけで、過剰な期待を込めてしまわなかったか。社会に出て震災を学び、地域の課題を解決するために力を果たして欲しい、なんてことを思ってこなかったかと。折しも、高校の授業では地域課題の解決策を探る「探究」という授業が必修になった。地域における若者の動員は全国的なトレンドになってきている。福島に住んでいる高校生なら、否応なく震災や原発事故の傷跡に触れることになったり、地域の大人たちが抱える課題の解決のために動員されてしまったり、未来に向けてのポジティブなメッセージを発する役割を背負わされてしまうことも相当あったはずだ。復興に尽力する若者がもてはやされるなかで、それに対する違和感を表明するのは勇気のいることだと思う。
さらに、小林さんの話は、冒頭で紹介したシラス配信の顛末にもつながるような気がする。小林さんの発表に即するなら、逆説的かもしれないけれど、「震災復興なんて関係ねえ」というイノセンスを解体するには、その主張がいったん丸ごと受け止められるような場が必要だということだ。同じことは大人にも起こり得ないだろうか。たとえば、放射能に対する不安、ワクチンに対する不安、無知から生じる差別や誤解。高度にSNSが発達した現代では、社会的に正しくない認識を投稿すると各方面から一斉に批判の声が寄せられるようになった。議論どころか「罵倒」が繰り広げられるケースも多く、相手の主張を一方的に後進的なものと位置付ける言説も依然として減っていない。健全な意見が流布するのは歓迎すべきことではあるだろう。けれど、過度な批判が果たして人を間違った認識から解放するのだろうか。
一見、社会的に正しくない発言だとしても、その背景には、長年にわたって染みついてしまった慣習や、暮らしに対する複雑な不安などが重層的に存在している。しかし、そうした背景は、お互いの信頼関係が築けていなければそもそも口にさえされないだろう。科学的・社会的に正しい情報を広く提示していくとともに、いったんは本音が話せるという場も大事だということではないだろうか。時間をかけてコミュニケーションしていくことで、孤独が和らぎ、次第に、互いの話を聞くだけの心の余裕が生まれ、「イノセンスの解体」のようなことが起き、そこから冷静な議論につながるということもあるだろう。
ぼくは、恥ずかしながら、シラスを通じて自らのイノセンスを表出したのだと思う。もちろん、発言のすべてを好意的に受け入れてもらえるわけではなく、当然批判もあったが、多様なコメントが寄せられ、対話が進んだことで、ぼくは自分の「強者性」を客観視することができた。もし、一方的に、強者が何言ってんだ、無理解だと批判されていたら、ぼくはさらに自分の考えに拘泥し、異なる考え方や立場を全否定していたかもしれない。
ぼくは、リア充をめぐる問題の「当事者」だった。そして、その問題をシラスに持ち込んでしまった。だが、図らずもシラス配信では皆さんが共事者となり、ぼくの話を面白がり、受け止めようとしてくれた。だからこそぼくはこんな文章を書くことができている。ぼくはこの連載ではつねに「共事者」の側から書いてきたが、今回の「リア充問題」では、一人の当事者の側から共事のありようを考えることができた、ということかもしれない。
中途半端であるがゆえに
もちろん、いくら「イノセンスの解体」が重要だとは言ってみても、大人には当然発言の責任が生じる。たとえば福島の食品に関する差別的な発言を目にしたら、農家や漁業者、食に関わる人たちは怒るはずだ。その怒りはよくわかる。ふざけるな、もっと勉強しろ、そういう当事者からの声も、しっかり受け止めなければならない。福島の話に限らず、特定の民族や属性を貶めるような発言は批判されるべきだ。SNS上の厳しいやりとりを見て考えを変える人もいるのかもしれないので、侃侃諤諤の議論が必要なときもあるのだろう。差別にさらされた当事者が怒りの声を上げるチャンネルもまた尊重されるべきだ。
けれど、誰かの強い言葉の応酬にどこか乗り切れない、ということもないだろうか。それはおそらく、議論されている問題において、自分が当事者ではないからだ。自分の問題には当事者になれても、他者の問題の当事者になるのは難しい。そこまで苦しんでいないから、そこまで辛い思いをしていないから、そこまで差別された経験も追い詰められたこともないから、なんだか中途半端なスタンスになってしまう。専門的な知識がないので科学的な論拠を示せるわけではない。理路整然と誰かを論破できるだけの実力もない。だから、その狭間で逡巡してしまうのだ。しかし、わかって欲しいのは、両論併記だけして遁走したいわけでも、無関心を決め込んでいるわけでもないということだ。関心はあるし、むしろ辛いと声を上げている人たちの辛さや困難が解消されるような社会になればいいと強く思っているくらいなのだ。
だからこそ、ぼくは中途半端な人たちにも、何かポジティブな役割があるのではないかと考えたい。今回の経験に引きつけて言えば、当事者ではないからこそ、だれかの不安や不満、困難や生きづらさの吐露に「共事」してしまい、結果として「イノセンスの解体」につながることもあると思うのだ。
冒頭で話を出した「オープンダイアローグ」を例に取ろう。相手の話を聞き、感想を言う。ただそれだけでも、専門家はそこが医療の現場だと理解したうえで、つまりプロとして、目の前の人の話をじっくりと聞くのだろう。一方、素人はそれほどうまくは立ち回れない。気の利いた返しができないがゆえに、ただただ目の前の人の話を聞くほかない。しかし両者とも、「相手の話をまずは受け止める」という姿勢には変わりがない。むしろ、ともすれば「治療する側/される側」というヒエラルキーが持ち込まれる可能性のある専門家よりも、素人のほうがフラットな関係を保てるという利点もあるはずだ。そう考えると、素人にも、素人なりの役割があるように思えないだろうか。
そして、素人が中途半端さゆえに気付ける問題や、中途半端さゆえに抱える苦しみもある。しかし多くの場合、それらは口には出されない。自分の発言が誰かを傷つけるかもしれないと心配していたり、語る資格がないと思っているからだ。まさに、白河の高校生、大学生たちがそうだった。けれど、彼らが自分たち若者を主語にし、主体とし、自らを当事者として位置付け直したことで言葉が生まれ、対話が促され、イノセンスの表出につながった。そしてこれまで見えなかった「復興」の課題に光をあてることにもつながった。彼らは復興について考えてこなかったわけではない。苦しみながら復興の本質を捉えてきたように思う。
白河若者会議を主催した若者たちは、外に出れば「福島の若者」として見られる。外から見れば彼らは紛れもなく「被災者」であり「将来の復興を担う若者」なのだろう。だが、彼らのうちどれだけが、自分は震災復興の当事者だと自認できただろうか。白河という街は中通り(福島県中部)にあり、津波や原発事故の直接的な被害を受けた浜通りからは離れている。まして現在の高校生・大学生の多くは、震災時は小学生だ。あの日の混乱をリアルに記憶している人たちはそう多くないだろう。だから彼らのなかには、問題意識を持っていても、震災について語ることに遠慮や罪悪感のようなものを感じてきた人がいるはずだ。この連載ではことあるごとに、「当事者にも非当事者にもなれずに苦しんできた人たち」について言及してきた。白河の学生たちもまた、まさにそのギャップに苦しみながら、それでもなお、「被災地に生きる若者」という役割を背負ってきたのだと思う。
彼らは、直接津波に被災しなかったという意味では非当事者である。けれど、復興を背負わされて苦しい思いをしてきたという意味では紛れもなく当事者なのだ。人は誰しも、何かの課題では当事者でありべつの課題では非当事者である。何かのイシューでは被害者であるが、またべつのイシューでは今度は加害者になることもある。だから、たったひとつをその人に当てはめて理解しようとしてはいけないということを、白河の大学生に教えられた。
では、人はどのようなときに当事者となり、どのような場面で非当事者の立場に立つのだろうか。それを改めて考えようというとき、真っ先に思い浮かんだのが、宮地尚子さんによる『環状島=トラウマの地政学』(みすず書房、2007年)という本だ。トラウマの被害者の精神構造や、支援者のあり方、研究者のあり方について、「環状島」をキーワードに精緻な言葉で綴られた本である。
環状島は、環の形をした島である。被害の中心はまさにその真ん中。凹んで「内海」になっている部分だ。中心からは「外海」に向かって「内斜面」が延びて陸地を形成し、最高地点に達すると、今度は外海へと「外斜面」が下がっていき、やがて外海に到達する。宮地さんは、内海には犠牲者が沈み、外海には傍観者がいると位置づけ、さらに、内海に向かう内斜面に当事者がおり、支援者は非当事者として外斜面に位置すると考えた。
一般的には、より被害の中心に近い人ほど声を上げる資格があり、声を上げていると考えがちだ。しかし実際には、被害が大きすぎれば犠牲者になってしまうし、あまりの傷の深さに声を出すことすらできない人もいる。つまり内海に近いほど声は聞こえにくくなる。ところがもともとの被害が薄かったり、あるいは傷が癒えてくると、内斜面を上がれるようになる。尾根に到達すると言葉は饒舌になって、トラウマを語る力や発信する力が最大になる。尾根付近では誰もが語ろうとするから、感情のもつれや葛藤などの暴風が吹き荒れることになる。そこからさらに当事者から離れ、外斜面を海のほうへ下っていくと、その問題について語ることも少なくなり、次第に関心も失われ、海に達してついに傍観者となり言葉を発さなくなる。内海も外海も「沈黙」という意味では同じだが、その意味合いは全く異なるわけだ。
通常、当事者と非当事者の位置づけを考えるときは、なんとなく「同心円」を思い描く人が多いかもしれない。一方、宮地さんの「環状島」のモデルは、当事者性の濃淡だけでなく、トラウマを発信する力、関心の度合いや言論状況まで俯瞰でき、今、自分がどの立ち位置にいるかを客観的に確認する手助けになる。
この「環状島」モデルに震災復興を照らせば、ぼくのような人間、つまり本を書いたりSNSで頻繁に発信しているような人間は、尾根のてっぺんのほうにいると確認できる。当事者と自認しているわけではないので、立っているのは外斜面寄りの尾根ということになるだろうか。そこでは風が吹き荒れている。復興の捉え方、風評や廃炉などさまざまな問題について議論が起こり、頻繁に炎上したり論争に巻き込まれるのも風の強さゆえだろう。そして、ぼくは当事者の方を向いて支援活動をしているわけではない。発信する方向は、いつも外海である。言うなれば、ぼくは傍観者の外海に入ってしまった人間を必死になって外斜面に引きずり上げようとしている人、というところか。
ぼくの書いた『新復興論』の、「震災の真の当事者などいないのだ」という主張が、当事者に近いところにいる方から手厳しく批判されたのも、環状島モデルを知った今では大変よく納得できる。当事者はいる。内海に、あるいは内斜面に。内斜面に立つ人から見れば、あの頃のぼくは単に「尾根でがなり立てている迷惑な部外者」にすぎなかったのだと思う。
そしてこの連載で考え続けてきた「共事者」は、外斜面の一番外側、砂浜あたりで遊んでいる人間として位置づけられるだろう。宮地さんは、外斜面には支援者や協力者がいると位置づけているが、ぼくは「共事者は支援者でも専門家でもない」と定義づけているからだ。共事者の位置は極めて外海に近い地点だ。
この外斜面(特に震災をめぐる環状島の)はダラダラと長く続いていて、裾野が広い。その分、人の数も多い。今はまだ関心があるけれど、このまま時間が経過すれば傍観者になってしまう人も大勢いるはずだ。ぼくはこのうちの何人かでもいいから外斜面を駆け上がってくれればいいと思っている。しかしその道は「回り道」だ。正規ルートではないし、直線的ではなく、あちこちに寄り道して登る。登山のプロからは叱られるようなルートかもしれないが、ルートは複数あったほうがいい。そのほうが楽しみ方も増えるし、忘却に抗うことにもつながるだろう。多くの人が外海に沈んでしまうよりだいぶマシだ。そんなことも、環状島を眺めているとイメージできる。
また宮地さんは、環状島は複数あるのだとも指摘する。ある問題について考えるとき、複数のイシューを設定することができるし、そこには複数の環状島が描かれるのだと。ある島では当事者だったのに、別の島では加害者の側に回ってしまうということも起こり得るわけだ。
宮地さんはアフリカのイスラム圏で行われる「女子割礼」の問題を例にあげている。欧米や日本のフェミニストがこれを「女性差別」として根絶しようと運動を起こしたとき、現地の女性や専門家からは批判的なコメントが寄せられたそうだ。あなたたちはそもそも「第一世界の女性」ではないか。あなたたちが声高に発話できるのは文化帝国主義的な権力性によるものであり、それらは「第三世界」の声を抑え込むことになるのでは、と。
震災を「東北」の課題として考えるか、「福島」の課題として考えるかでも「当事者」は変わる。処理水の放出の問題を「漁業の課題」として捉えるか「廃炉の課題」として捉えるかでも変わる。とにかく廃炉を優先しよう、そのためには放出が第一だと考えれば放出に反対する漁業者は「敵」ということになってしまう。ある社会的な問題の、いったい何が争点になっているのか、今、何について論じられているのかを理解しようというとき、複数の環状島を描き出し、自分や他者が斜面のどこに位置しているのかを確認することは、事態を整理する有効な見取り図になるのではないだろうか。
環状島を行き来する
先ほど紹介した若者たちも、彼らなりの環状島を私たちに提示したということだろう。2020年代の白河に過ごす彼らは、大人たちの考える震災復興という環状島では、極めて海に近い外斜面にいるか、イノセンスゆえに外海に沈み言葉を発しない存在である。そんな彼らを「お前たちの関わり方は間違っている」と責めてしまったり、学びや発信を強制してしまったら、若者たちをさらなる外海に押し出すことにつながらないか。反対に、あの手この手で「アメ」を与え、インセンティブを示して動員したとしても、彼らの持つ悩みや葛藤にはたどり着けない。
大事なことは、別の環状島を描き出し、「当事者」をずらして見ること。大人が示す環状島ではなく、彼ら自身の描く環状島で語ってみることだ。彼らが当事者として自分たちの環状島から震災を語るとき、彼らは内斜面に、ぼくたちは外斜面に立つことになる。外斜面に立つことで、これまでとは違った復興の山の姿が見えるはずだ。
つまり、自分を当事者として語る内斜面のチャンネルと、自分を非当事者として語る外斜面のチャンネルとを行き来しながら考えることが重要なのではないか。被害者として語るだけでなく加害者の立場からも見てみる。加害者とされる人にも、当事者として内斜面から語ってもらう。そうして「当事者」をずらしながら心の内を発露する機会をつくることは、オープンダイアローグの目指す対話にも重なるはずだし、白河の若者たちが示した「イノセンスの解体」にも、ぼくがシラスで体験したことにも当てはまるように思う。
そして、ここで改めて「共事者」の存在を考えてみたい。共事者は外海には沈まない。内斜面には入れなくとも、外斜面でしつこく、時に間違い、時に独自のルートを開発し、時に当事者や有識者に「すみませんでした」と頭を下げながら斜面を行き来し、斜面が海に沈まないよう、言論の土を盛り、関わりの砂場をつくる。そういうことなのではないか。そこに防潮堤を作ってしまっては、いったん外海に沈んだ人は戻ることができない。陸と海との分断も大きくなるだろう。小さな取り組みによってコンクリートを壊し、豊かな「潟」に戻していくことも共事者の得意分野だ。山にも登れない。海にも潜れない。でも、そんなところに、ぼくたちの居場所はある。だいぶ時間がかかってしまったが、自分が当事者として自らのイノセンスを吐露できたことで、ようやくそのことに気がついた。この場所から斜面を見上げながら、時に尾根に登って海を見下ろしながら、外海近くの斜面の土を耕していきたい。
次回は2021年11月配信の『ゲンロンβ67』に掲載予定です。
★1 小松理虔「当事者から共事者へ」第12回、『ゲンロンβ63』、2021年。同記事は「ゲンロンα」でも公開されている。URL=https://webgenron.com/articles/gb063_03/
★2 「対談『オープンダイアローグ』に学ぶ 子どもとの対話の持つ可能性」、博報堂教育財団こども研究所、2019年7月11日。 URL=https://www.hakuhodofoundation.or.jp/kodomoken/column/talks/talk01/


小松理虔
1979年いわき市小名浜生まれ。ローカルアクティビスト。いわき市小名浜でオルタナティブスペース「UDOK.」を主宰しつつ、フリーランスの立場で地域の食や医療、福祉など、さまざまな分野の企画や情報発信に携わる。2018年、『新復興論』(ゲンロン)で大佛次郎論壇賞を受賞。著書に『地方を生きる』(ちくまプリマー新書)、共著に『ただ、そこにいる人たち』(現代書館)、『常磐線中心主義 ジョーバンセントリズム』(河出書房新社)、『ローカルメディアの仕事術』(学芸出版社)など。2021年3月に『新復興論 増補版』をゲンロンより刊行。 撮影:鈴木禎司
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