当事者から共事者へ(10) 家族と共事|小松理虔

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初出:2021年3月24日刊行『ゲンロンβ59』
「さわちゃんのパパさん、書いた絵本で賞を取ったんですよね? うちの息子が、さわちゃんから聞いたって言ってましたよ」

 



 娘(佐和、と名付けた)の幼稚園にお迎えに行ったとき、娘のクラスメートのお母さんからそう言われた。え? 絵本? いつの間にそんな話に? と思ったのだが、最初から説明すると長くなりそうだし、そのママさんに「作家気取りかよ」と思われるのも嫌なので、ええ、まあ、みたいな感じでごまかしてしまった(こっちの方が逆に気取ってると思われたかもしれない)。世のパパが一番気合を入れて働いているであろう平日の午後3時あたりにふらっとお迎えに来ては、園児たちと奇声をあげながら園庭で遊んでいたりするので、ただでさえ「怪しいお父さん」として認知されているであろうぼくが、幼稚園のママ友コミュニティで「絵本作家」として知られたら大変だ……。

 家に帰ってきて事情を聞いてみると、どうやら娘は、ぼくの仕事は絵本を書くことだと思っていて、ちょっと前にはその絵本で優勝したんだとクラスメートに話していたそうだ。さらに話を聞いてみると、どうやら彼女は本はみな「絵本」だと思っていたらしい。彼女は「本」を知る前に「絵本」を知った。イラストがたくさん書いてあろうと、文字がたくさん書いてあろうと、彼女にとって本はすべて「絵本」だったのだ。それはなんというか……とても素敵な考え方だ。そして、その「絵本」を書いているぼくのことを、ちょっと誇らしく思ってくれていることがうかがい知れて、とてもうれしかった。絵本作家として胸を張っていこう。

 



 我が家に「絵本」のラインナップが増えた。昨年11月末には、浜松市のアートNPOクリエイティブサポートレッツとの関わりをまとめた『ただ、そこにいる人たち』(現代書館)が発売された。年明け1月には、地方暮らしのリアルを書き綴った『地方を生きる』(ちくまプリマー新書)が世に出され、そしてこの3月11日には、『新復興論』(ゲンロン)の増補版が出たところだ。文章を書くことを専業とはしていないぼくが、たった4カ月ほどの間に連続して3冊もの本を世に送り出すことができたのは奇跡としか言いようがないし、書く機会をくださった関係者の皆さんにはただただ頭を垂れるほかない。コロナさえなければ、3人の担当編集者を招いて都内某所で派手に労いの宴会を開くところだが……、宴会はおろか書店イベントやトークイベントなどもなかなか開催できず、どこぞに書評は出てないかな、Amazonレビューはどうだろう、販促につながるインタビューのオファーは来ないかな、などと、本への反応にそわそわする日々を送っている。

 



 この3冊は、それぞれ「障害福祉・文化」、「地方暮らし」、「震災と原発事故」という、大きく異なるテーマを扱っている。文体もバラバラだし、想定している読者も微妙に異なる。だからおそらく、書店や図書館ではそれぞれ違う書棚に置かれることだろう。しかし、文章を書いているのは小松理虔というひとりの人間である。書きたいことがそれほど多いわけでもないぼくが短期間に書くとなれば、どうしたって似たような主張が入り込んでしまう。3冊書いてみて改めて浮かび上がってきた思考の軸。それがこの連載のテーマである「共事」の概念だ。

 本を読み返してみると、どの本にも部外者として「面白がること」が強く打ち出されている。深刻な課題を、障害を、ローカルを面白がってみよう。そこにあとづけで、結果として、公共性や批評性、豊かな関わりが生まれてくるのだと。それは「当事者にも専門家にもなれない部外者のぼくが、いかに関わりしろを作り出してきたか」、ぼく個人の体験の記録でもある。だから「自分語りが多い」と批判されもするし、専門家でも研究者でもないぼくの事象の結びつけ方が正当なものではないのも自覚している。しかし素人であり部外者だからこそ、現場知と専門知を無謀に結びつけられるのだし、勝手に論理を飛躍させ、「共事者」という謎の新概念をつくり、「社会との関わり」を読み解くこともできる。そのような営みを「批評」と呼んでよいのなら、ぼくの3冊の本は「批評」や「社会評論」の書棚にこそ置かれるべきかもしれない。ぼくは、自分の体験を通じて社会を考えてきた。それがまさに「共事」だからだ。

『新復興論 増補版』の帯には、「震災から10年 いま必要なのは『共事』の心なのではないか」と書かれた。『ただ、そこにいる人たち』にも、『地方を生きる』にも、「共事」に関する文章が収録されている。この数年、社会課題の「当事者性」について考えてきたぼくの3冊を締めくくる『新復興論』の帯に「共事」という言葉が刻まれると、改めて自分の思想が立ち現れたような気がする。この連載も、いずれ時が来れば「4冊目の絵本」になるのだろうか。その日が来るまで、さらにこの概念を自分なりに育てていきたい。そこで今回はぼく自身が振り返る意味も込めて、「共事三部作」の内容を紹介する。

ただ、そこにいること


 1冊目の『ただ、そこにいる人たち』から紹介していこう。この本は、浜松市のアートNPOクリエイティブサポートレッツが運営する福祉事業所にぼくが1年ほど通い、そこで体験したこと、見聞きしたこと、考えたことをまとめた本だ。理事長の久保田翠さんの寄稿やレッツから提供された写真も数多く掲載していることもあり、ぼくとレッツとの「共著」として出版されている。レッツについてはこの連載で何度も紹介してきたのでここでは本の中身を取り上げるにとどめるが、レッツでの試行錯誤は、ぼくの思考に大きな影響を与えた。障害とは何か。「障害者」とは一体誰を指すのか。支援とは何か。福祉とは何か。レッツの現場から多くの問いを与えてもらった気がする。

 障害福祉の領域では、その課題の重さゆえに、障害者本人や家族、支援者といった当事者性の強い人たちばかりがクローズアップされるが、レッツが重視しているのはむしろ「部外者だからこそ普段とは違う関わりが生まれる」という考えであった。「観光事業」などの企画や外部の人を招き入れたイベントなども数多く開催されているし、ぼくも排除されることなく積極的に受け入れてもらい、福祉や支援について自由に思考を張り巡らせることができた。もしレッツが「あなたは当事者じゃないのだからこっちの言うことを聞け」というスタンスだったら、その通りやろうとはするけれど、自由に物事を考える余裕はなかっただろう。次第にぼくは、当事者とは言えない人にも何かしらの役割があるのではないか、と考えるようになり、そこから「共事者」論をひねり出すに至った。レッツとの関わりなしに、ぼくの「共事」は生まれなかったわけだ。

 



 共事者は、自分の関心や興味、自分にとって身近なトピックを迂回して課題に関わる。だからこの本には、障害福祉ばかりでなく、この本を書いた当時のぼくの関心事、すなわち震災復興や原発事故、娘のことや家族のことも書かれている。初めから意識的にそう書いていたわけではなく、そうやって理解するしかないから文章も勝手にそうなった、というのが正しいところだ。どうしたって結びついてしまうものは、排除しなくていい。自分の抱えているものと対象とを重ね合わせ、そこに新しい切り口や関わりを開けばいいのではないだろうか。その意味で、この『ただ、そこにいる人たち』は、極めて「共事的」な本だと言えるかもしれない。

地方を、ローカルを生きる


 三部作の2冊目、『地方を生きる』は、大学を卒業し、テレビの報道記者として働き始めた20代前半から現在に至るまでの20年近くのキャリア、震災後に関わってきたプロジェクトなどを総括しつつ、自分の「現場」を面白がることについて書いた本だ。タイトルには「地方」という文言が入ったが、本文では地方だけでなく東京も含めて、目の前の現場の総称として「ローカル」という言葉を使っている。自分の直面する現場をいかにして面白がり、いかにして豊かなものにしていくのか。その実戦と思考を書き記した。頭の中で本のタイトルにある「地方」に「ローカル」とルビを振ってみると、本のメッセージがよりわかりやすくなるはずだ。

 本書に通底しているメッセージは「ローカルは、面白くもあるがクソでもある」ということ。昨今、地方暮らしを「礼賛」するメディアは多い。そこには、いつだって豊かな自然や善良な市民や仲間たちに囲まれた人、夢を実現した成功者たちが登場する。けれど、その裏にはクソなものもたくさんあるはずだ。東京であれ地方都市であれ、ローカルは天国でもあり地獄でもあり、その両方を抱えずにいられないものだからだ。だからぼくは、この本の中に「ローカルクソ話」という項目を作り、ネガティブな話もポジティブな話も数多く紹介している。

 



「ちくまプリマー新書」は若者向けレーベルということもあり、編集者から「『新復興論』のエッセンスを若い世代に向けて書いて欲しい」というリクエストがあった。だから本書は『新復興論』を一般化したような内容にもなっている(とはいえ大人が読んでも十分楽しんでもらえると思う)。実際に『地方を生きる』の第5章では「復興」について書いた。やはりこの本でも、ぼくは震災や原発事故を逃れられていない。どうしても考えずにいられないのだ。それだけ自分自身が震災や原発事故と不可分のものになっているということだろう。

 



『新復興論』と本書は、第3章の「ローカルと食」というテーマでも繋がっている。食について考えることはローカルを、地域を考えることにつながる。そして、福島の食に関わってきたぼくが書く文章である以上、それはそのまま、原発事故について考えることとつながってしまう。今ぼくは、動画プラットフォーム「シラス」で月に2回程度、番組を配信している。その冒頭部分では、とにかく酒とつまみを楽しむことにしている。うまそうな酒とつまみが「誘引剤」となって、視聴者のあなたが福島のことに思い馳せ、それがあなたのローカルにもつながったらいい。うまそうな映像に騙されて、あなたが福島の酒を飲み、あなたの胃袋に福島県産の酒米や酵母が収まったらそれでいいのだ。その瞬間、あなたは震災・原発事故の、そして福島の共事者になってしまう。もっとも簡単で、もっとも人を幸せに、愉快にしてくれる。だからぼくは食を大切にしているのだし、ぼくの食に関する思想的実践は、間違いなくシラスにも引き継がれている。

 



 そしてこの本を締めくくる第6章は「エラーと生きる」というタイトルがついている。ローカルは、知らず知らずのうちに同質性を強め、「揺らぎ」を排除してしまう。しかしローカルが活力を失わないようにするためには外部からの働きかけが必要だ。JR五反田駅に掲げられたゲンロンの看板の言葉を借りれば「ローカルは、ローカルであるために(等価交換の)外部をいつも必要としている」ということだろうか。ぼくたちはローカルに生きているからこそ、自分とは異なる存在を受け止めていかなければいけない。それを面白がっていけたらいい。

新復興論・増補版


 レッツへの参画を通じて障害を問い直すと同時に、福島に通ずる「迂回路」を示し、また、自分の地盤である「ローカル」を再考することでエラーの積極的な意味づけを行い、改めて震災復興を見回したのが、三部作のトリを飾る『新復興論 増補版』だと言えるだろうか。本を読んで欲しいのでここでは詳しくは書かないが、第1部「食と復興」、第2部「原発と復興」、第3部「文化と復興」に続いて、新たに書き加えられた第4部のタイトルが「復興と物語」であることからも、初版から大きな思考的飛躍があったことを感じてもらえると思う。この連載を読んでいる人なら、柳美里さんの演劇、あるいは松原タニシさんの「事故物件」の話など、虚構の力を借りて共事を考えた文章があったことを覚えているだろう。ぼくはこの数年、福島の復興の現場に関わりながらも、その現実を離れたいとも思っていた。どのように離れるかといえば、広く文化事業やアート、演劇や物語に触れることだ。作品を見たり、作者と語らったり、友人たちと町を歩いたりしながら、虚構がもたらす共事について、あるべき復興の姿について考えてきた。そうしてゆるいイベントを企画し、誰かと共に楽しみ合う「共事」の場を作り続けるうち、いつの間にか自分が復興していることに気づいた。ぼくは『新復興論』の初版で、地域の復興を書いた。ところがそれでは足りなかったと今では思う。人の再生、人の復興について書ききることができなかった。だから、身近な人、自分にとっての心の復興を、その物語を、増補版に書こうと思った。初版を「地域の復興」、増補を「心の復興」と考えればいいだろうか。増補の文章を書き加えることで、ようやく1冊の本を完結できたと思う。ぜひ、手にとって読んでもらいたい。

家族と共事


 こうして振り返ってみると、ぼくは、おそらく一般的な日本人よりも、震災について深く考えてきたほうだと思う。それはやはりぼくが「当事者」だからだろう。あの日、大きな揺れを経験し、自分の故郷が津波で破壊される様を見た。原発が爆発し、社会が混乱し、放射性物質が、賠償が、復興政策が、地域に分断をもたらしていくその渦中にあった。ぼくは、震災復興の紛れもない当事者だと思う。けれど、ぼくがどれほど震災復興について考えていようと、福島の復興に関する知識を持っていようと、400ページを超える本を書こうと、一番身近な家族、妻や娘にすら、それらをそのまま伝えられるわけではない。

 ぼくは震災後間もない時期に、震災当時は新潟県にいた妻を迎えた。そして、その後、娘が生まれた。とても大切な家族だから、家族にだけは、自分が感じた困難や、ふるさとが傷つき汚された悔しさや心の痛みをわかってほしいと思う。けれども妻はぼくと全く同じ被災体験をしたわけではない。娘は生まれてすらいなかった。ぼくと全く同じ痛みを家族が抱えているわけではないのだ。だからぼくは、震災を身近な人に語ろうと思えば思うほど、自分の受けた傷の話や喪失感や怒りを誰よりも親しい人たちに伝えようと思えば思うほど、外部を意識せざるを得なくなった。自分の感情のまま言葉にしてしまったらお互いに傷ついてしまうかもしれない。伝えるハードルがさらに高くなるかもしれない。当事者だからこそ、伝えたいと思えばこそ、外部を、当事者の外側にいる人たちのことを意識しなければいけないのではないか。そう思うようになった。次第に、ぼくにとって復興を考えることは、いつしか「家族について考えること」と重なり合うようになった。身内なのに他者であり、当事者ではないかもしれないが当事者性はゼロではない。そのような人たちに、どういう言葉で震災を伝えていけばいいか、ぼくは考えずにいられなくなったのだ。

 先ほどからぼくは、何かしらの課題に接するとき、自分の関心事や自分の課題、自分の経験を迂回して関わることが共事だと書いてきた。つまりぼくは、家族について考えることを通じて震災を考え、娘を通じて廃炉を考え、障害を考え、また同時に、家族との関係を考えることを通じて「当事者とは誰か」を考えてきた。そう言えないだろうか。

 



 家族について考える中で、ぼくは、「震災後」には二つの時間軸が存在することに気付いた。ひとつは「当事者」としての時間軸。被災した一人として、震災・復興を直接的に、まじめに考える時間軸と言い換えられるだろうか。もうひとつが「共事者」しての時間軸。家族と共に過ごす時間であり、部外者としてイベントを企画したり、地酒を飲んだりして、震災復興にゆるふわっと関わる時間軸と言えるだろう。

 当事者である自分と、共事者である自分。その二つを行き来しながら、ぼくはこの10年、福島で生きてきた。そして今思い返すに、ぼくは、当事者として生きる時間ではなく、共事者として、家族や友人たち、福島を訪れてくれた人たち、大学生や高校生、共に酒を飲み交わしてきた人と共に過ごす時間を通じて、心を癒し、生きる力をもらったと感じる。それは先ほど紹介した「レッツ」が目指す関係性のようにも思える。「支援する/される」という関係を飛び越え、「被災者」としてのレッテルを剥がし、困難に縛り付けられた「当事者」としての立場を離れ、共に楽しみ合うフラットな「共事者」として過ごす時間を通じて、ぼくは再生してきたのだ。

 ぼくは、ぼくという人間の当事者である。しかし、ぼくはぼく一人では復興できなかっただろうし、ぼくを被災者としてしか見ない人たちばかりと付き合っていても復興できなかっただろう。ぼくは、ぼくと同じ体験をしていない人、つまり妻のような存在がいたからこそ震災を外れ、自分を取り戻し、復興できたのではないか。

 と同時に、ぼくと妻の「夫婦」をひとつのユニットとして考えた場合でも、外部の存在は必要だったはずだ。娘が生まれたからこそ、ぼくたちは娘に伝わるように、娘も一緒に考えられるように言葉を選び、また、夫婦間のコミュニケーションをできるだけ円滑に図り、時に妥協し、折り合い、対話をしてきたわけだ。「夫婦」のユニットを、娘も含めた「小松家」に拡張した場合でも同じことが起きるだろう。家族の内側で何かが起きた時、ぼくの家の隣に住んでいるぼくの両親や、友人たち、職場や幼稚園や小学校といった別の居場所があるからこそ、家族の傷も癒え、再生するのではないだろうか。「ぼく」という当事者にも、「夫婦」という当事者にも「小松家」という当事者にも、実はそのそばに、その外側に、当事者とは言えない人がいるからこそ、当事者は開かれ、自らの傷を癒すことができるのではないだろうか。つまり、当事者のそばには、共事者が必要なのだ。

 誰もが自分という当事者からは逃げられない。しかし人間が社会的な生き物である以上、誰もが他者の共事者である。そうして当事と共事を行き来することで、互いに影響し合い、居場所が生まれたり、共歓の場ができたりして、再生したり、傷が癒えたり、関係が修復されていく。

 



 このように共事は、当事者個人に働きかけ、「被災者」という呪縛を解き、自分を取り戻すための言葉になり得る。そしてまた、外側にいる人たちにも働きかけ、彼らを拾い上げる言葉にもなる。それはなぜだろう。当事者という言葉が「非当事者」を作り出してしまうのと違い、「共事」、つまり「ただ、いること」は、すべての人たちを包み込むからだ。「震災の当事者だと思う人は手をあげて」と言われて挙手できなかった人も、「当事者ではないけど共事者だと思う人は挙手」と声をかけると、ほとんどの人が手をあげてくれる。共事者ではない人はいない。あらゆる人を共事者という概念は包摂できる。

 家族がいなければ、あるいは家族がぼくと一緒に震災を経験していたら、こんなことは考えなかったはずだ。妻も娘もぼくの「外」にいるからこそ、共事を考えることが、家族について考えること、震災について考えることにつながってしまったのだ。その意味で、先ほど紹介した3冊の本は、どれも「家族について考えた本」という共通点もあるように思える。

 



 本連載「当事者から共事者へ」も、今回で10回目を迎えた。3月を前に、そして『新復興論 増補版』の発行を前にしたタイミングに、図らずも、ぴったりの内容になった気がする。こう書くとなんだか連載も終わり? のような気になる読者もいるかもしれないが、まだまだ終わるつもりはない。何ごともよそ者、部外者の立場から、ふまじめに面白がってみることが共事のスタンスだ。もっともっと、共事というキーワードを通じて社会を考えたいと思っている。

 最後にひとつ。言い忘れていたわけではないのだが、ぼくは妻と、2012年3月11日に籍を入れている。震災からちょうど1年後に、ぼくたちは家族になったわけだ。多くの人の命が失われた日に、である。不謹慎だという人もいるだろう。どん引きする人もいるかもしれない。当然だと思う。しかし、だからこそ、なのだ。3月11日にお祝いするわけにはいかない。おめでとうも言わないし、ケーキもスパークリングも買わない。ただ、失われた命に祈りを捧げ、生き延びたことに感謝し、地域について、家族について考える日にしよう、そんなことを話し合って決めた。9年前のその日に、震災について考えることは家族について考えることになった。つまり、そういう約束をした。自分たちで決めたことなのだ。

 今年の3月11日はゲンロンカフェで震災10年のイベントが行われることになった。その日は家族と共に過ごす日だと決めていたので、当初はお断りしようと思ったが、ゲストが揃うのがその日しかないということだったので引き受けた。それで、イベントの前に、こんな文章を執筆したというわけだ(記事の配信自体はイベント後のようだが)。どうやらこの先も、ぼくは、3月が来るたび、震災と家族、地域について、復興について考えなければならない運命にある。だからできるだけ面白がりながら、気楽に、共事者として考えていくつもりだ。皆さんもどうか3月くらいは、気楽に、ゆるふわっと、それぞれ皆さん自身の持つ現場に、そして家族に思いを馳せてみて欲しい。それがきっと、社会を考えること、震災を考えていくことにつながっていくことだろう。その傍にぼくの「絵本」があったら、それよりうれしいことはない。

次回は2021年5月配信の『ゲンロンβ61』に掲載予定です。
 
「本書は、この増補によってようやく完結する」。

ゲンロン叢書|009
『新復興論 増補版』
小松理虔 著

¥2,750(税込)|四六判・並製|本体448頁+グラビア8頁|2021/3/11刊行

 

小松理虔

1979年いわき市小名浜生まれ。ローカルアクティビスト。いわき市小名浜でオルタナティブスペース「UDOK.」を主宰しつつ、フリーランスの立場で地域の食や医療、福祉など、さまざまな分野の企画や情報発信に携わる。2018年、『新復興論』(ゲンロン)で大佛次郎論壇賞を受賞。著書に『地方を生きる』(ちくまプリマー新書)、共著に『ただ、そこにいる人たち』(現代書館)、『常磐線中心主義 ジョーバンセントリズム』(河出書房新社)、『ローカルメディアの仕事術』(学芸出版社)など。2021年3月に『新復興論 増補版』をゲンロンより刊行。 撮影:鈴木禎司
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