現代ロシア人にとってのフルシチョーフカは、老朽化が激しく、断熱や防音などの性能に劣り、インフラは脆弱で、デザインは画一的、なにより狭すぎる、とすこぶる不評である。スラムを意味する単語トゥルショーバ(трущоба)とフルシチョーフカをかけて、フルシチョーバ(хрущёба)という蔑称で呼ばれることもある。実際現在のロシアの都市部では、フルシチョーフカの解体が続々と進められている。それでも、長らくバラックやコムナルカの超過密空間で生活せざるを得なかった1950年代のソ連人にとっては、フルシチョーフカへの引越しはまさに夢の実現だった。この「大引越し時代」の希望に満ちた雰囲気は、たとえばユーリー・ライズマンの映画『もしそれが愛なら? А если это любовь?』(1961年)の冒頭の場面に活写されている。このシーンでは、建設中(後方にクレーンが見える)の新興団地の子どもたちが、住宅地を横切って学校から家へと帰っていく。その途中で今まさに引越し作業中の現場に行きあたって、彼らはおしゃべりしながら搬入前の椅子にめいめい勝手に腰かける【図1】。しかしそれを見た新しい住人の女性は、怒るどころか笑顔で歓迎し、子どもたち(彼らも最近引越してきたばかりのはずだ)も「引越しおめでとう!」と彼女に明るく声をかける。同作に限らず、この時期のソ連メディアでは、建設現場と若者のイメージが頻繁に結びつけられた。例えば、まだ道路の舗装もされていない建設現場で結婚式を挙げている若いカップルを描いたユーリー・ピーメノフの《明日の道での結婚式》(1962年)は、ソ連の切手のデザインにも採用されている[★8]。その最たる例は、モスクワとシベリアでそれぞれ建設に携わる青年たちを主人公にした、ゲオルギー・ダネリヤ監督の映画『僕はモスクワを歩く Я шагаю по Москве』(1964年)だろう。同作の背景には、今まさに建設中のモスクワが次から次へと登場する。フルシチョフによる政治統制の一時的な緩和──いわゆる「雪解け」──とともに、新しい時代、建設の季節が到来したのである。
図版出典
【図1】А если это любовь? (драма, реж. Юлий Райзман, 1961 г.)、Киноконцерн "Мосфильм" によりアップロード、2019年4月2日。URL=https://youtu.be/-2IhHYRXExU、11:46 より引用
※『もしそれが愛なら?』はモスフィルム公式によってYoutube上で公開中
【図2】Архитектура и строительство Москвы. 1957. №9. 【図3】Архитектура и строительство Москвы. 1957. №9. 【図4】Архитектура и строительство Москвы. 1957. №12. 【図5】Архитектура СССР. 1962. №3. 【図6】Строитекльство и архитектура Москвы. 1962. №4. 【図7】Архитектура СССР. 1962. №8.
★1 ロシア語の「祖国 родина(ロージナ)」は女性名詞であり、国民=子どもを生み出す母親というイメージと強く結びつけられている。
★2 Steven E. Harris, Communism on Tomorrow Street: Mass Housing and Everyday Life After Stalin (Washington, D.C.: Woodrow Wilson Center Press, 2013), p. 88.
★3 Lynne Attwood, Gender and Housing in Soviet Russia: Private Life in a Public Space (Manchester and New York: Manchester University Press, 2010), p. 146.
★4Ibid. ★5 Thomas P. Whitney, ed., Khrushchev Speaks: Selected Speeches, Articles and Press Conferences, 1949-1961 (Ann Arbor: University of Michigan Press, 1963), pp. 153-192.
★6 Attwood, Gender and Housing in Soviet Russia , p. 154.
★7Ibid., p. 170.
★8 URL=https://ru.wikipedia.org/wiki/Пименов,_Юрий_Иванович#/media/Файл:1973_CPA_4264_mint.jpg ★9Гендель Я. Новые Черемушки, квартал № 9: некоторые итоги экспериментального строительства // Архитектура и строительство Москвы. 1957. №12. С. 3. ★10Там же. С. 5-8. ★11Остерман Н. Крупноблочные жилые дома с малометражными квартирами // Архитектура и строительство Москвы. 1957. №12. С. 16-20, Овсянников С. В квартале №12 Новых Черемушек // Архитектура и строительство Москвы. 1957. №4. С. 18. ★12 1963年までに大型パネル工法だけでも約20のシリーズが開発されたが、そのうち実際に建築された住宅全体の75%を六つのシリーズが占め、特にI-464シリーズはその経済性によって48パーセントを占めていたといわれる。Рубаненко Б. Основные направления индустриального строительсва жилых домов и массовых общественных зданий // Архитектура СССР. 1963. №8. С. 11-13.