革命と住宅(9) 第5章 ブレジネフカ──ソ連団地の成熟と、社会主義住宅最後の実験(前篇)|本田晃子

初出:2022年3月28日刊行『ゲンロンβ71』
フルシチョフはソ連の指導者の地位に就いて間もなく、長らく等閑視されてきた一般労働者向けの集合住宅の建設に着手した。掘っ立て小屋のようなバラックや超過密のコムナルカなど、場合によっては革命前よりも悲惨な環境で生活を強いられていたソ連の人びとは、先を争うようにして鉄筋コンクリート造の積層型集合住宅「フルシチョーフカ」へと引越した。もちろん、「安く、早く、大量に」をスローガンに建設されたこれらのソ連型団地は、多くの問題を抱えていた。部屋の狭さやインフラの脆弱さ、施工の不完全さから、保育園や幼稚園の絶対的な不足まで、人びとは引越した先の新居で、さまざまな困難に直面することになった。だがそれでも、これら家族単位の住宅は熱狂的に受け入れられた。団地への引越しは、常時隣人の視線にさらされ、あらゆる生活音や会話が筒抜けになる生活からの脱出を意味したからだ。
と同時に、これら団地は、ロシア史上これまで経験されたことがないほど純化された家族の空間にもなった。革命前のロシアの伝統的な住まいでは、労働と生活の空間の境界は不分明であり、親族のみならず労働を共にする雑多な人びとがひとつ屋根の下で共に暮らしていた。革命後のロシアの都市部では、職住分離はある程度進んだものの、コムナルカやバラックでは相変わらず他人同士が密集して暮らしていた。しかしフルシチョーフカでは生活と労働は完全に分離され、夫婦とその子ども──異性愛と生殖を前提とする核家族──以外の人びとはそこから排除された。ソ連では公共化され社会によって担われるものとされた家事や育児といった家族の私的機能もまた、フルシチョーフカでは家庭に還元され、多くの場合、女性たちの無償労働の対象となった。
しかし、このような社会から隔てられた閉鎖空間としての「家」こそ、まさにエンゲルスやチェルヌィシェフスキーらが廃絶しようとした当のものではなかったか。実際、核家族を念頭に標準化された団地の設計や、消費財に囲まれた人びとのライフスタイルは、冷戦下のイデオロギー対立にもかかわらず、西側諸国のそれとあまりにも似通っていた。そのことに気づいた一部の建築家たちは狼狽した。それまで人為的に忘却されていた1920年代のアヴァンギャルド建築が「再発見」されたことも、彼らを動揺させた。皮肉にも、フルシチョーフカの普及によって危機的な住宅難が改善されはじめたその時に、ソ連の住宅は自らのアイデンティティの問題に再び直面したのである。こうして1960年代から70年代にかけてのソ連では、社会主義的な住まいとはいかなるものであるべきかを問う、最後の住宅実験が開始された。
と同時に、これら団地は、ロシア史上これまで経験されたことがないほど純化された家族の空間にもなった。革命前のロシアの伝統的な住まいでは、労働と生活の空間の境界は不分明であり、親族のみならず労働を共にする雑多な人びとがひとつ屋根の下で共に暮らしていた。革命後のロシアの都市部では、職住分離はある程度進んだものの、コムナルカやバラックでは相変わらず他人同士が密集して暮らしていた。しかしフルシチョーフカでは生活と労働は完全に分離され、夫婦とその子ども──異性愛と生殖を前提とする核家族──以外の人びとはそこから排除された。ソ連では公共化され社会によって担われるものとされた家事や育児といった家族の私的機能もまた、フルシチョーフカでは家庭に還元され、多くの場合、女性たちの無償労働の対象となった。
しかし、このような社会から隔てられた閉鎖空間としての「家」こそ、まさにエンゲルスやチェルヌィシェフスキーらが廃絶しようとした当のものではなかったか。実際、核家族を念頭に標準化された団地の設計や、消費財に囲まれた人びとのライフスタイルは、冷戦下のイデオロギー対立にもかかわらず、西側諸国のそれとあまりにも似通っていた。そのことに気づいた一部の建築家たちは狼狽した。それまで人為的に忘却されていた1920年代のアヴァンギャルド建築が「再発見」されたことも、彼らを動揺させた。皮肉にも、フルシチョーフカの普及によって危機的な住宅難が改善されはじめたその時に、ソ連の住宅は自らのアイデンティティの問題に再び直面したのである。こうして1960年代から70年代にかけてのソ連では、社会主義的な住まいとはいかなるものであるべきかを問う、最後の住宅実験が開始された。
1.団地の巨大化と多様化
スターリン体制を批判し、大粛清の犠牲者の名誉回復を行い、西側諸国との交流を再開して、一時的な「雪解け」をもたらしたフルシチョフだったが、同時にその独断的なふるまいは他の党幹部らの反感を招きもした。その結果、彼は党内の反フルシチョフ派の陰謀によって、1964年秋に突然失脚する。フルシチョフに代わって書記長の座に就いたレオニード・ブレジネフは、フルシチョフ時代の施策を批判し、国家による統制と権威主義的な体制を再強化した。しかしその反面、フルシチョフによって開始された住宅の大量供給政策は、基本的には維持された。集合住宅の設計の規格化・工業化は一層促進され、ソ連各地にブレジネフの団地「ブレジネフカ брежневка」が出現した。そして1966年から1970年の間に、およそ4400万の人びとがこれらの新居へ移り住んだ[★1]。
初期のフルシチョーフカでは、階段でアクセスできる上限の五階建てが主流を占めていたが、ブレジネフカはエレベーターが設置されたことで九階建て以上に高層化した。またフルシチョーフカの外観は、バルコニーの配列などに多少の個性はあるとはいえ、ほとんどが長方形の画一的な姿を呈していた。対してブレジネフ時代になると、部材の規格化が進んだことで逆にそれらのより自由な組み合わせが可能となり、形態のバリエーションが増加した。特に1970年に住宅・公共建築に関する学術調査・計画中央研究所(ЦНИИЭП жилища)のボリス・ルバネンコによって統一カタログが作成されると、規格化された部材を用いた多様なフロア・プランをもつ住宅や、スターハウス型【図1】、円筒形型【図2】などのより複雑な形態をもつ住宅が出現した[★2]。


外壁にもさまざまな工夫が凝らされた。異なった色やテクスチャをもつ素材を利用することから始まって、モザイク・タイルの巨大な壁画が作成されることもあった。特に中央アジアの元イスラム圏の国々では、モスクの装飾に用いられてきた伝統的なモザイク・タイルの技法によって、しかし宗教的なモチーフではなく社会主義に関わるイメージが集合住宅の側壁に描き出された。他にも夏の日差しの強い南方地域では、多種多様なブリーズソレイユ(日よけ)が窓やバルコニー、外廊下などに取り入れられ、装飾的でエキゾティックなブレジネフカを作り上げた。
このようにブレジネフ時代には団地の多様化が進んだが、それでもその画一性は、西側メディアの反ソ・プロパガンダのみならず、ソ連国内メディアにおいてもしばしば風刺や批判の的にされた。なかでも住宅の規格化を物語のプロットにまで組み込んだのが、エリダール・リャザーノフ監督の映画『運命の皮肉、あるいはよい湯気を! Ирония судьбы, или С лёгким паром!』(1976年)である。
物語は、モスクワの団地に住む青年ジェーニャが、大晦日の夜、男友達とサウナ(いわゆるバーニャ)で痛飲して泥酔した挙句、なぜか飛行機に乗ってレニングラード(サンクトペテルブルク)まで行ってしまい、見知らぬ女性ナージャの住む団地の1室にそれと気づかず潜りこんでしまうことから始まる。あらすじだけ紹介すると無茶苦茶に聞こえるかもしれないが、同作はロシアでは毎年大晦日にTV放映されており、ロシア人であれば知らない人はまずいない国民的ラブコメ映画である。そしてこの喜劇──まさに運命の皮肉──のキモとなるのが、極度に規格化された都市と住宅の存在なのだ。
レニングラードに到着した酔っ払いのジェーニャは、まだ自分はモスクワにいるものと思い込んだまま、タクシーに乗車し、運転手に自宅の住所を告げる。しかし、彼の住所「第三建設者通り(3-я улица Строителей)」は、「レーニン通り」や」「革命通り」などと同じく、ソ連の都市ではよくある名前で、もちろん彼が行きたかったのはモスクワの「第三建設者通り」だったわけだが、運転手は何の疑問もなくレニングラードの「第三建設者通り」に彼を連れて行く。しかもジェーニャが到着した先の集合住宅の外観やエレベーターの位置は、モスクワの彼の住まいのそれとよく似ていた。そのため、泥酔状態の彼は何の疑問も抱かず建物の中に入っていく。そして自分の住まい──実際にはナージャの住まい──の前でポケットから鍵を取り出し、ドアを開けて中に入る。もちろんジェーニャの持っている鍵はモスクワの彼の自宅のものなのだが、当時のソ連の団地の鍵のバリエーションは限られていたために(規格化の弊害である)、偶然にもドアは開いてしまう。酔いと尿意でほとんど前後不覚の彼は、トイレに直行した後、薄暗い部屋の中でそのまま意識を失う。
このようにブレジネフ時代には団地の多様化が進んだが、それでもその画一性は、西側メディアの反ソ・プロパガンダのみならず、ソ連国内メディアにおいてもしばしば風刺や批判の的にされた。なかでも住宅の規格化を物語のプロットにまで組み込んだのが、エリダール・リャザーノフ監督の映画『運命の皮肉、あるいはよい湯気を! Ирония судьбы, или С лёгким паром!』(1976年)である。
物語は、モスクワの団地に住む青年ジェーニャが、大晦日の夜、男友達とサウナ(いわゆるバーニャ)で痛飲して泥酔した挙句、なぜか飛行機に乗ってレニングラード(サンクトペテルブルク)まで行ってしまい、見知らぬ女性ナージャの住む団地の1室にそれと気づかず潜りこんでしまうことから始まる。あらすじだけ紹介すると無茶苦茶に聞こえるかもしれないが、同作はロシアでは毎年大晦日にTV放映されており、ロシア人であれば知らない人はまずいない国民的ラブコメ映画である。そしてこの喜劇──まさに運命の皮肉──のキモとなるのが、極度に規格化された都市と住宅の存在なのだ。
レニングラードに到着した酔っ払いのジェーニャは、まだ自分はモスクワにいるものと思い込んだまま、タクシーに乗車し、運転手に自宅の住所を告げる。しかし、彼の住所「第三建設者通り(3-я улица Строителей)」は、「レーニン通り」や」「革命通り」などと同じく、ソ連の都市ではよくある名前で、もちろん彼が行きたかったのはモスクワの「第三建設者通り」だったわけだが、運転手は何の疑問もなくレニングラードの「第三建設者通り」に彼を連れて行く。しかもジェーニャが到着した先の集合住宅の外観やエレベーターの位置は、モスクワの彼の住まいのそれとよく似ていた。そのため、泥酔状態の彼は何の疑問も抱かず建物の中に入っていく。そして自分の住まい──実際にはナージャの住まい──の前でポケットから鍵を取り出し、ドアを開けて中に入る。もちろんジェーニャの持っている鍵はモスクワの彼の自宅のものなのだが、当時のソ連の団地の鍵のバリエーションは限られていたために(規格化の弊害である)、偶然にもドアは開いてしまう。酔いと尿意でほとんど前後不覚の彼は、トイレに直行した後、薄暗い部屋の中でそのまま意識を失う。
一方そんな状況はつゆ知らず、婚約者と新年を過ごすためにナージャは自宅に戻り、見知らぬ男が眠っているのを発見する。ようやく目覚めたジェーニャと頓珍漢な会話を繰り広げているうちに、ジェーニャの存在が婚約者にばれてしまい、ナージャとパートナーは気まずい関係に。ちなみにジェーニャもモスクワの恋人と新年を迎えるはずが、レニングラードに来てしまったことで果たせずに終わる。それぞれ結婚秒読みの相手がいるにもかかわらず、ジェーニャとナージャは全くの偶然から2人で新年を迎え、そしてもちろん恋に落ちるのである。
この本来出会うはずのない2人を出会わせる原因となったのが、酒の力とソ連の住宅・都市の画一性だ。『運命の皮肉』のオープニングは、当時のトレンドを取り入れ、戯画的なアニメーションからから始まる。この場面に、そのような画一性への風刺が最もダイレクトに描き出された。
オープニングの冒頭で登場するのは、今まさに住宅を設計中の建築家。彼はスターリン様式(社会主義リアリズム)風の装飾的な集合住宅の設計図を完成させる【図3】。だが彼がこの住宅の建設許可を得るために役所の各部門をめぐればめぐるほど、設計図からは装飾的なディテールが削除されていく。結局最後に残ったのは、ただの白い箱と化した住宅と、各部門の責任者の署名だけだった【図4】。ついで、この完全に規格化された集合住宅がソ連各地に建設され、さらには砂漠から極地まで地球全体を覆っていく【図5】。そしてアニメーションは実写へと切り替わり、「今ではほとんどすべてのソ連の都市に、それぞれのチェリョームシュキがあります」というナレーションとともに、規格化された住宅からなる現実のベッドタウンが映し出される【図6】。チェリョームシュキとは、フルシチョーフカの回で取り上げた、モスクワ南西部にある実験団地のことを指している。つまりここでは、官僚的なシステムが個性的で装飾豊かな集合住宅を殺し、無味乾燥な団地の四角い箱を量産したことになっているのである。

【図3】建築家が設計したスターリン時代を彷彿とさせる集合住宅

【図4】建設許可が下りた集合住宅の設計案

【図5】地球を覆っていく集合住宅

【図6】郊外のベッドタウン
けれども、これまでの連載で見てきたように、これは歴史的事実とは矛盾している。集合住宅の設計の標準化と規格化は、あくまで圧倒的な住宅不足を解消するための手段だった。もちろんフルシチョーフカの建設や配分には官僚主義の問題がつきまとったが、それはデザインの画一性の原因ではない。そもそも個性=装飾豊かなスターリン時代のエリート向け住宅の建設は、一般労働者向け住宅の建設の等閑視と表裏の関係にあった。さらに付け加えるならば、ソ連では異なる気候帯に合わせた集合住宅のデザインが早い段階から意識されていた。いわばこのアニメーション・パートは、ブレジネフ体制に迎合する形で歴史的経緯を意図的に歪め、フルシチョフ時代の建設政策への批判と、スターリン建築の再評価を行おうとしているのである。
この本来出会うはずのない2人を出会わせる原因となったのが、酒の力とソ連の住宅・都市の画一性だ。『運命の皮肉』のオープニングは、当時のトレンドを取り入れ、戯画的なアニメーションからから始まる。この場面に、そのような画一性への風刺が最もダイレクトに描き出された。
オープニングの冒頭で登場するのは、今まさに住宅を設計中の建築家。彼はスターリン様式(社会主義リアリズム)風の装飾的な集合住宅の設計図を完成させる【図3】。だが彼がこの住宅の建設許可を得るために役所の各部門をめぐればめぐるほど、設計図からは装飾的なディテールが削除されていく。結局最後に残ったのは、ただの白い箱と化した住宅と、各部門の責任者の署名だけだった【図4】。ついで、この完全に規格化された集合住宅がソ連各地に建設され、さらには砂漠から極地まで地球全体を覆っていく【図5】。そしてアニメーションは実写へと切り替わり、「今ではほとんどすべてのソ連の都市に、それぞれのチェリョームシュキがあります」というナレーションとともに、規格化された住宅からなる現実のベッドタウンが映し出される【図6】。チェリョームシュキとは、フルシチョーフカの回で取り上げた、モスクワ南西部にある実験団地のことを指している。つまりここでは、官僚的なシステムが個性的で装飾豊かな集合住宅を殺し、無味乾燥な団地の四角い箱を量産したことになっているのである。




けれども、これまでの連載で見てきたように、これは歴史的事実とは矛盾している。集合住宅の設計の標準化と規格化は、あくまで圧倒的な住宅不足を解消するための手段だった。もちろんフルシチョーフカの建設や配分には官僚主義の問題がつきまとったが、それはデザインの画一性の原因ではない。そもそも個性=装飾豊かなスターリン時代のエリート向け住宅の建設は、一般労働者向け住宅の建設の等閑視と表裏の関係にあった。さらに付け加えるならば、ソ連では異なる気候帯に合わせた集合住宅のデザインが早い段階から意識されていた。いわばこのアニメーション・パートは、ブレジネフ体制に迎合する形で歴史的経緯を意図的に歪め、フルシチョフ時代の建設政策への批判と、スターリン建築の再評価を行おうとしているのである。
2.住宅をめぐるヒエラルキー
フルシチョフ時代に大量生産された集合住宅は、間取りや居住面積は異なる工法であっても似たり寄ったりだったが、ブレジネフカでは多様化が進んだことで、住宅に対する選択の幅が広がった。その結果生じたのが、団地格差である。当然ながら、党や政府機関の幹部などエリート層に属する人びとはその権限を惜しみなく利用し、より広くより設備の充実した住宅を占拠した。このような住宅をめぐる格差を物語の背景に巧みに取り入れたのが、リャザーノフの『フルートのための忘れられたメロディ Забытая мелодия для флейты』(1987年)である。
物語の主人公は、いわゆる「中年の危機」を迎えたレオニード・フィリモーノフ。彼は党幹部の娘と結婚し、自身は「余暇管理局」の高級官僚で、いわばソ連社会の勝ち組に属している。しかし彼は出世と保身のために自らを偽ることに、ほとほと嫌気がさしていた。そんなある日、彼は予期せぬ心臓発作で倒れてしまう。入院先の病院で彼の治療を担当したのが、若い看護師の娘リーダだった。一命をとりとめたフィリモーノフはリーダに惚れ込んだ挙句、現代ならパワハラ&セクハラ&ストーカー認定されそうな強引なやり方で彼女に迫る(フィリモーノフにとってリーダの獲得には、いわば彼の自己実現がかかっているのだ)。妻に自宅から追い出された彼は、「真実の愛」に生きるため、彼女の元へと転がり込む。
このフィリモーノフが妻と二人で暮らしているのが、ソ連の上級官僚ノーメンクラトゥーラの典型的なブレジネフカである。玄関ホールにはロシアの抽象画や中国の版画が掛けられ、廊下の先には複数の寝室が並ぶ。広いリビング【図7】やダイニング【図8】にも、絵画や彫刻、民芸品などが所狭しと飾られ、立派な家具やシャンデリアが配置されている。


それに対して、彼が転がり込んだ先のリーダの住まいは、戦前から続く共同住宅コムナルカだ。モスクワ出身ではなく、独身で大して豊かでもないリーダが、家族向けに設計された団地の住宅を獲得することは難しい。この時代には既にコムナルカは過去のものになりつつあったが、彼女のような相対的に社会的立場の弱い人間は依然としてコムナルカで暮らしていた。ただしブレジネフ時代のコムナルカは既に過疎化の過程にあり、リーダの隣人も、少なくとも映画内で描写される限りでは、リーダと同年代の女性のリュドミーラとその子ども、年金生活者らしい高齢女性しかいない。とはいえ、住人同士の私生活が筒抜けになるコムナルカのこと、フィリモーノフがリーダに会いにやって来ると、他の住人たちは二人の関係に興味津々の様子を見せる【図9】。

【図9】フィリモーノフに対応するリュドミーラと、その様子をうかがうおばあさん
ウラジーミル・メニショフ監督の『モスクワは涙を信じない Москва слезам не верит』(1979年)においても、主人公カップルの間には住宅格差が存在する。ただしこちらでは男女の立場が逆転している。
同作の主人公カテリーナは、若いころに一夜の過ちによって妊娠し、シングルマザーとなる。しかし真面目な彼女は地道な努力を重ねて工場長まで出世し、物語の後半ではややリッチなタイプのブレジネフカに住んでいる[★3]。煉瓦タイルを用いた個性的な外観【図10】に加えて、内部の居住空間も(フィリモーノフ宅ほどではないが)それなりに広い。フルシチョーフカからは省略されていた廊下が再び出現しており、カテリーナと彼女の一人娘のアレクサンドラはそれぞれの独立した寝室をもっている。とはいえ、カテリーナの寝室はリビングを兼ねており、リビングのソファは夜には彼女のベッドへと変わる【図11】。備え付けのオーディオ機器やTVセットも豪華で、暮らし向きには明らかに余裕が見られる。

【図10】カテリーナの暮らす集合住宅の外観

【図11】居間兼寝室でベッドをソファに直すカテリーナ

ウラジーミル・メニショフ監督の『モスクワは涙を信じない Москва слезам не верит』(1979年)においても、主人公カップルの間には住宅格差が存在する。ただしこちらでは男女の立場が逆転している。
同作の主人公カテリーナは、若いころに一夜の過ちによって妊娠し、シングルマザーとなる。しかし真面目な彼女は地道な努力を重ねて工場長まで出世し、物語の後半ではややリッチなタイプのブレジネフカに住んでいる[★3]。煉瓦タイルを用いた個性的な外観【図10】に加えて、内部の居住空間も(フィリモーノフ宅ほどではないが)それなりに広い。フルシチョーフカからは省略されていた廊下が再び出現しており、カテリーナと彼女の一人娘のアレクサンドラはそれぞれの独立した寝室をもっている。とはいえ、カテリーナの寝室はリビングを兼ねており、リビングのソファは夜には彼女のベッドへと変わる【図11】。備え付けのオーディオ機器やTVセットも豪華で、暮らし向きには明らかに余裕が見られる。


それに対して、カテリーナが惹かれるようになる変わり者の男ゴーシャが暮らすのは、やはりコムナルカだ。彼の住む部屋では、窓はカーテンではなく新聞紙でふさがれ、小さなテーブルと椅子以外、家具らしい家具は存在しない。代わりに床には大量の本が積み上げられ、壁にはシャガールの絵が飾られ、あるいはギターが立てかけられている【図12】。まるで都会に住まう隠者の隠れ家のようだ。リーダと同じく、単身者のゴーシャにとって団地の住まいを獲得するのが至難の業であることはもちろんだが、これらの住まいの様子は、彼が物質的な豊かさや快適さにそもそも大して興味を持っていないことを示している。彼にとっては、文学や芸術がそれらに優先するのだ。そしてまさにこのようなゴーシャの性格ゆえに、カテリーナは彼に惹かれていくのである。

【図12】コムナルカ内のゴーシャの部屋(左の人物がゴーシャ)
バラックやコムナルカのような共同住宅には個人的な空間はそもそも存在せず、フルシチョーフカの均質な空間に住人の属性が反映される余地はなかった。ブレジネフ時代に住宅のバリエーションが生まれたことによって、映画の中でも住宅はようやく単なる「住まい」という記号を超えて、このように登場人物の社会的立場や個性を可視化する装置となった。とりわけ『モスクワは涙を信じない』では、住宅は単に経済力の有無を示すだけでなく、登場人物の内面を外化し視覚化する装置としても機能しているのである。
図版出典
【図1】 Строительство и архитектура Москвы. 1974. №8.
【図2】 Строительство и архитектура Москвы. 1975. №1.
【図3】 Ирония судьбы, или С легким паром. 1 серия. 00:35
URL= https://www.youtube.com/watch?v=lVpmZnRIMKs
※『運命の皮肉、あるいはよい湯気を!』はモスフィルム公式によってYoutube上で公開中
【図4】 Ирония судьбы, или С легким паром. 1 серия. 01:10
【図5】 Ирония судьбы, или С легким паром. 1 серия. 03:01
【図6】 Ирония судьбы, или С легким паром. 1 серия. 05:57
【図7】 Забытая мелодия для флейты. 1 серия. 52:27
URL= https://www.youtube.com/watch?v=zCIb0R_8Ww4
※『フルートのための忘れられたメロディ』はモスフィルム公式によってYoutube上で公開中
【図8】 Забытая мелодия для флейты. 1 серия. 24:21
【図9】 Забытая мелодия для флейты. 1 серия. 35:10
【図10】 Москва слезам не верит. 2 серия. 1:55
URL= https://www.youtube.com/watch?v=uUVd9j543s8
※『モスクワは涙を信じない』はモスフィルム公式によってYoutube上で公開中
【図11】 Москва слезам не верит. 2 серия. 1:01
【図12】 Москва слезам не верит. 2 серия. 1:14:42

バラックやコムナルカのような共同住宅には個人的な空間はそもそも存在せず、フルシチョーフカの均質な空間に住人の属性が反映される余地はなかった。ブレジネフ時代に住宅のバリエーションが生まれたことによって、映画の中でも住宅はようやく単なる「住まい」という記号を超えて、このように登場人物の社会的立場や個性を可視化する装置となった。とりわけ『モスクワは涙を信じない』では、住宅は単に経済力の有無を示すだけでなく、登場人物の内面を外化し視覚化する装置としても機能しているのである。
図版出典
【図1】 Строительство и архитектура Москвы. 1974. №8.
【図2】 Строительство и архитектура Москвы. 1975. №1.
【図3】 Ирония судьбы, или С легким паром. 1 серия. 00:35
URL= https://www.youtube.com/watch?v=lVpmZnRIMKs
※『運命の皮肉、あるいはよい湯気を!』はモスフィルム公式によってYoutube上で公開中
【図4】 Ирония судьбы, или С легким паром. 1 серия. 01:10
【図5】 Ирония судьбы, или С легким паром. 1 серия. 03:01
【図6】 Ирония судьбы, или С легким паром. 1 серия. 05:57
【図7】 Забытая мелодия для флейты. 1 серия. 52:27
URL= https://www.youtube.com/watch?v=zCIb0R_8Ww4
※『フルートのための忘れられたメロディ』はモスフィルム公式によってYoutube上で公開中
【図8】 Забытая мелодия для флейты. 1 серия. 24:21
【図9】 Забытая мелодия для флейты. 1 серия. 35:10
【図10】 Москва слезам не верит. 2 серия. 1:55
URL= https://www.youtube.com/watch?v=uUVd9j543s8
※『モスクワは涙を信じない』はモスフィルム公式によってYoutube上で公開中
【図11】 Москва слезам не верит. 2 серия. 1:01
【図12】 Москва слезам не верит. 2 серия. 1:14:42
次回は2022年4月配信の『ゲンロンβ72』に掲載予定です。
★1 Lynne Attwood, Gender and Housing in Soviet Russia: Private Life in a Public Space (Manchester and New York: Manchester University Press, 2010), p. 180.
★2 Мойзер Ф. Жилищное строительство в СССР 1955-1985. Архитектура хрущевского и брежневского времени. Берлин, 2021. С. 190-191.
★3 ただし現実には、1982年に住宅分配に関する法律が改訂されるまで、住宅の分配は家族をもつ男性を基準に行われていたため、子どもを扶養していても未婚の女性が住宅を手に入れるのは困難だった。Cf. Attwood, Gender and Housing in Soviet Russia, p. 194.


本田晃子
1979年岡山県岡山市生まれ。1998年、早稲田大学教育学部へ入学。2002年、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学表象文化論分野へ進学。2011年、同博士課程において博士号取得。日本学術振興会特別研究員、北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター非常勤研究員、日露青年交流センター若手研究者等フェローシップなどを経て、現在は岡山大学社会文化科学研究科准教授。著書に『天体建築論 レオニドフとソ連邦の紙上建築時代』、『都市を上映せよ ソ連映画が築いたスターリニズムの建築空間』(いずれも東京大学出版会)など。
革命と住宅
- 革命と住宅 特設ページ
- 革命と住宅(最終回) 第5章 ブレジネフカ──ソ連団地の成熟と、社会主義住宅最後の実験(後篇)|本田晃子
- 革命と住宅(9) 第5章 ブレジネフカ──ソ連団地の成熟と、社会主義住宅最後の実験(前篇)|本田晃子
- 革命と住宅(8) 第4章 フルシチョーフカ──ソ連型団地の登場(後篇)|本田晃子
- 革命と住宅(7) 第4章 フルシチョーフカ──ソ連型団地の登場(前篇)|本田晃子
- 革命と住宅(6) 第3章 スターリン住宅──新しい階級の出現とエリートのための家|本田晃子
- 革命と住宅(5)第2章 コムナルカ──社会主義住宅のリアル(後)|本田晃子
- 革命と住宅(4)第2章 コムナルカ──社会主義住宅のリアル(中)|本田晃子
- 革命と住宅(3) 第2章 コムナルカ──社会主義住宅のリアル(前)|本田晃子
- 革命と住宅(2) ドム・コムーナ──社会主義的住まいの実験(後篇)|本田晃子
- 革命と住宅(1) ドム・コムーナ──社会主義的住まいの実験(前篇)|本田晃子




