韓国で現代思想は生きていた(6) 北朝鮮を慕う国会議員?|安天

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初出:2012年8月20日刊行『ゲンロンエトセトラ #4』
 今年4月に行われた韓国の総選挙で、国会議員の選出結果が操作された可能性があることが明らかになった。情報環境の急激な変化に歩調を合わせて、政党の候補者決定に一般市民の意見を反映する仕組みを積極的に導入し続けてきたことが裏目に出た結果だった。匿名の一般市民が、より手軽に政治に参加できるようにしようという大義あるいは広報戦略が、特定の政治グループによる組織的な不正行為に乗っ取られてしまったのである。いったい何が起きたのか? まずは、韓国で一般市民が政党の選挙候補者決定に参加できるようになった経緯を確認しよう。

「ボス中心の政治」からの脱却


 政党の選挙候補者を党員ではない一般市民も参加して決める、というのは日本ではなじみの薄い制度なので違和感を覚える方もいるだろう。アメリカでは民主党や共和党が大統領候補を選ぶ際に「予備選挙」を行うが、これと似たものだと考えて頂ければいい。20世紀初めから一部の州でこのような方式が採択されていたとはいえ、アメリカでも予備選挙がメインになったのは1970〜80年代に入ってからなので、比較的最近定着した候補選出方式である。アジアでは、台湾において1995年に民進党が予備選挙制度を導入しており、日本でも2002年から民主党が党員以外の一般市民もサポーターという形式で党代表選出に参加できるようにしている。

 韓国で一般市民が候補者決定プロセスに参加できるようになったのはちょうど10年前の2002年で、当時与党の民主党が大統領候補者を「国民参与」方式で選出することを決めた。といっても、民主化以後それまではノ・テウ(盧泰愚)、キム・ヨンサム(金泳三)、キム・デジュン(金大中)など、誰もが認める大物政治家が候補者になるという暗黙の了解があったため、候補者選びの方法をめぐって議論が起きること自体がまれであった。しかし、キム・デジュンの大統領就任を最後に、次世代の大物政治家は現れなかった。そして、党内においての群雄割拠の時代が到来し、公正さの確保や話題性などの面で候補者選出の方式が重要な焦点になってきた。「ボス中心の政治からの脱却」が新たな候補者選出方式の模索を促したのである。

国民競選の有効性


 この一般市民参加型の大統領候補者選出制度を韓国では「国民競選制」と呼ぶ。初めて実施された与党の国民競選を最終的に制したのは、最初はマイナー候補者の一人とみなされていたノ・ムヒョン(盧武鉉)だった。ノは動機を優先する愚直さと、持ち前の人間味豊かな性格で、少数ではあるものの熱烈な若い支持者を持っていた。これら支持者たちはもとよりネット上に「ノサモ」というファンクラブを運営しており、国民競選においてもネットを積極的に利用して、人々にノの良さを訴えかけていった。

 与党が導入した国民競選制は党員の投票が50%、一般市民の投票が50%反映される仕組みだった。そして、一般市民の選挙人希望登録は手軽にネットでもできるようになっていた。2002年当時、筆者は兵役で服務中だったが、国民競選制自体が大変話題になっていて興味をそそられたので、別に与党の支持者ではなかったのにもかかわらず、ネット経由で一般市民の選挙人希望登録をした覚えがある。倍率が高く、結果的に選挙人にはなれなかったが、ともあれ登録の手軽さは本当に新鮮だった。韓国の場合、軍人を含む公務員の政党加入は禁止されているので、国民競選制はこれらの人々が一般市民の資格で政党候補選出に参加できる道を作ったことにもなる。ともかく、ネットという新しい回路を最も有効に活用し、一般市民参加者の多くを味方につけることに成功したノ側は、与党の大統領候補となる。最初は誰も予想だにしなかった結果だ。
 与党が国民競選制を導入したことで、当時の保守野党も国民競選制を受け入れざるをえなくなった。密室の党内議論のみで選ばれる候補者選出制度と、一般市民も参加して公に決める候補者選出制度のうち、どちらがより民主的で公平に見えるかは明白であるからだ。その時期は、野党が与党より支持率が高かったが、その優位はあくまで相対的なもので、古びた候補者選出制度にこだわるほどの余裕が野党にあるわけではなかった。

 国民競選制が力を発揮するためには、結果が予測できない大接戦になる必要がある。でないと、国民競選は劇的な物語も、興味をそそる話題も作り出せない。ノ・ムヒョンと国民競選制の相性は抜群で数々の話題とドラマを作り出した反面、野党側には最初からイ・フェチャン(李会昌)という有力な大統領候補がいたため、国民競選をしようとしまいと結果は目に見えていたし、実際そのとおりになった。いずれにせよ2002年、韓国の二大政党がともに国民競選制を導入して以来、韓国の主要政党の大統領候補者選出はこの制度のもとで行われるようになった。

国会議員選挙の候補者も国民競選で


 大統領候補者を選ぶ際に一般市民が参加する制度が定着したのだから「今度は国会議員候補者も同じ方式で選ぼう」という発想が出てきても不思議ではない。その一方で、自分の選挙区を地道に管理してきた既成議員からすれば、匿名の一般市民たちによって候補者が決められることを簡単に受け入れるわけにはいかない。また、一般市民の存在感が強くなればなるほど、政党が固有色を出すのは難しくなっていく。2002年以後、韓国の総選挙候補者の選出方法は、これら対立する立場の妥協のうえに成立した。選挙区の何%は国民競選で、他の何%は党の権限で──という形になったのである。具体的な数字は党の事情により異なるのだが、一貫して国民競選の割合が高くなってきている。今年4月の総選挙では、70%以上の候補が国民競選で選ばれた。しかし、制度の面で国会議員選挙は大統領選挙より複雑なため、国民競選制とその管理も複雑にならざるをえない。そして、複雑になればなるほど、制度上・管理上の盲点も増えていく。

 韓国の国会議員は日本の衆議院議員と同じく小選挙区比例代表並立制で選ばれる。小選挙区制は1位だけが議員になり、他の投票は死票となってしまう問題点がある。一方、比例代表制はマイナーな政党でも一定比率以上の支持率を得られると議員を国政に送り込むことが出来るため、死票を最小化できる利点がある。ただ、比例代表候補の順位は党が決めるので、人物を直接投票者が選ぶという側面においては小選挙区制に軍配があがる。制度上、比例代表制において投票者は党を選ぶのであり、誰を議員にするかまでは決められない。その権限はあくまでも党にある。しかし、政党の比例代表候補者の順位を国民競選で決めることができれば、一般市民が政治に参加できる余地はより広くなる。今回はすべての主要政党が比例代表候補者の決定に国民競選制を何らかの形で採用した。問題はここで起こった。

国民競選で起きた不正


 今回の総選挙で統合進歩党は300議席中13人の当選者を獲得し、第3政党になった。選挙区では7人当選に留まったが、比例代表では10%以上の支持を得て6人も当選した。しかし総選挙後、総選挙以前に行われた国民競選の過程で不正な方法で競選が行われたことが明らかになる。統合進歩党は三つの政治グループが統合してできた政党である。そのうちの一つが組織的に一般市民の名簿を水増ししたり、同一のIPから複数の投票を行い、自グループの候補者を比例代表名簿において優先的な順位に入るように結果を操作したのである。まだ真相は完全に究明されておらず、統合進歩党は内紛状態に陥っている。

 不正の疑いをかけられているグループは、昔「主体思想派(略して「主思派(チュサパ)」と呼ぶのが一般的)」と呼ばれた政治グループの流れをくんでいる。そう、「主体思想」とは北朝鮮の思想のことだ。以前のコラム(『ゲンロンエトセトラ』#1参照)で少し触れたように、1980年代に民主化運動が激烈化していくなかで、韓国の政治的現状を非難するあまり北朝鮮に幻想を抱くようになった勢力が台頭し、彼らが「主体思想派」と呼ばれることになる。韓国が民主化し、民主主義が定着していくなかで主体思想派のほとんどは自然消滅していくが、組織の慣性により残った勢力も依然とあり、彼らは特有の強靭な組織力で左派政治運動の一角で一定の影響力を確保するに至る。

 彼らは以前から様々な問題を起こしていたが、今回は国民競選における不正という、国会議員選出に直接かかわる大問題を起こすにいたった。「国民競選の不正」というだけでかなり大きな問題なのだが、それを仕掛けたのが北朝鮮と繫がりがあるかもしれないグループだったため、ショックはより大きなものとなった。今回の事件で、韓国の左派勢力全般が多大な被害を受けたが、主体思想派の問題はいずれは解決しなければならないだろう。この事件を経ても主体思想派の問題が解決されず、彼らの体質がかわらないまま微弱ながら政治的影響力を保ち続けることになるのが最も望ましくない結果である。

 しかし、ここでより強調したいのは「一般市民の政治参加の拡大という趣旨で導入された国民競選は、選挙制度に準ずるものであるため、厳正な管理が死活問題である」という、ある意味あたりまえなことである。今まで韓国の政党は国民競選の適用範囲を広げていっただけでなく、その参加方法においても柔軟な姿勢を見せ、ネットやモバイル経由でカジュアルに参加できる仕組みを作ってきた。このような努力もあって若者を始めとする一般市民の政治参加の敷居は下がり、政治的な影響力もより大きくなりつつある。しかし、このような新しい仕組みの厳正な運用が確保されていない場合、どういうことが起こりえるのかを、今回の事件は見せつけてしまった。

 統合進歩党は弱小政党だからシステム運用に未熟だった、という見方もできるだろう。だが6月には、過半数以上を占めた与党セヌリ党においても220万人にのぼる党員名簿が流出する事件が、総選挙前の3月に起きていたことが明らかになった。候補者選びにおいて、党員には一般市民よりも強い権利が与えられている。この名簿が不正に使われた可能性もなきにしもあらず、である。今回の事件は、国民競選は管理上の盲点をつく不正行為を十全に防ぐことのできるシステムの構築と並行して導入される必要がある──という課題を韓国政治に投げかけた。

 



 しかし、政治スケジュールは待ってくれない。12月の大統領選挙に向けて、与野党ともに大統領候補者の選出を控えている。今回、野党の民主統合党はなんと「完全国民競選」方式で候補者選出を行うと暫定的に決めた。完全国民競選とは候補者選出を完全に一般市民の投票で決める制度である。与党のセヌリ党も最有力候補のパク・クネ(朴槿恵)以外の候補は完全国民競選の導入を要求している。完全国民競選は候補決定方式のなかで最もオープンである反面、自分が嫌いな党の競争力のない候補にわざと投票し、有力候補を落とそうとする「逆選択」の問題をはらむ。そこで野党は与党に、両党とも同じ日に完全国民競選を実施しよう、と提案している。これなら逆選択を最小化できるからだ。

 いま世論調査で優位に立っているパク側だけが、完全国民競選に難色を示している。党内で揺るぎない地位を確保したパクにとって、完全国民競選方式は不確実性の導入にほかならないからだ。しかし、完全国民競選のオープンさは一般国民にとっては魅力的なものであり、これを受け入れないとなれば説明責任が伴うだけでなく、独善的な政治家というイメージがまとわりつく可能性もある。だが、大統領選挙は目前に迫っている。

 

安天

1974年生まれ。韓国語翻訳者。東浩紀『一般意志2・0』『弱いつながり』、『ゲンロン0 観光客の哲学』、佐々木中『夜戦と永遠』『この熾烈なる無力を』などの韓国語版翻訳を手掛ける。東浩紀『哲学の誤配』(ゲンロン)では聞き手を務めた。
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