韓国で現代思想は生きていた(2)「父性」で見た韓国と日本──父性過剰社会と父性欠如社会|安天

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初出:2011年12月20日刊行『しそちず! #8』
 戦後日本の思想言説において文学=虚構を論ずることは重要な位相を占め続けてきたが、これは「父性の欠如」という戦後日本の特徴と深いかかわりがあると思われる。一方、現代の韓国社会は「内なる父(抑圧的な国家)」及び「外なる父(為替危機によるIMFの受け入れ)」との関係のなかで自己形成してきたため「父性の過剰」をその特徴とする。この「父性」というフィルターを通して両国を眺めて見よう。

 



 現代の日本文学に「父性の欠如」を読み取ったのは江藤淳である。江藤は、『成熟と喪失』(1966年)で明確に自分の批評言語として「父」なるものを打ち出すようになるが、それは『小林秀雄』(1961年)でも示唆された「日本社会には父性が欠如している」という現状認識の確立と連動していた。『成熟と喪失』で彼は「第三の新人」と呼ばれる作家たちの小説を読み解いた。なかでも、安岡章太郎の『海辺かいへんの光景』が特に象徴的で、戦中においては父が戦場を渡り歩いていたため父不在の母子関係が、戦後では敗戦と失業で無力になった父親像が描かれている。母は父を恥ずかしく思い、生活維持や親密感の面で息子に父の代行を求める。息子は母の期待に沿うことで、見知らぬ他者たちが待ち構えている「社会」へ出ることを回避し、安らかな母子関係のなかに留まろうとする。こうして脆弱化した父親像のもとでの母と息子の共依存関係は、息子に成熟の拒否をもたらす。

 江藤はここから第三の新人に共通する、成熟を拒否する「中学生の感受性」を指摘した。彼は言う──安らかな母子関係は虚構でしかない。虚構を維持し続け、成熟を拒むことは不可能だ。〈母なるもの=心地よい虚構〉の喪失を引き受け、他者とともに現実の「社会」で生きる決断を下し、「個人」になる成熟の道を選べ。そして、家長になれ──と。例えば、江藤は『「ごっこ」の世界が終ったとき』(1970年)で全共闘世代をはじめとする新左翼運動を「ごっこ」と呼び、それが虚構のなかのお遊びでしかないと断定している。そんな彼らが観念的には先鋭化していった反面、具体的な目標を掲げることが苦手だったことは示唆的である。彼らが口にしたのは政治と革命の言葉だったが、小熊英二が『1968』で言っているように、実際に彼らをそこに向かわせたのは政治とはあまり関係のない現実に対する漠然とした実存的な不安だったのかもしれない。

 江藤の訴えとはうらはらに、現実において虚構はますますその存在感を膨らませていった。70年代から日本は「虚構の時代」(大澤真幸)に突入し、サブカルチャーという名の虚構が日本社会を論ずるにおいて欠かすことのできないキーワードとして定着する。サブカルチャーが爛熟したゼロ年代の批評家、宇野常寛は『ゼロ年代の想像力』で幼児的な万能感に引きこもるセカイ系ではなく、傷つくことを恐れず決断することで成熟していくバトルロワイアル・モデルに希望を託す。そして、『リトル・ピープルの時代』では「小さな父」を論ずるに至る。もうお気づきだろう。宇野の論理構成は江藤と非常に似ている。影響関係を言っているのではない。江藤の60年代から宇野のゼロ年代まで通底する何かがあるのだ。おそらく、それは父性の欠如であり、虚構への安住であり、成熟への拒否である。若者が幸せだと自己満足する現状は、こういう歴史的環境に支えられていると言ってよい。江藤や宇野の言説は事実確認的コンスタティブにはそのような現状を批判しているが、行為遂行的パフォーマティブにはこの状況と補完関係にあり、結果的にこの環境に依存することで成り立っている。

 



 江藤は日本社会における「父性の欠如」を指摘することで父なるものの復権を訴え、虚構のあり方を批評し続けた。翻って、韓国には日本の江藤淳にあたる批評家はいない。というのも、韓国社会では今まで「父性の過剰」が問題にされることはあっても「父性の欠如」が問題視されたことはなかったからだ。実は、日本も戦前はそうだった。近代日本文学の主流であった自然主義文学は、父との対立、家制度との闘いを物語にしていた。よって、「父性の欠如」は戦後的現象ともいえる。一方、儒教的な家父長制度が長らく社会の日常を形作ってきた韓国では、父の権威が日本よりもさらに強力であり、植民地支配から解放されてからもその権威が揺らぐことはなかった。

「父性」という概念は、自分を取り囲んでいる環境であると同時に、抑圧的に振る舞う巨大な対象を指す象徴的な言葉でもあり、国家や社会的規範のアレゴリーとしてよく用いられるが、この意味での「父性の過剰」の事例は韓国現代史の随所で確認できる。その最たるものが80年のクァンジュ(光州)事件である。前年クーデターを起こし権力を掌握した新軍部は5月18日、民主化を求める声が特に強かった地方都市クァンジュに軍隊を投入し、死者も出す残虐な方法でデモ隊を解散させた。鎮圧軍の振る舞いに激怒したクァンジュ市民は市民軍を結成し対峙するも、結局正規軍に鎮圧される。市民に銃を向ける国軍と、抵抗する市民。現代の韓国社会において〈抑圧的な父〉と〈自由になろうとする子〉の闘いは、物語ではなく現実そのものとして現前していた。当然、これらの事実は隠蔽され、北朝鮮のスパイによる暴動として処理されるが、時間が経つにつれ事実は少しずつ知れわたるようになり、その後の民主化運動を支える神話になっていく。

 

 同じ80年、思想や文学を嗜む人たちが最初に直面した問題は「反共」と社会秩序維持の名目で思想と表現の自由が否定される現実であった。単純な話が、思想や文学クラスタに最も読まれていた雑誌が廃刊させられたのだ。日本の人文知が70年代の脱政治化を経て、軽快な知的戯れとしてのニューアカデミズムに辿りついた80年代、韓国では70年代の軍事独裁時代にも刊行されてきた有名文芸誌『創作と批評』と『文学と知性』までもが廃刊に追い込まれた。現実参加アンガージュマンとリアリズムを掲げていた『創作と批評』はともかく、リベラリズムとモダニズムを追求していた『文学と知性』まで廃刊される異常な事態だった。日本では善悪の区別がほとんど不可能になりつつあったとき、むしろ韓国では善悪がよりわかりやすくなったとも言おうか。80年代は韓国社会が一度リセットされた時代と言っていいだろう。

 戦後日本の思想家といえば、自然と吉本隆明や柄谷行人など文芸批評家の名前が思い浮かぶ。主に文学を論ずる文芸批評が思想的に高く評価されてきたというのは、日本においては虚構の物語を通して社会を論ずる回路が発達したことを意味するのだろう。韓国では逆に、文学までも現実と密着した社会運動と切り離せない状況だった。そのような韓国から見れば、戦後日本における文芸批評の地位の高さは不思議に思えるほどである。

 例えば韓国で最も有名な文芸批評家の一人として、前述した『創作と批評』を長らく率いてきたペク・ナクチョン(白楽晴)を挙げることができるが、彼の掲げたテーマは──文芸批評よりもガチガチの社会系を想起させる──「民族文学」であった。「反共」が国是だった時代、北朝鮮を同じ民族として捉えなおすことはそれだけで社会的タブーに注意を向ける効果があった。日本の読者には「反共」イデオロギーの凄さがなかなか実感できないと思うので、筆者の体験を語ろう。小学生だった80年代、読書課題として選定された本の挿絵で北朝鮮は人間ではなく鬼や豚が住む世界として描かれていたし、美術の時間には「反共ポスター」を、音楽の時間には「反共の歌」を習い、弁論大会では「反共演説」を競った。そのような状況のなか、民族を叫ぶことは抵抗になりえたのである。

 



 韓国では80年代の体験によって、抑圧的な国家に立ち向かう抵抗主体を立ち上げる、という成長回路が稼働し始めた。それは韓国社会のなかに自己否定、自己更新の運動が組み込まれることをも意味した。「反共」の視点で綴られていた公の韓国現代史は、民主化の過程でその殆どが書き換えられていった。今の韓国社会は自己否定を通じて新たな自己像を獲得することに、それほど抵抗感を持っていない。つい最近まで単一民族国家を自称していた韓国は、90年代から農村地域に外国人配偶者(殆どが女性)が急増すると、政策的に多文化家庭支援策を打ち出すとともに、外国人の地方参政権も導入し、単一民族へのこだわりからの脱却を試みている。

 戦後日本では「父性の欠如」が成熟の必然性を無効化し、虚構領域の発達を促した。思いつきで言わせてもらえば、安定した過半数を確保し続けた自民党長期政権の下での官僚システムが、物静かに父性を代行してきたのではなかろうか。韓国と比べれば戦後日本の国家は抑圧的と言うより保護的に機能したように思われる。日本社会に見られる華々しいサブカルチャーの隆盛は、おそらく今まで論じた「父性の欠如」と密接な関係がある。一方、現代の韓国社会は抑圧的な国家という「内なる父」に抵抗し、それを否定するプロセスを経て成立した。親世代に対する否定ぶりは、今年の10月26日に行われたソウル市長選の出口調査結果に端的に現れている。その結果は50代以上の高齢層が支持する保守派与党と、40代以下の若年層が支持する革新諸派という鮮明な世代対立を浮き彫りにした。(20代から40代までは約70%が革新系候補を、50代以上は60%以上が保守系候補を支持した。)

 



 現代の韓国には抑圧的な国家以外に、もう一人の「父」がいる。97年の為替危機はIMFという「外なる父」を受け入れる意味合いを持っており、韓国が市場開放をより攻撃的に進める契機になる。当時、韓国はデフォルトを回避できる資金を借り入れる代わりに、国の経済政策に対するIMFの干渉を受け入れなければならなかった。紙面の都合上詳細は省くが、これは経済の面で今の韓国のあり方を決定づけた事件で、クァンジュ事件と同程度の重要性を持つ。「父性の欠如」をその特徴とする戦後日本とは異なり、現在の韓国社会は「内なる父」の拒否と「外なる父」の受容で形作られた、父性過剰社会なのである。韓国で最近焦点となる社会的な議題は、その殆どが次のような質問に還元できる──新自由主義と市場開放をどこまで受け入れ、その副作用に対してどのような解決策を講じていくべきなのか? すなわち、「外なる父」との闘いは未だ進行中なのである。

安天

1974年生まれ。韓国語翻訳者。東浩紀『一般意志2・0』『弱いつながり』、『ゲンロン0 観光客の哲学』、佐々木中『夜戦と永遠』『この熾烈なる無力を』などの韓国語版翻訳を手掛ける。東浩紀『哲学の誤配』(ゲンロン)では聞き手を務めた。
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