ゲンロンサマリーズ(8)『ファスト&スロー』要約&レビュー|山本貴光



要約
二つのシステム
● 本書は、人が様々な状況で行う意思決定で、なぜエラーが生じるのかを、認知心理学や社会心理学の観点から、多数の実験・調査の結果を交えて考察している。
● 人間の思考の仕方は速いもの(ファスト)と遅いもの(スロー)に分けられる。
● (1)システム1:速い思考。直感。自動的に高速で働く。常時、印象を生み出し、瞬時につじつまの合う因果関係をつくりあげる。例)人の顔写真を見て怒っているのが分かる。
● (2)システム2:遅い思考。熟考。怠け者で意識しないと働かない。努力を要する知的活動や論理思考ができる。例)17×24を計算する。
● 人はほとんどの場合、(1)が生み出す印象に導かれて生活している。それでたいていはうまくいく。ただし、様々な「認知的錯覚」も生じる。
● (1)の中心機能は「連想記憶」。ある言葉や知覚から、関連する記憶が活性化する。この限られた情報から因果関係がつくられ、直感的判断になる。
認知的錯誤
● システム1が「統計的事実」を扱えないために様々な認知的錯誤が生じる。例えば、バスケの「ホットハンド」(たくさん得点する選手)という現象は、統計的にはランダムな事象だが、人は因果関係を「見て」しまう。
● 「ヒューリスティクス」とは、本来答えるべき問題に対して、別の問題を「発見」して答えてしまうこと。例えば、統計で判断すべき問題に対して、思い出しやすい記憶や好き嫌いで判断するなど。
● 「バイアス」とは、ある条件の下で系統的に生じてしまうエラーのこと。例えば、投票で、能力とは関係なく、見た目で判断してしまう「ハロー効果」など。
● 投資家の運用実績を調べると、一貫した判断を下すアルゴリズムに負ける場合が多く、あまりスキルと関係がない。(ポール・ミール『臨床的予測対統計的予測』)
● ただし、「楽観バイアス」は資本主義の原動力でもある。アメリカでは、起業した会社が5年生き延びる確率は35%だが、起業家は自分の成功を60%と自信を持つ。
選択(エコン/ヒューマン)
● ベルヌーイ、後にフォン・ノイマンとモルゲンシュテルンが精緻化した「効用理論」は、経済的合理性に基づいて行動する人間(エコン)を前提としている。だが、これでは説明できない意思決定の事例がある。
● 実際の人間(ヒューマン)は、小さな確率(稀な事象)を正当に評価できず、過大視し、表現次第で、同じリスクの受け止め方に大きな差が出る。
● 著者たちの提唱した「プロスペクト理論」では、認知的錯覚に影響されるヒューマンの意思決定を説明する。これは行動経済学の貢献の一つだ。
二つの自己(記憶する自己/経験する自己)
● ヒューマンにおいては、「経験する自己」と「記憶する自己」がしばしば対立する。
● 例えば、苦痛を伴う検査を受けた患者は、現に経験する苦痛の総量ではなく、記憶の中の苦痛(ピーク時と終了時)で判断する。
● 人間の幸福を考えたり、制度を設計する場合、エコンではなく、ヒューマンの性質(弱み)を前提にする必要がある。
● システム1による意思決定のエラーを防ぐには、システム2の応援を求めればよい。
● エラー防止は、個人より組織のほうが優れている。思考のペースが遅く、規律と手続きに従って判断するためだ。
レビュー
【21世紀の人間本性論】 古来、いったいぜんたい人間とはどういうものなのか、ということが大いなる謎だった。とりわけ「心」の働きとなればなおのこと。西洋では、アリストテレスの『魂について』をはじめ、デカルト、ロック、スピノザ、ライプニッツ、ヒュームといった面々が「人間本性(human nature)」の謎に取り組んできた。近現代の心理学や脳科学はその末裔である。
本書は、認知心理学者のダニエル・カーネマンが、近年の心理学や脳科学の知見を幅広く見渡しながら、人間心理のエッセンスを案内してくれる本だ。心の多様な働きの中でも、特に「直感」をテーマとして、それが「なぜ誤るのか」というメカニズムを説くと共に、対処の仕方も指南してくれる。その意味では、よりよく生きるための実践の書でもあろう。
カーネマンは、2002年にノーベル経済学賞を受賞している。心理学者が経済学賞? それには訳がある。端的に言えば、従来の経済学の主流では、人間の心理をほとんど顧みていなかった。実際にはあり得ない「経済人(エコン)」を前提に理論が組み立てられていたのだが、それに対して、必ずしも合理的に判断できないし、一貫性もない「人間(ヒューマン)」についての経済学として「行動経済学」が提唱されるようになった。実際の人間をベースにするには、その心理のあり様を踏まえなければならない。そこでカーネマンのように、「間違える人間」を前提とした心理学の出番となったわけだ。
本書の大きな魅力は、たくさんの心理実験が紹介されているところにある。中には、読者が自分でテストして実感できるものもある。最後に一例を掲げることにしよう。直感に従って答えてみていただきたい。
バットとボールは合わせて1ドル10セントです。
バットはボールより1ドル高いです。
ではボールはいくらでしょう?
さて、最大の問題は、本書で人間観をヴァージョンアップできたとして、この無自覚にやってしまう認知的錯誤を、自分の生活や社会、さらには世界や歴史を眺めるときに、どう組み込んでいったらよいかということだろう。この本は、そんなふうに読者を誘っている。
・『ゲンロンサマリーズ』ePub版2013年1月号
・『ゲンロンサマリーズ』Vol.1-Vol.108全号セット


山本貴光
ゲンロンサマリーズ
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