ゲンロンサマリーズ(8)『ファスト&スロー』要約&レビュー|山本貴光

初出:2013年1月29日刊行『ゲンロンサマリーズ #68』
ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』、村井章子訳、早川書房、2012年11月

要約
レビュー
【21世紀の人間本性論】
古来、いったいぜんたい人間とはどういうものなのか、ということが大いなる謎だった。とりわけ「心」の働きとなればなおのこと。西洋では、アリストテレスの『魂について』をはじめ、デカルト、ロック、スピノザ、ライプニッツ、ヒュームといった面々が「人間本性(human nature)」の謎に取り組んできた。近現代の心理学や脳科学はその末裔である。
本書は、認知心理学者のダニエル・カーネマンが、近年の心理学や脳科学の知見を幅広く見渡しながら、人間心理のエッセンスを案内してくれる本だ。心の多様な働きの中でも、特に「直感」をテーマとして、それが「なぜ誤るのか」というメカニズムを説くと共に、対処の仕方も指南してくれる。その意味では、よりよく生きるための実践の書でもあろう。
カーネマンは、2002年にノーベル経済学賞を受賞している。心理学者が経済学賞? それには訳がある。端的に言えば、従来の経済学の主流では、人間の心理をほとんど顧みていなかった。実際にはあり得ない「経済人(エコン)」を前提に理論が組み立てられていたのだが、それに対して、必ずしも合理的に判断できないし、一貫性もない「人間(ヒューマン)」についての経済学として「行動経済学」が提唱されるようになった。実際の人間をベースにするには、その心理のあり様を踏まえなければならない。そこでカーネマンのように、「間違える人間」を前提とした心理学の出番となったわけだ。
本書の大きな魅力は、たくさんの心理実験が紹介されているところにある。中には、読者が自分でテストして実感できるものもある。最後に一例を掲げることにしよう。直感に従って答えてみていただきたい。
バットとボールは合わせて1ドル10セントです。
バットはボールより1ドル高いです。
ではボールはいくらでしょう?
さて、最大の問題は、本書で人間観をヴァージョンアップできたとして、この無自覚にやってしまう認知的錯誤を、自分の生活や社会、さらには世界や歴史を眺めるときに、どう組み込んでいったらよいかということだろう。この本は、そんなふうに読者を誘っている。
『ゲンロンサマリーズ』は2012年5月から2013年6月にかけて配信された、新刊人文書の要約&レビューマガジンです。ゲンロンショップにて、いくつかの号をまとめて収録したePub版も販売していますので、どうぞお買い求めください。
・『ゲンロンサマリーズ』ePub版2013年1月号
・『ゲンロンサマリーズ』Vol.1-Vol.108全号セット
・『ゲンロンサマリーズ』ePub版2013年1月号
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山本貴光
1971年生まれ。文筆家・ゲーム作家。コーエーでのゲーム制作を経てフリーランス。著書に『投壜通信』(本の雑誌社)、『文学問題(F+f)+』(幻戯書房)、『「百学連環」を読む』(三省堂)、『文体の科学』(新潮社)、『世界が変わるプログラム入門』(ちくまプリマー新書)、『高校生のためのゲームで考える人工知能』(三宅陽一郎との共著、ちくまプリマー新書)、『脳がわかれば心がわかるか』(吉川浩満との共著、太田出版)、『サイエンス・ブック・トラベル』(編著、河出書房新社)など。翻訳にジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川と共訳、ちくま学芸文庫)、サレン&ジマーマン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ。ニューゲームズオーダーより再刊予定)など。
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