斉藤さんへ|伊藤亜和

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2026年3月13日刊行『ゲンロンy』

 

 親にスマートフォンを持たせてもらったのは何才だったか。記憶はかなり曖昧だが、小学生の頃はしょっちゅう父親にケータイを没収されたり、真っ二つに折られたりしていた。真っ二つに折れたということは、二つ折りのガラケーだったのだろう。そういうわけで、スマホを持ち始めたのは中学に入ったあたりだと推測する。クラスの誰もがスマホを持つようになり、前略プロフィールとmixiを見るためだけのものだと思っていたインターネットが、突如私たちの目の前に広大な宇宙として全容を現した。ガラケーの隅にある謎のボタンの向こうに、こんな世界があったなんて。それまで交換日記の延長でしかなかったネット空間が、教室の窓から見える無数の家をひとつひとつ覗くことのできるような、まさしく魔法の道具であることを知った。

 ツイッターやインスタグラムを始めたのもこのあたりだが、とりわけ私たちが熱中したのは「斉藤さん」というアプリだった。起動して通話を開始すると、その時に同じく斉藤さんを使っている人物とランダムに通話が繋がるというものだ。べつに斉藤さんだけに繋がるというわけではなく、ここでの斉藤さんは〝名無しの権兵衛〟的な意味である。学校と家の往復という、小さな世界で日々暮らす当時の私たちにとって、名前も知らない誰かと強制的に繋げられるということは、それだけでかなり刺激的なエンターテインメントだったのだろう。部活のない日はたいがい女子だけで私の家に集まって、Wiiでゲームに興じる合間にコソコソと斉藤さんをやるのがお決まりの放課後の過ごし方だった。今思えば、集まってエロ本を読む男子中学生とほぼ同じ振る舞いをしていたような気がする。男子はエロ本に夢中な一方で、女子は斉藤さんに夢中だった。実際、当時の斉藤さんで繋がる相手には、ほとんど露出狂しかいなかった。繋がった瞬間、どアップで画面に映し出される見慣れない性器。そのたびに私たちは「ギャー!」と悲鳴を上げて通話を切るのだが、結局それも「見てはいけないものを目撃してしまう」という、不可抗力に見せかけた好奇心の戯れだったように思える。

伊藤亜和

96年生。文筆家。著書に『存在の耐えられない愛おしさ』(KADOKAWA)、『アワヨンべは大丈夫』(晶文社)、『わたしの言ってること、わかりますか。』(光文社)、『変な奴やめたい。』(ポプラ社)。
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