はてなき天下の夢──現代中国の「新世界秩序」について|伊勢康平

「Japan is Back」という文字列をはじめて見たとき、なんだか中国のようだと感じたのを記憶している。憲政史上初の女性首相である高市早苗が明言して注目を浴びたこのフレーズは、そもそも10年以上前に安倍晋三元首相が使用したものだった。かれは2013年2月22日にワシントンD.C.の戦略国際問題研究所(CSIS)で「Japan is Back」という講演を行ない[★1]、のちにこのフレーズを愛用するようになった。
じつはそのたった3カ月前に、中国の国家主席に就任してまもない習近平が「中華民族の偉大な復興」を「中国の夢」として掲げている[★2]。2012年11月29日のことだ。
もっとも、「中華民族の偉大な復興」という言葉もまた習近平が編みだしたものではない。これは2002年に中国共産党第16回全国代表大会で提示されたものだ。習近平の「偉大な」点は、まさにこれを「夢」と表現したことにある。大国の指導者になるにあたり、かれは自分が統治するのは夢みる国だと宣言したわけだ。
では哲学にとって「中国の夢」とはなにか──中国の哲学者・趙汀陽はそのように問いかけた。それは単に近代化を推し進めて西洋を超えるような大国になることではない。むしろ西洋によって定義された概念や言説の体系を超え、さらに中国の文化的特殊性をも超えて、世界的な普遍性をもつ思想体系を「中国的精神」からもたらすことだという[★3]。
この「夢」を実現するために趙が提案したのが「天下」の再発明である。つまり「天下」という中国のいにしえの概念を新しい世界秩序としてよみがえらせようというのだ。このような主張自体は1990年代にはすでに現れていたが[★4]、趙が2005年に『天下体系──世界制度哲学序論』を、2016年に『天下の現代性──世界秩序の実践と想像』を刊行したことにより、現代の中国哲学を席巻する一大テーマになった(いずれも未邦訳[★5])。その背景には、趙の思想の力強さもさることながら、やはり中国の急速な発展や、それにともなう政治的な存在感の高まりがある。要は中国による新しい世界秩序の提唱が、現実的な問題として受け止められるようになったということだ。
じっさい、天下の現代的な可能性をめぐるこうした議論──一般的に「天下主義」と呼ばれる──は、現代中国の政治経済的な状況との関連のなかで語られる傾向にある。けれども、じつはその奥底には近現代の東アジアの思考の宿痾とでも言うべき根深い問題が隠されている。この論考では、おもに趙の議論に焦点をあてながら、その大きな課題を明らかにしたい。
すばらしい新世界秩序
趙の『天下体系』の議論は、いまや中国は「世界に対して責任をもつ大国」となって「世界新理念や世界制度を創造しなければならない」という印象的な宣言からはじまる。そのためにかれが設定した課題は、「西洋的な国民国家の思考方式を乗り越えること」であった[★6]。
趙の問題意識はじつにシンプルだ。まず、テクノロジーや経済、情報のグローバル化によって、世界の各国、各地域は急速につなぎ合わされている。世界はひとつになろうとしている。他方、政治の概念は国民国家の分割と対立、あるいは協力によって成り立っており、おのずと友と敵を、または相容れない他者を生みだしてしまう。世界は決してひとつではない。ゆえに私たちは、グローバル化する世界にふさわしいあらたな「共存在の秩序」を発明しなければならない。そこで「天下」の概念が注目される。



伊勢康平
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