新しい帝国とその時代|石橋直樹+伊勢康平+五月女颯+森脇透青+植田将暉

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2026年3月13日刊行『ゲンロンy』

 戦争の時代が来るのではないかと言われている★1。それを象徴するのが、2026年1月3日に生じた、アメリカ軍によるベネズエラ攻撃だ。他国の首都に特殊部隊を送り込み、大統領を連行し、自国の裁判所で審理を行なう──アメリカ合衆国がとった行動は世界に衝撃を与えた。トランプ大統領はその後、直接統治をほのめかし、南米諸国に睨みをきかせる。

 その姿勢は「ドンロー主義」とも呼ばれる★2。語源となったのは、1823年に当時の大統領ジェームズ・モンローが提唱した合衆国の外交方針だ。同時期に生じていたヨーロッパでの戦争にアメリカは介入しない。そのかわりにヨーロッパ諸国は西半球に手出しをしない。大国にとっては相互不干渉、まわりの国々にとっては介入主義にほかならなかった「モンロー主義」は、帝国たちの勢力圏をさだめ、その後の戦争の時代につながっていった。

 いまふたたび「帝国」がよみがえろうとしているのではないか。そのように考えたとき、わたしたちの目のまえに、同時代の国際情勢が浮かび上がってくる。ベネズエラやパナマ、グリーンランドへと領土拡大の野心を剝き出しにする合衆国。緊迫する中国と台湾。インド洋地域の覇権をねらうインド、オーストラリア、インドネシア。アラブの春以降、グレートゲームの舞台となった中東諸国。存在感を増すトルコ。ガザへの攻撃を続けるイスラエル。中国とロシアが勢力圏の構築をめざすアフリカ諸国。そして、ロシアと欧米がしのぎを削るウクライナに、しかし不協和音の生じはじめた合衆国とヨーロッパ……。いま各地に噴き出しているのは、「帝国」への夢と欲望と、それらが引き起こす数多の紛争だ。

 2000年、アントニオ・ネグリとマイケル・ハートが『〈帝国〉』を世に問うたとき、そこにはなにか新しい思想が現れていると人々は信じることができていた★3。グローバルなネットワークが人々の新たな連帯を生みだし、そこから世界が変わると思っていた。あらゆるひとがスマホを持ち、みながSNSでつながったとき、わたしたちは政治が動くはずだと希望をいだいた。

 しかしそれはいまや幻滅と絶望に変わっている。チュニジアにせよ、香港にせよ、合衆国にせよ、スマホを手に立ち上がった若者たちの革命はその理想には到達しえなかった。いまではわたしたちは、ひたすら画面をスワイプし、流れる動画に時間をつぶし、行くあてのない感情を短いテキストを連投することで解消している。わたしたちはインターネットの夢がいちど挫折したあとを生きている★4

 その時代に、わたしたちは意気消沈し続けるほかないのだろうか。今回の座談会には、日本の国学思想を研究する石橋直樹、中国現代哲学が専門の伊勢康平、旧ソ連・ジョージア地域の専門家である五月女颯、フランスの哲学者ジャック・デリダの研究者である森脇透青、そして編集者の植田将暉が集まった。特徴は、アメリカの専門家でも、国際政治の専門家でもないということだ。だからこそ、世界が予想外の動きをみせはじめ、政治の常識がつうじなくなったいまこそ、自由に考えられることがあるはずだ。そこに人文知の役割がある。

 かつて夢見られたものを取り戻し、スマホ世代の理想を掲げること。個人には太刀打ち不可能に思えるような現実に、それでも新しい線を引きなおすこと。帝国の時代の知と思想をつくりだすこと──スマホ世代の若手研究者たちによる、専門領域を飛びだした大胆な討議に、ぜひあなたも加わった気持ちで読んでほしい。

2020年代は帝国の時代だ

植田将暉 まずは議論の出発点となるような大きな見取り図を描いていただきたいのですが、森脇さん、どうでしょう。

森脇透青 導入にあったネグリとハートの『〈帝国〉』は、哲学や現代思想を学んでいると避けては通れない1冊です。とくにそのなかで提示されている「マルチチュード」という概念が大きな影響を与えてきた。それは、人々がそれぞれのちがいを持ったままで協力しあえるような連帯のこと。リーダーが上から命令して同質性を押し付けるような従来の中央集権的な政治ではなく、人々が下から自発的に連帯するような脱中心的な政治運動の可能性を彼らは考えていました。

 それを実現しようとしたのが、たとえば2011年の「ウォール街を占拠せよ」運動でした。これはアメリカで広がる経済格差に対する抗議でしたが、SNSを通じてさまざまなひとがニューヨークの街頭に集まり、「わたしたちは99%だ」と叫んで、たった1%の富裕層たちが富を独占している状況を批判した。

 古典的な国家権力による支配というモデルが解体され、中心を欠きつつ、地球規模で融通無碍な「支配」が生じてくるのが〈帝国〉であるとすれば、その同じ時代現象の「抵抗」の側面として「マルチチュード」がある。それは自然発生的で脱中心的で、水平に広がっていく政治運動である。教科書的にはそういう整理でいいでしょう。

 しかし、こうしたグローバル時代の〈帝国〉と「マルチチュード」という対立は、現在ではもはや壊れている。2020年代になると、古典的な「帝国」のイメージが回帰してくるからです。アメリカ軍によるソレイマニ暗殺事件(2020年1月)に、第二次ナゴルノ・カラバフ戦争(2020年9月)、ロシアによるウクライナ侵攻(2022年2月)、イスラエル・パレスチナ戦争(2023年10月)など、大国による「グレート・ゲーム」が始まったわけです。

 また、ネグリとハートが期待を寄せた「ストリート」が、左派による抵抗の場ではなく、極右や排外主義の発信の場としても現れるようになったという点も重要です。日本では、10年代に盛り上がっていたのは、反原発デモや安保法制反対デモといった左派からの運動だった(もっとも、在特会のヘイトデモは2009年ごろから行われていたわけですが)。それが20年代になると、参政党や財務省解体デモのような右派からの運動に取って代わられるようになる。アメリカでも、10年代に占拠されたのはウォール街でしたが、20年代には連邦議会議事堂になってしまった。この歴史的な現実をどのように受け止めるか、現代思想は真剣に考えないといけないと思っています。

森脇透青

植田 2021年1月にアメリカの連邦議会議事堂襲撃事件が生じたことは、いま振り返ってみればかなり象徴的でしたね。2020年末の大統領選挙でトランプではなくバイデンが選ばれた。その結果にリベラルが安心していた矢先に、不正選挙を主張する人々が蜂起したわけです。結局のところ、2025年に「トランプ2・0」が始まってしまった責任はかなりのていど民主党やリベラル勢力の不始末にあった。わたしたちはバイデン政権の誕生ごときで満足していてはならなかったと反省すべきなのでしょう。

 結局、2020年代前半を振り返ると、世界史の教科書には「新型コロナウイルス感染症」と「ウクライナ侵攻」、そして「トランプ2・0」の3つが大事件として残るのだろうと思います。この3連打がおそらく「戦争の時代」を用意してしまったのでしょう。それに続くものとして、たとえばイスラエルとパレスチナの戦争がある。だからこそ、戦争の時代、帝国の時代を迎え撃つための思想が必要なんです。

伊勢康平 中国の現代哲学を研究していると、そのような思想的動向は現実のものになっていると感じます。あとで「天下主義」という思想を紹介しますが、これは中国の伝統的な「天下」の概念を現代に適用可能な政治理論として再評価しようという試みです。2013年から中国は「一帯一路」構想をかかげて、中央アジアから中東、ヨーロッパ、さらには東南アジアやアフリカにまで広がるような広域経済圏を構築しようとしてきた。天下主義はたしかに哲学的な動向ですが、そのような政治的・経済的な動向とも深く結びついています。

五月女颯 同じような状況はトルコやインドにも見られますね。たとえばトルコのエルドアン大統領はしばしばオスマン帝国の継承やイスラーム的価値観の尊重などを訴えていますが、これはたんなる政治的・経済的な主張というよりは、もっと思想的なもの、端的にいえば帝国的な世界観のあらわれです。実際、「新オスマン主義」という名前で呼ばれています★5。またインドでも、モディ政権になってから急速にヒンドゥー・ナショナリズムが強まっています★6。その結果として、イスラーム教を信仰する隣国パキスタンとの対立も深まっている。インド、パキスタン、そして中国はカシミール地方などをめぐって領土紛争をかかえていますが、いずれも核保有国である点に注意が必要です。イスラーム教の重視にせよ、ヒンドゥー・ナショナリズムの興隆にせよ、それはたんに宗教的な価値観を復権させようするだけではなく、歴史的にその地域で培われてきた「帝国」的な秩序や世界観を取り戻そうという運動であると言うことができます。まさしく「帝国をつくろう」なんです。

植田 ええ、それこそがこの座談会の意図しているところです。もちろんこうした大きい話は、地域研究者や国際政治学者といった専門家たちからすれば、細かな事情や差異を無視した乱暴な一般化であると受け止められるものだろうと思います。けれども、いま生じているのは、不正確だと批判されるのを恐れるあまり、素人は沈黙を良識のあかしと思いこみ、専門家は小さな専門分野に閉じこもってしまっているという閉塞的な状況ではないか。それを打破するにはデカいことを言うやつがあらわれないといけない。

五月女 ただし、インドやトルコは、少なくともそれぞれの地域における覇権国家なので、大きな世界観を打ち出すことができるとも言えます。その一方で、ぼくが研究しているジョージアは、ロシア、欧米、中国など、大国たちからつねに影響を受ける小国です。日本ではXを使いこなしている駐日大使や、松屋でもメニューになった「シュクメルリ」などで有名な国ですが、政治的には、隣国のウクライナが戦時下になって以降ずっと、ロシア寄りの路線を取るか、欧米寄りの路線を取るかをめぐって揺れつづけています。そうすると、なかなか大きいことは言えなくなる。その結果、最近のジョージアでは、首相レベルの政治家たちさえもが陰謀論を唱えはじめてしまっているのですが……。

森脇 陰謀論がこれほど浸透してしまっているのは、批評家がちゃんと仕事をできていないからではないか。「批評家」に期待されている仕事は、ほんらいはデカいことを言うことなんですよね。昔の批評文を読むと、専門家でもなんでもない批評家が、さまざまな思想や理論を縦横無尽に援用しながら国際政治をアツく語ったりしていた。不正確な言説をつかまえて揶揄するのは簡単だけれど、政治や社会といった問題について、あるていどの細部は犠牲にしてしまったとしても、勇気をもって大きな議論をすることは、とても大事な仕事です。

石橋直樹 そうなんですよ! いま森脇さんが言われた批評家の仕事は、日本の歴史をひもといてみると、「国学者」の役割だったんです。

 ぼくが研究しているのは平田篤胤という江戸時代後期の国学者ですが、彼の特徴は本居宣長などの先行世代の学者たちから日本の知の伝統を引き継ぐだけでなく、当時伝わってきたばかりの西洋の学問をさかんに採り入れ、新しい知のかたちをつくりだした点にありました。それはともすれば従来の知の枠組みから逸脱した「怪物」的なスタイルでもあったのですが、しかしそれくらいの大胆さがないと、新しい時代は切りひらけなかった。ひるがえって、2020年代後半が「戦争の時代」になるのであれば、それを超克するのは国学者的な大胆さではないか。

植田 なるほど、むしろ国学の伝統が同時代的な批評性をおびてくると。

石橋 ぼくはそこに期待をかけています。新しい時代が到来すれば、新しい歴史を設定することが必要になります。そのときに手がかりとなるのは、日本思想史だと信じています。

石橋直樹

石橋直樹

民俗学・近世思想史・文学。2001年生、神奈川県出身。論考「ザシキワラシ考」で、2020年度佐々木喜善賞奨励賞を受賞し、民俗学を中心に執筆活動をはじめる(論考はその後『現代思想』「総特集=遠野物語を読む」に掲載)。論考「〈残存〉の彼方へー折口信夫の「あたゐずむ」から」で、第29回三田文學新人賞評論部門を受賞。論考「看取され逃れ去る「神代」」(『現代思想』「総特集=平田篤胤」)の発表以降、平田篤胤を中心とした国学思想・儀礼を専門に研究を進める。編著『批評の歩き方』等々に寄稿。

伊勢康平

1995年生。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程在籍。専門は中国近現代の思想など。著作に「ユク・ホイと地域性の問題——ホー・ツーニェンの『虎』から考える」(『ゲンロン13』)ほか、翻訳にユク・ホイ『中国における技術への問い』(ゲンロン)、王暁明「ふたつの『改革』とその文化的含意」(『現代中国』2019年号所収)ほか。

五月女颯

1991年生まれ。博士(文学)東京大学。専門:ジョージア近代文学、批評理論(特にエコクリティシズム)。日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、現在、東京大学大学院 人文社会系研究科 現代文芸論講座 助教。著書に『ジョージア近代文学のポストコロニアル・環境批評』(成文社、2023年)。

森脇透青

95年生。批評家。京都大学文学研究科研究員。専門はジャック・デリダを中心とした哲学および美学。批評のための運動体「近代体操」主宰。共著に『ジャック・デリダ「差延」を読む』(読書人)、『25年後の東浩紀』(読書人)、『批評の歩き方』(人文書院)。

植田将暉

1999年、香川県生まれ。早稲田大学大学院法学研究科博士後期課程。専門は憲法学。おもな著作に、「21世紀の「自然の権利」と大地の人類学」(『文化人類学研究』25巻)。ゲンロンでは編集と企画、ウォッチなどを担当。メディア研究者の山内萌とYouTube番組「今週の人文ウォッチ」を好評配信中!
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